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かつて存在した日本のスーパーマーケット ウィキペディアから
ユニード (Uneed) は、かつて九州を中心に、西日本各地にチェーン展開していたスーパーマーケットの店舗ブランド。
ユニードダイエー時代のロゴ 「くらしの夢を育てる」時代のロゴ | |
種類 | 株式会社(1994年3月1日付で消滅) |
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市場情報 |
大証2部(廃止) 8272 1979年9月1日 - 1994年2月22日 |
略称 | ユニード、ユニダイ |
本社所在地 |
日本 福岡県福岡市博多区祇園町7番20号 (渕上店に併設) |
設立 |
1958年8月14日(株式会社丸栄) 1895年(明治28年)創業[1][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットの経営及び指導、不動産の賃貸 |
代表者 |
亀山博光(代表取締役社長) 宗兼浩(代表取締役副社長) |
支店舗数 | 渕上店(本社併設)含む68店舗 |
決算期 | 2月 |
関係する人物 |
渕上久三郎(渕上商店創業者)[1][2] 渕上栄一(株式会社渕上呉服店設立者)[1][2] |
特記事項:内容は1994年の消滅時点。 |
運営会社の株式会社ユニードは、1981年にダイエーグループの傘下に入り、1991年に株式会社ユニードダイエー(英文社名:Uneed Daiei Co., Ltd.)へ商号変更したのち、1994年に株式会社ダイエーへ吸収合併されて消滅した。
1895年(明治28年)に、現在の福岡県福岡市博多区で呉服店「渕上商店(ふちがみしょうてん)」として創業[1][2]、1953年に百貨店「渕上百貨店(ふちがみひゃっかてん)」へ業態転換[1][2]、百貨店の運営会社として株式会社渕上を設立[2]。1958年(昭和33年)にスーパー・マーケット事業へ参入し株式会社丸栄として会社設立、この丸栄がのちユニードへ商号変更した[1][2]。株式会社ユニード、および株式会社ユニードダイエーの本社所在地(本店である渕上店を併設)は、かつて渕上百貨店があった場所である。
本項では前身企業および、ユニードダイエー消滅後の創業者一族・渕上家の商業活動についても記述する。
社名および店舗ブランド「ユニード」の由来は「Unity(統一)」と「Need(必要)」を合わせた造語である[注釈 1]。同業他社のユニーとは、かつて仕入れ会社アイク(後にイオンに買収され消滅)を共同出資していたことを除いて無関係である。
なお社名が類似する企業は多数あり、スーツケース・キャリーケースなど旅行用品専門店のユニード株式会社(東京都江東区、1990年設立[3])、給食委託事業や寮の管理業務を行う株式会社ユニード(富山県富山市、2003年設立[4])などが現存するが無関係である。
上記のような歴史的経緯から、九州地区では、ダイエーの店舗(現:イオン)が「渕上」「ユニード」「渕上ユニード」、またはユニードの店舗ブランド「アピロス」などと呼ばれることがある。[要出典]
1895年(明治28年)に渕上久三郎が当時の普段着である和服販売を主とする呉服店・雑貨店として「渕上商店」を創業[1][2]。第二次世界大戦後に「渕上呉服店」として再興し、1953年に百貨店へ転換して「渕上百貨店」として[1][2]、その運営会社として株式会社渕上を設立した[2]。
1950年代は戦後の物資不足から「作れば売れる・店に並べれば売れる」時代であり、福岡市の中心街で百貨店事業を始めた渕上は成功を収めることとなる[1][2]。その成功から、1958年にはスーパーマーケット事業へ参入し[1][2]、同年にスーパーマーケット運営会社として株式会社丸栄を設立[1]、福岡市西新町に本社を置き[1]、第1号店となる本社併設の西新店を開店した[1](後のダイエー→イオン西新店)。これを機に創業者の渕上一族はスーパー丸栄の店舗を少しずつ拡大していった。
1950年代には日本全国各地でアメリカのスーパーマーケットに範を取ったセルフサービス業態のスーパーマーケットが成長し始めており、のちにイオンとなる岡田屋やフタギ洋品店、あるいはイトーヨーカ堂などが呉服店や衣料品店からスーパーマーケットに転換していった。
渕上一族はこの時点では「渕上・丸栄グループ」、すなわち、百貨店「渕上百貨店」を経営する株式会社渕上と、スーパーマーケットチェーン「丸栄」を経営する株式会社丸栄との2本立てで経営を行っていた。しかし1963年に渕上百貨店が大火災に見舞われ焼失、さらに翌1964年には博多駅ビルに「大光百貨店」を開店したもののほどなく撤退することになった。そのため、1965年に渕上百貨店跡地に百貨店の再建ではなくスーパーマーケット「丸栄」を開店する道を選んだ。ここで明治期以来の百貨店としての歴史を閉じ、スーパーマーケットチェーン「丸栄」へ経営を一本化した。これがのちの「ユニード」の母体となった。[要出典]
1960年代にはアメリカのスーパーマーケットチェーンを視察し、のちにはオーストラリアに作った自社牧場で育てた牛肉を販売するなど先駆的な試みを行い、高度経済成長期には売上1,200億円を超えるスーパーマーケットチェーンへと成長した[1]。
1970年には株式会社ユニードへ商号変更[1][2]。1970年代には九州各地に加えて中国・近畿にも進出して広域展開した[1][2]。1978年(昭和53年)には福岡証券取引所に、翌1979年には大阪証券取引所二部にも上場した[1][2]。また1978年には、祖業であるユニードの呉服売場を分離独立させ「株式会社ゆう苑」として設立したが[1][2]、これがユニードダイエー消滅後の渕上一族による企業「渕上ファインズ」およびグループ会社の母体となる[1][2](詳細は後述)。
なお1973年には、同社初のショッピングセンター業態となる「アピロス」を出店している。[要出典]
そうしてユニードは、積極的な経営戦略と店舗拡大で「九州の雄」とまで言われるようになるが、結果的にはこの非効率な出店戦略が後に仇となる。そして株式上場したものの株価は低迷した。また経営状態も悪化し、この頃には地元の九州では、同じく九州に地盤を置くスーパー・マーケットの壽屋の後塵を拝する状態となっていた。そのため毎年2月末の決算で黒字となるよう、取引先への過剰な値引き交渉を行ったり、対価支払を次の決算期に先送りするなどして経営危機の表面化を回避している状態であった。地場の百貨店から広域展開のスーパーマーケットチェーンへと家業を一代で発展させた渕上栄一であったが、金融機関の後押しもあり、ついに1980年(昭和55年)末には競合関係にあったダイエーの中内㓛と密会し、提携に向けた交渉を始める。[要出典]
ダイエーはユニードの統合以前に、1963年(昭和38年)に株式会社フクオカダイエーを設立し、福岡市天神を皮切りに九州進出した。1969年(昭和44年)に株式会社ダイエーがフクオカダイエーを吸収合併して以降は、九州地区のダイエーも株式会社ダイエーが直営していたが、1980年(昭和55年)11月に株式会社九州ダイエーを再度設立し、翌1981年(昭和56年)5月に九州地区のダイエーは九州ダイエーに譲渡された[注釈 2]。株式会社九州ダイエーの設立は、ユニードをダイエーグループ入りさせた上で、九州地区のダイエーの店舗をユニードの元で営業させるための準備であったとされる。[要出典]
一方でユニードは、1981年(昭和56年)2月末時点で10億円もの赤字が出る試算であり、上場以来初の赤字決算となる見込みとなった。そこでユニードはダイエーへの統合を少しでも有利に運ぼうとの思惑から、外商で赤字を解消するという「奇策」を実行した。従来はテレビやエアコンなど、単価が高く「一家に一台」の商品を外商販売の主力としてきたが、しかしそれで10億円の利益を得るのは困難と考え、長崎屋がフランスベッドの羽毛布団を1年間で10億円売り上げたことをヒントに、単価が低く「一人に一枚」の羽毛布団を外商販売の主力に据えてフランスベッドと協力し、1981年(昭和56年)の1月と2月の2か月間で羽毛布団を20億円売り上げることを決めた(この20億円は、納入価格を定価の50%として20億円売り上げることで、その50%である10億円がユニードの利益となるものである)。そして各店舗間で販売手法を伝授し合い、売上額を競争させた結果、実際に2か月間で21億円以上を売り上げることに成功した。[要出典]
しかし1981年5月23日、公正取引委員会は、九州ダイエーとユニードの合併について「独占禁止法違反」との見解を示した。これは合併後の販売額シェアが福岡県内と長崎県内において25%を超えることが分かったためとして、25%を超えないよう一部店舗を他社へ譲渡するか、ダイエーが(合併後の)ユニード株保有率を引き下げることを求めるものであった。これに対しダイエーの中内㓛社長は、シェア25%で区分する理由が不明確であり、将来的に流通業界再編を阻害する要因になりかねないとして抵抗しつつも、合併を計画どおり進めるために合併自体は計画どおり行うが、合併後にダイエーがユニード株を一部売却することを表明した上で、1981年(昭和56年)6月10日に合併契約書に正式調印した。[要出典]
そして1981年(昭和56年)9月1日付でユニードと九州ダイエーは対等合併した[1][2](合併比率は1:1、存続会社はユニード、資本金は21億4000万円)。
また、ユニードは九州ダイエーとの合併前に、ジャスコ(現:イオン)・ユニー・イズミヤ・忠実屋と、仕入れや開発を共同で行う会社「アイク」を設立しグループを形成していたが、合併を機にアイクグループを離脱することになった[注釈 3][要出典]。
九州ダイエーとの合併後、1987年(昭和62年)には、ユニード創業者の渕上栄一が代表取締役社長を退任し、代わってダイエー出身の平山敞が社長に就任した。ユニード社長を4年間務めた平山は、ダイエーの手法を導入しつつユニードの経営を立て直した人物として語られることもある。なお平山は1991年(平成3年)、中内功が自身の後継を模索する中でダイエーの代表職を身内で固めた人事の末にダイエーを追放され独立するが、その後、中内が退任した2001年(平成13年)に代表取締役副社長としてダイエーに戻り、ダイエーの経営再建を手がけているほか、数々の企業の経営再建実績がある。また1988年(昭和63年)10月のプロ野球南海ホークス買収も、当初はユニードが有力買収先と報じられ「福岡ユニードダイエーホークス」となる予定とみられていたが、ユニードの経営難からダイエーが買収し、福岡ダイエーホークスとなった。[要出典]
九州ダイエーとの合併当初は、ユニード店と旧ダイエー店とでそれぞれ従来どおりの営業であったが、少しずつダイエー式の手法に一本化されていく。合併以後に開店した店舗もしばらくは「ユニード」や「アピロス」の店舗ブランドでオープンしたが、これらも既存店舗ともども、ダイエー式の「ダイエー」「ショッパーズ」さらには「グルメシティ」「トポス」などに改称されていった。そして株式会社ユニード自体も、九州ダイエーとの合併から10年後の1991年(平成3年)9月1日付で株式会社ユニードダイエーへ商号変更した。[要出典]
そしてその3年後となる1994年(平成6年)には、ダイナハや忠実屋とともにダイエーに吸収合併され、株式会社ユニードダイエーは消滅した[1]。
渕上一族にとっては、自ら創業したユニードを事実上ダイエーに奪われる結果となったが、それでも社長の渕上栄一をはじめ創業者一族は決して代表権を返上せず、あくまで「渕上ユニード」を維持し続けた。しかしそれにも限界があった。
前述のとおり、ユニードがダイエーと提携を始める以前の1978年には、ユニード店内にあった呉服売場を株式会社ゆう苑として分離独立させていた[1][2]。ユニードがダイエー傘下になってからは、渕上のルーツであり創業のアイデンティティである呉服事業を本格的に再開させ、株式会社ゆう苑が渕上一族の事業の中心になっていく[1][2]。
株式会社ゆう苑はさらに、1985年には福岡冠婚葬祭互助会を買収し、株式会社ゆう苑ファミリーとして葬祭業へ進出した[2]。1990年代以降は株式会社ゆう苑ファミリーが福岡県内各地に斎場を建設していった[2]。
しかしバブル崩壊により景気悪化が続く中で呉服商の事業は厳しさを増し、そうした中で渕上一族は呉服商としての歴史を活かせる婚礼衣装レンタル業に着目した[1]。1995年に当時の福岡県で客室最多のホテルとして開業したシーホークホテル&リゾート(現:ヒルトン福岡シーホーク)の結婚式場の衣装室に当時の社長であった渕上徹彦が関わることとなり、ホテル開業前年の1994年から婚礼衣装事業を本格的に開始する[1]。そして呉服業からウエディングドレスといった洋装への転身を図り、同年には福岡市の天神西通りへのブライダル店舗を出店、店舗ブランドを「ゆう苑」から「JUNO」へ改称した[1]。また、1996年には株式会社ゆう苑の葬祭事業部門を分離独立させ、葬儀事業に特化した100%子会社として株式会社彩苑[5]を設立している[1]。
2004年には株式会社ゆう苑から株式会社渕上ファインズへ商号変更[1]。翌2005年には株式会社ゆう苑ファミリーを株式会社彩苑へ商号変更した[2]。
渕上ファインズは2010年代には全国進出を開始し、2012年には東京都へ進出、2015年には銀座に同社初となる首都圏での大型店舗を開店した[1]。その後も2021年には神奈川県に「JUNO横浜」、大阪府に「JUNO大阪」を開店、2022年には広島県に「JUNO広島」を開店している[1]。
なお1990年、渕上栄一・亀之助・禮藏の3兄弟が財団法人渕上育英会を設立したが、当時は3人ともすでにユニードを離れていたため、同法人はユニードではなく株式会社ゆう苑の関連団体として設立された。公益法人制度改革により現在は公益財団法人渕上育英会となっており、事務局を株式会社渕上ファインズ内に置き、福岡県内の大学で学ぶアジア・アフリカ諸国からの留学生に援助を行っている[9]。
また、株式会社ゆう苑の設立時の主力事業であったきもの宝飾部門(1978年にユニードから譲受した呉服売場と、1980年に開始した宝飾品部門)については、2004年に株式会社九州さが美(後の株式会社白水)に譲渡している。[要出典]
本節では、渕上・丸栄→ユニードが出店した店舗について記述する。ここでは1981年(昭和56年)8月31日以前に株式会社ダイエー、株式会社フクオカダイエー、株式会社九州ダイエーが開店した店舗は含まない。
店舗によっては、別称として「(ユニード)○○ショッピングバザール」[注釈 6]という店舗ブランドを用いていたところもあり、このブランドを用いていた店舗の大半は建物が2階建て以上の中・大規模店舗であった。この店舗ブランドは現存しないが、大規模小売店舗法での届出名や登記の名義が変更されないまま更新(承継)されているものも少なくなく、現在も当該自治体の公告などでこの表記を確認することができる。
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