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日本の女性声優 (1946-2003) ウィキペディアから
井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日[2][6] - 2003年〈平成15年〉2月28日[1][3][7])は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身[2]。
1970年代から2003年初めまで活躍。東京都立八潮高等学校、早稲田大学卒業[注 1][4]。
フリー[2]、新企画[8]、同人舎プロダクション[9]、ピラミッド[4]、ドゥ・コーポレーション[10]、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所[6]、東京俳優生活協同組合[5]などに所属した。
幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた[2]。
幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める[2]。
小学中学時代は、学校から帰宅してから机にかじりついてガリ勉していたわけではなかったが成績は優秀だった。その上、水泳の名手で歌唱力も十分であり、頭がいい上に、行動力に富み、人付き合いもよかったという。生来から目立ちたがり屋だったことから、圧倒的に役者になりたく学芸会ではスターだった[2][4]。しかし高校時代には、井上自身でも「ありゃりゃ……」と驚くほど成績が悪くなり、体操、音楽、国語だけは5だが、あとの課目は全部2ばかりで数学、化学は、サッパリだめだった。その時に自分の長所、短所を知って演劇人になることを決めた[2]。
大学時代の放課後は、「好きな演劇を」と思い、劇研に所属していた。当時の訓練は、毎日腹筋運動50回、発音・発声から滑舌法、歩き方等々、プロの俳優訓練も顔負けの猛特訓で、入会早々度肝を抜かれたが、この特訓により、演劇人としての基礎を身につけることができたという。大学時代の卒論は「対人認知」で他人と接した場合、その人物をどう認識するか、という心の問題に取り組んだものだった。芝居がしたかったことから教職課程は敢えてとらなかったという。卒業後は早稲田小劇場に進んだが、劇団自体が主宰者を中心にガッチリ組織され、そういう雰囲気に自分の体質とまったく合わなかったことから1年で退団[2][4]。劇団退団後、ブラブラしていたところ、友人が「銀座に気軽なバーがあるから勤めてみないか」と誘いをかけてくれて、酒も飲めなかったが、ノコノコと出かけてみたという。当時は店の雰囲気は気軽で、服装もジーパン姿で結構という客層もマスコミ関係の若いアーティストが多く明るく、自分の陽気な性格に「ピッタリ」と思い、ここで働くことにしていた。新しい感覚のマスコミ関係者たちと接して、大いに学ぶことができ、アルバイトで始めたTBSの朝のテレビ番組『ヤング720』を皮切りに放送タレントの道へ[2][4]。当初はタレントになろうという気はなかった。テレビに出はじめて3か月目ぐらいに街歩いたところ人が指さし、井上はタレントになったつもり全然ないことから、原因がわからず、気持ち悪かったという[4]。クイズ番組『ベルトクイズQ&Q』の声、『モーニングジャンボ』などTBSのテレビ番組に出演。テレビに出演後に気付いたことは、視聴者に顔を知られると、街を歩くのが不自由になることだった。その時に「テレビだ!」とハタと気づいたワケで以後、声の仕事に切りかえた[2][4]。デモテープを制作して、紹介されていた十社ほどの番組製作会社に持ち込み、CM、DJの仕事が舞い込み、声優としての活動を始める[2]。
初レギュラーは『シートン動物記 くまの子ジャッキー』のアリス役[2][11]。当初、アニメの仕事は苦手であり、アテレコのある日は朝から腹が痛くなっていたという[2]。アニメの売れっ子になった後も「絵は演技をしてくれないから、こちらが懸命に演じていかなければならないので大変、とてもエネルギーの消耗する仕事」と言っていた[2]。それだけに、絵のキャラクターに近づく努力をしていたところ、絵のほうが逆にこちらにぐんぐん接近してくるように感じることがあり、その時には、嬉しくなっていたという[2]。
声優活動以外にも自分の出演番組の台本を書いていたことから、放送作家の仕事が舞い込むようになり、1980年代初めまで、『お笑い頭の体操』『相性診断ピッタンコ』などの構成台本や『クイズダービー』の問題作成の仕事を行なった[4]。同時期には西田堯の下でモダンダンスを学び、国立劇場、日生劇場の舞台に立つ。また「レイ・ホシコ」という名の占い師という顔も持つなど、多才ぶりを発揮していた。
2000年放映開始の『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に獏良了役でキャスティングされていたが、体調不良のため41話までで降板。同役は松本梨香が最終回まで継いだ。
古谷徹によると2001年の冬に癌が見つかり、その時点でかなり進行していた[7]。2002年、手術をして快方に向かったが、2003年時点でほんの数ヶ月前に再発[7]。
2003年2月28日9時29分、東京都目黒区の病院で肺水腫のため死去、56歳没[3]。葬儀には『機動戦士ガンダム』で井上の担当したキャラクターであるキッカ・キタモトとハロの人形が飾られた。最後の声優参加は、ニンテンドーゲームキューブ用ゲーム『機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡』のセイラ・マスである。このゲームには、エンディングにスタッフからのメッセージが表示され、ゲーム発売前に亡くなった井上への追悼の言葉が含まれている。喪主は実弟が務めた。
井上の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
ただし、井上に限らず、他の声優陣も大幅に一新した作品や、コンセプトが違う作品についてはこの表に掲載しない[注 2]。
後任 | 役名 | 概要作品 | 後任の初担当作品 |
---|---|---|---|
松本梨香 | 獏良了 | 『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』 | 第50話 |
ハロ | 『機動戦士ガンダム』 | 『SDガンダム GGENERATION-F』 | |
早間京子 | イワーノ・ゲペルニッチ | 『マクロス7』 | 『第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ』 |
小宮和枝 | ラン | 『うる星やつら』 | 『うる星やつら ザ・障害物水泳大会』[注 3] |
城雅子 | 『Pうる星やつら〜ラムのLoveSong〜』[注 4] | ||
皆川純子 | 乱童 | 『幽☆遊☆白書』 | 『THE BATTLE OF 幽☆遊☆白書 〜死闘!暗黒武術会〜 120%フルパワー』 |
天野由梨 | 香貫花・クランシー | 『機動警察パトレイバー』 | 『スーパーロボット大戦Operation Extend』 |
日下ちひろ | 松野おそ松 | 『おそ松くん〈第2作〉』 | 『パチスロ版』 |
庄子裕衣 | 『CRおそ松くん』 | ||
平辻朝子 | ナレーション | 『フジパン民話テレホンサービス「とんと昔あったとさ」』 | |
太字はメインキャラクター。2004年以降の作品は生前の音声を引用したライブラリ出演。
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