日本の俳優 ウィキペディアから
誠 直也(まこと なおや、1948年6月25日[1][2][3][4][5][6] - )は、日本の俳優。本名、古川 誠剛(ふるかわ せいごう)[1][2][4][7][6]。妻は女優の早川絵美[5]。
学生時代はラグビーに熱中し、福岡電波高等学校在学中の1967年には主将・CTBとして全国高校ラグビーに出場し、初優勝する[3][10]。しかし、決勝戦中盤で膝と半月板を損傷してしまい、試合中にメンバーチェンジが出来ずに強行出場したために無理がたたり、ラグビー選手への道を断念する[10]。
大学を卒業後、不動産会社に就職が決まったものの入社せず、知人の勧めで俳優の道へ進む[3][7][10]。
1971年、映画『現代やくざ 血桜三兄弟』(東映)で役者デビュー[5][11][10]。『不良番長』シリーズなどを経て、1973年には円谷プロ制作の特撮テレビドラマ『ファイヤーマン』(日本テレビ)のオーディションに合格し主人公・岬大介役で初主演[7][10][6]。その後は『仁義なき戦い』シリーズや『少林寺拳法』など、東映の劇場映画を中心に活動[12]。1975年『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)の主演に
1977年より放映開始した『特捜最前線』(テレビ朝日)の吉野刑事役に選ばれ、1985年まで8年半レギュラー出演した[11][6]。第68話「誘拐・東京〜函館縦断捜査!」では走行するトラックの運転席から飛び降りて、並行して走る貨物列車の無蓋車に飛び乗るスタントを吹き替えせずに自ら演じている。
2003年には『実録ヒットマン 北海の虎・望郷』にて長編映画では初の主演を務め[13]、さらに『爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!』への出演で約27年ぶりに特撮への復帰を果たした。また2011年には『ゴレンジャー』のアカレンジャー/海城剛役としてスーパー戦隊シリーズ35作記念作品となる『海賊戦隊ゴーカイジャー』に客演した[14]。
趣味は、ゴルフ[2]、釣り[15]、絵画[15]。特技は、ラグビー[16]、ダイビング[要曖昧さ回避][1]、柔道[1]、剣道[1]。
芸名の「誠」は本名から一文字とったものである[6]。
後年のインタビューで、お世話になった人物として岸田森と石ノ森章太郎の名前を挙げている[12]。
『ファイヤーマン』ではアフレコであるにもかかわらず、当時九州なまりがひどかったため、撮影の段階から岸田のチェックが入り、よく芝居を止められたという[7][17][10]。当時は辛かったが、本当に勉強になり感謝していると述べている[7][17][10][注釈 1]。
『仁義なき戦い』シリーズでは、深作欣二に「九州の山猿」と呼ばれ現場でしごかれた[7]。激しい現場できつかった一方で先輩の演技を盗もうとするなど、役者が面白くなってきたころだったと回想している[7]。
『少林寺拳法』の友田弘役は、当初はモデル出身の白石襄が務める予定だったが、クランクイン直前で白石が降板したため誠が演じることになった[19][5]。作品を左右する重要な役回りで、誠にとって一生役者をやってみようと思わせた作品だったという[19]。
『特捜最前線』の吉野刑事について、当初はキャラクターについて掘り下げて描かれていなかったために戸惑いがあったと述懐している。長期にわたり出演したことについて感謝する一方で、俳優としてのデメリットもあったと述べている[5]。
妻の早川絵美とは、『特捜最前線』での共演が縁で結婚[5]。ただし、早川の方は誠が『ゴレンジャー』を撮影している東映生田スタジオで同時期に『ザ・カゲスター』に出演しており以前より存在を認識していた[5]。
『ゴレンジャー』と同日放送開始の『仮面ライダーストロンガー』の主演で、『特捜最前線』で共演した荒木しげるとは公私ともに親しく、荒木が入院し言葉も話せないほど衰弱した時期にも見舞いをしており「俺だ、わかるか?」と問いかけ、荒木はうなずいたという。葬儀においても親族同様にとても悲しんだ[20]。
沢田研二とは生年月日が同じであり、下記の映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』で共演した。
誠は海城剛役の演技について、大人向け作品のようなどろどろした人間心理などは出さず、素直な男らしさやリーダーのあるべき姿をストレートに表現したとしている[21]。役柄へは、『ファイヤーマン』で危険なアクションをこなしていたため、すんなり入って行くことができたという[21]。
『ゴレンジャー』の最初の撮影で遅刻して監督の竹本弘一に叱り飛ばされ、誠は竹本に対して内心「このくそおやじ!」と思ったことを後に本人へ語っている[22]。
工場跡でのロケ中、飛び降りるシーンの撮影中に着地した場所に切断した鉄骨の破片があったため、足の裏を複雑骨折している。しかし、スタッフに伝えることなく撮影を続行している[10]。
石ノ森からは「アカレンジャーはお前で良かったよ」と言われ、喜びを感じたという[19]。
のちに『特捜最前線』で自分が主役の回に『ゴレンジャー』で共演した畠山麦がゲスト出演したが、その撮影期間中に畠山は亡くなってしまい「あれはツラかった……」と述懐している[23]。
東映俳優センターが廃止されたのち宮内洋とともに事務所を移籍。時期を同じくして、二人が共演する機会が増えた[24]。
後年のインタビューでは、「海城剛」という役名は本名と同じ「剛」が入っていることや釣り好きで「海」に親しみがあることなどから気に入っている名前だと述べており、8年演じた『特捜』の吉野以外ではっきり覚えている数少ない役名の1つに挙げている[6]。
『海賊戦隊ゴーカイジャー』の最終回に海城役で出演した際は、同作品がスーパー戦隊シリーズ最後の作品だと思い、自身も育ててもらった感謝の意も込めて引き受けたが、撮影所で既に次作品の撮影が始まっていることを聞いて驚いたという[6]。
題名 | B/W | 発売年 | レーベル | 備考 |
おまえの浅草 | 街はずれ | 1978年 | キングレコード | |
雪虫 | 男の戯れ唄 | 1980年 | テイチク | |
札幌City Light '87 | ぬくもりを抱いて | 1987年 | BMGビクター | 安倍里葎子とのデュエット曲 |
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