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日本の政治家 ウィキペディアから
山東 昭子(さんとう あきこ、1942年〈昭和17年〉5月11日[1][4] - )は、日本の政治家、女優、声優、テレビタレント。自由民主党所属の参議院議員(8期)。
山東 昭子 さんとう あきこ | |
---|---|
総務省より公表された肖像 | |
生年月日 | 1942年5月11日(82歳) |
出生地 |
日本 東京府東京市世田谷区[1] (現・東京都世田谷区) |
出身校 | 文化学院文学部文学科卒業[1][2] |
前職 | 女優・タレント |
所属政党 | 自由民主党(田中派→山東派→麻生派) |
称号 |
レジオンドヌール勲章シュヴァリエ 国家功労勲章グラントフィシェ ルネサンス・フランセーズ 栄誉賞 ソムリエ・ドヌール |
親族 | 大叔父・児玉亮太郎(衆議院議員) |
公式サイト | 山東昭子ホームページ |
第32代 参議院議長 | |
在任期間 | 2019年8月1日[3] - 2022年8月3日[3] |
天皇 | 今上天皇(徳仁) |
第27代 参議院副議長 | |
在任期間 | 2007年8月7日 - 2010年7月30日 |
参議院議長 | 江田五月 |
内閣 | 第2次海部改造内閣 |
在任期間 | 1990年12月29日 - 1991年11月5日 |
選挙区 |
(全国区→) 比例区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1974年7月7日 - 1992年7月7日 1995年8月25日 - 1996年10月2日 2001年7月29日 - 現職 |
参議院議長(第32代)、参議院副議長(第27代)、科学技術庁長官(第2次海部改造内閣)、環境政務次官(第1次大平内閣・第2次大平内閣)、参議院外務委員長、同内閣委員長、自由民主党両院議員総会長、同党紀委員長、番町政策研究所(山東派)会長を歴任した[5][6]。
参議院議員選挙での8回当選は史上最多で[7]、女性として初めて自由民主党の派閥の会長を務めた[5]。衆参両院を通じて、女性で初めて議長・副議長の両方を歴任した。
作曲家・團伊玖磨の紹介で11歳でラジオ東京(現在のTBSラジオ)の子供番組の司会として芸能界入り[1]。15歳でラジオドラマ「赤胴鈴之助」のナレーターを務める[1]。16歳で東映と専属契約を結び、「旗本退屈男 謎の蛇姫屋敷」で北大路欣也の相手役として映画デビュー。その後、高倉健とコンビで「太郎シリーズ」等に出演する[1]。
19歳でフリーとなり、テレビにも進出。美貌と頭の回転の速さを活かしてドラマだけでなく司会業にも力を入れる[1][8]。テレビ番組『クイズタイムショック』では5週連続で勝ち抜き、「クイズの女王」と呼ばれた[9]。また『スパイ大作戦』や『女刑事ペパー』などの日本語吹き替えで声優としても活動した[10]。
1974年、当時の内閣総理大臣・田中角栄に請われ第10回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補[1]。約125万票を得て32歳の最年少参議院議員として初当選[9]。1980年(全国区)、1986年(比例区)の参院選でも再選される。
1990年12月、第2次海部改造内閣で科学技術庁長官に任命され、史上6人目の女性閣僚として初入閣[9]。
1992年の参院選では比例名簿順位を下位とされたため落選。1995年、田辺哲夫の死去に伴い3年ぶりに繰上当選するが、翌1996年に参議院議員を辞職し同年の第41回衆議院議員総選挙に神奈川県第6区から立候補するも落選。
その後、2001年の参院選で比例区から出馬し5年ぶりに返り咲き、2007年、2013年、2019年と連続当選する。
2007年、第21回参議院議員通常選挙で自民党が大敗し第2党となったため同党から副議長を出すことになり、第167回国会で女性では初の参議院副議長に就任した[11][12]。副議長就任に伴い、自民党会派を離脱。
2012年、参議院日仏友好議員連盟会長を務める等のフランスとの友好関係を重視する活動が評価され、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した[13]。
2015年4月、番町政策研究所(山東派)会長就任[5]。なお、参議院議員としての派閥領袖は村上正邦(政策科学研究所及び志帥会)に次いで2人目である。
2017年7月、番町政策研究所が為公会(麻生派)などと合流し志公会が発足。会長代行に就任する[14]。
同年、派内に上公会(参議院麻生派)を結成、会長に就任する。細田、額賀、岸田3派が主導権を握る参議院自民党での新・麻生派の存在感を高める狙いといわれる[15]。
2019年7月、第25回参議院議員通常選挙で参議院史上初の8期目の当選を果たす。
2019年8月1日に召集された第199臨時国会において、満票で第32代参議院議長に選出された。 史上23人目、女性としては扇千景(林寛子)以来2人目の参議院議長となり、正副議長の両方を歴任するのは衆参両院を通じて女性初となる[16]。 議長就任に伴い自民党会派を離脱して無所属となり、派閥(麻生派)からも離れた。
2022年10月、議長退任に伴い自民党会派に復帰。同時に志公会にも復帰し、同派の顧問に就任した。
2024年8月、翌2025年7月に改選を迎える第27回参議院議員通常選挙の自民党比例区候補として公認が内定した。改選時は83歳となり、既に70歳を超過しているため、党内規の比例定年の対象ではあるが「総裁が国家的有為な人材と認めた者」として、2013年・2019年に続く特例での公認内定となった。これにより自身の記録を塗り替える参議院で9度目の当選を目指すこととなった[17][18]。
曾祖父は元神奈川県参事を務め、陸奥宗光の懐刀であった、紀州高野山出身の教育者・官僚である山東直砥[注釈 2][50][51]、大叔父は元衆議院議員の児玉亮太郎[52][53]。
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 全国得票順位 (全国区) | 党内比例順位 (比例区) | |||
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当 | 第10回参議院議員通常選挙 | 1974年7月7日 | 全国区 | 自由民主党 | 1,256,724 | 第5位(112人中) | - | |||
当 | 第12回参議院議員通常選挙 | 1980年6月22日 | 全国区 | 自由民主党 | 1,508,617 | 第6位(93人中) | - | |||
当 | 第14回参議院議員通常選挙 | 1986年7月6日 | 比例区 | 自由民主党 | - | - | 第15位(25人中) | |||
繰当 | 第16回参議院議員通常選挙 | 1992年7月26日 | 比例区 | 自由民主党 | - | - | 第21位(27人中) | |||
落 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 神奈川6区 | 自由民主党 | 50,411 | - | - | |||
当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 147,568 | - | 第17位(27人中) | |||
当 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 203,324 | - | 第12位(35人中) | |||
当 | 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 205,779 | - | 第9位(29人中) | |||
当 | 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 133,645 | - | 第18位(33人中) | |||
当選回数 参議院8回 |
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