この項目では、日本の貨物航空会社について説明しています。同じ略称を有するコミューター航空会社については「新中央航空 」をご覧ください。
日本貨物航空株式会社 (にっぽんかもつこうくう、英 : Nippon Cargo Airlines Co., Ltd. 略称: NCA )は、千葉県 成田市 (成田国際空港 内)に本社 を置く日本 の貨物航空会社 。日本の総合海運企業である日本郵船 (NYK)グループの空運部門を担当する、国際線貨物専門航空会社 である。
概要 IATA KZ, ICAO NCA ...
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成田国際空港 を拠点とし、機材はノーズカーゴドアを持つ大型貨物専用機ボーイング747-8F (ジャンボフレイター)に統一されている。
一般航空貨物を輸送する貨物専門航空会社としては、世界有数の運航規模を誇る。
2008年 (平成20年)1月の業界誌において「日本航空 (JAL)の貨物事業部門と提携を行うため調整をしている」と報道されたが、日本貨物航空は同年1月29日 、この報道を「事実と異なる」として強く否定した[2] 。しかし翌2009年 (平成21年)1月、両社はコードシェア 提携を合意し、同年3月29日 よりコードシェア貨物便の運航が開始された[3] 。
2010年 (平成22年)12月、ボーイング747-400 型機の退役を進めているJALの代わりに、航空自衛隊 が所有する日本政府専用機 の運航免許取得業務を受託した[4] 。
2012年 (平成24年)7月以降、次世代主力機のボーイング747-8Fを随時受領[5] 。この導入を機に、同社初の塗装変更が行われた[5] 。
2018年 (平成30年)2月13日 、シンガポール航空カーゴ と戦略的パートナーシップの構築に向けた覚書(MOU)を締結し、2018年度より成田 - 関空 - シンガポール線でのコードシェア便の運航を開始することで合意したことを発表[6] 。
また2018年には、全日本空輸 (ANA)とのコードシェア便や整備部門における協力などを含む戦略的業務提携を2018年度から開始することを発表[7] 。同年の国土交通省 による業務改善命令により(後述)、運航機種単一化、ANAとの「戦略的業務提携」に基づき2018年中に8名の人的支援を受け、航空機機体構造修理の対応も香港の整備会社(HAECO)及び台湾の整備会社(EGAT)による委託を含め、ANAからの支援を受けることとなった[8] 。同年10月31日 をもってボーイング747-400F が全機退役し、同社の保有機材がボーイング747-8Fに統一されたが[9] が、米国アトラス航空 との戦略的提携拡大により、退役した同型機のリースアウト契約および航空貨物運送サービス契約の締結により、5機運航委託の形でグローバルな大型貨物輸送ネットワークを提供するとしている[10] 。
1958年(昭和33年) - 日本郵船 (NYK)・大阪商船 ・三井船舶 が貨物専門航空会社設立を構想。日本航空 (JAL)と合意を結び、適当時期到来後にジェット化で不要になったJALのプロペラ機 を改造して運航する計画であった[11] [12] 。
1970年(昭和45年)11月 -同じく国際貨物分野への参入を研究していた全日本空輸 (ANA)、川崎汽船 (川汽)、山下新日本汽船 (山汽)が国際貨物専門航空参入に合意し、共同研究チームが発足[11] [12] 。
1971年(昭和46年)8月 - NYK・大阪商船三井船舶 (商船三井。1964年に合併)の2社グループが、連名で貨物航空会社設立趣意書と要望書を運輸省 に提出[11] 。
1972年11月 - ANA・川汽・山汽の3社が「日本国際航空貨物輸送株式会社」設立を合意[11] 。
1973年(昭和48年)8月 - NYK・商船三井の2社グループが、再び連名で貨物航空会社設立趣意書と要望書を運輸省に提出[11] 。
1974年(昭和49年)2月 - ANA・川汽・山汽・日本通運 (日通。新たに参画)の4社が、連名で日本国際航空貨物輸送株式会社設立の趣意書、要望書を同省に提出[11] 。
1977年(昭和52年) - 日本国際航空貨物輸送グループが、NYK・商船三井との一本化を方針決定。この背景には運輸省の意向もあった[11] 。
1978年(昭和53年)
5月 - NYK・商船三井が貨物専門航空会社の設立に消極的だったJALを見限り、日本貨物航空株式会社の設立に関して6社が最終的合意。ここに至るまでにANA社長の若狭得治 やNYK社長の菊地庄次郎らの働きかけがあった[11] 。
5月20日 - 成田空港が開港(当時の正式名称は新東京国際空港)。
6月 - 日通を除く5社連名で日本貨物航空株式会社設立趣意書と要望書を運輸省に提出(日通は米国での貨物混載事業者 ライセンス取得の関係で辞退)[11] 。
9月27日 - 日本貨物航空株式会社発足 。5社(ANA・NYK・商船三井・川汽・山汽)による共同出資(各社4,000万円の計2億円)。英文社名は Nippon Air Cargo Lines(略称NAC)[11] [12] [注釈 1] 。
11月 - 定期航空運送事業免許申請書を運輸省に提出。しかし、運輸省はこれを長期間に亘って保留した。背景として、45/47体制 により国際定期路線を独占的に割り当てられていたJALからの反発を受けていたことに加えて、成田空港の受け入れ能力(成田空港問題 )や日米航空交渉の中断などの事情があった[11] [13] 。
1983年(昭和58年)8月13日 - 運輸審議会の答申結果(国際線貨物便の複数社参入支持)を受け、定期航空運送事業免許を取得。その後、海運2社(昭和海運、ジャパンライン )が参加。英文社名をNippon Cargo Airlines(略称NCA)に改める[11] 。
1984年(昭和59年)
1985年(昭和60年)
1月 - NCA乗り入れを渋る米国に対し運輸省が米国社乗り入れ制限などの報復措置を取ることを方針決定。翌月、米国務省 が対抗措置を警告し、外交問題となる[11] 。
1月31日 - 初号機が成田に初着陸[11] 。
2月下旬 - 日米航空交渉でNCAの乗り入れを認める暫定協定案がまとまる[11] 。
3月28日 - 日米航空交渉で事務レベルでの基本合意に達したものの、妥結に至らず。NCA、4月1日の就航を断念[11] 。
4月30日 - 日米航空交渉によりアメリカ乗入れ合意 (84MOU) [11] 。
5月8日 - 初便就航(KZ102便、成田 - サンフランシスコ - ニューヨーク JA8167) 第二次世界大戦 後の日本の航空会社としてはJALに次ぎ2番目の国際線定期便進出となる[11] 。
11月1日 - 不定期航空運送事業免許を取得。貨物チャーター便 の運航が可能となる。
1998年(平成10年)
3月14日 - 日米航空交渉により指定先発(インカンバント)企業へ昇格 (98MOU)。
日中航空交渉により中国 政府より本土路線免許取得。関西 - 上海 - 成田線を開設。
2003年(平成15年) - IATA CARGO2000正会員へ昇格(2001年(平成13年)4月より準会員として加盟)。
2004年(平成16年) - 香港 に現地法人NLV (NCA Logistics Venture) 社を設立、三国間貨物輸送を強化。
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)3月 - ボーイング747-400Fにより従来給油のためアンカレジ に寄航していた欧州路線の直行を開始。
2007年(平成19年)
1月 - 日本における営業・運送の中核となるNCA Japan社が営業開始。以降世界4極 (Japan, Asia Pacific, Europe, America) における事業体制を構築。
2月 - シンガポール に設立された貨物専門航空会社ジェットエイト (Jett8) 社と戦略的提携。
3月 - ボーイング747-400F/-8F対応型フライトシミュレーター を発注[14] 。
4月 - 羽田空港 第4滑走路の供用を開始する2010年(平成22年)10月以降、羽田空港への深夜・早朝帯(23時 ― 6時)に貨物定期便を就航させることを表明。
6月 - IATA常設委員会であるCargo Committeeメンバー(世界有力12社)に選出。
7月 - ボーイング747-400Fの整備体制を自社にて確立(200FについてはANAへ委託継続)。
10月 - 成田空港内に運航管理部門の拠点となるグローバルオペレーションセンター (GOC) を開設。
2008年(平成20年)
1月 - 成田国際空港整備地区内に整備用ハンガー を建設・着工[15] 。
3月28日 - 成田 - サンフランシスコ - ロサンゼルス 間のKZ152便の運航をもって、ボーイング747-200Fが退役 (JA8181) し、フリートはボーイング747-400Fに統一される[注釈 3] [注釈 4] 。
4月1日 - 運航業務ならびに整備業務を完全自立化し、航空会社としての自社オペレーション体制が確立される。
4月 - 運航 (i-Sky) ・運送 (i-cargo) ・整備 (i-Macs) 情報システムを新規に構築・運用開始。
6月 - 日本政府 手配による四川大地震 救援物資を中国・成都 へチャーター輸送。
2009年(平成21年)
3月29日 - JALとのコードシェア便 運航開始[16] 。
6月 - 成田空港内整備用ハンガーの供用開始。
7月13日 - 東京国際空港(羽田空港)への就航見送り表明[17] 。
2010年(平成22年)
3月2日 - JALの航空貨物部門との統合を断念[18] 。
2012年(平成24年)
7月25日 - ボーイング747-8F (JA13KZ) をボーイング社より受領。デリバリーフライトで、8月2日に成田 に到着(便名:KZ696便)[注釈 5] 。この機体で、同社の新塗装が初めてお披露目された。
8月13日 - 先述の受領したボーイング747-8F (JA13KZ) が初めて同社の営業路線に就航。初便は、成田 - ロサンゼルス (便名:KZ108便)。
9月15日 - ドイツ/フランクフルト乗り入れを空港運用時間制限のためハーン/フランクフルト空港へ変更。
11月5日 - 成田 - ダラス・フォートワース 線就航開始。
2013年(平成25年)
1月9日 - ボーイング747-8F (JA12KZ) をボーイング社より受領。合計2機目。デリバリーフライトで、1月11日に成田に到着(便名:KZ696便)。
2月 - 大西洋路線(シカゴ→ハーン)片道運航
4月8日 - ボーイング747-400F (JA02KZ) が成田 - シカゴ (便名:KZ134便)の運航を以て退役(シカゴの空港到着後、退役)。同機は日本貨物航空では8年足らずの運航となり、同社で初めて退役するボーイング747-400Fとなった。
5月11日 - ソウル線の復路便(ソウル/仁川 → 東京/成田)において北九州 に寄港開始。往路は従来通りソウルへ直行する。
11月2日 - ボーイング747-8F(JA11KZ)をボーイング社より受領[20] 。
11月20日 - ボーイング747-8F(JA14KZ)をボーイング社より受領[21] 。
11月21日 - 台北/桃園線の復路便(台北/桃園 → 東京/成田)において北九州 に寄港開始。往路は従来通り台北へ直行する。
2018年(平成30年)
2月26日 - ANAと戦略的業務提携について合意。コードシェア 提携、連帯運送の拡大、航空機整備部門における業務協力などを進める予定[22] 。2005年にANAグループ から離脱したNCAだが、再度ANAとの関係を強化することになった。
3月6日 - カーゴルックス航空 と成田 - ルクセンブルク 線のコードシェア 提携で合意[23] 。
6月16日 - 4月に実施した潤滑油補給に関する整備記録に事実と異なる記載が判明し、他の機材にも同様の事例がないか検証するためとして、自社便の全てを一時運航停止[24] [25] 。
10月31日 - 同社そして日本の航空会社として最後となるボーイング747-400F (JA05KZ) が退役[26] 。同機は日本貨物航空として初めて発注した機体であった。翌年の2月12日、離日。同機の退役をもって、同社のフリートはボーイング747-8Fに完全に統一されることとなった。
2021年(令和3年)
2023年
運用機材
2020年現在は、ボーイング747-8Fのみの運用となっている。
2018年現在、NCAの機材は以下の貨物機 で構成され、日本籍のボーイング747型機を運航しているのは同社のみである。2018年10月31日を以て、ボーイング747-400F は全機退役となり、日本の航空会社からボーイング747-400シリーズが完全に姿を消した。
2014年に旅客運航から最後のボーイング747-400型機が退役し、日本政府専用機 も後継機としてボーイング777-300ER 型機が選定された事により、日本の航空会社からボーイング747型機が消滅する可能性があったが、NCAがボーイング747-8F型機新造機を受領し、2012年に運航を開始したため、しばらく日本籍の「ジャンボ・ジェット」が無くなる事態は避けられる状況になっている。
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日本貨物航空が運用する航空機の一覧
機体記号
型式
製造番号
受領年月
備考
JA11KZ
Boeing 747-8KZF
36136
2013年10月
JA12KZ
Boeing 747-8KZF
36137
2013年0 1月
JA13KZ
Boeing 747-8KZF
36138
2012年0 8月
JA14KZ
Boeing 747-8KZF
37394
2013年11月
JA15KZ
Boeing 747-8KZF
36139
2014年0 1月
JA16KZ
Boeing 747-8KZF
37393
2014年11月
JA17KZ
Boeing 747-8KZF
36140
2014年12月
JA18KZ
Boeing 747-8KZF
36141
2014年10月
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新しい塗装のボーイング747-8F (JA13KZ)
当初発注していた14機(内訳:確定分8機、オプション分6機)は導入に先立ち、機体記号が予約登録された。カスタマーコードは全て-8KZFである。
カーゴルックス航空とともに747-8Fのローンチカスタマー[注釈 2] であり、ボーイング社への開発協力を行っている。日本籍を有する初めてのボーイング747-8型(-8KZF)となった。
2015年9月4日に日本郵船は変化の大きい国際貨物航空市場に柔軟に対応すべく連結子会社である日本貨物航空の機材規模を見直した結果、発注済みの機材のオプション分6機うち4機をキャンセルする事でボーイング社と合意[32] 。さらに、2017年3月24日にはオプション分2機の発注をキャンセルし[33] 、これによりオプション6機がすべてキャンセルとなり、ボーイング747-8Fは導入済みの8機で完納となった[34] 。
全日本空輸 が保有するエアバスA380 と共に日本の航空会社が保有する民間航空機としては数少ない4発エンジン装備機である。
退役機材
ANAグループであったことから、ANAの旅客機を改修した機材を保有していたほか、機体の塗装もANAの「トリトンブルー」、「モヒカンブルー」を使用したものだった。
さらに見る 日本貨物航空を退役した航空機の一覧, 機体記号 ...
日本貨物航空を退役した航空機の一覧
機体記号
型式
製造番号
受領年月
抹消年月
備考
JA8158
Boeing 747SR-81/SF
22711
1993/12
2006/02
ANAが導入した短距離旅客機改修型、ノーズカーゴドアなし
JA8167
Boeing 747-281F/SCD
23138
1984/12
2006/09
JA8168
Boeing 747-281F/SCD
23139
1985/02
2006/04
JA8172
Boeing 747-281F
23350
1985/10
2007/11
JA8181
Boeing 747-281B/SF
23698
1999/05
2008/04
旅客機改修型、ノーズカーゴドアなし
JA8182
Boeing 747-281B/SF
23813
2001/02
2008/03
旅客機改修型、ノーズカーゴドアなし
JA8188
Boeing 747-281F/SCD
23919
1988/01
2008/02
JA8190
Boeing 747-281B/SF
24399
2002/04
2008/03
旅客機改修型、ノーズカーゴドアなし
JA8191
Boeing 747-281F/SCD
24576
1990/11
2007/01
JA8192
Boeing 747-2D3B/SF
22579
1997/08
2007/04
ANAがブリティッシュ・エアウェイズ (旧ブリティッシュ・カレドニアン航空 )から 購入した中古旅客機改修型、ノーズカーゴドアなし
JA8194
Boeing 747-281F/SCD
25171
1991/11
2007/01
JA01KZ
Boeing 747-481F
34016
2005/06
2014/08
2014年8月4日付でカリッタエアへ移籍(N401KZ)
JA02KZ
Boeing 747-481F
34017
2005/08
2013/06
2013年6月3日付でカリッタエアへ移籍(N402KZ)
JA03KZ
Boeing 747-481F
34018
2006/09
2014/09
2014年9月16日付でカリッタエアへ移籍(N403KZ)
JA04KZ
Boeing 747-481F
34283
2007/03
2017/08
2017年8月2日付でアトラス航空 へリースアウト(N404KZ)
JA06KZ
Boeing 747-4KZF
36133
2007/12
2018/11
2018年11月7日付でアトラス航空へリースアウト(N405KZ)
JA07KZ
Boeing 747-4KZF
36134
2008/05
2016/11
2016年11月2日付でアトラス航空へリースアウト(N407KZ)
JA08KZ
Boeing 747-4KZF
36135
2008/08
2018/11
2018年11月8日付でアトラス航空へリースアウト(N508KZ)、"Flexport"塗装
JA05KZ
Boeing 747-4KZF
36132
2007/10
2019/02
NCA初の自社発注機、2019年2月アトラス・エア・ワールドワイド傘下のアトラス航空へリースアウト(N405KZ)
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日本貨物航空のボーイング747-400F (JA02KZ)
(注)機体記号後の括弧内数字は導入順。
路線展開
1985年(昭和60年) - 東京/新東京(現名称・成田)、サンフランシスコ(後に撤退)、ニューヨーク/ケネディ
1986年(昭和61年) - 香港/啓徳 (後に新空港に移転のため撤退)
1987年(昭和62年) - シンガポール
1988年(昭和63年) - アンカレッジ、アムステルダム
1989年(平成元年) - バンコク(現・ドンムアン)(後に新空港に移転のため撤退)
1990年(平成2年) - ソウル(現・金浦)(後に新空港に移転のため撤退)
1991年(平成3年) - シカゴ、ロサンゼルス
1993年(平成5年) - ミラノ
1994年(平成6年) - 大阪/関西、クアラルンプール(後に撤退)
1996年(平成8年) - マニラ(後に撤退)
1998年(平成10年) - 香港、ポートランド(後に撤退)、上海/浦東、ロンドン/スタンステッド(後に撤退)
2000年(平成12年) - フランクフルト(後に撤退)
2001年(平成13年) - ソウル/仁川
2005年(平成17年) - 名古屋/中部(後に撤退)
2006年(平成18年) - バンコク/スワンナプーム
2007年(平成19年) - 北京(後に撤退)
2011年(平成23年) - 台北/桃園[38]
2012年(平成24年) - フランクフルト/ハーン(後に休止)、ダラス・フォートワース
2013年(平成25年) - 北九州 (ソウル/仁川線、台北/桃園線の復路のみ寄港)
撤退路線
2018年の事後航空事故認定事案による行政処分に対する改善措置において運航機種増加に対する整備を含む生産体制不足を調査委員会に指摘され、対策として運航機種単一化を含む運航規模見直しをあげたため休止、撤退が増え、業務提携による委託が増えている。
日本 ・東京/成田発着
日本 ・大阪/関西発着
アメリカ合衆国 ・シカゴ発
ドイツ ・フランクフルト/ハーン(東回りのみ大西洋横断便運航)
大西洋路線を片道とはいえ運航することによって成田→アンカレッジ→シカゴ→ハーン→ミラン→成田で世界一周路線 に就航していた[39] が運航効率の最適化のため2019年12月24日をもって休止、以降シカゴ折返し便となっている[40] 。
1985年(昭和60年)就航以来、事故による損失機はない。
航空事故認定 4件
2003年(平成15年)10月22日 : 成田国際空港にて離陸時機体尾部を滑走路 に接触させ引き返す(KZ062便 JA8191 事故調査委員会による調査・報告完了[41] )。
2018年(平成30年)5月18日 : 以下の2件の事案が航空事故に認定され、航空法に基づき国土交通省に事故報告を行った[42] 。
2017年1月22日:シカゴ‐フランクフルトのボーイング747-8F型機(機番 JA11KZ)/便名:KZ192がシカゴ・オヘア国際空港にて、離陸時のバードストライクにより引き返し着陸した。点検により機体損傷を確認し、航空機製造者に次回定期整備時の修理で良いことを確認した上で引き続き運用していたが、この損傷について、同年4月の定期整備時に「小修理」として修理を行っていたが、修理箇所の大きさ(およそ縦10cm x 横15cm)により本来は「大修理」と区分すべきであったことが2018年5月17日に判明した。
2018年3月28日:ロサンゼルス‐サンフランシスコのボーイング747-8F型機(機番 JA13KZ)/便名:KZ109 がサンフランシスコ国際空港にて、運航後点検により機体の損傷が確認された。航空機製造者に次回定期整備時の修理で良いことを確認した上で引き続き運用していたが、この損傷について、同年5月の定期整備時に行った修理の方法(縦通材の切り継ぎ)が「大修理」に区分された。
2018年5月22日より、成田国際空港内の本社に国土交通省による立入検査が入り[43] 、運用機材の整備点検状況の確認などのため大幅な欠航並びに遅延が発生した。さらにこの検査によって、同年4月3日に成田空港で実施した当社航空機(JA14KZ)の機械部品への潤滑油補給に関する整備記録に事実と異なる記載があったことが判明し、他運用機についても同様の事例の存在が否定出来ないため、全ての運航便を一時的に停止する事が同年6月16日に発表された。日本時間2018年6月16日の成田空港出発便より順次停止し、6月17日成田空港到着便をもって全ての運航を停止する事となった[44] 。同年7月4日に保有1機(JA18KZ)の健全性確認が取れたため翌7月5日から運航を再開することを発表し、以降順次他の保有機も健全性の確認がとれ次第再開する見込み[45] である。国土交通省は同年7月20日に、航空法に基づき事業改善命令及び業務改善命令を出した[46] 。
2021年2月1日:香港‐成田のボーイング747-8F型機(機番 JA13KZ)/便名:KZ258 が成田空港に着陸する直前になって、気流の乱れで着陸をやり直した。同機は約20分後に成田空港のA滑走路に着陸したが、その後の点検で機体後部に縦3メートル、幅90センチの傷があるのが見つかった。
国土交通省は、着陸時かやり直し時のいずれかで機体が滑走路に接触したとみて、傷の程度が大きいことから航空事故に認定。国の運輸安全委員会が調査を始めた。
注釈
2005年(平成17年)には全日本空輸と日本郵船が同比率で筆頭株主となっており共同経営体制となっていた。
日本貨物航空側の都合により、納入を延期することになった。これにより、この権限はキャセイパシフィック航空 に譲ることとなった。
この退役により同社の保有機から航空機関士 が必要とされる3人乗務機が消滅した
ボーイング747-200型最後の製造機体を運航していた(機体記号 JA8194 2007年(平成19年)1月退役)
このフライトは食用廃油から合成したバイオジェット燃料を混合した、次世代航空燃料により行われた[19]
最初に納入されたのは、同社のボーイング747-8Fの3号機(JA13KZ)となった。
ANAが導入した旅客型のボーイング747-200B型機を改修した機体である。
ANAが導入した旅客型のボーイング747-100SR型機を改修した機体である。
NCA Phoenixについては、生まれ変わるNCAの象徴として命名(中期経営計画"Phoenix Project"より)。
なお、JA02KZまでは、ANAを通して発注・受領した機体や、元ANAの旅客型だった機体を貨物機に改修し、NCAに移管した機体であったため、ボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は、ANAのコードである81の機体となっており、航空機の型式名は747-481 F, 747-281 F, 747-281 (SF), 747SR-81 (F) となっていたが、ANAの共同経営体制離脱以降に発注し、2006年(平成18年)に引き渡されたJA03KZ以降は、初めて直接ボーイングに発注し、直接受領することになったため、ボーイング社から新たに顧客番号(カスタマーコード)としてIATA航空会社コード と同じKZが与えられ、今後の型式番号は747-4KZ Fなどになる。
2009年(平成21年)5月8日より、NCA初の特別塗装「NCA グリーンフレイター(Green Freighter)」として就航。
この型番はボーイング747-400Fの最終生産機である。
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