啓蟄

二十四節気のひとつ ウィキペディアから

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「開く」、「蟄(なお、チツは慣用音で、漢・呉音はチフ・ヂフ)」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。

現在広まっている定気法では太陽黄経が345のときで3月5日ごろ。ではそれが起こるだが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から5/24年(約76.09日)後で3月8日ごろ。

期間としての意味もあり、この日から、次の節気の春分前日までである。

季節

大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。『暦便覧』には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。

の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。

日付

定気法による啓蟄の瞬間(世界時、UT)と、日本中国での啓蟄日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後[1][2]、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。

さらに見る 年, 日時 (UT) ...
日時 (UT)日本中国
1966年3月6日00:513月6日3月6日
1967年3月6日06:423月6日3月6日
1968年3月5日12:183月5日3月5日
1969年3月5日18:113月6日3月6日
1970年3月5日23:583月6日3月6日
1971年3月6日05:353月6日3月6日
1972年3月5日11:283月5日3月5日
1973年3月5日17:133月6日3月6日
1974年3月5日23:073月6日3月6日
1975年3月6日05:063月6日3月6日
1976年3月5日10:483月5日3月5日
1977年3月5日16:443月6日3月6日
1978年3月5日22:383月6日3月6日
1979年3月6日04:203月6日3月6日
1980年3月5日10:173月5日3月5日
1981年3月5日16:053月6日3月6日
1982年3月5日21:553月6日3月6日
1983年3月6日03:473月6日3月6日
1984年3月5日09:253月5日3月5日
1985年3月5日15:163月6日3月5日
1986年3月5日21:123月6日3月6日
1987年3月6日02:543月6日3月6日
1988年3月5日08:473月5日3月5日
1989年3月5日14:343月5日3月5日
1990年3月5日20:193月6日3月6日
1991年3月6日02:123月6日3月6日
1992年3月5日07:523月5日3月5日
1993年3月5日13:433月5日3月5日
1994年3月5日19:383月6日3月6日
1995年3月6日01:163月6日3月6日
1996年3月5日07:103月5日3月5日
1997年3月5日13:043月5日3月5日
1998年3月5日18:573月6日3月6日
1999年3月6日00:583月6日3月6日
2000年3月5日06:433月5日3月5日
2001年3月5日12:323月5日3月5日
2002年3月5日18:283月6日3月6日
2003年3月6日00:053月6日3月6日
2004年3月5日05:563月5日3月5日
2005年3月5日11:453月5日3月5日
2006年3月5日17:293月6日3月6日
2007年3月5日23:183月6日3月6日
2008年3月5日04:593月5日3月5日
2009年3月5日10:483月5日3月5日
2010年3月5日16:463月6日3月6日
2011年3月5日22:303月6日3月6日
2012年3月5日04:213月5日3月5日
2013年3月5日10:153月5日3月5日
2014年3月5日16:023月6日3月6日
2015年3月5日21:563月6日3月6日
2016年3月5日03:443月5日3月5日
2017年3月5日09:333月5日3月5日
2018年3月5日15:283月6日3月5日
2019年3月5日21:103月6日3月6日
2020年3月5日02:573月5日3月5日
2021年3月5日08:533月5日3月5日
2022年3月5日14:433月5日3月5日
2023年3月5日20:363月6日3月6日
2024年3月5日02:223月5日3月5日
2025年3月5日08:073月5日3月5日
2026年3月5日13:583月5日3月5日
2027年3月5日19:393月6日3月6日
2028年3月5日01:243月5日3月5日
2029年3月5日07:173月5日3月5日
2030年3月5日13:023月5日3月5日
2031年3月5日18:503月6日3月6日
2032年3月5日00:393月5日3月5日
2033年3月5日06:313月5日3月5日
2034年3月5日12:313月5日3月5日
2035年3月5日18:203月6日3月6日
2036年3月5日00:103月5日3月5日
2037年3月5日06:053月5日3月5日
2038年3月5日11:543月5日3月5日
2039年3月5日17:423月6日3月6日
2040年3月4日23:303月5日3月5日
2041年3月5日05:163月5日3月5日
2042年3月5日11:043月5日3月5日
2043年3月5日16:463月6日3月6日
2044年3月4日22:303月5日3月5日
2045年3月5日04:233月5日3月5日
2046年3月5日10:163月5日3月5日
2047年3月5日16:043月6日3月6日
2048年3月4日21:533月5日3月5日
2049年3月5日03:413月5日3月5日
2050年3月5日09:313月5日3月5日
2051年3月5日15:203月6日3月5日
2052年3月4日21:083月5日3月5日
2053年3月5日03:023月5日3月5日
2054年3月5日08:543月5日3月5日
2055年3月5日14:403月5日3月5日
2056年3月4日20:313月5日3月5日
2057年3月5日02:253月5日3月5日
2058年3月5日08:183月5日3月5日
2059年3月5日14:073月5日3月5日
2060年3月4日19:523月5日3月5日
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グレゴリオ暦

グレゴリオ暦による1583年から2499年までの日本の啓蟄は表のとおり[3][4][5]

2025年の啓蟄は3月5日[更新]

365日からの超過分が毎年蓄積し、4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(啓蟄は閏日の挿入される2月末日より後のため、4で割り切れる年が先頭)。 1920年から2087年までは3月5日3月6日のいずれか。1919年までは3月7日もあった。2088年からは3月4日が出現する。

さらに見る 年, 年を4で割った余り ...
年を4で割った余り確定困難な(日を跨ぐ)年
0123真夜中の前後10分
1583年 - 1587年 5日6日6日6日
1588年 - 1619年 5日5日6日6日1618(5-6日)
1620年 - 1651年 5日5日5日6日
1652年 - 1687年 5日5日5日5日
1688年 - 1699年 4日5日5日5日
1700年 - 1719年 5日6日6日6日
1720年 - 1751年 5日5日6日6日
1752年 - 1783年 5日5日5日6日
1784年 - 1799年 5日5日5日5日1787(5-6日)
1800年 - 1823年 6日6日6日6日1820(5-6日)
1824年 - 1855年 5日6日6日6日1853(5-6日)
1856年 - 1887年 5日5日6日6日
1888年 - 1899年 5日5日5日6日
1900年 - 1919年 6日6日6日7日1919(6-7日)
1920年 - 1955年 6日6日6日6日1952(5-6日)
1956年 - 1987年 5日6日6日6日
1988年 - 2019年 5日5日6日6日
2020年 - 2051年5日5日5日6日
2052年 - 2087年 5日5日5日5日
2088年 - 2099年 4日5日5日5日
2100年 - 2119年 5日6日6日6日
2120年 - 2155年 5日5日6日6日2154(5-6日)
2156年 - 2183年 5日5日5日6日
2184年 - 2199年 5日5日5日5日2187(5-6日)
2200年 - 2219年 6日6日6日6日
2220年 - 2251年 5日6日6日6日2220(5-6日)
2252年 - 2283年 5日5日6日6日2253(5-6日)
2284年 - 2299年 5日5日5日6日2286(5-6日)
2300年 - 2319年 6日6日6日7日
2320年 - 2355年 6日6日6日6日
2356年 - 2387年 5日6日6日6日2385(5-6日)
2388年 - 2419年 5日5日6日6日
2420年 - 2451年 5日5日5日6日
2452年 - 2487年 5日5日5日5日
2488年 - 2499年 4日5日5日5日2488(4-5日)
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驚蟄

啓蟄のことを日本以外の漢字文化圏では驚蟄(惊蛰、拼音: jīngzhé)と書く。また日本でもそう書く場合がある。

これは、王朝6代皇帝である景帝が「啓」(現代北方音: qǐ)であり、避諱して意味が似ている「驚」の字で代用したことに由来する。同時に、孟春正月の驚蟄と、仲春二月節の「雨水」との順番を入れ換えた。同様に、「穀雨」と「清明」の順次も入れ換えた。

  • 漢初以前 立春 ⇒ 啓蟄 ⇒ 雨水 ⇒ 春分 ⇒ 穀雨 ⇒ 清明
  • 漢景帝代 立春 ⇒ 雨水 ⇒ 驚蟄 ⇒ 春分 ⇒ 清明 ⇒ 穀雨

代に入ると、啓の字を避ける必要がなくなったことから「啓蟄」に戻された。それと同時に、順次も孟春正月中に変えられている。しかし、使い慣れないせいもあって玄宗治世下の大衍暦で再び「驚蟄」に戻され現在に至る。

日本でも、中国と同様に「驚蟄」が歴代の具注暦に使われている。後に日本でも大衍暦と宣明暦を採用したが、驚蟄は、日本では、仲春二月節とされた。日本で「啓蟄」が名称として用いられたのは、貞享の改暦の時である。従来の仲春二月節のまま、文字だけが改められた。二十四節気の名称のうちで日本と中国で異なっているのはこれだけである。

アメリカにはジリスの一種グラウンドホッグが外に出るか、出ないかで春を占う「グラウンドホッグデー」というものがある。

七十二候

啓蟄の期間の七十二候は以下の通り。

初候
蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく):冬籠りの虫が出て来る(日本)
桃始華(もも はじめて はなさく):の花が咲き始める(中国)
次候
桃始笑(もも はじめて わらう):桃の花が咲き始める(日本)
倉庚鳴(そうこう なく):倉庚が鳴き始める(中国)
末候
菜虫化蝶(なむし ちょうと けす):青虫が羽化して紋白蝶になる(日本)
鷹化為鳩(たか けして はとと なる):に姿を変える(中国)

前後の節気

雨水啓蟄春分

脚注

参考文献

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