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タミヤの動力付き自動車模型 ウィキペディアから
ミニ四駆(ミニよんく)は、タミヤが発売している小型の動力付き自動車模型である。小型電動機(モーター)を搭載した四輪駆動の模型で、単3型乾電池2本を動力源として走行する。モーターと電池はスイッチで直結されており、スイッチを入れると全開出力で前進し、2レーンや3レーン、または大会などで使用される5レーンのコースを走行させる物である。レースをする場合、軌道が固定されているのはスロットカーと共通であるが、走行中の出力調整は出来ないため、走行したら技能介入は全く出来ない。安価に各種部品が揃えられるため、理科教育などにも有効な製品である。
タミヤの登録商標であり(日本第2168392号ほか)、一般名称では無い。韓国では「ミニカー(미니카)」の名称で発売されているが、実際には「ミニ自動車(ミニチャドンチャ、미니자동차)」、「ミニ四駆(ミニサク、미니사구)」という表記が混在している[注釈 1]。
2度のブームにより日本で一番売れた自動車模型のシリーズである。発売30周年を迎えた2012年(平成24年)時点で、累計約420種以上の車種を発売し、販売台数は1億7000万台[1][2]。
実車が存在しないオリジナルモデルは一部を除きタミヤが1/32スケールと称する大きさである。実在の車両がモデル化される場合は1/32スケールで作られることが多い。これは単3形乾電池2本が入りやすいようにしたサイズである。動力は単3形乾電池2本とFA-130サイズのモーター1個で、ギアとシャフトの組み合わせにより動力を前後の車軸に伝達し、4輪を駆動する。
いずれも四輪駆動方式である。
初期に発売されたミニ四駆シリーズ、コミカルミニ四駆シリーズでは、縦置きモーターからプロペラシャフト、ウォームギアを介して前後の各車軸に動力を伝達する。
レーサーミニ四駆シリーズでは、横置きモーターからカウンターギヤ、スパーギヤを介して前後輪いずれかに動力を伝達し、クラウンギヤとプロペラシャフトで前後の車軸を直結し、四輪を駆動する構造を取り、高速走行に対応している。
プロペラシャフト両端の二つのピニオン及び二つのクラウンギア、モーターのピニオン及びスパーギアとカウンターギアと呼ばれる2段ギアがそれぞれ一つで、計7個の歯車で減速、駆動している。減速比は種類によるが11.2 - 3.5程度で、ギア比を二つ選べる製品も多い。モーターに近い側の車軸を2段減速とし、そこからシャフトで分岐する形でクラウンギアを2段階してもう一方の車軸を駆動している。
ミニ四駆PROで採用されたMSシャーシ、MAシャーシでは、車体中央部に両軸モーターを縦置きに配置し、モーターの出力軸をプロペラシャフトとして前後輪を独立して駆動する。
MS、MA以外のシャーシではプロペラシャフトを取り外すだけで容易に二輪駆動(FM/スーパーFMではFF、その他ではMR)にする事もできる。なお、MS、MAの2WD化も在来機種用モーターを利用する(この場合MRとなる)、あるいは駆動させたくない側のギヤを抜き取る事により容易に可能である。ストック状態ではディファレンシャルを持たない、いわゆる「直結四駆」状態であるため、低速コーナーの多いコースでは敢えて二輪駆動にする者もいた。ただし、公式レギュレーションでは二輪駆動化およびプロペラシャフトのピニオン交換とワンウェイホイールの組み合わせによるパートタイム4WD化は禁止されている。ホイール側でディファレンシャル機構とするワンウェイホイールも販売されていたが、レースによってはレギュレーションで二輪駆動禁止、ワンウェイホイール禁止とするレースもあった。
いずれの製品も基本的には組み立てに接着剤は一切不要であり、はめ込みまたはビス止めで組み立てることのできるスナップフィットキットになっている。ただし、タイヤなど一部に接着した方が好ましい部品、ブレーキスポンジやスタイリングメッシュのように接着が前提となる部品がある。特にスポンジタイヤの場合、大抵は両面テープが添付されている。改造・補修する際も接着剤が多用されるが、シアノアクリレート系(瞬間接着剤)やFRP接着用のエポキシ樹脂系接着剤、スタイリングメッシュ用のゴム系接着剤[3]などが利用される。
ミニ四駆を構成する各部分について説明する。
ミニ四駆の土台となる部分。各シリーズとも、電池ボックスとスイッチ、モーターマウント、ギヤボックスが一体形成される。モーターやギアといった走行に必要な各種パーツを組み込むとともに、中央には電池を入れる空間がある。当初より、電池とモーターを繋ぐ配線を付属のターミナルで行う方式を取った。子どもでも容易に組み立てることができたほか、誤配線、故障の軽減にも繋がっている。
レーサーミニ四駆以降のモデルでは、前側に同社のRCカーを模したバンパーが一体成型された。極初期のモデルを除き両端にガイドローラーを設置することができるネジ穴がある。ゼロシャーシからは後側に別売りのリアバンパーパーツを付けられるように穴が空いており、スーパーFMからはバンパーが付属(一部例外あり[4])。MS、MA、ARシャーシはシャーシと一体成型となっている。なおシャーシと別体になっているリアバンパーはスーパーX/XX、TZ-X、VS、スーパーⅡの世代を境として以前の世代が底部ビス1点支持、以降の世代が後端部2点支持となっているので注意を要する。前述5シャーシは両対応であり、それゆえ3点支持とする「Item No:15412 カーボン強化リヤダブルローラーステー(3点固定タイプ)」も存在する。
モーターの位置は、最も一般的な後方に置くもの、フロントマウント(FM/スーパーFM/FM-Aシャーシ)、ミニ四駆PROシリーズの中央に置くものがある。それに伴い、PRO用とそれ以外ではモーターの形状(出力シャフトの長さ)が異なるのでこちらも要注意である。
技術力のあるヘビーユーザーは「井桁」「鳥居」と呼ばれる、まるで自作シャーシのような様相を呈した改造シャーシを使用する場合が多い。また、近年では
……などアップダウンが強烈な立体セクションが度々登場しており、スピード制御が適切でないとジャンプしすぎたり着地時の衝撃で跳ね返り、コースアウトが発生する。対策として、トレーリングアーム式サスペンションを搭載するマシンも一部には存在する。なお、井桁・鳥居やサスペンション搭載マシンはタミヤ純正パーツ群のみを使用している限りレギュレーション違反にはならない。だが、完全な自作シャーシ、シャーシの換装によるもの以外のホイールベースの変更は、公式レギュレーションで違反となる。
シャーシには主に「当時物」のレーサーで採用されたタイプ1シャーシ、タイプ2シャーシ、タイプ3シャーシ、タイプ4シャーシ、タイプ5シャーシ、FMシャーシ、ゼロシャーシ、スーパー/フルカウルで採用されたスーパー1シャーシ、スーパー2シャーシ、スーパーFMシャーシ、スーパーTZシャーシ、スーパーTZ-Xシャーシ、エアロ/マイティで採用されたスーパーXシャーシ、スーパーXXシャーシ、VSシャーシ、PROのMSシャーシ、MAシャーシ、REV・レーザー以降の世代に当たるARシャーシ、FM-Aシャーシ、VZシャーシがある。(シャーシとシリーズの区分は大まかなものであり、例外も多数存在する。)
ミニ四駆の外装となる部分。シャーシの上に被せる内部機構を覆う蓋(カバー)で、車体の剛性にも大きく寄与する。当初は実車を模したものが使われたが、タミヤRCバギーを小型化したものもあり、それらはRCカーの名称に「Jr(ジュニア)」が付く。素材はABS樹脂製のものが大半だが、主に交換用パーツとしてポリカーボネート製のものも存在する(キットに入っている場合もある)。ミニ四駆用にデザインされたボディは空力性能(エアロダイナミクス)を謳っている商品も多いが、スケールの関係や、空力性能を謳う部分以外の場所に小さな凹凸が存在し、総合的に見ると空力の完成度は低い。モーターや電池の冷却用エアインテークのため、または軽量化のために、軽め穴を開けるいわゆる肉抜きの改造を行う者も多かった。また、かつては様々な自作ボディを使用するユーザーもいたが、現在はタミヤ公式大会での公式レースでの使用は禁じられている(例えば3Dプリンターなどの宣伝目的のイベントなどでは、それらを使用する場合などがある。また、公式大会でも競技以外のコース等で見かける場合はある)。
キット添付のモーターはマブチFA-130で、構造上、寸法が全く同じモーターしか使用できない。ミニ四駆用FA-130モーターの大きな特徴として、市販のFA-130モーターでは接点に半田付けされているリード線が初めから装着されていない点がある。ミニ四駆では配線にターミナルを用いており、リード線が不要なためである。長きにわたりマブチモーター製のものが使用されたが、同規格の他社製モーター(SMC社製)などが同梱されるものもある。
MS、MAシャーシ(ミニ四駆PRO)ではFA-130モーターのエンドベル側からも出力できるよう動力軸を延長した両軸モーターが使われる。フルカウル、スーパー、マイティ、エアロには、一部車種でシャーシを変更して発売されるプレミアムやスペシャルモデル以外には添付されない。
当初はFA-130モーターが同梱されたが、レーサーミニ四駆でのレースが盛んになるに伴い、タミヤ純正・非純正の、各種の高性能モーターが発売された。タミヤの開催する公式戦では、個人による改造や他社製品のほか、純正のグレードアップパーツのモーターでも禁止された型番もあり、速さの絶対的な差につながる改造を抑制していた。スロットレーサー用のモーターではカーボンやグラファイトブラシの使用など極端なものが存在した(もっとも、後にはタミヤ純正品でもカーボンブラシモーターが登場することになる)。
また、モーターに接着するアルミ製ヒートシンクも、「放熱フィン」の名称でGUPとして用意されている。
単三電池2本を使用する。通常ミニ四駆の部品の中で最も重い部品となる。マンガン乾電池は非力なため、レース等ではアルカリマンガン乾電池、あるいはパワーに加え経済性の理由もあって充電式電池を使用することがもっぱらである。
2020年6月現在、公認競技会規則では特例なき限りタミヤブランドの電池(同月販売されているものはアルカリ電池の「パワーチャンプRS」、Ni-MH電池の「ネオチャンプ」の2種類)のみが使用を認められている。また、とりわけ2015 - 19年までの動向として、ジャパンカップのみ富士通(FDK)製のアルカリ乾電池を使用できる。
かつての状況として、Ni-Cd電池はタミヤブランドでもミニ四駆向け(黄色、橙・黄緑のラベル)、ラジコン向け(灰のラベル)があり充電器も豊富だった。公式戦ではタミヤブランドで販売されていた「パワーチャンプゴールド(絶版品)」や、スポンサーでもあった富士通製のアルカリ電池を指定していた時期(所謂第2次ブーム期、主にマグナム系マシン用の富士通カラーステッカーが配布されたこともある)もあり、充電式電池はタミヤも富士通も原則禁止だった時期(Ni-Cdの市場からの消滅とNi-MHの高性能化の時期と重なる)もある。
ギアの数はモデルによって異なるが、レーシングタイプではPROで6個(ピニオン×2含む)、従来型でも6個(ピニオン含む、プロペラシャフトは一式で1個とカウント)使用している。加速重視用と最高速重視用の、異なるギアレシオのセットが付属することが多く、組み合わせるモーターとの相性で選択することができた。オプショナルパーツとして、モーター出力軸に取り付ける金属製のギアや、カーボン配合の強化ギアや、GUPとして売られているギアレシオのセットがある。また、公式大会の会場で販売されていたものもあった。
通常、前後のドライブシャフトには鉄製の六角断面シャフトが使用される。カスタム用パーツに軽量化された中空ドライブシャフトとブラック強化シャフトが存在し、素材としてはステンレスやチタン合金が使用されたものも存在する。またプロペラシャフトに関しても中空シャフト仕様が存在する。前後のドライブシャフトとフレームを介しホイールと接する部分、いわゆるハブは、ノーマルではプラスチック部品にハトメ(ブッシング)を組み合わせたもの(ARシャーシからはPOM製のプラベアリング)だったが、オプショナルパーツとしてベアリングタイプのハブが販売されている。チューンナップモーターと並ぶ定番パーツで、その定価は600円と、キット価格に匹敵した。また、上述のPOM製のプラベアリングも販売されている。今現在トップグレードのHGベアリングは四個で定価1,400円となっている。
レーサーミニ四駆およびその後継モデルのタイヤ・ホイールに関しては、以下のように分類される。
バンパー両端、サイドガード先端等に取り付ける案内車輪で、コースの壁面に接触させ、走行抵抗を軽減する。大きく分けて、
に分類される。かつて汎用またはRC用のボールベアリングをローラーに転用するケースも見られたが、現在のルールでは禁じられている。6個まで付ける事ができる。7個以上付けるのが禁止(ただし、ローラー用パーツであっても固定され回らないものに関してはローラーと見なされず、逆にローラー用パーツでなくても回転すればローラーと見なされる。マスダンパーも規定ライン(前後ローラーの中心軸を結んだ線)より外側に付けてしまうとローラーと見なされる)。2018年以後は、特別ルールによりローラー数に制限がなくなり、マスダンパーも最大幅105mm以内ならOKとなっている。
フロントバンパーやボディ後方のビス穴を介して固定し、バンパーの強度確保やローラーベースの拡張に用いられる。これらのパーツは当初は別売りのグレードアップパーツのみとして販売されていたが、後にプラスチック製のものが付属するキットや、シャーシの設計段階で既に一体成型されているキットも発売されている。なお、一体成型型のステーであっても、軽量化やメンテナンス性拡充の目的、または前述の井桁・鳥居の作成のため、カッターのこなどを用いて切り落とすユーザーも存在する。
別売り品の材質としてはアルミ、ジュラルミン、FRPなどが使用されているが、2010年代に入ってからはカーボン製のステー用プレートも発売されている。カーボン製のプレートは1枚でミニ四駆本体の価格に匹敵する、またはそれを超える価格のものも発売されている。
2017年にはシルバーラメのカーボンが発売された。
マシンの上下動に連動して上下に可動する錘。この錘が着地時に衝撃を打ち消し、マシンのバウンドによるコースアウトを抑制する。走行に必須のパーツではないが、ジャンプやレーンチェンジなどの立体セクションを攻略するために用いるユーザーが多い。当初はミニ四駆純正のグレードアップパーツとして発売されておらず、同じ田宮模型製であり相互にパーツ流用が認められているダンガンレーサーのグレードアップパーツを応用して作成するユーザーが存在し、後にミニ四駆のグレードアップパーツとしてリニューアル発売されている。
基本的にはシャーシやフロントステー・リアステーのビス穴を用いて取り付けるものであるが、効果の向上や低重心化のために、FRPプレートを用いた可動式の骨組みや、ボディに固定したFRPプレートを介してぶら下げるように搭載する改造例も存在する。これらの改造は俗称で「提灯」「ヒクオ」などと呼ばれる。
ストレートコースでは必須のパーツではないが、テクニカルコースでは必要な場合が多い。上り坂の差し掛かりでコースに接触して摩擦によりスピードを下げるための部品。下り坂では車体が浮くため影響しない事が多い。
スポンジ製の製品が販売されており、アップダウン等でのコースアウトを防ぐ目的でシャーシ下部に取り付けられる。
不整地路を走行させることができるタイプ。不整地路での走破性を優先するため、シャーシは最低地上高が大きい構造となり、ギア比もトルクが重視されている。ジムニーワイドやパジェロなどはオフロードタイプに含まれない。
専用コースを走行させ、スピードを競うタイプ。世間一般では、ミニ四駆といえばこのオンロードタイプという解釈がされている。シャーシは重心が低く、ギア比も高いため高速かつ安定した走行が可能となっている。
なお、シリーズはボディデザインにより分類されているため、同じシリーズ内でも使用シャーシや使用可能パーツがバラバラで分かりにくいという問題がある。他方で、様々なデザイン系統を最新シャーシで同時展開できるという利点がある。
レーザーミニ四駆シリーズ
スケールモデル同様、飾って楽しむタイプ。他のミニ四駆と異なり、シャーシには走行するための機構が装備されていない。
車種ラインナップはミニ四駆一覧を参照のこと。
1968年、単二電池2本を乗せ後輪二輪駆動で走る300円の半完成品自動車模型『クイックレーサー』が田宮模型から発売される[2]。この『クイックレーサー』という商標は、1996年にミニ四駆のサイクロンマグナムとハリケーンソニックをラジコンカーにした商品の商標として流用された。
それから後、田宮模型社長の田宮俊作は目が衰えた事によって「もっと簡単に作れる模型製品を作りたい」と考えていた。また、同社の模型が精密さを追い求め過ぎ高度化している事も憂慮して「子供でも作りやすいキット」の製品化を思い立った[2]。また、田宮俊作は別のインタビューにおいて、ミニ四駆以前に発売していたモータライズ戦車模型の『パンサータンク』がヒットしていたことと、自動車業界において4WDの人気が高まっていた事から、それを再現する小スケールキットとして開発された旨も語っている[10]。尚、ミニ四駆用のモーター供給はマブチモーター社から行われている[11]。
そして「何処でもよく走る四駆の動力模型。小学生でも気軽に買える数百円程度のキット。パーツは極力減らし、なおかつ接着剤不要で手軽に作れるスナップフィットキットにする」という方針の下にミニ四駆の開発が始まった。スナップフィットキットにした理由は、シンナー遊びの影響で当時の日本に接着剤に対し悪い印象が定着していたためである。ただし、当時の模型用の接着剤全てにそれらの有害物質が入っていたわけではない。また、パーツも何銭単位で細かく調整され、配線も廃し、配線の代わりの電極部の金具もパーツ化し、直接金具からモーターへ通電する構造にした。
1982年7月13日、車種には当時人気のあったフォード・レンジャー4×4とシボレー・ピックアップ4×4を選び、四駆らしく走破性に長じたギヤ比設定にした初のミニ四駆が発売された。その後田宮模型が田宮との面識もあった映像技術者の大塚康生に相談したところ、子供達の目線に沿ったマシン作りを提案され、大塚監修の下数台のキットが発売されることとなる。大塚監修のキット以降を「コミカルミニ四駆」として改名している。
ハイパワーギア設定のミニ四駆は子供達にとっては「遅い」というイメージがあった。そこでホイールベースやギヤ比をハイスピード設定に変えたり低重心化等をして「レーサーミニ四駆」が売られるようになる。
第1弾車種にはオフロードタイプで人気が高かった「ホットショット」が選ばれた。当時、RCカーはホビーとしては高嶺の花で、同じ小学生の友達が遊んでいるのを指を咥えて見ているという状況も多かったため、RCカーのホットショットのJr.版として企画された。
当初は「走らせられる場所が無い」という欠点も生じたが、スタッフの一人がバケツの壁を走らせる事を思いつき、そこからレーサーミニ四駆用のコースを設計する。このバケツでの遊び方は後に「サイクロンループ」という縦置きの円形コースを何回走れるかという競技にも発展した。さらに全てスナップフィットで組み立てられるためにモーター、ギア、ホイール、タイヤ、シャフトなど全て交換可能なため、カスタマイズ用のオプション部品「グレードアップパーツ」も売られるようになった。
しかし、それのためのコースを設計しても今度は簡単にコースアウトしてしまうという問題があった。これを解決したのは小学生で、その子供はバンパー部に洋服のボタンを釘止めしてローラーにし、コーナリング時のコース側壁との接触をスムーズにしていた。これをヒントに「ガイドローラー」が発売され、現在売られているオンロードタイプのミニ四駆には標準搭載されている。また別の小学生は待ち針を何本か束ねてバンパーに立て、車体全高よりも高い位置でコース側壁に接触させることで車体を転覆しにくくした。これも「スタビライザーポール」としてグレードアップパーツとなった。このようにミニ四駆は子供達がアイディアを出し合って能力を向上させ、またタミヤがその思いに応えブームとなった。このようにユーザーのアイディアがパーツになる流れはマスダンパーのように、第二次・第三次ブームでもいくらか見られる。
1987年にミニ四駆を題材にした漫画『ダッシュ!四駆郎』(徳田ザウルス)が『月刊コロコロコミック』(小学館)にて連載されますます人気は上昇、1988年夏からはミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が開催されるようになった[2]。小学館と共同のメディアミックス戦略が人気に拍車をかけることになる。タミヤは以前、ラジコンカーでの商業戦略で自社主催レースやタミヤ宣伝部社員扮する独自キャラクターを打ち出して製品アピールを行っており、テレビ番組でもテレビ東京系で『タミヤRCカーグランプリ』が放送された。ミニ四駆でもこの手法を利用し、ラジコンカー商業戦略時のキャラクター「タミヤの前ちゃん(前田靖幸)」「ラジコンマン」「メカニックマン」だけでなく、改造のアドバイスや関連イベント案内を行うミニ四駆専門商業広報キャラクター「ミニ四ファイター(通称:ファイター)」もデビュー。この「ミニ四ファイター」の活動は『コロコロコミック増刊号』などで漫画家おちよしひこにより『GO!GO!ミニ四ファイター』の題で漫画化された。ファイターはブームに乗って前述の「前ちゃん」と組み、CDデビューまで果たした。こうして盛り上がったブームに乗って大会が各地で多数開かれるようになる。更に『ダッシュ!四駆郎』はアニメにもなって社会的認知も高まった。しかし『四駆郎』のアニメが2クールという短期で打ち切りのように終わってしまったことにより、ブームの終焉と捉えた(誤解した)玩具屋界隈が、仕入れや取り扱いを縮小したことで、本当にブームの終焉のきっかけを作る。実際には子供達が飽きて視聴率が悪く打ち切られたのではなく、製作(広告代理店)側の都合によるものだった。しかし、アニメの突然の終了が第一次ブームの終了の引き金であったことは事実であった。
そのような不運もあり、1991年ごろにはブームもかなり下火になっていた。当時はタミヤ公認のミニ四駆大会には中学生まで出場することが出来たが、経年によって、ブームになった当初に主要層だった世代(1975年 - 1978年生まれ)からの興味が薄くなってしまったこと、バブル崩壊による経済的問題や受験戦争の過熱などが要因としていわれる。その後、更なる高速化を目指して「スーパーミニ四駆シリーズ」が発売されるも、子供の「模型離れ」による人気低下に歯止めはかけられなかった。
第一次ブームと時を同じくして、それに便乗するかのように他社からミニ四駆の類似品や非正規パーツが発売された。主にミニ四駆(車体)の類似品を発売していたのはバンダイ、青島文化教材社、グンゼ産業(現・GSIクレオス)、東京マルイなど。バンダイを中心とした3社は、2004年から2008年までミニ四駆の類似品であるバクシードを発売していた。アオシマは『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のタイアップで作中に登場するマシンのキット化、東京マルイは、タミヤ以外のメーカーのRCモデルをスケールダウンしてキット化していたのが特徴。各社とも変速システムや、ベルト駆動、単三電池を3本搭載出来るものまで、タミヤにはない技術をそれぞれ投入していた。
また、公式レースでは一切使用できないチューニングパーツ(タミヤ製品で言うところのグレードアップパーツ)に関しても今井科学の「コブラ」シリーズをはじめとして存在した。とりわけ非正規品の超高回転型モーターが出回ったのもこの頃からで、一つの例としては、一部の玩具店やホームセンターなどで販売されていた「龍神」と呼ばれるミニ四駆用モーターがあった。価格が約1500円と高額ながら、タミヤ正規品の中では当時最も速いといわれていた「ハイパーダッシュモーター」の数倍の回転数であり、搭載することで尋常ではない速さで走行することができた。この他にも数々の非正規のモーターが出回ったが、車体パーツの設計上想定されていないあまりの高出力や過熱に、樹脂製のパーツが変形・溶解・発火する、相対的に車体の強度が不足しギア部分や車体そのものが破損する、短期間でモーター自体が破損するなどのトラブルも多く発生した。
ハイパーダッシュモーターの最高回転数が約19,000rpmなのに対して、様々な非正規品モーターは数万 - 十数万rpmの間で各種ラインアップがあったとも言われている。青島文化教材社製「スーパー無限竜」と、サニー製「スーパーサンダーボルト」という非正規モーターは120,000rpmもの回転数で、条件さえ揃えば時速100km/hを超える速度を出すことが出来るという。また、スーパーサンダーボルトの箱には「特殊ギヤ」という名目でカウンターギヤを持たない、またギヤ比が最高速特化のギヤが付属しており(タミヤ公式の超速ギヤで3.5:1、特殊ギヤは2.5:1)、これを使用することで大幅なスピードアップが可能であった。
当時の子供たちの中には、これらの非正規のモーターの部品を利用して正規品のモーターの中身を組み替え、正規品に偽装してレースに使用する者もいた。これは誰の目から見ても不自然なほど圧倒的勝利を収めてしまうため、タミヤの公式レースでは搭載出来るモーターの種類がレギュレーションとして指定されたり、モーターの性能を実測するモーターチェックなどの不正防止策が頻繁に行われたりするようになった。
また、公式レースでも正規品のモーターであっても、ハイパーダッシュモーター以上のモーターの使用が禁止または制限されていた。なお、もともとハイパーダッシュモーターはミニ四駆専用に開発されたものではなく、マブチモーターの既存製品であるFC-130モーターの設計を流用して投入された製品である。当時のタイプ1シャーシはこの高出力を前提としたものではなかったため、あくまでトライアル用の製品として発売されたものである。第一次ブーム当時はFA-130ノーマルモーターまたはハイパーミニモーター・第二次ブームではそれに加えてトルクチューン/レブチューンモーター(元々はミニF向けパーツ)・アトミックチューンモーター(ハイパーミニモーター後継モーター)に限定されているケースがあった。
ハイパーダッシュモーターの後継品でスペックが低下したハイパーダッシュ2モーターと、パワーダッシュモーター、スプリントダッシュモーターの3種類の使用が2008年のレギュレーション改定により認められた。また、ミニ四駆PRO用のモーターは、全種類の使用が認められるようになった。
しかし、ハイパーダッシュ・マッハダッシュ・ジェットダッシュ・タッチダッシュのような絶版品や、ZENチューン・ターボダッシュのような限定販売モーターや、プラズマダッシュ・ウルトラダッシュのような非正規品の超高回転型モーターに匹敵する高出力モーターの使用は、原則として認められていない。ハイパーミニモーターは2012年7月に再発売され、同年のジャパンカップより使用可能となった。
なおここまで話してきた製品に関しては原則として「タミヤ製品とは異なる、そのメーカー各社のオリジナルブランドを冠した独自開発の同ジャンル商品」にすぎないものであったが、いわゆる第3次ブーム期以降はタミヤ製品の海賊版と言えるものが流通しており、2017年にはタミヤがその旨の注意喚起を行う事態にまで至っている。[12]
1994年には、タイヤをカウルが覆う形のボディを採用した「フルカウルミニ四駆シリーズ」が発売された。さらにフルカウルミニ四駆を題材にした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』が『コロコロコミック』に掲載され、ミニ四駆は再び子供達の注目を集めた[2]。田宮俊作によれば、第一次ブームの後も田宮社内では製品開発が継続しており、後のフルカウルミニ四駆の原型となるラフスケッチを小学館の担当者が気に入り、こしたてつひろの漫画立ち上げが決定したという[10]。
スーパーミニ四駆と同じシャーシを採用しているため基本性能は変わらないものの、その独特のボディデザインは子供達の心をとらえた。停滞期にラインナップを強化したグレードアップパーツも助けとなり、第一次ブーム世代の引退に伴う世代交代で再び人気が再熱した。当初は読み切り漫画だった『爆走兄弟レッツ&ゴー!』も、非常に好評だったため後に連載化、アニメ化、ゲーム化、映画化までされ、第一次ブームと同様に強力なメディアミックス戦略がブームをさらに加速させた。1ヶ月ごとにニューマシンが登場し、グレードアップパーツも次々と高性能なものが発売され、子供達の気持ちに必死になって応えようとするタミヤの気合が存分に感じられた。当時、各地の模型店や玩具店では最新マシンが発売されると即品切れ、次回入荷予定が未定となることもしばしばだった。
その後、走らせるわけではない魅せるためのディスプレイタイプのミニ四駆「リアルミニ四駆シリーズ」や、より高速走行が可能になった「エアロミニ四駆シリーズ」「マイティミニ四駆シリーズ」などの派生シリーズが生まれた。
ちょうどこの頃から各地の模型店や玩具店にてサーキット常設店が増え、店頭主催による「街角レース」と呼ばれるレースの開催が活発化していた。タミヤ公式レースのジャパンカップさながらの巨大なコースを用意して市民体育館などを借りてレースを行う店も多く、公式レースなど開催されない地方ではかなり盛況だった。また、『TVチャンピオン』(テレビ東京系)など、多くのテレビ番組にてミニ四駆の特集が組まれた。このブームに合わせて、小学校の理科教材にもミニ四駆に似た形状のものが現れた。
他社からも再びミニ四駆の類似品が発売された。例を挙げると、青島文化教材社からはアニメ『サイバーフォーミュラ』に登場するレーシングカーをモデルにした「テクニ四駆」や、アリイの「超スーパー四駆」という類似品が販売されている。しかし、マシン性能の上昇からか第一次ブーム期よりも参入メーカーは少なく、むしろマシン自体より、主に性能アップを主眼においたパーツ群を発売するメーカーが多かった。モーターは前述のとおり多くのメーカーから発売され、その性能の高さゆえ、レギュレーション無制限の街角レースが多く開催されていた時期もあった。一部の主催者によってはタミヤ公式ルールどおりのレースと無制限のレースを分けて行う場合があり、無制限のレースの参加費がやや高めであり、場所を借りて行う大会では特に高額となる傾向があった。これらの無制限マシンは俗に「フリースタイル」と呼ばれ、タミヤ製品とはまた違った道を歩むことになった。
この90年代に起こった第二次ブームでは1995年3月期で約200億円、1997年3月期の時点で480億円の売上高を達成するが、1998年3月期で200億円台、1999年で200億円を下回り下降していく[13]。『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のTVシリーズは1998年末、漫画も1999年10月に終了。ジャパンカップも1999年で終了し、第二次ブームは終焉を迎えた。そしてミニ四駆のレース大会の模様を紹介していた『タミヤRCカーグランプリ』も1999年3月で終了し14年半の歴史に幕をとじ、2000年にはタミヤ公式レースもほとんど開かれなくなった。この第二次ブーム終了後、レーサー自身の年齢上昇という避けられない問題と、テレビゲーム機の高性能化を筆頭に遊戯王OCGやベイブレードなどのミニ四駆以外の玩具などが人気を集めている事などにより、ミニ四駆人気は下火となった。第二次ブーム終了後しばらくは派生商品であるダンガンレーサーやラジ四駆に主力を譲り、ミニ四駆の扱いは大幅に絞り込まれた。
2000年以降は、ダンガンレーサーやラジ四駆への新製品の投入がメインだったため、ミニ四駆の新製品は従来車種のリメイク仕様が中心だった。大きな話題を呼ぶ新商品の登場が皆無だった状態の中、当時小中学生だった子供達が大人になったため、オークションサイトでは昔の生産停止品が高値で取引されていた。当時、非常に人気の高かったアバンテJr・アバンテ2001Jrを始めとして、『ダッシュ四駆郎』にて登場した各マシンのほか、ごく少量のみ生産された車種は数万円単位で取引されることもしばしばだった。
しかし、バンダイからミニ四駆を参考にした類似品であるバクシードシリーズが発売され人気を博するに及び、対抗する形で2005年から人気のあった旧車種の再発売を開始。その一環として「メモリアルボックス」というマシンのセットも販売され、その中には生産停止されていたグレードアップパーツ(主にボディ系パーツ)も付属されていた。
そして、対抗商品の本命として6年ぶりとなる本格的な新製品「ミニ四駆PRO」シリーズを2005年11月に投入する。このミニ四駆PROには、新開発のシャーシ「MSシャーシ」が採用されたことが大きな特徴であった。モーターと電池をシャーシ中央の低い位置に集中配置して前後の重量バランスを最適化するとともに低重心化を図った。今までのプロペラシャフトを使用した駆動方式から一変して、ダブルシャフトタイプのモーターを伝わって前後輪をダイレクトに駆動する、駆動抵抗の少ない構造となっている。また、前述のバクシードシリーズに対抗する必要から構造も意識したものとなり、シャーシを3分割としてカスタマイズの自由度がこれまで以上に高まった上に、従来のシャーシを上回る剛性を実現した。
主催の公式レース大会、いわゆるミニ四駆公認競技会の改革も行われ、今まで公式レース大会に参加できなかった高校生以上でも参加できる「エキスパートクラス」を新設。従来の中学生以下のレースは「ジュニアクラス」として、年齢によるクラス分けを行った(なお、この「大人が出場できない」という問題は特に第二次ブーム当時には「大人が作ったマシンを子供が走らせる」という歪な状況まで発生させており、「ミニ四ファイターV」においてもこの「代走問題」を指摘するエピソード[注釈 3] が存在した)。このエキスパートクラスにより、過去2回のブームを収束させてしまう一因となっていた年齢上限を撤廃したことは画期的なことであった。エキスパートクラスの創設とミニ四駆PROの投入もあってバクシードからのユーザーの呼び戻しに成功し、後に第三次ブーム拡大へ発展する素地が作られた。エキスパートクラスでは、2007年まではミニ四駆PROのみ使用可能だったが、2008年よりすべてのミニ四駆が使用可能となり、「オープンクラス」と名称も改められた。
オープンクラス・ジュニアクラスとは別に、独自レギュレーションによるクラス分けの試みも行われた。直径26mm以下のタイヤの使用が義務付けられている「小径タイヤ限定クラス」、一部シャーシを除くレーサーミニ四駆のみの「クラシック部門」、2007年より初心者向けに、車検場に設置されているスピードチェッカーで時速を計測し、計測結果が25km/h以下でなければ出走できない「ルーキー部門」が主なものであった。
2006年2月1日には、主にミニ四駆を題材にしたビジネスを展開する企業「ミニ四駆ネットワークス株式会社」をケイブとタミヤの共同で設立。メディアミックスなどライツビジネスの展開、ショップの経営やイベントの企画運営に加え、ミニ四駆に関する世界観の創作などを行うと発表。第一弾の企画として、ミニ四駆を題材にしたフリーペーパー『少年アクセル』を全国のイベント会場や模型店にて無料配布した。
2006年に行われた文化庁メディア芸術祭の10周年記念アンケート「日本のメディア芸術100選」・エンターテインメント部門では20位にランクインし、その根強い人気を再確認するに至り、タミヤ側もミニ四駆のさらなる展開を企画するようになっていく。2006年6月からオンラインコミック『吉祥寺フェニックス』の配信を開始したのを皮切りに、同年7月からはソーシャル・ネットワーキング・サービス「ミニヨンクラブ」もサービス開始。主にインターネットを通じたプロモーションが積極的に行われた。
2007年はミニ四駆が発売されて25周年となり、その記念イベント「ミニ四駆まつり」を同年3月に開催。25周年記念セレモニー、歴史展示、ヒストリックカーミーティングなどが行われた。また、25周年記念企画としてデザインコンテストの開催し最優秀作品は「サバンナレオ」として商品化、年間チャンピオン戦の開催、静岡県の静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)にて海外からの招待選手を交えて「ワールドグランプリ」を開催、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の作者・こしたてつひろがデザインを手掛ける25周年記念モデル「バイソンマグナム」と「ロデオソニック」の発売などの様々な企画が立て続けに行われた。
ニュースサイトや雑誌社などメディア関係者を対象としたレース「プレスカップ」も開催され、レースの模様が各メディアにて取り上げられた。いずれも年齢は無制限で、「クラシック部門」以外は全てのミニ四駆が使用可能であった。プレスカップは後述する発展期には一時的に消滅するが、盛況期になりメディアレースや企業対抗レースという形で発展的復活がなされることになる。
ミニ四駆PROシリーズが発売してから、ミニ四駆公認競技会もやや試行錯誤の形が続いていたが、2008年以降は「オープンクラス」「ジュニアクラス」「限定クラス」の3クラスにまとめられるようになった。限定クラスのうち、2009年は小径タイヤ限定、2010年は大径タイヤ限定、2011年ならびに2012年途中までは、主催者指定のシャーシのみが出場できるシャーシ限定クラスが行われた。また2013年1月 - 3月には、2人1組で出場してリレーするタッグクラスが行われ、2014年からは親子で共同製作したミニ四駆で出場できる、子供ならびに初心者用のレース体験クラスとしてファミリークラスが行われている。
実施される公式レースの種類も、第一次・第二次ブームで行われていた「ジャパンカップ」は当面再開させない方針が採られた。そのため、1年を通じて各地で行われるGP大会(ニューイヤーGP・スプリングGP・サマーGP・オータムGP・ミニ四駆GP)が行われ、12月に各GP大会の優勝者同士によって行われる「年間チャンピオン戦」によって、その年の日本一が争われる方式となった。
プロモーション面では、ミニ四駆情報サイト「ミニ四駆オンライン」の開設のほか、ミニ四駆を題材にしたオンラインゲーム『ミニ四駆オンラインレーサー』を提携企業のケイブと共同開発、2007年4月20日より体験版の配信を開始した。その1年後の2008年「ワクワク無限大∞ミニ四駆ワールド」にタイトルを変更し、12月12日から1週間クローズドベータテストが実施、その後何度かベータテストが実施されて、2010年3月24日より正式サービス開始したが、不調に終わりサービスは早期で打ち切られた。
2008年以降、長い間ミニ四駆から離れていた第一次・第二次ブームを担った世代の呼び戻しに成功したことから、第二次ブーム収縮後の長い氷河期を経て、第三次ブームと呼べる活況を見せるようになった。ミニ四駆PROシリーズの展開と並行して、旧車種の再発売やリメイクを行ったこともそれを後押しし、模型店ではミニ四駆関連商品の売れ行きが大幅に伸び、2011年頃になるとマシンやパーツの品切れも起こるほどになった。
2010年には従来の公式レース大会とは別に、全国のミニ四駆取扱店(ミニ四駆ステーション)の店舗レースを勝ち抜いた、ステーション代表者同士による店舗対抗戦、ステーションチャンピオンシップがツインメッセ静岡で開催されるようになった。
2011年の公式大会動員数は約16,000人となり[10]、第一次・第二次ブームを担った世代が親となり、子供と揃って参加する光景が多く見られるようになった。旧車種の再発売や、オープンクラスの常設化により年齢上限やシャーシによる出場制限が無くなったことで、ミニ四駆PROシリーズをはじめとした新世代のミニ四駆と、第一次・第二次ブーム時代の旧世代のミニ四駆とが入り乱れてレースを行う光景も見られるようになるなど、緩やかながらも順調にユーザーを増やしていった。
2012年になると、機は熟したと見たタミヤはそれまで開催を見送っていた「ジャパンカップ」を再開させることを決定した。13年ぶりに復活を果たしたジャパンカップには、それまでの公式レース大会を大幅に超える人数が参加、第三次ブームの到来を決定的なものとした。
ジャパンカップは2011年までに培ってきた公式レース大会の運営フォーマットを流用して行われたが、参加人数があまりにも短期間で急激に増えたため、十分に対応できたとは言い難い側面があった。その典型が、それまでオープンクラス・ジュニアクラスと並ぶ開催クラスであった限定クラスの自然消滅的な廃止で、2012年のジャパンカップ以降は、その開幕直前のミニ四駆GP東京大会(五反田で開催)まで行われていたシャーシ限定クラスは行うことができなくなったほどである(2012年のシャーシ限定クラスの年間チャンピオン戦は、1月 - 6月までに権利を獲得した選手のみを対象として12月に行われた)。
2012年以降、2013年・2014年・2015年・2016年・2017年・2018年・2019年とジャパンカップは連続開催されるようになり、公式レース大会の参加者は急激に増加し、それに伴いミニ四駆ステーションの数も大幅に増加した。
プロモーションにもさらに力が入れられ、2012年にTV番組「百識王」にて取り上げられたのを皮切りに、2013年・2014年にはテレビ東京系列にてミニ四駆の特集番組を放送し、従来のインターネット主体のプロモーションからの脱却を図った。さらに、「ミニ四駆超速ガイド」と呼ばれるオフィシャルガイドブックを2013年から毎年刊行している(学研・GetNavi)ほか、ミニ四駆を題材にしたコミック作品として「二ツ星駆動力学研究所」がとなりのヤングジャンプ上にて連載されるなど、積極的なメディア戦略を展開して新規ユーザーの獲得に努めた。一方で、2014年11月には小学館から対象年齢を大人向きにした『コロコロコミック』の不定期誌である『コロコロアニキ』が刊行されると、その中で『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の続編『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!』の連載を開始。2015年3月刊行の第2号では『ダッシュ!四駆郎』の続編として『ハイパーダッシュ!四駆郎』の連載が開始され、2014年以降は『コロコロアニキ』を軸にして第一次・第二次ブーム世代の旧ユーザーの再取り込みを強化するプロモーション活動にシフトしつつある。
第三次ブームは、子供が主役を担った過去2回のブームとは違い、第一次・第二次ブームを担った世代が大人となり、再び主役となって子供を巻き込む形で展開していることが特徴となっている。
タミヤが発売するミニ四駆の関連パーツ、関連用品には以下のものがある。
タミヤから発売されているオリジナルパーツである。ものによっては、マシンに直接取り付ける以外の使い方を想定されているが、加工して取り付けても公式大会に出ることができる(「ミニ四駆 キャッチャー」など)。
AO(カスタマーサービスオリジナル)パーツはタミヤ・カスタマーサービスが提供するオリジナルパーツである。破損したパーツの修復用からマシンのカスタマイズまでアイデアを活かして自由に使用できる[14]。
タミヤからミニ四駆向けの1レーンずつフェンスがついたコースが発売されており、レーン数が2レーン、3レーン、5レーンがある。また、それを使用したレースが実施されている。またタミヤの公式レースでは販売されているものとは異なる、段差などの多いグレーの、5レーンタイプが基本的につかわれている。
タミヤからミニ四駆向けにあらゆる工具が発売された。製造元はドライバーならアネックスツール、ナイフ・のこ系ならオルファなどであり、価格がやや高額である。
タミヤ主催の公式レース大会については、ミニ四駆公認競技会を参照。「ジャパンカップ」についてもこちらを参照。
各方面で展開された作品から派生したゲームは各項目を参照のこと。
第二次ミニ四駆ブームの最盛期である1997年に、爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP 暴走ミニ四駆大追跡!の公開に合わせてガンブラスターXTOの実車化が行われた[24]。
2015年6月10日、エアロアバンテ(以下「アバンテ」)を1/1の大きさに(実際に自力で走行可能な)実車化する「1/1 GIANT MINI 4WD PROJECT」(詳細はタミヤ・エアロアバンテの項目を参照)が発表された[25][26][27]。この実車版アバンテは同年10月に完成し、「ミニ四駆ジャパンカップ2015 チャンピオン決定戦」が開催された東京都江東区「MEGAWEB」特設コースで初披露。以降もミニ四駆絡みのビッグイベント開催時には自走する機会の有無にかかわらず、しばしば展示されている。
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