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シカゴ・オヘア国際空港
アメリカ・イリノイ州にある空港 ウィキペディアから
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シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ・オヘアこくさいくうこう、英: Chicago O'Hare International Airport [oʊˈhɛər][3]) (IATA: ORD, ICAO: KORD, FAA LID: ORD) は、アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴにある国際空港である。シカゴ中心部の23km北西に立地している。
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概要
シカゴ郊外にある8本の滑走路を持つ巨大空港で、ユナイテッド航空の本部(ハブ空港)、アメリカン航空のハブ空港である。2019年の利用者数はアメリカの空港ではアトランタ国際空港、ロサンゼルス国際空港に続いて3位だった。2005年までは離着陸回数が世界一の空港であり、かつてはギネスブックにおいて、「最も混雑する空港」として認定されていたことがある(1995年度、発着回数90万0209回、乗降客6725万3358人)[4]。



歴史
飛行場の建設は第二次世界大戦中の1942年に行われた。これは、ダグラスC-54輸送機の製造工場用の飛行場であった。工場の位置の選定にあたっては、シカゴから適当な距離があり、広い敷地が得られることが条件となった。1945年、ダグラス社は西海岸へ移動し、空軍が独占的に飛行場を使用することになった。当地の名称はオーチャード (Orchard) 飛行場で、空港コードORDは現在も使われている。1949年に第二次世界大戦のエースパイロットであるエドワード・ブッチ・オヘアを記念し、オヘア空港に名称変更された。1955年には民間の定期便が就航し、空軍は段階的に空港を退去した。
施設

オヘア国際空港は現在4つの旅客ターミナル(1・2・3・5)を持っている[5]。各旅客ターミナルの間は無人鉄道 (ATS) で結ばれている[6]。ターミナル1・2・3はセキュリティエリア内の歩行通路によっても繋がっている[7]。
国際線の多くはターミナル5を利用している[8]。ただしカナダからの便はその航空会社が用いているターミナルに利用する[9]。アメリカ系航空会社の国内線及び国際線出発便(および提携する日系出発便[10])がその航空会社が用いているターミナル1・2・3を利用している。
敷地の南西側には大きな航空貨物建屋がある[11]。敷地の西側にターミナルを集約し大規模なターミナル集合体を建設する計画もある[12]。
就航路線
要約
視点
貨物航空会社
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アクセス
- 鉄道:ターミナル2地下にオヘア空港駅 があり、シカゴ・L (CTA) のブルーライン (Blue Line) で、シカゴダウンタウンまで45分、5ドル[13]。
- バス:ターミナル1・2・3から徒歩・Bus/Shuttle Centerに発着。ターミナル5バス停にも立ち寄り便多し。ウィスコンシン州ミルウォーキー・マディソン等からの都市間バスも発着。シカゴ・ミッドウェー国際空港行き連絡バスは片道16ドル (Coach USA、Omega Airport Shuttleなど)。
- 乗合タクシー:Continental Airport Expressで、シカゴダウンタウンへ片道27ドル。
- タクシー:シカゴダウンタウンまで、混雑していなければ25分、約40ドル[13]。道路の混雑時は90分かかることもある[13]。
事故
- 1961年9月17日、離陸を行っていたノースウエスト・オリエント航空706便(ロッキード L-188)が機械的なトラブルにより墜落、搭乗していた37人全員が死亡[14]。
- 1965年8月16日、着陸進入中であったユナイテッド航空389便(ボーイング727)が空港から30マイル (48km) 東の地点に墜落、搭乗していた30人全員が死亡[15]。
- 1968年3月21日、滑走路09R(現10L)で離陸滑走中のユナイテッド航空9963便(ボーイング727)がオーバーラン、乗員3人が負傷したが死者は出なかった[16]。
- 1968年12月27日、夜間に着陸進入中であったノース・セントラル航空458便(コンベア580)が格納庫に墜落、乗員3人と乗客24人、地上の1人の計28人が死亡[17]。
- 1972年12月20日、滑走路27Lで離陸滑走中のノース・セントラル航空575便(マクドネル・ダグラス DC-9)と地上走行中に27Lへ誤進入したデルタ航空954便(コンベア880)が衝突、ノース・セントラル航空575便の乗客10人が死亡[18]。
- 1979年5月25日、離陸中のアメリカン航空191便(マクドネル・ダグラス DC-10)がエンジンの脱落により墜落、搭乗していた271人全員と地上の2人の計273人が死亡[19][20]。
- 1982年3月19日、アメリカ空軍ボーイングKC-135が空港より40マイル (64km) 北西の地点に墜落、乗員27人が死亡[21]。
- 1998年2月9日、着陸進入中のアメリカン航空1340便(ボーイング727)が墜落、乗客22人が負傷[22]。
- 2016年10月28日、離陸滑走中のアメリカン航空383便(ボーイング767)がエンジン火災により離陸中止、乗客20人が負傷[23]。
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その他
脚注
関連項目
外部リンク
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