ダイノジは、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ。1994年結成。『M-1グランプリ2002』ファイナリスト。
- 大地 洋輔(おおち ようすけ、1972年7月13日 - )(52歳)
- ツッコミ(たまにボケ)担当、立ち位置は向かって左。
- 本名:大地 洋介(読み同じ)。身長169 cm、体重90 kg、血液型A型、既婚。
- 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴岡高等学校卒業。
- 2018年8月20日、約6000人の中から6次審査まである吉本坂46の最終オーディションに合格し、メンバー(1期生)に選ばれる。
- 大谷 ノブ彦(おおたに のぶひこ、1972年6月8日 - )(52歳)
- ボケ(たまにツッコミ)・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。
- 本名:大谷 伸彦(読み同じ)。身長175 cm、体重75 kg、血液型B型、既婚。
- 大分県佐伯市出身(生まれは山口県[3])。大分県立佐伯鶴城高等学校、明治大学政治経済学部卒業。情報経営イノベーション専門職大学の情報経営イノベーション学部にて超客員教授に就任。元衆議院議員の井脇ノブ子とは親類である。
大地はダイチ→大地洋介→おおち→大地洋輔、大谷はビック谷→大谷伸彦→大谷ノブヒコ→大谷ノブ彦とそれぞれ4度改名している。理由は、2006年に開運アドバイザー安斎勝洋に「今のままだと良いことが起きてもすぐ悪いことが起きる」とアドバイスを受けたことと、大地が2006年のエアギター世界選手権で優勝したが、その後左足を骨折したことから。
コントと漫才の両方を行っている。結成当初はコント中心であったが、『M-1グランプリ』開始をきっかけに漫才に力を入れ始めた。
漫才では大谷がボケ、大地がツッコミを担当しているが、コントではネタによって入れ替わる。元々は大地がボケ担当であったが、ツッコミに転向した。代表的なコントネタは『爆笑オンエアバトル チャンピオン大会』(NHK総合)でも披露された「小西君」など。
大地の恰幅のよい体格を生かしたボケ・ツッコミが多く、「ほらこんなに額からとんこつスープを出しちゃって」というボケに「汗だよっ!!」というツッコミや、「その前足が…」というボケに「前足じゃなくて、手!」というツッコミ、「ヘイ、タクシー!」「手がみじけーよ!」など。またオーバーリアクションを生業とする、やや古さをあえて感じさせるコントなどを得意とする。アメリカなどのコメディーのパロディや、'80年代漫才ブームやそれ以前のスタイルなどをベースとしている。
漫才などのツカミとして「ウーン」と溜めて呼吸を合わせてジャンプしながら「ダーイッ!」と言って「大」の人文字をやる。
また、2000年代後半のショートネタブームに合わせて、やすしきよし、ツービート、青空球児・好児等の昭和の漫才師のパロディを意識したアレンジネタも行っていた。
後に『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などのショートネタ番組では、自己紹介のはずが大谷が延々と蘊蓄を語り出し、大地が「長えよ!」とつっこんだだけで持ち時間が終わってしまう漫才を行うようになった。自己紹介が長いというネタはかつてオンエアバトルなどでも披露していた。
大地は個人での一発ギャグを多数持っており、多くの番組で披露している。
コンビ名
コンビ名の由来は、「大地」、「大谷」、「大分県出身」の3つの「大」の字があったため。また、英語でコンビ名を表記する場合、よく使用される「dainoji」は誤表記であり、「dienoji」が正しい。「die」は文字通り「死」を表している。大地の兄である大地大介(ex.BEYONDS)がINDIES MAGAZINE vol.12で語ったところによると、コンビ名の由来は、大地の父親が大の字になって亡くなっていたからだという。第一発見者は大地であり、そのとき理由は分からないが、「ヤバイ」と思って慌てて学生服に着替えた、と言うエピソードが残る。
なお、ケツメイシのシングル『涙』のミュージック・ビデオ出演時、映像の中では大地が大谷に「ダイノジに寝るなよ」と言ったときに思いついた、という設定になっているが、これは創作である。
その他
- 大地洋輔
- 大地の母の名前は紀世(キヨ)。漫才中には幾度も大谷から「キヨ」が連呼されることがある。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)の福岡収録に出演した際は、大地と大谷の母が共に会場に足を運んだ。[12]
- 糖尿病を患っている。デビュー当時は70kgだったが、炭水化物好きが高じて104kgまで増えた。「動けるデブ」として一躍ブレイクするものの、2008年に糖尿病を宣告されると、娘が生まれたことも相まって80kgまで減量した。
- 2016年2月20日放送分の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)にゲストとして出演した際、『めちゃイケ』の新メンバーオーディションで争った番組レギュラーの三中元克がプロ芸人への転向を志望し、正式によしもとクリエイティブ・エージェンシーに合格した事が発表されると、これに待ったをかけ、「素人さん扱いで入って、番組から与えられた企画をやってみてやっぱしんどいから辞めるってさ。『じゃあ次はプロの芸人でやる』って、それでめちゃイケには残る気でいるのかよ!? それ、おかしいでしょうよ!?」「最初のオーディションの時は“素人”として三中に負けたから、納得できる部分もあったよ。でも自分達と同じ“プロ”の土俵に上がってくるっていうんだったら、話は別だよ! プロになるって言うなら、もう一回スタート立ってオーディション受けろよ!!」と涙ながらに檄を飛ばし、これをきっかけに三中のメンバー再オーディションが正式に決まり[13]、その結果不合格となった三中はめちゃイケを降板する事となった。その為一部の『めちゃイケ』視聴者からは、三中降板のきっかけを作ったともいえる大地に対する批判の声が少なからず寄せられる事となった。大地自身も気にしていたのか、再オーディション後、三中が鈴木おさむの経営していたちゃんこ料理店に面接を受けに来た折に再会した際に、「俺の事、恨んだりしてないか?」と冗談半分で尋ねたが、その際、三中から「少しだけ」と正直に答えられ、苦笑した[14]。
- 2021年8月21日、新型コロナウイルス感染を公表[15]。
- 大谷ノブ彦
エアギター
- 大地は『日本エアギター選手権2006』に出場し、2年連続世界大会4位の金剛地武志と同点優勝。その様子は2006年8月14日放送の『めざましテレビ』(フジテレビ)にて一部紹介された。さらに日本代表としてフィンランド・オウルで行われる『Air Guitar World Championships 2006』に出場し、初出場にして初優勝の快挙をとげた。
- JETの新アルバム『SHINE ON』の日本版CMに起用され、CMには大谷も「エアボーカル」として参加。
- 2006年10月、大地はルミネtheよしもとの舞台で左足を骨折し、しばらくは動きの少ないスタイルや座ってできるスタイルでパフォーマンスをした。
- 2006年12月、『第57回NHK紅白歌合戦』(NHK)にゲスト出演し、大地のエアギターと大谷のエアボーカルが披露された。
- 2007年2月、JETの武道館ライブにおいて、エアギター世界大会で使用した曲である「Are You Gonna Be My Girl」で共演を果たし、本人たちの前でエアパフォーマンスを披露した。
- 2007年9月、『Air Guitar World Championships 2007』で史上2人目となる大会2連覇を達成した。しかし2008年は6位で終わった。
M-1グランプリ
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年 |
結果 |
エントリーNo. |
備考 |
2001年 |
準決勝敗退 |
813[22] |
当時は敗者復活戦なし |
2002年 |
決勝8位[23] |
1740 |
|
2003年 |
準決勝敗退 |
1883[24] |
|
2004年 |
準決勝敗退 |
2582[25] |
ラストイヤー |
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THE SECOND 〜漫才トーナメント〜
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年 |
結果 |
2023年 |
選考会敗退 |
2024年 |
選考会敗退 |
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Vシネマ
- 發の竜〜逆転の闘牌〜(2017年) - 佐貫寛 役(大谷のみ)
- くさデカの本 2004 - 2005 視聴者が選んだ自慢の美食(アレ)BEST100
単独
- 「俺道」
- 「KING OF LIVE」(ダイノジ10周年記念ベストコントライブ)
- 「I LOVE TOKYO」
単独以外
- 「M-1グランプリ2002」
- 「吉本興業×テレビ東京『ぷっちNUKI』プレゼンツ 新宿南口連続殺人事件」
- 「大人のコンソメ」
- 「ケツの穴〜初級篇〜」(ケツメイシ)
- 「TRICERATOPS SHORT FILMS IV」(TRICERATOPS)ナビゲーターを担当
- 「俺、ダイノジ」
- 「エロス」(大谷 自費出版写真集)
- 2001年
- 3月22日 - 24日 - 「無」(アムラックスホール/東京)
- 3月25日 - ダイノジ大全集「KING OF LIVE」(アムラックスホール/東京)
- 8月12日 - 「大☆大☆ダイノジその3」(アムラックスホール/東京)
- 2002年
- 2月11日 - 「俺、ダイノジ」(新宿シアターアプル/東京)
- 2003年
- 1月24日 - 「大☆大☆ダイノジ」(ルミネtheよしもと/東京)
- 2月14日 - 「童貞チョコレート」(新宿シアターモリエール/東京)※男子限定イベント
- 8月1日 - ダイノジ全国ツアー「俺道〜NO WAY〜」(電車通り8丁目スタジオ/北海道)
- 8月10日 - ダイノジ全国ツアー「俺道〜MY WAY〜」(ヤクルトホール/東京)
- 8月16日 - ダイノジ全国ツアー「俺道〜NO WAY〜」(吉本ゴールデン劇場/福岡)
- 8月23日 - ダイノジ全国ツアー「俺道〜MY WAY〜」(イズミティ21小ホール/宮城)
- 2005年
- 12月12日 - 14日 - 「2005冬 I LOVE TOKYO」(新宿シアターモリエール/東京)
- 2007年
- 8月13日 - 「豊後の虎 IN 佐伯」(佐伯市保健福祉総合センター 和楽/大分)
- 2009年
- 7月12日 - ダイノジ芸歴15周年記念単独公演「人生漫才」(ルミネtheよしもと/東京)
- 12月17日 - ダイノジ芸歴15周年記念単独ライブ大阪公演「人生漫才」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
但し、2000年度は過去にチャンピオン大会に出場していない芸人には前年度のオンエア1回につき20KBを加算するというアドバンテージが与えられており、ダイノジはこれまでチャンピオン大会の出場経験がなく、前年度にオンエア3回を獲得している為に60KBが加算され1位となった。因みにこのアドバンテージがなかった場合、年間ランキング1位はますだおかだだった。なお、来年度以降はアドバンテージがなくなり、年度内の合計得点のみで争われている。
この回は493KBでトップ通過を果たしている。また、この回の勝者コメントでは大地の母親が息子の代わりに勝者コメントに登場した。更に2001年3月4日放送の番外編で大地の母親が紹介された。
“大会の歴史”. M-1グランプリ 公式サイト. 2024年1月5日閲覧。