東北学院大学
仙台の私立大学 ウィキペディアから
仙台の私立大学 ウィキペディアから
東北学院大学(とうほくがくいんだいがく、英語: Tohoku Gakuin University)は、宮城県仙台市青葉区土樋一丁目3番1号に本部を置く日本の私立大学。1886年創立、1949年大学設置。大学の略称はTG[1]、TGU[2][注 1]。
ミッションスクールのひとつであり、リベラルアーツを重視した私立の総合大学である。
東北学院大学は1886年(明治19年)に開校された私塾「仙台神学校」(Sendai Theological Training School)を起源とする[PR 1]。
キリスト教伝道者の育成を目的に日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の設立に関わった押川方義と、1885年(明治18年)に来日したアメリカ人ドイツ改革派教会宣教師のW.E.ホーイが設立した[PR 2]。1891年(明治24年)には、伝道者育成に加え普通高等教育を施すようになり、校名を「東北学院」と改称。
押川とホーイが本学を離れた後、ホーイと同じく、フランクリン・アンド・マーシャル大学で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたD.B.シュネーダーが指導的立場に立った。1904年(明治37年)に東北学院専門科(翌年専門部と改称)が専門学校令によって認可。大正期に神学科・文科・師範科・商科の4学科体制となり、南六軒丁校地(現在の土樋キャンパス)を取得した。
1930年代以降の戦時色の深まりは東北学院の経営にも悪影響を及ぼし、シュネーダー院長は1936年(昭和11年)に「我は福音を恥とせず」との言葉を残して学院を去った。翌年には神学部が日本神学校に合流し、半世紀に及ぶ神学教育の歴史に幕を下ろした。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に文科の募集を停止し、翌年東北学院航空工業専門学校を設立した。
戦後まもなく福音改革教会(旧ドイツ改革派教会の後身)からの支援が再開され、1949年(昭和24年)に新制大学として東北学院大学が発足。1960年代に4学部体制となった。2022年(令和4年)現在は6学部16学科[PR 3]、6研究科[PR 4]を擁する総合大学である。
1962年(昭和37年)仙台の北東にある多賀城市に多賀城キャンパスを設け、工学部など理系学部の拠点とした。1988年(昭和63年)には仙台市北部に広大な泉キャンパスを開設した。2023年(令和5年)に本部がある土樋キャンパスに近い場所に五橋キャンパスを置き、多賀城キャンパスは廃止になった。
東北学院の三校祖、押川方義、W.E.ホーイ、D.B.シュネーダーは、東北学院の建学の精神を「福音主義キリスト教」に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育にあるとし、聖書の示す神に対する畏敬の念とイエス・キリストにならう隣人への愛の精神を培い、文化の発展と福祉に貢献する人材の育成を目指した[PR 5]。
東北学院大学学則第1章第1条には、「東北学院大学は、キリスト教による人格教育を基礎として、広く知識を授けるとともに深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させ、もって世界文化の創造と人類の福祉に寄与することを目的とする。」とある[PR 6]。
当大学の建学の精神や教育方針を最も的確にしたものとして、旧東北学院中学部校舎の正面入口に掲げられていた「LIFE LIGHT LOVE」という標語の原形である「LIFE, LIGHT AND LOVE FOR THE WORLD」をスクールモットーとした。「命(生命の尊さ)と光(知識・希望)と愛(隣人愛)を世界のために」という意味である[PR 7]。
文系7学部、理系2学部、そして国内では数少ない教養学部(2023年4月募集停止)を擁し、毎日の「大学礼拝」と「キリスト教学」(全学部全学科で必修科目として、1年次及び3年次の科目として履修)の学習による聖書の教えをもとにした、福音主義キリスト教に基づく教養教育(リベラル・アーツ)を重視している。
1937年(昭和12年)に廃止された旧神学部の伝統を継承するキリスト教伝道者養成機関として、1964年(昭和39年)に文学部基督教学科が設置されたが、定員割れの年が多かったため、2011年(平成23年)に文学部総合人文学科へと改組され、伝道者を目指さない学生にも門戸を開いた[3]。
創立時に欧米のリベラル・アーツ・カレッジをモデルとしている。
北関東以北に本部を置く私立大学では最大規模であるが、2024年度入学者は東北地方だけで95%以上を占めている[PR 8]
(沿革節の主要な出典は公式サイト[PR 9][PR 10][PR 11][PR 12])
2005年(平成17年)、東北大学が青葉山新キャンパス[PR 17] の整備方針を策定した際、同大学の片平キャンパス南地区から電気通信研究所などを移転させて跡地を売却する方針も決めたため、本学は土樋キャンパスに隣接する同地を取得して一体整備する計画を立て[28][29][PR 18]、2020年(令和2年)度までに泉キャンパスを土樋地区に統合整備する計画を策定した[28]。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害が多額にのぼった東北大学が、売却益より移転費用の方が上回る見込みの片平キャンパス南地区の売却を断念したと6月2日に報道された[29]。
2016年(平成28年)12月20日、仙台市が設置した仙台市立病院跡地購入事業者選定委員会は、約1万7500平方メートルの跡地の売却に関する優先交渉者として東北学院を選定したことが明らかとなった。売却額は44億円。これによって東北学院は、2021年(令和3年)をめどに東北学院大の教養学部(泉区)と工学部(多賀城市)を跡地に集約し、近接する同大土樋キャンパス(青葉区)と一体的に整備する方針と報じられている[30][31]。
2022年(令和4年)9月末に竣工予定。2023年4月の開設を目指し整備を進める。 約1万7500平方メートルの敷地に、高層棟とホール棟(5階)・講義棟(7階)・研究棟(8階)・駐車場棟(2階)の計5棟を整備する。各棟は今年9月に完成予定で、その後、泉キャンパス(泉区)と多賀城キャンパス(多賀城市)の機器などを移設する。講義棟にはコンビニエンスストアも入居予定。 東北学院大は文系学部の1・2年生と教養学部の全学生が学ぶ泉キャンパス、工学部生が学ぶ多賀城キャンパスを集約し、近くの土樋キャンパス(青葉区)と合わせ約1万1000人の学生が集う「一つのキャンパス」だと報じられている[32]。
当キャンパスは、北側を南六軒丁通り[注 2]、東側を猿曳丁通り[注 3]、南側を土樋通り[注 4]、西側を米ケ袋鹿の子清水通[注 5]に囲まれる街区の多くを占める。東北大学片平キャンパスの南側に隣接する文教エリアにあり、周辺は閑静な住宅街である。
当地は広瀬川の河岸段丘である仙台中町段丘と同段丘より一段低い仙台下町段丘にまたがっており、両段丘の間の段丘崖の地形に沿って南西方向に凸の弧状の街区を形成している。当キャンパスは、段丘崖上に並ぶ仙台藩上級家臣の3邸宅(西から佐藤家、柴田家、砂金家)跡地[PR 19] を明治になって継いだデフォレスト邸、ブラッドショー邸、明善分寮などの跡地[34]、および、段丘崖下の町人地に広がっている。正門がある南六軒丁通りは、江戸時代にその東端近くで四ツ谷用水支流と交差しており、ここを境に西側が侍屋敷、東側は奥州街道・田町の町域となっていた。
住所の「土樋」は段丘崖下の町人地の町名に由来し、江戸時代は仙台弁の影響で「つっとい」と読んだが、現在は共通語・標準語に基いて「つちとい」と読む。
土樋キャンパス内には多数の建物が所狭しと建っているが、中でもアメリカ人建築家のJ・H・モーガンが設計したカレッジ・ゴシック様式の2つの建物が目を引く。1つは土樋キャンパスのシンボルであり、正門を入って正面に位置する「本館」である。1925年(大正14年)に旧・専門部校舎として建てられ、現在は法人本部が使用している。2014年に国の登録有形文化財に登録された。また、2021年7月16日、文部科学省文化審議会は土樋キャンパスの正門を登録有形文化財に答申した。今後、答申を踏まえ、官報告示を経て、登録手続が行われることになる[PR 20]。
もう1つは本館の右手にある「ラーハウザー記念礼拝堂」である。名称にある「ラーハウザー」とは、第2代院長であるシュネーダーが米国にて募金活動を行った際、それに賛同し、献金を寄せた、エラー・ラーハウザー嬢に由来する[PR 21]。1932年(昭和7年)に建てられた当礼拝堂は、約900名を収容でき、堂内にはキリストの昇天を描いた英国製のステンドグラスが正面にあり、その横には、かつて活躍し、形のみを残した米国モーラー社(en:M. P. Moller)製のパイプオルガンが、北関東以北で最も古いパイプオルガンとして現存している。現在は、ドイツ(ハンブルク)のルドルフ・フォン・ベッケラート社(de:Rudolf von Beckerath Orgelbau)による、ネオ・バロックスタイルのパイプオルガンが使用されている。この建物もまた2014年に国の登録有形文化財に登録された。なお、礼拝堂地下室には、東北学院史資料センターがある[PR 22]。
このほかに大学院棟(旧シュネーダー記念東北学院図書館)も国の登録有形文化財に登録されている[PR 23]。
当キャンパスは、先代の仙台市立病院跡地に新設されたアーバン型キャンパス。五橋駅の荒町方面口に直結している。
礼拝堂に代わる施設として、押川記念館には多目的ホールが設置され、従来の泉キャンパス礼拝堂にある、フランスのアルフレッド・ケルン社(de:Alfred Kern & fils)によるフレンチ・クラシカルオルガンが移設されている。
1942年(昭和17年)から多賀城村(当時)に建設開始され稼動した多賀城海軍工廠は、第二次世界大戦後の占領期に進駐軍「キャンプ・ローパー」として使用された。その跡地は広大であり、現在は多賀城駐屯地、東北管区警察学校、多賀城市文化センター、仙台港臨海工業地区などに転用されている。当キャンパスもその跡地の一部に設置されており、進駐軍完全撤退後の1961年(昭和36年)9月25日に東北財務局に払い下げ申請し、1962年(昭和37年)4月1日に多賀城町(当時)に開設した[PR 26]。
キャンパス内には稲荷殿古墳という小型の円墳があり、1981年(昭和56年)と1982年(昭和57年)に、大学が発掘調査を実施して、7世紀後半の築造と推定した[35]。
多賀城駅からキャンパスの方向を見ると、「工学部礼拝堂」の十字架を望見することができる。打放しコンクリートの近代的な礼拝堂には、毎日「大学礼拝」のため、多くの教職員・学生が集まり、祈りをささげている。
礼拝堂の手前には、工学専門図書を収集している「多賀城キャンパス図書館(工学部分館)」と、トレーニングルームや武道場を設けている「工学部体育館」がある。礼拝堂を中心に霊育・知育・体育の教育施設が設置されており東北学院の教育の特徴を総合的にあらわしている。当キャンパス礼拝堂には、ドイツ(ベルリン)のカール・シュッケ社(de:Karl Schuke Berliner Orgelbauwerkstatt)製のパイプオルガンが設置されている。令和5年(2023年)には、このパイプオルガンは泉キャンパスの礼拝堂に移設される。
近年は、隣接している国有地の取得や、老朽化している施設の解体整理を進めており、「工学基礎教育センター」の開設など、教育施設の拡大充実を図っている。なお、同キャンパス内には東北学院幼稚園がある。
2022年度をもって幼稚園を除き完全閉鎖となっている。
当キャンパスは1965年(昭和40年)に泉町(当時)において用地取得され、1972年(昭和47年)に当時の東北学院高等学校榴ケ岡校舎が東北学院榴ケ岡高等学校として、現榴岡公園の地から移転した。1986年(昭和61年)の東北学院100周年にあわせ更に造成され、東北学院総合運動場として利用された(現在は東北学院陸上競技場などがある)。泉市(当時)が仙台市に合併された1988年(昭和63年)に文系学部の教養部が当地に移転し、仙台市が政令指定都市に移行した翌1989年(平成元年)に教養学部が新設された。
約10万坪の広さと最新の教育施設を誇る、豊かな自然に囲まれた最も恵まれたキャンパスである。また、1200名を収容できる当キャンパス礼拝堂にはフランスのアルフレッド・ケルン社(de:Alfred Kern & fils)によるフレンチ・クラシカルオルガンが設置されている。このパイプオルガンは、令和5年(2023年)に五橋キャンパスの押川記念館にある多目的ホール内に移設され、多賀城キャンパスにあるドイツ(ベルリン)のカール・シュッケ社(de:Karl Schuke Berliner Orgelbauwerkstatt)製のパイプオルガンが代わりに設置される。
2023年度以降も体育施設は利用できる。
文部科学省による大学・高専機能強化支援事業(成長分野を牽引する大学・高専の機能強化に向けた基金)
【事業創設の背景】
【支援の内容】
2024年6月26日付で、文部科学省から第2回公募選定結果が公表された。 東北学院大学は【未来探求学部未来探求学科】で申請した結果、選定された。 今後、順次、選定された大学には文部科学省からの支援が開始される。 [43]
東北学院大学の各教育機関は大学を頂点とする附属学校ではなく、学校法人東北学院の設置する学校である。学校法人のもとで平等の取り扱いを受ける独立した併設学校である。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.