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日本の俳優、スタントマン ウィキペディアから
身長161センチメートルの小柄なスタントマン。山口県桜ケ丘高校時代は体操選手で、インターハイの出場経験があり[12][11]、俊敏でアクロバティックな動きを得意としている。
ウルトラマンになることを目指し、スタントマンの道に進む[6][8]。高校の体操顧問が千葉真一の先輩であったことから、顧問の紹介でジャパンアクションクラブに6期生として入門[8]。入門当時は小柄な体型であることからヒーロー役は無理と言われ、戦闘員や女性の吹き替えスタントをメインとしていた[8]。
スーツアクターとしてスーパー戦隊シリーズに参加し、大葉健二や春田純一の代役、後楽園ゆうえんちでのショーを経て、『超電子バイオマン』(1984年)のブルースリー役で本格的に持ち役を抱えて以降、多くのヒーローを演じてきた[8][3]。顔出しでの出演も多い[2]。
『光戦隊マスクマン』(1987年)で自身が担当したブルーマスクの変身前を演じた広田一成からは、中国拳法の手ほどきを受けた[15][3]。その後も中国拳法のトレーニングを続け、『五星戦隊ダイレンジャー』(1993年)ではシシレンジャーのスーツアクターとして広田直伝の中国拳法を見せている[3]。『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007年)ではそれを生かし、中国拳法指導として参加している[3]。
『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)ではキングギドラを演じ、そのアクションが評価されたことから『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)以降のゴジラを演じた[出典 8]ほか、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)ではスーツアクションアドバイザーを兼務した[7][16]。後年は、ゴジラ役のスーツアクターとして中島春雄や薩摩剣八郎らとともにアメリカのイベントに出演することが多い[3]。
黄色のインナースーツを好んで着用するが、これは特技を生かし、ブルース・リーのものまねでCMに出演していた影響であるという。
大葉や春田の代役としての出演は、当時両者の撮影時間の都合によるもの。「機械と野生の対照的な両者の動きで自分が出来上がった」と語る。自身の持ち役の低姿勢の構えは、大葉健二のバトルケニアの影響を受けている。『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)の5人同時で飛び降りるブラックは喜多川が演じている[17]。
初めてヒーロー役のレギュラーを演じたのは『バトルフィーバーJ』のミスアメリカ役で[3]、小牧りさに代わりトランポリンなどのスタントを務めた[4]。喜多川が演じる場合は厚めのタイツを着用している[4]。喜多川は、それまでも女優のスタンドインを務めたこともあるためヒロイン役を演じることに恥ずかしさは感じなかったが、バトルケニアの代役も兼任していたためミスアメリカはあまり演じたくなかったと述べている[4]。その後、降板した小牧と交代した新人の小野寺えい子のアクションが上達していったため、喜多川はケニア役に専念するようになった[4]。
妻の小野寺えい子とは『バトルフィーバーJ』でともにミスアメリカを担当しているが、小野寺は結婚を意識するようになったのは『電子戦隊デンジマン』(1980年)辺りからではないかと述べている[13]。
『超電子バイオマン』では、初回のラストで靭帯を切ってしまい、激しいアクションができなくなったため吊りのアクションが多くなったという[3]。
『超力戦隊オーレンジャー』ショーでオーブルーを演じた際は棒術を使って殺陣を行っていたが、ある日のショーでオーブルーの棒がステージにぶつかってしまい、棒がどこかに飛んでいってしまうというアクシデントに見舞われた。その際は会場がザワつく一幕もあったが、喜多川はわずか1秒で素手のアクションに切り替え、棒術のように両手を上手く使うことでパワーダウンした感じを一切出さずアドリブで乗り切った。その様子を見ていたしいはしジャスタウェイは喜多川のプロ根性に驚嘆し、「もともと、棒は落ちる演出でした?と思うほど見事な殺陣でした。プロというものを見せてもらった瞬間でした」と語っている[18]。
キングギドラ役での起用は同作品の特技監督である鈴木健二が白亜紀型キングギドラの走って飛び上がるアクションができる小柄なアクターを探していた際に、若狭新一が喜多川がブルース・リーのものまねで出演していたCMを見たことから出演依頼が来たとされる[8][19]。喜多川自身は記念になるからという軽い気持ちで引き受けたという[3]。ゴジラシリーズでは、戦隊シリーズではなかったミニチュアセットの破壊シーンの撮影では、失敗すると多くのスタッフに余計な苦労をさせてしまうため「緊張のあまり腹が痛くなった」という[20]。
『ゴジラ2000 ミレニアム』では、スーツ製作時に喜多川の型取りを行ったが、石膏が徐々に固まることに閉所恐怖症のような恐怖を感じ、二度とやりたくないと思ったことを述懐している[10]。実際にスーツを試着したときも、呼吸ができず死ぬ思いであったという[5][10]。ゴジラについては、自身がスタントマンとして20年間培った技術が一切通用しなかったと語っている[5]。『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)では、特殊技術の浅田英一からVSシリーズでの薩摩剣八郎のような動きを求められ抵抗があったが[1]、続く『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)では遠慮なくなんでも言い合える関係になっていたという[2]。『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』では、喜多川から型をとったダミー人形の通称「キタガワ君」が用いられた[21]。
ゴジラシリーズでは待ち時間が長いため、喜多川はその合間に造形スタッフの助言を受けながら、周辺の道具などを用いてゴジラなどの造形物を制作していた[22]。
指導側に立つようになった後も、『手裏剣戦隊ニンニンジャー』や『動物戦隊ジュウオウジャー』などで人手が不足したときに戦闘員などを演じている[3]。喜多川は、若人と仕事をするのは楽しいが、気を使わせているのは申し訳ないと述べている[3]。
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