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ミッション系大学(ミッションけいだいがく、英: Christian college)は、キリスト教に関係がある組織や、関係の深い人物が設立した機関や団体によって設置運営されている大学の総称である。海外ではクリスチャン・カレッジ(Christian college)と呼ばれることもあり、多くはキリスト教の宗派に所属または運営されているが、宗派に属さない大学もあり、さまざまな形態の学校がある。アメリカ最古の大学であるハーバード大学やコロンビア大学などアイビー・リーグに所属する多くの名門大学も、当初はキリスト教の聖職者の育成のために設立され[1][2][3]、学内には教会もあり、アメリカのリベラル・アーツ・カレッジも当初は社会のリーダーとなる聖職者の育成のために設立された大学である[4]。
日本には2つの形態があり、第一の形態として、多くは欧米諸教会の海外伝道局(ミッション)によって設立され、キリスト教系大学ともいわれる[5]。明治期にはミッションスクールと呼ばれていたことから、キリスト教系学校の代名詞として現在でも使われており、近年では、ミッションからの独立が進みキリスト教主義学校となっている。また、第二の形態として、キリスト教に関係した日本人によって、ミッションとは関係なく当初から組織立って設立運営された学校もある[6]。
以下では日本のミッション系大学(キリスト教系大学)について取り扱う。
1858年7月29日(安政5年6月19日)に日米修好通商条約が締結され、初代駐日米国総領事のタウンゼント・ハリスが加えた第8条により、外国人居留地内における信教の自由と教会の設立が認められ、宣教師の来日が可能となった[7]。ニューヨーク市立大学シティ・カレッジを創設した教育者でもあったハリスは、「日本で伝道を成功させるに、最初に派遣される宣教師が慎重堅忍よく慮って、熱心に駆られて行き過ぎることのない様に自制して働くことが必要で、英語を教える学校を開き、あるいは医師が診療事業を開始するなどは伝道上の良策である。」と述べ、その後来日する宣教師らの伝道姿勢に活かされることとなった[8][9]。開国にともない来日した宣教師らは訪日外国人向けの活動を行いつつも、未だ日本人への宣教活動は禁止されていたことから、日本語の修得に加えて日本文化の研究を進める中、ハリスの支援の下で英学塾を開いて英語教授を行い、医師である宣教医らは医療活動を行った[10]。
一方、開国した日本では、オランダ、中国以外との外交業務が増えるに従い、これまでの阿蘭陀通詞(オランダ語通訳)と唐通事(中国語通訳)の養成よりも、英語の通訳と英語に通じた役人の養成が必要となり、江戸幕府は宣教師らに英語を教えるように要請し、宣教師らはこれに応じて、私塾で教えたほか、幕府が開設した『長崎英語伝習所』や『横浜英学所』で教鞭を執った[注釈 1]。
明治維新後もキリスト教の禁教政策は続いたが、 1871年(明治4年)からの岩倉使節団の海外訪問と不平等条約改正の予備交渉に伴い、キリスト教徒への非人道的な行為が非難され、信仰の自由を認めることを求められたことにより、1873年(明治6年)2月24日に、明治政府がキリシタン禁制の高札を撤廃し、以後、外国人宣教師による伝道活動が活発化し、英学塾は後のミッションスクールに発展し、現在のキリスト教系大学の基礎をつくった[11]。
また、日本の女子教育の発展において、上述の1873年(明治6年)のキリスト教の解禁以降に欧米のキリスト教宣教師たちが果たした役割は大きく、今日に至る女子諸学校に連結しているものが多数存在する。プロテスタントのミッションが、官立中等教育機関が男子中心に整備されつつある中で、英学を導入するに伴い、男子校だけでなく、女子の教育機関を各地に設立して日本における女子教育を普及させたことは日本の教育史において大きな存在となっている[12]。
日本の大学の約10%がキリスト教主義の大学であるが、日本にはクリスチャンは1%以下であることから、多くのキリスト教主義学校において、教授をはじめ学生のほとんどがクリスチャンではない[13]。 プロテスタント系大学(キリスト教学校教育同盟)が56大学、カトリック系大学(日本カトリック学校連合会)が20大学を数える。
「キリスト教精神に基づいた教育」が行われることが記載されている[14]。
聖句や、それにまつわるキーワード(奉仕、信仰、隣人愛、地の塩、世の光など)を用いるケースが多く、学部の教育やカリキュラム作成などを通じて具体化している[17]。
「キリスト教学」などキリスト教に関連する科目が設置されていることがあるが、大学におけるキリスト教教育の特徴を「教師の指導の及ぶ範囲」という観点で捉えると、小・中・高での強制力の働く教育とは違って、大学は支援や援助、サポートなどを行うが、あくまで教育活動は学生が主体であり、学校側としてキリスト教教育に関して強制しないスタンスをとっている大学が多い[14]。
中には、青山学院大学や明治学院大学など「キリスト教主義の学校を選び、入学した証」として、キリスト教に関する知識をつけるために必修科目として設定している大学もあり[18][19]、青山学院大学で全学生必修になっている「キリスト教概論」では、講義で聖書の内容について勉強するとともに、礼拝に複数回参加し、「チャペルレポート」を提出することが必須になっている[20]。
今日のキリスト教学校のほとんどで、キリスト者の教員が減少しており、学校によっては「信仰の有無」に関わらず、教員もキリスト教の行事に参加するよう求められるケースも出ているが、実際上、キリスト教信仰をもたない教員抜きに学校のキリスト教教育を実践することは不可能となっている[14]。
学校礼拝や、キリスト教に関する活動やサークル(ボランティア活動、キャンプ、聖歌隊など)が行われていることが多い[14]。
前述の通り、キリスト教主義の学校で学ぶ学生の多くがクリスチャンではないが、キリスト教を学ぶ講義などを通じて、キリスト教に興味を持つ者もいる[13]。
多くのキリスト教主義に基づく大学には、学内にチャペル(礼拝堂)が設置されており、日々の礼拝やクリスマス行事などのほか、チャペルコンサートや講演会など様々な活動で利用されている。また、チャペル(礼拝堂)が設置されている多くの大学では、卒業生や教職員などのために、結婚式も行われている。
キリスト教主義の基づいていない大学でも、学内にチャペル(礼拝堂)がある例もある。福澤諭吉が1868年(慶応4年)4月に、英国国教会(聖公会)が設立したパブリックスクールのキングス・カレッジ・スクールをモデルとして創設した[21][22]慶應義塾大学の日吉キャンパスには、『慶應義塾大学キリスト教青年会館』(日吉チャペル、YMCAチャペル)が設置されている。同会館はウィリアム・ヴォーリズが設計した建物で、横浜市登録歴史的建造物に指定されている[23][24]。
また、同大学の三田キャンパスにも、かつて英国国教会(聖公会)の宣教師であるアーサー・ロイド(慶応義塾教授、立教学院総理)が1887年(明治20年)6月に創設した『喜望教会』が設置されていた[25][26][27]。その後、喜望教会は、1912年(大正元年)11月2日に、聖ステパノ教会と聖十字教会を合わせた3つの教会で合同して芝・白金三光町の地で三光教会となり、1940年(昭和15年)に現在の品川区旗の台に移転した。翌1941年(昭和16年)には、教会に隣接して香蘭女学校が移転している[28]。
早稲田大学においても、かつて大学のキャンパスでもあった『早稲田奉仕園』の園内にある歴史的建造物のスコットホールに礼拝堂が設けられており、早稲田教会が礼拝を捧げている。早稲田奉仕園は、大隈重信が米国バプテスト教会の宣教師ハリー・ベニンホフに依頼して設立されたキリスト教主義に基づく施設で、早稲田大学の国際化の一翼を担っている[29]。1921年(大正10年)に竣工したスコットホールもヴォーリズ建築事務所が設計原案を担当した建物である[30]。
カトリックの教会法によると、「カトリック学校」「カトリック大学」と名乗れるのは所轄の司教の認可を受けた学校のみである(Can.803 § 3, Can.808)。
以下、()内は設立・運営母体となる修道会・宣教会
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