国立代々木競技場
東京都渋谷区にあるスポーツ施設 ウィキペディアから
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国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)は、東京都渋谷区にあるスポーツ施設である。第一体育館、第二体育館、インドアプールなどからなる。通称として「代々木○○(第一、第二)体育館」も用いられる。
国立代々木競技場 | |
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施設情報 | |
正式名称 | 国立代々木屋内総合競技場 |
用途 | 体育施設 |
収容人数 |
13,291人(第一体育館) 3,202人(第二体育館) |
設計者 |
丹下健三都市建築研究所(現:丹下都市建築設計)(建築) 坪井善勝研究室(構造) 井上宇市研究室(設備) 有限会社大瀧設備事務所(設備) 建設省関東地方建設局(現・国土交通省関東地方整備局) |
施工 |
清水建設株式会社(第一体育館) 株式会社大林組(第二体育館) |
管理運営 | 独立行政法人日本スポーツ振興センター |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造(一部鉄骨鉄筋コンクリート構造) |
敷地面積 | 91,000 m2 |
建築面積 |
25,396m2(第一体育館) 5,591m2(第二体育館) 3,217m2(付属棟) 合計 34,204 m2 |
延床面積 | 132,398 m2 |
階数 |
地上7階、地下1階(第一体育館) 地上1階、地下1階(第二体育館) |
高さ |
40.37m(第一体育館) 42.29m(第二体育館) |
着工 | 1963年2月 |
竣工 | 1964年9月 |
所在地 |
〒150-0041 東京都渋谷区神南2丁目1-1 |
位置 | 北緯35度40分3.9秒 東経139度42分0.5秒 |
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開催に備えて建設された国立代々木競技場は、同大会のサブ会場として使用されたもので、メインアリーナとなる第一体育館(本館、または「代々木オリンピックプール」ともいう)では競泳競技が、第二体育館(別館)ではバスケットボール競技が開かれた。また、2021年(令和3年)に行われた2020年東京オリンピックではハンドボールの、2020年東京パラリンピックではバドミントンと車いすラグビーの競技会場となった。
第一体育館と第二体育館は、「ダイナミックな外観と壮大な内部空間を有する戦後建築の金字塔」「当時一流の技術者を結集し、前例のない技法、構法を開発、駆使し、意匠、構造、機能を極めて高い水準で融合させて空前のダイナミックな建築を実現した。意匠的にも技術的にも秀でた、戦後モダニズム建築として価値が高い。」などとして、2021年に国の重要文化財に指定された[1]。
体育館の意匠設計は丹下健三、構造設計は坪井善勝の手によるもので、丹下・坪井の代表的作品として名高い。第一体育館・第二体育館とも、吊橋と同様の吊り構造の技術を用いており、第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱から、屋根全体が吊り下げられている。観客を競技に集中させるために考案された、内部に柱を持たない珍しい構造の建物である。また吊り構造の天井を安定させ、台風等の災害時にも問題が生じないように、油圧ダンパー(制震ダンパー)で屋根の振動を抑える構造を採用しているが、油圧ダンパーを制震目的で採用した建物は日本初となった[2][3]。
建設地にはそれまで占領アメリカ軍施設・ワシントンハイツがあり、アメリカ軍との返還交渉の難航などから、工事着工はオリンピック前年の1963年2月と遅れた。その結果、竣工は東京オリンピック開幕のわずか39日前までずれこみ、1964年7月以降は昼夜関係なく24時間体勢で建設が進められ、まさしく突貫工事での建設だった[4]。
その評判は、東京オリンピックの時にアメリカ水泳選手団の団長が「将来自分の骨を飛び込み台の根元に埋めてくれ」と申し出たと伝えられるほどで、戦後の日本を代表する名建築として高く評価されている。また、この体育館を設計した功績により、国際オリンピック委員会(IOC)は、東京都、日本オリンピック組織委員会とともに、丹下健三を特別功労者として表彰している。IOCのアベリー・ブランデージ会長は、授賞式において、次のように丹下の建築を賞賛した。「スポーツが建築家を鼓舞し、一方多くの世界記録がこの競技場で生まれた ことでも分かるように、この作品が選手たちの力をかきたてたと言えるのではないだろうか。この競技場は、幸いにも大会に参加できた人びと、また観戦することのできた美を愛する人びとの記憶の中に、はっきりと刻み込まれるであろう」。
1999年、『国立屋内総合競技場』として日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選定。
その後、建築用素材にアスベストが含まれていたことが判り、2006年8月より全面的なアスベスト除去工事を実施した。2006年8月から2007年3月は第二体育館、2007年1月から8か月は第一体育館をそれぞれ閉鎖して工事が行われた。この間の主要イベントは、関東地区の他会場[5]に変更された。
2010年 - 2011年にかけて、第一体育館と第二体育館で大屋根の全面塗り替え(1964年の竣工後、初)が実施された[6]。
2016年4月20日、日本スポーツ振興センター(JSC)は、2017年 - 2019年度にかけて初めての耐震改修工事を実施、その間は第一・第二体育館と室内水泳場を使用できなくなると明らかにした。工期は22か月を予定し、「(2020五輪前年の)プレ大会には間に合わせたいと思う」としている[7]。2019年11月に工事を終えて使用再開。この間、主会場としているB.LEAGUE「アルバルク東京」は暫定的にアリーナ立川立飛をメインに使用した。
2022年時点では、主にバレーボール・フットサル・ハンドボールなど体育館として利用されている。また毎年開催されるチアリーディング日本選手権大会の会場もこの第一体育館を使用している。稼働率が高く、2015年度は329日間利用された[8]。アリーナ部分のスペースが広く花道や派手な演出が可能なため、上述の通りコンサートやライブイベント、格闘技の大会等のイベントホールとしても多く利用されている。
競泳以外のイベントにも対応できるように、冬季はアイススケート場として、また春季・秋季はプール部の上に木のパネルを貼って、体育館として利用できる設計となっている。建築当時は国際規格のプールであったが、更新された競泳用プールの規格には合わなくなっており、1993年8月に東京辰巳国際水泳場が完成してからは競泳施設としては使われておらず、夏季のプールとしての利用及びアイススケート場としての営業も、それぞれ1997年と2005年を最後に終了[注 1]、2002年4月には残っていた飛び込み台も撤去された[9]。ただし、吊り屋根構造への影響を考慮してプールの躯体は残してあり、プールの上に鉄骨を組んで蓋をしているだけとなっている。
隣接するサブプール「インドア50」はプールとして現存しており、団体専用に貸し出されている[注 2]。
設計段階よりスポーツ以外の目的での利用も考慮されていたとのことで、丹下の過去作である愛媛県民館(1953年竣工、日本建築学会賞受賞)等の経験も踏まえた多目的ホールとしての設計が盛り込まれ、音響についても一定の考慮がなされている[3]。そのため1983年にCHAGE and ASKAが初めてコンサート会場として使用して以降、コンサート会場としての利用も多くなった。ただ、音響の考慮は施設が建設された1960年代前半の技術レベルであるため、現代の基準で考えると決して良いものとはいえない[注 3]。
第一体育館に隣接した屋外フットサルコート。2012年1月プレオープン、4月オープン。
競技場敷地内には3か所の広場が存在し、各種イベントに使用されている。地面の表面には直前に廃止された都電の敷石を流用して造られた。
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