亜細亜大学 (あじあだいがく、英語 : Asia University )は、東京都 武蔵野市 境 5丁目8番に本部を置く日本 の私立大学 。1941年 創立、1955年 大学設置。大学の略称 は亜大 (あだい)、亜細亜 (あじあ)。
大学全体
南門
旧制興亜専門学校 を前身とする大学である。戦後、日本経済専門学校、日本経済短期大学を経て亜細亜大学となった。初代学長兼理事長には、終戦 時の文部大臣 だった太田耕造 が就任した。その後、理事長に就任した東急 の創業者・五島慶太 の経営協力の下で組織整備などがなされてきた。
五島慶太の没後は、後継者の五島昇 が就任した。その後は、元伊藤忠商事 会長瀬島龍三 を経て、東急グループ 代表・清水仁 に引き継がれ、、その後も同じく東急グループ 代表越村敏昭 が理事長に就任し、現在は元東急グループ副社長巴政雄 が理事長に、東急グループ 代表野本弘文 が会長に就任している[1] 。
理事会は、東急グループ の出身者がおり、東急も亜細亜大学を、東急グループ の一員として位置付けている[2] 。ただ、大学の教学組織の独立性が保たれており、理事会の教学への介入・干渉はないとされる。
学長は、しばらく東京大学出身者が続いていたが、その後私学出身者に移っている。現在の永綱 憲悟学長は東京大学出身である。
現在の教員は、特定の大学に偏っていないが、アメリカ等の外国大学で学位をとった教員もおり、外国人教員も増えている[3] 。
建学の精神
建学の精神は「自助協力 」。建学精神の「自助」とは、一人ひとりが自らの内面を深く見つめ、自分自身のしっかりとしたアイデンティティ を確立し、自らの力でそれぞれの道を切り拓くこと。さらに「協力の花は自助の根から」とし、真の協力関係とは自立した人間同士の協力関係であると書かれている[4] 。「自助協力」は初代学長太田耕造 の思想である。太田耕造 は、15才で洗礼を受けたプロテスタント系のキリスト教徒であり、プロテスタンティズムの自主自立の精神の影響があったと言われている。太田耕造 のキリスト教は、新渡戸稲造 や
内村鑑三 たちの武士道キリスト教に近いものだったとされる[5] 。亜細亜大学は、キリスト教系の大学ではないが、キリスト教精神に由来する大学とも言える。
学内に、第2次世界大戦に出征して戦死した学生の御霊を祀る興亜神社 があるが、宗教色のある大学ではない。
衞藤瀋吉 が学長時代(1987 - 1995年)に一芸一能入試 など独自の入試スタイルや語学留学プログラム、スチューデントカンパニー・プログラムなど、日本の大学としては初めてとなる入試制度や教育プログラム、テレビコマーシャル(CM)を実施したことがある。
AUAP・AUGP・AUEP・AUCP(後述)などの留学プログラムがある。大学では14か国語の外国語授業を開講しており、アジア地域を中心に、中東や欧米など世界各地域の言語を学ぶことができる。外国語専門の学部を持つ大学を除けば、屈指のものであった。モンゴル語やヒンディー語など他大学にあまり見られない言語の教育も50年以上の長い歴史がある。
社会科学系大学としては、女子学生の比率が高い大学として知られていた。短期大学部が廃止された現在でも女子学生は多い[6] 。学生自治組織である学友会においても、中央執行委員長、学内副委員長、学外副委員長、体育祭実行委員長などのポストを女子が占めるなど女子学生の活躍が目立つ[7] 。
(沿革節の主要な出典は公式サイト[8] )
1940年 (昭和 15年) - 東京府 北多摩郡 武蔵野町 境 字 上水南1243番地、他所在3960坪(現在地)の土地賃貸借契約成立(1967年買収)(地主 高橋次平・尚敏、借主 菊池武夫・岩田愛之助、代理人 藤原繁 )。
1941年 (昭和15年) - 財団法人興亜協会設立。旧制興亜専門学校 開校。第一部(満蒙支科)・第二部(南方科)・第三部(内地科)を設置。
1945年 (昭和20年) - 第二次世界大戦の終結に伴い日本経済専門学校へ改称。
1950年 (昭和25年) - 同専門学校を日本経済短期大学へ改組。経営科第一部・第二部、貿易科第一部・第二部を設置。
1951年 (昭和26年) - 運営法人を学校法人 に改組。法人名を猶興学園と改称。
1954年 (昭和29年) - 法人名を亜細亜学園と改称。日本経済短期大学附属中国留学生部を開設。
1955年 (昭和30年) - 日本経済短期大学経営科第一部および貿易科第一部・第二部を亜細亜大学 へ改組(形式的には日本経済短期大学経営科第一部、貿易科第一部、第二部を廃止して亜細亜大学を設置)・商学部商学科を開設。
1957年 (昭和32年) - 日本経済短期大学経営科を再度設置。
1962年 (昭和37年) - 留学生別科を開設(留学生部を改組)。
1964年 (昭和39年) - 経済学部経済学科を開設。教養部を設置。
1966年 (昭和41年) - 法学部法律学科を開設。
1970年 (昭和45年) - 商学部商学科を改組し、経営学部経営学科を開設。日本経済短期大学経営科第二部を廃止。
1974年 (昭和49年) - 経営・経済・法の各学部に大学院修士課程を設置。
1976年 (昭和51年) - 経営・経済・法の各学部に大学院博士課程を設置。経済学部に国際関係学科を併設。
1986年 (昭和61年) - 日本経済短期大学経営科に経営管理専攻と経営情報処理専攻を開設。
1989年 (平成 0 1年) - 亜細亜大学アメリカプログラム(略称:AUAP)開始(前年には実験的にこれを実施した)。
1990年 (平成0 2年) - 国際関係学部国際関係学科を開設。
1993年 (平成0 5年) - 日本経済短期大学を亜細亜大学短期大学部と改称。
1995年 (平成0 7年) - 経済学部国際関係学科を廃止。
2001年 (平成13年) - 教養部を廃止。
2004年 (平成16年) - 短期大学部経営科の経営管理専攻と経営情報処理専攻を廃止。経営学部経営学科にホスピタリティ専攻を開設、亜細亜大学にアジア夢カレッジ(キャリア開発中国プログラム)を開設。
2006年 (平成18年) - 大学院経営学研究科(博士前期課程)を改編し、アジア・国際経営戦略研究科(修士課程)を開設。
2007年 (平成19年) - 亜細亜大学アメリカプログラム(略称:AUAP)参加学生数が1万人を突破。
2008年 (平成20年) - アジア・国際経営戦略研究科を博士課程前期・後期に改編。
2009年 (平成21年) - 経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科を開設。
2011年 (平成22年) - 建学七十周年を迎えた。
2012年 (平成24年) - 国際関係学部多文化コミュニケーション学科を開設。
2013年 (平成25年) - 短期大学部現代タウンビジネス学科を開設。
2014年 (平成26年) - 経営学部経営学科のホスピタリティ専攻を廃止。大学院経営学研究科を廃止。
2016年 (平成28年) - 都市創造学部都市創造学科を開設(令和7年度より募集停止[9] )。
2017年 (平成29年) - 短期大学部を廃止。
2019年 (令和 0 1年) - 亜細亜大学アジアンスタディーズプログラム(略称:AUASP)を開設。
2020年 (令和0 2年) - 副専攻制度を導入し、データサイエンス副専攻、スポーツ科学副専攻を開設。
2023年 (令和0 5年) - 経営学部データサイエンス学科を開設。
2025年 (令和0 7年) - 社会学部現代社会学科を開設。
所在地
武蔵野キャンパス(東京都武蔵野市境5丁目8番)
日の出キャンパス(東京都西多摩郡 日の出町 大字平井1466)
大学院
アジア・国際経営戦略研究科
博士前期課程・博士後期課程
授与学位 修士(経営学)博士(経営学)
経済学研究科
博士前期課程・博士後期課程
授与学位 修士(経済学)博士(経済学)
法学研究科
博士前期課程・博士後期課程
授与学位 修士(法学)博士(法学)
別科
亜細亜大学への進学を目ざす留学生 が、準備段階として主に日本語 と日本事情を1年間学修するコース。
日本語を日本語で教えるダイレクトメソッドの教授法をとっている。卒業後、必ずしも亜細亜大学へ進学する必要はないが。亜細亜大学学部、亜細亜大学大学院への推薦入学制度がある。他大学への進学先としては、最近では青山学院大学大学院、広島大学大学院、順天堂大学大学院などへの進学実績がある。
教育
留学プログラム
亜細亜大学では、以下のような留学プログラムが存在する。
AUAP(Asia University America Program:亜細亜大学アメリカプログラム)とは、5か月間の米国 大量留学プログラムであり、この大学を代表する留学プログラムである。1988年 に実験的に行われ、翌1989年 から本格的に実施され現在に至る。このプログラムでは、アメリカ合衆国 ワシントン州 にあるセントラル・ワシントン大学 、イースタン・ワシントン大学 、ウエスタン・ワシントン大学 のいずれかに派遣される。また、2009年度以降にアリゾナ州立大学 、サンディエゴ州立大学 、ユタ大学 、ニューヨーク州立大学オールバニ校 (現地既設プログラムに参加/ホームステイ)が加わり、同大学の希望者は選考を経た上で派遣されることとなった(派遣されるのは十数名程度)。高齢者施設でのボランティアや日本文化を紹介するイベント、小学校訪問、現地企業への訪問などのアクティビティーが組まれており、単なる語学留学ではない。学生は、原則アメリカ人学生または留学生のルームメートと2人部屋で寮生活をする。
留学生の場合はビザ 等の許可が下りた場合のみ参加可能である。希望者は原則として全員参加することができる。国際関係学部国際関係学科では2年次後期(Cycle 2、例年9月-2月)に、経営学部経営学科、経済学部、法学部、国際関係学部多文化コミュニケーション学科は1年次後期から2年次前期(Cycle 1例年2月-7月)にかけて留学する。このプログラムに参加した学生は、現地で16単位を卒業単位として修得することができる。なお、経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科、都市創造学部、アジア夢カレッジに所属する学生は参加できない。
AUGP(Asia University Global Program:亜細亜大学グローバルプログラム)とは、春ないし夏の長期休暇中に2週間から2か月間行われる短期留学プログラムである。アイルランド ・アメリカ ・イギリス ・インド ・インドネシア ・オーストラリア ・カナダ ・韓国 ・スペイン ・中国 ・ドイツ ・ニュージーランド ・フランス ・マレーシア ・ロシア の合計15か国から選べ、希望者は原則として誰でも参加できる。このプログラムに参加した学生は、現地で卒業単位を習得することができる。但し、規定人数に達しなかった場合やその他該当国・地域の情勢等によって中止されることもある。
AUEP(Asia University Exchange Program:亜細亜大学交換・派遣留学生プログラム)とは、約1年間の交換留学プログラムである。AUAPやAUGPと違い、所定の条件などがあり、選抜試験を行う。派遣先国及び地域は、アメリカ ・インド ・インドネシア ・韓国 ・シンガポール ・スロバキア ・タイ ・台湾 ・中国 ・ニュージーランド ・香港 ・マレーシア ・モンゴル である。このプログラムを利用して留学する学生は、派遣先大学によって亜細亜大学または派遣先大学あるいはその両方から生活費やその他補助費が給付される。このプログラムに利用して留学する期間は休学扱いとなるため、標準の4年を超えて5年以上大学に在籍することになる。
AUCP(Asia University China Program)とは、「アジア夢カレッジ-キャリア開発中国プログラム」に所属する学生を対象とした約半年間の中国 留学プログラムである。4か月間の語学留学に加え、8週間のインターンシップが行われる。アジア夢カレッジは経営学部経営学科、経済学部、法学部、国際関係学部の学生が参加でき入学直後に選抜試験を行う。
AUASP(Asia University Asian Studies Program)とは、マレーシアのクアラルンプールにあるUCSI 大学で英語とアジアの文化や経済の動向を学ぶ留学プログラムである。授業は、すべて英語で行われる。2年次の春学期または秋学期の5か月間留学する。選考試験に合格する必要がある。
留学生
亜細亜大学には230人を超える留学生が在籍しており、アジア 諸国からの学生が大半を占めるが、その中でも中国 をはじめとする中国語 圏から来た学生が特に割合が高い。今日の日本国内の他大学においても中国人留学生の割合が高いが、亜細亜大学では中国の大連外国語大学 から毎年40人以上の多くの学生を3年次からの編入生として受け入れていることも挙げられる。6500人の学生総数に占める留学生の比率は高くなく、基本的に日本人学生中心の大学と言える。
在外公館派遣制度
上記のプログラム以外に外務省の在外公館派遣制度などでも「留学」の身分が与えられることがある。
STEM教育
データサイエンス学科やデータサイエンス副専攻制度があり、基礎科目としてデータサイエンスの基礎を学ぶ科目がある。全学共通科目として、情報についての基礎知識や生物、宇宙、数学などを学ぶ科目などがある。STEM:科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)も重視し、文理融合をいっそう進めるとされる[6] 。
スポーツ科学教育
スポーツ科学副専攻制度があり、競技力向上という目的だけではなく、スポーツを専門的な視点から捉え、スポーツの楽しみ方を模索するものである。メンタル、スキル・戦術、フィジカル、キャリアの4領域を学ぶ[6] 。
教職課程
経営学部経営学科では、中学校(社会)、高等学校(公民・商業)、経済学部経済学科と法学部法律学科では、中学校(社会)、高等学校(公民)
国際関係学部国際関係学科では、中学校(社会・英語)、高等学校(公民・英語)の教員免許状が取得できる。学校図書館に配属される司書教諭の資格も取得できる[6] 。
図書館学課程
所定の科目を履修することにより図書館司書の資格を取得できる。すべての学部学生が対象である[6] 。
社会教育主事課程
所定の単位を修得した人には修了証が交付され、「社会教育士」の称号が交付される。すべての学部学生が対象である[6] 。
出会いの広場
「出会いの広場」とは、入学して数日後に行われる新入生オリエンテーションである[10] 。鬼怒川 で法学部、国際関係学部、都市創造学部が2泊3日、経済学部が1泊2日の合宿研修を行う。経営学部は学内で3日間実施する。この目的は、新入生同士や上級生・教員と交流し、大学生活での不安を解消させることや、建学精神や歴史、同行する先輩学生である補助学生の経験談を通して学生生活の意義について学び、新たな学生生活が円滑にスタートできるようにすることを目的としている。
部活動・クラブ活動・サークル活動
各団体は学友会諸団体、学術文化連合会、体育会、届出団体に分かれ、亜細亜大学で活動する団体はいずれかに属さなければならない。
学友会諸団体
中央執行委員会をはじめとして、19の団体から構成されている。
学術文化連合会(通称:文連)
文化系団体の連合体であり、27団体(2019年4月現在)が所属している。
体育会
硬式野球部、陸上競技部、テニス部など、体育系の29団体(2019年4月)が所属している。
学園祭・学生イベント
学園祭は「アジア祭」と呼ばれ、毎年11月上旬に3日間程行われる。
体育祭と県人会連合会による「県人祭」が5月、学術文化連合会による「文連祭」が6月に毎年それぞれ行われている。体育祭を除くいずれの祭りも、お笑い芸人 によるゲストライブなどがあり、アジア祭においてはアーティストによるコンサートも開催される。
スポーツ
硬式野球部 は、東都大学野球連盟 に加盟している。東都大学野球リーグで歴代2位タイとなる通算27回の優勝実績がある(2024年現在)。また、多くのプロ野球選手を輩出し、日本プロ野球の主要な潮流の1つを形成する大学野球部として有名である[11] 。
硬式庭球 部・アジア女子ローンテニス 部は、関東1部リーグに所属。年に一度世界大会「Futures」を主催している[12] 。監督、コーチ共に元プロテニスプレイヤー。
陸上競技 部は、岡田正裕 の指導により第82回箱根駅伝 (2006年)で初の総合優勝を果たし、史上14校目の優勝校となった。しかし、2007年3月に箱根駅伝優勝に導いた岡田監督が退任し、その後短期間でコロコロ監督が変わり指導体制が混乱したことや、上武大学 や創価大学 、東京国際大学 といった新鋭校の台頭の影響により、第86回大会(2010年)を最後に本戦出場から遠ざかっている。
セパタクロー 部は、日本国内では数少ない大学セパタクロー部である。
学生歌
第1学生歌と第2学生歌がある。第1学生歌が、事実上の校歌である。
自助と協力を掲げる若者がアジアの勃興と日本民族の団結、平和を歌うものである。義務ではないが各種式典、スポーツ試合の応援、卒業生の会合などで歌う。
大学関係者組織
亜細亜大学の同窓会は、「青々会 」と称して、国内65の地域支部組織のほか、台湾、香港、タイ、韓国、マレーシア、中国、インドネシアなど、海外にも支部組織が広がっている。
卒業生数は約9万人。
武蔵野キャンパス
使用学部:全学部
使用研究科:全研究科
使用附属施設:
敷地面積:47,812.30㎡
交通アクセス
武蔵境駅 北口から徒歩12分、または「武蔵境駅北口」からコミュニティバス(ムーバス )の「境西循環」または「境・東小金井線」で、「亜細亜大学南門(境5丁目)」または、「亜細亜大学南門」下車、小田急バス 「桜堤上水端行(団地入口経由)」で「亜細亜大学北」下車、徒歩1分
日の出キャンパス
使用学部:
使用研究科:
使用附属施設:グラウンドなどを始めとした施設があり、体育施設が主となるキャンパスである。一部授業も行われる。
敷地面積:74,812.30㎡
交通アクセス
出典
亜細亜学園広報誌The Asia 第254号太田耕造先生略歴解説ー夜久正雄教授
“沿革 ”. 亜細亜大学. 2019年4月17日 閲覧。
AUAP, AUEP 亜細亜大学ガイドブック2024
AUGP, AUEP 亜細亜大学ガイドブック2024
AUGP, AUEP 亜細亜大学ガイドブック2024
AUEP, AUCP 亜細亜大学ガイドブック2024
AUGP, AUASP 亜細亜大学ガイドブック2024