青山霊園
東京都の霊園 ウィキペディアから
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青山霊園(あおやまれいえん)は、東京都港区南青山二丁目にある東京都立の霊園である[1]。
六本木ヒルズ森タワーから望む霊園 | |
詳細 | |
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開園 | 1874年(明治7年)9月1日 |
所在地 | |
国 | 日本 |
座標 | 北緯35度40分0秒 東経139度43分20秒 |
種別 | 公営[1] |
運営者 | 公益財団法人 東京都公園協会 |
総面積 |
26.3ha 墓所面積 12.8ha |
ウェブサイト | https://www.tokyo-park.or.jp/reien/aoyama/index.html |
青山霊園は、樹木が生い茂る武蔵野の面影を留める港区の北西に位置し、ビル街の中にある園内には桜並木が縦横に走る落ち着いた雰囲気を保っている。面積は約26haで、明治に入り会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地(青山霊園立山地区)が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。
1872年(明治5年)、美濃郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主・青山家の下屋敷跡に開設された。当初は神葬祭墓地であった。1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地となった。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管された。1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となった。現在は東京都の所管である。
桐生氏は当時の東京府に土地所有権を無償で供与し代々立山墓地の管理に携わってきたが、東京都により2008年3月いっぱいで管理の更新を断られた。都による墓所使用料未払いによる無縁仏への墳墓改装、それに伴う公園型霊園開発を理由とした、2000年代以降の霊園内外都有地の段階的な賃貸料増額も相まって管理の更新を断られ、先祖開拓以来の土地を離れることとなった。なお、霊園内外国人墓地に関しては無縁仏として改装されず、貸付対象箇所にはならないことになった。
明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くある。維新の三傑である大久保利通、細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓もある[注釈 1]。附属立山墓地には、永田鉄山、木村兵太郎、相楽総三なども眠っている。
石原都政が始まった2000年代以降から、同都政以前からあった「青山霊園再生計画」に基づき、外国人墓地箇所を除き無縁仏の改葬後に公園スペースにしたり、一部墓所の再貸付を開始した。
谷中霊園などと同様に、根の隣接墓への干渉、降り積もる落ち葉等に対する苦情への対処の煩を避けるためか、都による貸付スペースであるにも拘わらず都の干渉が及ばないとする個人墓所敷地内の樹木であることを建前や名目として、桜や銀杏、松、楠などの江戸時代からのものと推定されるものも含め、樹齢が長い巨樹を中心とした伐採が2022年現在以降も相次いで進行している。
いずれも合葬。12号・1種ロ・14側。東2入口最寄り(乃木坂駅側)。
青山陸橋下バス停留所前。
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