トップQs
タイムライン
チャット
視点

エル・アル航空

イスラエルのフラッグキャリア ウィキペディアから

Remove ads

エルアル航空ヘブライ語: אל על, アラビア語: إل عال, 英語: EL AL Airlines)はイスラエルの国営航空会社。エルアル イスラエル航空と呼ばれることもある。エルアル イスラエル・エアラインズ・リミテッド(ヘブライ語: אל על נתיבי אויר לישראל בע״מ[1], 英語: El Al Israel Airlines Ltd.[2])により運営されている。

概要 IATA LY, ICAO ELY ...
Remove ads

概要

要約
視点

イスラエルの独立直後の1948年に、イスラエルのフラッグ・キャリアとして創業。最初のフライトはスイスジュネーヴ路線であった。その後ヨーロッパ諸国や北アメリカアジアアフリカ諸国への路線を開設した。

テルアビブベン・グリオン国際空港ハブとしている。イスラエルの国益を守るためにソロモン作戦モーゼ作戦など、イエメンエチオピアからのユダヤ人移送にも活躍してきた。国内線はエイラートへの便がある。

2019年現在、航空会社アライアンスには加盟していない。なお複数の航空会社とのコードシェア便も運航している。航空券の座席予約システム(CRS)は、アマデウスITグループが運営するアマデウスを利用している[3]

厳重なセキュリティ検査

ユダヤ人国家であるイスラエルがいくつかのアラブ系国家テロ組織と対立していることもあり、さらに過去にハイジャックテロの目標とされたことから、これを防ぐために、搭乗時のセキュリティチェックが厳格に行われていることが特徴である。

一般的な航空会社のチェックインが概ね出発の2-3時間前までなのに対して、エル・アル航空は3-4時間前が必須である。チェックイン前には、必ず専門係員による質問が行われる。係員は3人程度の交代で、荷物の経緯や、航空券の取得方法、渡航目的などを繰り返し尋ね、辻褄が合っているかどうか、回答に不審な点がないかどうか、その人物がテロリストに利用されている恐れは無いかなどを見分ける。同時に、搭乗客名簿をシャバックFBIなどの危険人物リストと照合するとされる。

係員による質問は、一般的に英語またはヘブライ語で行われるが、いずれも理解できない外国人乗客用に、その他の言語で記載された質問表も用意されている。乗客の荷物は、搭乗前に別室で一旦開け、一つ一つ金属探知機での検査と火薬反応を調べる。これらのチェックは、イスラエル政府や友好国の政府機関の人間も例外なく受けなければならない。さらに、爆発物を探し出すために、機内預けの全ての荷物は減圧室を通らねばならず、これも国や空港のいかんを問わず行われている。

また、全ての国際線の便には過去には2人、現在では最大6人の武装したスカイマーシャルが一般乗客に紛して便乗している。また、パイロットのほとんどがイスラエル空軍の出身である。なお、コックピットへのドアは二重となっており、それぞれ暗号コードが合わないと開かない仕組みになっているが、二枚目のドアを開けられるのは機長と副操縦士だけである。

2002年ケニアモンバサでエル・アル航空機が地対空ミサイルで狙われた事件を受け、赤外線ホーミングの地対空ミサイルを避けるための装置「フライト・ガードミサイル警報妨害装置)」が全機に装備されている。また、エル・アル航空機は特別に強化された床・壁となっており、貨物室は耐爆構造になっていると言われている。

以上のような厳重な検査の結果、1968年以降ハイジャック事件や旅客便の墜落事故は全く起こっておらず、「世界一安全な航空会社」ともいわれている。なお、旅客便以外では、1992年に貨物便であるボーイング747-200Fによるアムステルダムでの墜落事故(エル・アル航空1862便墜落事故)が起きている。

Remove ads

保有機材

運用機材

同社は、イスラエルとアメリカとの深い交流などから、過去から現在に渡りほとんど米国製機材でその多くがボーイング社製で占められている。
発注したボーイング製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は58で、航空機の型式名は747-458、777-258ERなどとなる。
前述のミサイル防衛システムのフライトガード装備などもあり中古機だと改修受取まで時間がかかることもあり新造機も比較的多い。
同社ではボーイング747を長期にわたり運用、2019年11月3日のローマ発テルアビブ行き1747便をもって営業運航を終了した。
2023年にはボーイング機の事故、品質問題、不正などで一時期エアバス機導入も検討されたが[4]、2024年6月に737MAX約30機について、ボーイングおよび航空機リース会社と独占交渉を行うと発表[5]

さらに見る 機材, 運用数 ...

退役済機材

Remove ads

就航路線

要約
視点

オーストラリアを除く全ての大陸に乗り入れている。イスラエル周辺のいくつかの対立するアラブ諸国からは領空通過を拒否されているため、これらの国を避けるように航路がとられている。

イスラエルはいくつかのアラブ諸国と対立しているが、国交のあるエジプトにはフライトがかつてあった(ヨルダンとも国交はあるが、エル・アル機のフライトはない)。イスラエルのフラッグ・キャリアがエジプトに飛ぶことに対する反感も多いことから、この路線(テルアビブ - カイロ線)専用に、機体に国名も社名も書かれていない専用機体を用意し飛ばしていた。2020年8月31日、国交正常化に合意したアラブ首長国連邦との間に初の商用便が運航され、通常は領空通過を拒否しているサウジアラビアも領空通過を初めて許可した[13]

日本との間では、2国間の航空協定により関西国際空港東京国際空港の乗り入れは可能で、ボーイング767-300ERや777-200ERなどでのチャーター便での乗り入れも行われている。2015年には成田国際空港への乗り入れも可能となったが、その後具体的な乗り入れの検討は行われていなかった[14]。しかし2018年に両国政府が2019年の成田-テルアビブ間のチャーター便就航に向けて協議を進めていることを改めて明らかにしており、将来の定期便就航の可能性も示唆している[15]。2019年9月14日、エルアル航空の子会社、サンドール国際航空による初のチャーター便が運航され、2020年3月11日から、エル・アル航空が成田-テルアビブ便を週3便、機材は787-9(3クラス282席:ビジネス32席、プレミアムエコノミー28席、エコノミー222席)で路線を開設する予定であったが[16]新型コロナウィルスの感染拡大に伴い2020年4月4日に延期され[17]、さらに8月29日に再延期され[18]、その後も開設は延期されていたが[19]、2023年3月1日からベン・グリオン国際空港成田国際空港の直行便が運航を開始した[20]。しかし、パレスチナ情勢の悪化に伴い10月25日の便を最後に2023年冬スケジュールより再度運休となったが、2024年3月6日ベン・グリオン国際空港発の便より運航を再開したがパレスチナ情勢により運航が不安定になり易いのでその都度公式確認が必要。

さらに見る エル・アル航空 就航都市 ...
Remove ads

提携航空会社

エル・アル航空は航空連合には属していないが、個別に各航空会社とコードシェア提携を行っている[21]

エピソード

アイヒマン逮捕

ドイツ親衛隊の元中佐で、ユダヤ人の組織的虐殺の歯車として働き、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたり指揮的役割を執ったアドルフ・アイヒマンを、モサドの工作員がアルゼンチン国内で拘束しイスラエルに連行する際、エル・アル航空のブリストル ブリタニア機が利用された。

同機はアルゼンチン独立記念日の式典に参加したイスラエル政府関係者の為に運行していたものであった。出国の際に彼は、酒をしみこませたエル・アル航空の客室乗務員の制服を着させられた上に薬で眠らされ、「昨晩から酒に酔って寝込んだデッドヘッド要員」として、アルゼンチンの税関職員の目をごまかしたという。

同機は当初ブラジルサンパウロ郊外にあるヴィラコッポス国際空港を経由して、同空港で給油する予定だったが、もしアイヒマンが搭乗していることが知られた場合、元ドイツ軍人やナチス党員の戦犯容疑者を含むドイツ系移民が多く、しかも彼らが一定の影響力を持つブラジル政府により、離陸が差し止められる危険性があったことから、セネガルダカールまで長距離飛行を強いられ無給油飛行を行うなど、移送には細心の注意が図られた。

1フライト輸送最大人数記録

1991年5月に実行された「ソロモン作戦」において、エチオピアからユダヤ人を脱出させる際に使用された航空機のうち、ボーイング747の1機が、全てのギャレーと4箇所のラバトリーを除いて全て撤去した上で760席の座席を設けた特別仕様により使用された[22]。さらに、座席の肘掛を全て跳ね上げることにより、より着席人数を多く確保できるようにしていた[22]。この作戦で実際に搭乗したのは1087人(このうち3人は機内で誕生した新生児)で、これは1フライトで輸送した人数としては最大の人数である[22]

Remove ads

事故とハイジャック

ハイジャック

  • 1968年7月23日、ロンドンローマ経由テルアビブ行きの426便がローマを離陸した直後にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のテロリストにハイジャックされた。エル・アルのハイジャックが成功した唯一の事例で、その後、エル・アルの対ハイジャック対策が向上する(エル・アル航空426便ハイジャック事件)。
  • 1969年1月、チューリッヒ発テルアビブ行きの707便がPFLPのテロリストにハイジャックされた。しかし、搭乗していたスカイマーシャルが1人を射殺、残りの犯人も逮捕され、世界を驚かせた。
  • PFLP旅客機同時ハイジャック事件 - 1970年9月、PFLPが起こした航空機の同時ハイジャック事件。ハイジャックされた5機のうち、1機はテルアビブ発アムステルダム経由ニューヨーク行きの219便であったが、ハイジャックの実行に当たったテロリスト2名の行動が稚拙で、事前に一部の乗客や客室乗務員らに察知された上、客室乗務員から通報されたスカイマーシャルが1名を射殺し、残る1名も銃撃戦の末乗客や乗員らによって取り押さえられたことから、完全な失敗に終わった。
Remove ads

その他

当時、設立10年に満たなかった、同航空会社の知名度を飛躍的に高めた一因として、1957年に出稿された、一面に映った海面の右側を破き、その余白部に「Starting Dec. 23, The Atlantic Ocean Will Be 20% Smaller.(12月23日の到来と共に、大西洋が20%小さくなります)」との広告文案を書き込んだ、ジェット機就航の広告がある。この広告の制作を請け負ったのが、フォルクスワーゲン・ビートルの広告クリエイティヴで、その名を知られることになる、ドイル・デーン・バーンバックである。

事故

出典・脚注

関連項目

Loading content...

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads