笠間市
茨城県の市 ウィキペディアから
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笠間市(かさまし)は、関東地方の北東部、茨城県中部の県央地域に位置する市。2006年3月19日に笠間市(旧制)、旧西茨城郡(友部町、岩間町)の1市2町が新設合併し、新制の笠間市として発足した。
かさまし 笠間市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 08216-3 | ||||
法人番号 | 4000020082163 | ||||
面積 |
240.40km2 | ||||
総人口 |
70,794人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 294人/km2 | ||||
隣接自治体 |
水戸市、石岡市、桜川市、小美玉市、東茨城郡茨城町、城里町 栃木県芳賀郡茂木町 | ||||
市の木 | さくら | ||||
市の花 | きく | ||||
市の鳥 | うぐいす | ||||
笠間市役所 | |||||
市長 | 山口伸樹 | ||||
所在地 |
〒309-1792 茨城県笠間市中央3丁目2番1号 北緯36度20分43秒 東経140度18分16秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | ここでのデータは新制の物。旧制のデータは本文中を参照。 | ||||
ウィキプロジェクト |
古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の鳥居前町として、また笠間城の城下町として栄えてきた。最近では笠間焼の生産地として知られ、春や秋に行われる陶器市の時期には、多くの観光客で賑わう。
茨城県の中部に位置し、北西部に八溝山系が穏やかに連なる丘陵地帯で、西部には吾国山南西部には愛宕山が位置する。北西部から東南部にかけては概ね平坦な台地が広がり、中央を涸沼川が北西部から東部にかけ貫流する。
笠間(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.9 (64.2) |
23.6 (74.5) |
26.0 (78.8) |
31.2 (88.2) |
34.4 (93.9) |
38.0 (100.4) |
38.2 (100.8) |
38.2 (100.8) |
36.8 (98.2) |
33.4 (92.1) |
25.2 (77.4) |
25.0 (77) |
38.2 (100.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.2 (48.6) |
10.0 (50) |
13.3 (55.9) |
18.6 (65.5) |
23.0 (73.4) |
25.5 (77.9) |
29.5 (85.1) |
30.9 (87.6) |
27.2 (81) |
21.7 (71.1) |
16.5 (61.7) |
11.5 (52.7) |
19.7 (67.5) |
日平均気温 °C (°F) | 2.4 (36.3) |
3.3 (37.9) |
6.9 (44.4) |
12.1 (53.8) |
17.0 (62.6) |
20.5 (68.9) |
24.4 (75.9) |
25.6 (78.1) |
22.0 (71.6) |
16.2 (61.2) |
10.1 (50.2) |
4.7 (40.5) |
13.8 (56.8) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.4 (25.9) |
−2.6 (27.3) |
0.7 (33.3) |
5.8 (42.4) |
11.6 (52.9) |
16.4 (61.5) |
20.6 (69.1) |
21.7 (71.1) |
17.9 (64.2) |
11.5 (52.7) |
4.6 (40.3) |
−1.0 (30.2) |
8.6 (47.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −13.3 (8.1) |
−10.9 (12.4) |
−7.2 (19) |
−3.9 (25) |
0.4 (32.7) |
7.5 (45.5) |
11.5 (52.7) |
12.6 (54.7) |
6.3 (43.3) |
−0.1 (31.8) |
−4.6 (23.7) |
−8.0 (17.6) |
−13.3 (8.1) |
降水量 mm (inch) | 50.2 (1.976) |
49.5 (1.949) |
97.6 (3.843) |
122.0 (4.803) |
138.3 (5.445) |
143.3 (5.642) |
161.4 (6.354) |
128.8 (5.071) |
190.0 (7.48) |
180.7 (7.114) |
76.0 (2.992) |
45.3 (1.783) |
1,383.1 (54.453) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.7 | 5.4 | 9.5 | 10.2 | 11.0 | 12.5 | 12.4 | 9.4 | 11.3 | 10.6 | 6.9 | 5.2 | 109.3 |
平均月間日照時間 | 205.7 | 188.5 | 192.5 | 190.7 | 193.4 | 135.3 | 151.7 | 179.6 | 136.9 | 144.6 | 162.0 | 184.0 | 2,063.7 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[1] |
かさまし 笠間市 | |||||
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笠間焼の大壺 | |||||
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廃止日 | 2006年3月19日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 笠間市(旧)、友部町、岩間町 → 笠間市(新) | ||||
現在の自治体 | 笠間市(新) | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 06203-1 | ||||
面積 | 131.61km2 | ||||
総人口 |
29,617人 (推計人口、2006年3月1日) | ||||
隣接自治体 |
桜川市、水戸市、城里町、友部町、岩間町 栃木県芳賀郡茂木町 | ||||
市の木 | カシワ | ||||
市の花 | キク | ||||
市の鳥 | メジロ | ||||
笠間市役所 | |||||
所在地 |
〒309-1698 茨城県笠間市石井717番地 笠間市役所笠間支所(旧笠間市役所本庁舎) | ||||
座標 | 北緯36度23分8.6秒 東経140度14分14.7秒 | ||||
ウィキプロジェクト |
合併前の笠間市(旧笠間市)のデータは右記の通りとなっている。合併後の笠間市(新笠間市)は新設合併で発足した自治体であり、これに伴って旧笠間市は廃止されている。
旧制の笠間市役所本庁舎は、新制では笠間市役所笠間支所となっている。
笠間市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 笠間市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 笠間市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
笠間市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
平安時代末期には旧友部町域や旧岩間町域を含む涸沼川流域一帯に九条家領の荘園小鶴荘が成立した[2]。寄進したのは平直幹と推定され、その後、源氏の政権が樹立される八田知家が常陸守護職に就いてこの地域を治めた[2]。さらに八田知家の四男家政が宍戸氏を称したことで、この地域は宍戸荘とも呼ばれるようになり、以後15代380年にわたって宍戸氏の統治が続いた[2]。
一方、旧笠間市域では正福寺と徳蔵寺が激しい勢力争いをしていたが、この紛争に乗じて宇都宮頼綱は甥の塩谷時朝を大将とする討伐軍を派遣し、この地を与えられた時朝は笠間を苗字とした[2]。笠間氏による支配が続いたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に18代笠間綱家が主家の宇都宮家に反逆の様子をみせたため宇都宮国綱に滅ぼされた[2]。
旧笠間市域では関が原の戦いの翌年に松平康重が3万石で入封して笠間藩が成立した。藩主はめまぐるしく交代したが、延亭4年(1747年)に牧野貞通が8万石で入封してからは牧野氏が治め廃藩まで続いた[2]。
廃藩置県で笠間藩は笠間県、宍戸藩は宍戸県となったが、両県は茨城県に統合された[2]。
第二次世界大戦中まで、友部地区には筑波海軍航空隊の基地があった。配属していた主な隊員に神風特別攻撃隊の隊員として戦死した唯一のプロ野球選手である石丸進一がいる。現在も当時の遺構が多く残り、旧司令部庁舎は現在は記念館として残されており、国内で唯一残っているアブロ 504K陸上練習機などが展示されている。
2002年頃、いわゆる平成の大合併に伴い、旧笠間市、友部町、岩間町で合併協議会を設置。しかし、新しい市の名前について、笠間稲荷神社や笠間焼などの伝統から「笠間」の名前を残したい笠間市と、新しく公募を希望する友部町との協議が決裂して笠間市が協議会より離脱する。その後、友部町と岩間町で協議を進めるが、編入合併を主張する友部町と新設合併を主張する岩間町で協議が決裂し、一旦白紙に戻る。
2004年後半になり、改めて合併協議会を設置。その結果、市の名前は笠間市、市役所は旧友部町役場(笠間、岩間は支所となる)、合併方法は新設合併とそれぞれの希望が通るような折衷案がまとまり、2005年3月に合併が正式決定。翌2006年に正式に新笠間市が発足した。
※細かい境界の変遷は省略。
笠間市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現笠間市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足[6][7][8]。 |
1923年(大正12年) | 3月1日 | 岩間村は町制施行し岩間町になる。 |
1954年(昭和29年) | 8月15日 | 西山内村は改称・町制施行し稲田町になる。 |
11月23日 | 岩間町と南川根村が合併し岩間町が発足。 | |
1955年(昭和30年) | 1月15日 | 宍戸町・大原村・北川根村が合併し友部町が発足。 |
2月11日 | 西茨城郡大池田村・北山内村・南山内村と合併し、(新)笠間町となる。 | |
2月15日 | 西茨城郡稲田町を編入。 | |
3月31日 | 鯉淵村の一部(鯉淵・五平の一部)を編入。 | |
8月1日 | 市制施行で笠間市(旧制)となる。 | |
2006年(平成18年) | 3月19日 | 旧笠間市、友部町、岩間町が合併し、新制の笠間市が発足。 |
笠間市市域の変遷表(※細かい境界の変遷は省略) | ||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
茨城郡 (西茨城郡) |
上市毛村 | 明治11年 笠間町 |
笠間町 | 笠間町 | 昭和30年2月11日 笠間町 昭和33年8月1日 市制 |
平成18年3月19日 笠間市 |
笠間市 | |
下市毛村 | ||||||||
石井村 | 明治11年 石井村 | |||||||
古町村 | ||||||||
甲山村 | ||||||||
日草場村 | ||||||||
大橋村 | 大池田村 | 大池田村 | ||||||
池野辺村 | ||||||||
福田村 | ||||||||
飯田村 | ||||||||
上箱田村 | 明治11年 箱田村 |
北山内村 | 北山内村 | |||||
下箱田村 | ||||||||
間黒村 | ||||||||
阿弥陀村 | ||||||||
片庭村 | ||||||||
大淵村 | ||||||||
寺崎村 | ||||||||
日沢村 | ||||||||
大郷戸村 | ||||||||
石寺村 | ||||||||
上加賀田村 | 南山内村 | 南山内村 | ||||||
手越村 | ||||||||
吉原村 | 明治11年 南吉原村 | |||||||
吉原村 | 明治11年 北吉原村 | |||||||
来栖村 | ||||||||
本戸村 | ||||||||
田上村 | 明治11年 福原村 |
西山内村 | 西山内村 | 昭和29年8月15日 稲田町に町制改称 昭和33年2月15日 笠間町に編入 | ||||
北中山村 | ||||||||
南中山村 | ||||||||
関戸村 | ||||||||
飯塚村 | 明治11年 飯合村 | |||||||
飯岡村 | ||||||||
上稲田村 | 明治11年 稲田村 | |||||||
下稲田村 | ||||||||
岩間上郷村 | 岩間村 | 町制 | 昭和29年11月23日 岩間村 | |||||
岩間下郷村 | ||||||||
吉岡新田 | ||||||||
市野谷村 | ||||||||
泉村 | ||||||||
福島新田 | ||||||||
押辺村 | 南川根村 | 南川根村 | ||||||
上安居村 | 明治11年 安居村 | |||||||
下安居村 | ||||||||
土師村 | ||||||||
鴻巣村 | 宍戸町 | 宍戸町 | 昭和30年1月15日 友部町 | |||||
南友部村 | ||||||||
太田町村 | ||||||||
平町村 | ||||||||
矢野下村 | ||||||||
大古山村 | ||||||||
南小泉村 | ||||||||
住吉村 | 北川根村 | 北川根村 | ||||||
湯崎村 | ||||||||
長兎路村 | ||||||||
仁古田村 | ||||||||
随分附村 | ||||||||
柏井村 | ||||||||
小原村 | 大原村 | 大原村 | ||||||
上市原村 | ||||||||
中市原村 | ||||||||
下市原村 | ||||||||
茨城郡 (東茨城郡) |
鯉淵村の一部 | 鯉淵村 の一部 |
鯉淵村の一部 | 昭和30年3月31日 友部町に編入 | ||||
五平村の一部 |
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[9]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 山口伸樹 | 2006年(平成18年)4月23日 | 現職 |
2006年3月19日の合併に伴い、旧友部町役場に市役所本庁舎が置かれ、旧笠間市役所と旧岩間町役場は市役所支所となった。 その後、東日本大震災により笠間支所が被災して使用不可となったため、同地に仮庁舎を建てていたが、2014年3月24日に旧法務局笠間出張所跡地に庁舎を移転した。
笠間焼は江戸時代中期、安永年間に箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽焼の陶工であった長右衛門の指導を受けて窯を築いたことに始まる[11]。
笠間藩の仕法窯として保護され、主に甕やすり鉢など日用雑器の産地となり、江戸に近い利点を活かして大量生産が行われ、明治時代には特に厨房用粗陶品の産地となった[11]。
第二次世界大戦後はプラスチック製品の流入など生活様式の変化から需要が減少したため、県立窯業指導所や窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され、厨房用粗陶品から工芸陶器への転換が図られた[11]。1992年(平成4年)には伝統的工芸品に指定された[11]。
なお、2010年(平成20年)6月1日に、特定非営利活動法人地域活性化支援センターが主催する「恋人の聖地プロジェクト」により茨城県で初めて(全国では100番目)「恋人の聖地」として「陶芸の里かさま」が選定された。市全体が選定されている珍しいケースとなっている[12]。
鎌倉時代に笠間城を築き上げた笠間時朝と、矢板市にある川崎城主であった塩谷朝業が親子であったことが縁で、1980年7月23日に締結。
赤穂浪士の討ち入りで知られる浅野氏は、赤穂転封の前は笠間藩の藩主をしていた。その縁から、1980年11月7日に締結。
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笠間市にはかつて電灯・電力供給会社があった。1910年(明治43年)に笠間電灯所が設立・開業し[15]、1912年(明治45年)に笠間電気株式会社が設立・開業した[16]。
主な観光地は、旧笠間市に点在している。これは笠間地区が元々笠間稲荷神社の門前町として、また笠間焼の生産地として発展してきた経緯があり、古くから観光に力を入れてきたことによる。
2006年(平成18年)11月17日、笠間市議会は合併の在任特例により膨らんだ議会の県内初である自主解散を全会一致で可決した。これは市民団体「笠間市をよくする会」の活動によるものである。
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