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日本の東京都新宿区にある損害保険会社 ウィキペディアから
損害保険ジャパン株式会社(そんがいほけんジャパン、英語:Sompo Japan Insurance Inc.)は、日本の損害保険会社。SOMPOホールディングスの中枢を担う企業である。
損保ジャパン本社ビル | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) 大証1部(廃止) 8755 2010年3月29日上場廃止 |
略称 | 損保ジャパン |
本社所在地 |
日本 〒160-8338 東京都新宿区西新宿一丁目26番1号 損保ジャパン本社ビル |
設立 |
1944年(昭和19年)2月12日 (創業:1888年(明治21年)10月) |
業種 | 保険業 |
法人番号 | 4011101023372 |
事業内容 | 損害保険事業、生命保険事業 |
代表者 |
代表取締役社長石川耕治 代表取締役専務執行役員 山口和寿 代表取締役常務執行役員 堀江裕志 |
資本金 | 700億円 |
売上高 |
連結:2兆7181億55百万円 単独:2兆1486億32百万円 (正味収入保険料、2018年3月期) |
純利益 |
連結:1448億59百万円 単独:1757億08百万円 (2018年3月期) |
総資産 |
連結:8兆7763億90百万円 単独:7兆5158億87百万円 (2018年3月期) |
従業員数 | 21,705名(2023年4月1日現在) |
支店舗数 |
国内:支店125・営業所506・サービス拠点286、海外:29か国・地域 (2022年4月1日現在) |
主要株主 | SOMPOホールディングス |
主要子会社 | 関連会社の項目を参照 |
外部リンク | https://www.sompo-japan.co.jp/ |
特記事項:芙蓉懇談会・古河三水会・みどり会・春光懇話会の会員会社である。 |
略称は「損保ジャパン」(そんぽジャパン)。ブランドスローガンは「Innovation for Wellbeing」。
2002年7月に安田火災海上保険と日産火災海上保険の合併により株式会社損害保険ジャパン(初代)が発足し、同年12月には経営再建中だった大成火災海上保険を合併した。
2006年に金融庁より「業務運営が営業偏重となっている」と指摘され、保険金の支払い漏れ等のため業務停止処分が下されている(詳細は後述)[1]。
2010年4月に日本興亜損害保険との株式移転により持株会社NKSJホールディングスが設立され経営統合[2]。同社との一体経営を経て、2014年9月に合併し、損害保険ジャパン日本興亜株式会社(そんがいほけんジャパンにっぽんこうあ、略称は「損保ジャパン日本興亜(そんぽジャパンにっぽんこうあ)」となる)が発足。単体の損害保険会社としては日本国内最大となった。合併と同時に、持株会社のNKSJホールディングスも損保ジャパン日本興亜ホールディングスに商号変更(2016年10月にSOMPOホールディングスに再度商号変更)するなど[3]、一部のグループ会社も合併や「損保ジャパン日本興亜」を冠した商号に変更された。旧社の社名を列挙したもので分かりやすいものの、「ジャパン」と「日本」など本来同じ意味を持つ名詞が含まれたため、重複感は否めず「長すぎる社名」として、インターネット上など一部で話題になっていた。
2020年4月にこの「長すぎる社名」を短くするため、損害保険ジャパン日本興亜の前身の一つであった社名を引き継ぎ、損害保険ジャパン株式会社(2代目)へ商号変更された[4]。この商号変更により、略称・英文社名・ホームページのアドレスは損害保険ジャパン(初代)時代に使われていたものが引き継がれたが、シンボルマークは損害保険ジャパン日本興亜発足時に使用していた赤丸とプラチナの環を組み合わせたシンボルマークに「SOMPO」ロゴを組み合わせたものとなり、「損保ジャパン」の社名ロゴも損害保険ジャパン日本興亜で使用していた書体が引き継がれ、スローガンも損害保険ジャパン日本興亜で使用していた「保険の先へ、挑む。/Innovation for Wellbeing」が継続使用されている[5]。2021年から3年間の中期経営計画の発表と同時にブランドスローガンは和文も含め「Innovation for Wellbeing」に統一された[6]。
1987年に、損保ジャパンの前身である当時の安田火災海上保険が、約53億円でゴッホの「ひまわり」を落札した(詳細は後述)。春の大型連休をさす「ゴールデンウィーク」という言葉は、2004年に損害保険ジャパン(初代)が商標登録している(第4824147号)。
本節では、損害保険ジャパン(初代)の発足から損害保険ジャパン日本興亜を経て、損害保険ジャパン(2代目)までの沿革を述べる[7]。日本興亜損害保険の沿革は日本興亜損害保険を参照。
損害保険ジャパン(初代)は、安田火災海上保険と日産火災海上保険の合併により発足したが、安田海上火災保険はみずほ銀行の前身の一つである旧富士銀行の取引企業で構成された芙蓉グループに、日産火災海上保険は日産コンツェルンを源流とする日立・日産系の企業で構成された春光懇話会にそれぞれ所属しており、合併によりこの2つの企業グループに所属している(春光懇話会はNKSJホールディングス(現・SOMPOホールディングス)への経営統合の際に日本興亜損害保険も所属していた)。
安田火災海上保険が再建スポンサーとなり、更生計画を終結させた大成火災海上保険はみずほ銀行の前身の一つである旧第一勧業銀行の取引企業で構成された古河グループに所属しており、2002年12月の合併により、同グループにも所属するようになった。
日本興亜損害保険は2001年4月に日本火災海上保険と興亜火災海上保険の合併によって発足し、2002年4月に太陽火災海上保険を吸収合併しているが、3社とも三菱UFJ銀行の前身の一つである旧三和銀行の取引企業で構成されたみどり会に所属しており、統合後も引き続き所属していたが、2014年9月の損害保険ジャパン日本興亜発足時に新たに所属するようになった。
このような経緯から、現在の損害保険ジャパン(2代目)は、芙蓉グループ・春光懇話会・古河グループ・みどり会の4つの企業グループに所属している。
個人向けの保険商品は、2014年9月の損害保険ジャパン日本興亜発足時に損害保険ジャパン(初代)や日本興亜損害保険では保険商品ごとに異なっていたブランド名を統一し、「THE(ザ)」シリーズとして展開している。
西新宿の「損保ジャパン本社ビル」に本社を置いている。これは元々旧安田火災の本社として淀橋浄水場跡地に1976年に建設された超高層ビルで、末広がりの外観から「スカートビル」とも、「パンタロンビル」とも呼ばれる。2014年9月1日の日本興亜損保との合併に伴い、ビル名も「損保ジャパン日本興亜本社ビル」に変更されたが、2020年4月1日の社名変更で再度「損保ジャパン本社ビル」の名称に復した。
開業時より、ビル内には旧安田火災と縁が深かった東郷青児の美術作品コレクションを展示する東郷青児美術館が設けられた。当美術館は名称変更やビルに隣接する形で建設された新美術館への移転を経ながら、2023年現在も「SOMPO美術館」の名称で先述した作品群や「ひまわり」などを展示している。
2005年9月27日、損保16社による保険金の不当な不払いが大量にあったことが発表され、同社もその中に含まれていた(1回目の不払い発覚)。同年11月25日、新たに加えられた10社を含めた26社中の1社として、金融庁から業務改善命令の行政処分を受けた[27]。
2006年5月、保険金の不当な不払いや違法な勧誘などを始めとした諸問題のため、全社2週間の業務停止命令(但し山口支店は検査時に顧客名義の印鑑を大量に廃棄して証拠隠滅していたことが発覚したため1ヶ月の営業停止)を受けるに至った[28]。
具体的には次の事項など、不正は保険の「募集」「引き受け」「支払い」「監査」等ほぼ全業務に及んだ。
平野浩志前社長は、最終的には辞職に追い込まれたが、ノルマ達成を社員に迫るメールを自分の名前で発信するなどの事実があったにもかかわらず、当初は自らは事件とは無関係として最後まで引責辞任を否定していた。また、辞任後も会長としてとどまり、社内に院政を布こうとしたことがマスコミから激しく批判され、結局会長職につくことはできず、関連企業も含めたすべての役職を辞すこととなった。しかし職員に500人以上の処分者を出しながら、社長以下役員は役員報酬の「自主返上」に留まり、ノルマによって職員を不正に追い込んだ当事者たちは、最後まで「公式な処分」で自らを律することはなかった。
この異例の厳罰について2006年5月26日付け読売新聞によると、金融庁幹部は「保険金を払うのは保険会社の最も基本的な機能。当局が監視しているからではなく、会社が責任をもって経営管理体制を取るべきだ」とコメントし、悪質な違法行為が判明した後も、原因究明や対策などに取り組まない無責任な企業体質を特に問題視していることを強調したとされる。1ヶ月後の三井住友海上火災保険のケース[29]とともに問題となった。その後、損保ジャパンは2009年11月6日付で金融庁から、十分な改善措置が講じられたと認められたため、業務改善計画に係わる履行状況の報告義務を解除された。
その後、損保業界では新たに第三分野保険に関連する不当な不払いが発覚(2回目の不払い発覚)。同社は本件について2006年10月31日付けで調査結果を発表する。この時点で判明していたものは、件数で975件、金額で2億7000万円という結果であった[30]。
このように、次から次へと新たな不当不払い事案が明らかになり、問題の終息が感じられないことを重く見た金融庁が、2006年11月17日に損保各社に不払いの再々調査を指示。同社は2007年4月末までに調査が完了すると発表し、同年4月27日に調査結果を発表。これによると、新たに1万9009件金額にして約17億円の不払い(3回目の不払い発覚)が確認され、合計で4万8495件、金額にしておよそ33億8300万円の不払いとなった[31]。
保険金不払い事案以外では、2006年12月10日に2×4工法の建築物に対する火災保険料を取りすぎていた問題が発覚している。
2007年7月、損保ジャパンおよび子会社の顧客などの個人情報約3,000人分が、ファイル交換ソフト「Winny」によりネットワーク上に流出した。
2007年10月25日には、損保ジャパンを相手に保険金支払いを求めて提訴していた岡山市内の司法書士が、全額の支払いを命じた岡山地裁の判決に基づき同社岡山支店に強制執行をかけたため、執行官によって支店の現金及び机と椅子約200組などを差し押さえられる椿事が発生した[32]。生損保業界において、保険金不払いが原因で顧客から営業拠点に対する強制執行に発展した事態はかつて例がない。
2010年7月12日、旧日本興亜の株主が、旧日本興亜の社長を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こす。理由は、2009年12月1日に招集された日本興亜損保の臨時株主総会の株主総会参考資料には、法令で記載が義務づけられている「当該事業年度末日以降に生じた会社財産に重大な影響を与える事象」の内容として、経営統合の相手方の損保ジャパンが2009年5月27日に金融保証保険に係る損失を補填するために発行した1,280億円の劣後債についての記載がなかったため、経営統合の際の合併比率が不利になったため[33]。
2010年12月21日、1700件、5億6000万円の保険金不払いがあったことを発表した[34]。
2011年夏、東日本大震災の損害査定において、損害保険登録鑑定人の資格を持たない者に損保ジャパンが調査を行わせていたことが報道された[35]。
2011年12月、東日本大震災の数日後に起きた自宅の火災に保険金が下りないのはおかしいとして、宮城県気仙沼市の住民3人が21日、損保ジャパンなどに支払いを求める訴訟を仙台地裁気仙沼支部に起こした[36]。
2012年6月22日、名前や銀行口座など延べ40万6632人分の顧客情報が記録されたCD-ROM2枚を紛失したと発表した。
2013年10月4日、高松で顧客名簿を紛失したと発表[37]。
2014年12月、合併前の損害保険ジャパンで自動車保険料の取りすぎが最大で6478件あったと発表した[38]。
2015年2月、2729人分の顧客情報を紛失したと発表した。氏名や住所、電話番号、金融機関の口座情報のほか、けがの状況など事故情報を記載した保険金支払い関連書類を紛失した[39]。
2023年6月20日、損害保険ジャパンなど4社に対し、東急向けの火災保険料を事前に調整したとして、金融庁が報告徴収命令を出していた事が分かった[40]。同年12月26日、業務改善命令を受ける[41]。
2023年7月、ビッグモーターの保険金不正請求に絡み損害保険業7社に金融庁から報告徴求命令[46]、同年9月には立ち入り検査を受ける[47]。
報告徴求命令などに至る経緯や詳細についてはビッグモーター#修理費水増しによる保険金不正請求を参照。
2024年1月、金融庁による損保ジャパンと親会社のSOMPOホールディングス(前年11月から調査開始)への調査が終了[62]。同月25日、両社に対し業務改善命令の行政処分が下される。損保ジャパンについては「内部統制が崩壊している」、SOMPOホールディングスについては「損保ジャパンに対する経営管理が機能していない」などと評され、3月までに改善計画を提出するよう求められている[63]。
本節では損害保険ジャパンの子会社を述べる(全て株式会社である)。親会社であるSOMPOホールディングスの子会社はSOMPOホールディングス#主な傘下企業を参照。
なお、2016年10月に当社親会社の損保ジャパン日本興亜ホールディングスがSOMPOホールディングスへ社名変更したことに伴って、当社子会社の一部も同じ日に「SOMPO」を冠した社名に、2020年4月に当社が損害保険ジャパン(2代目)へ社名変更したことに伴って、「損保ジャパン日本興亜」を冠していた子会社が「損保ジャパン」を冠した社名に順次変更されている。
この節の内容の信頼性について検証が求められています。 |
1987年3月30日、当時の安田火災が、イギリス・ロンドンで行われたクリスティーズ主催のオークションで目玉として出品されたゴッホの「ひまわり」を約53億円で落札した。落札された「ひまわり」は、同年7月20日に成田に到着した。貴重な絵画だけに、飛行機の便名や到着時刻などは公表されなかった。そして、東郷青児美術館で10月13日から一般に公開されると、わずか半月で入館者が3万5千人を突破し、それまでの同美術館の年間入館者数(約3万人)を大きく上回る盛況となった。
絵画の価格が約53億円、オークション手数料・保険料なども合わせると約58億円かかったが、大金を使ったことに批判的な意見もあった[69]。まず、あまりにも高額だったので、「ひまわり」を前例に、絵画の国際価格が日本企業のせいで上がってしまったというような批判。そして、金あまり日本を世界にさらすようなものだという批判。さらに、保険会社としての経営に直接関係しない分野への巨額投資が、会社全体の評価に及ぼす影響を懸念する批判、などである。もっとも、この好景気の時代に美術品を高額で購入した日本人・日本企業は多数に上ったものの、それに引き続く景気後退期にそのほぼすべてが元の海外へ流出したのに比べ、この「ひまわり」は現在に至るまで当美術館にて変わらず所有されていることを考慮すれば、それら批判への応分の社会貢献は為されているともいえる[70]。
ゴッホの「ひまわり」は、6点現存する[注釈 5]。ゴッホが同じような構図で描いたもので、わかりやすい大きな違いは、壷に活けてあるひまわりの数で、3本と12本、15本の3パターンがある。現在のSOMPO美術館に所蔵されているのは、15本のひまわりバージョンで、大きさも一番大きく縦1メートル、横76センチメートルのもので、もっとも鮮やかな黄色のひまわりと言われている。他美術館所蔵の「ひまわり」と比較して、当館の「ひまわり」は来歴に不明確な点があること、またサインもないため、贋作説もあった[71]。ただし、ファン・ゴッホ美術館の学芸員・保存修復技官らによる調査によれば、他人による加筆の跡はあるものの真作であるとの報告がなされている[72]。
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