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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は、日本の元プロサッカー選手、YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシングハーフ)。守備的ポジションであればどこでもこなせるユーティリティプレイヤーであった。
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高木豊のYouTubeチャンネル(2020年4月) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | 大ちゃん | |||||
カタカナ | ナス ダイスケ | |||||
ラテン文字 | NASU Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年10月10日(43歳) | |||||
出身地 |
鹿児島県南さつま市 (神奈川県横浜市生まれ[1]) | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | 枕崎市立枕崎中学校 | |||||
1997-1999 | 鹿児島実業高校 | |||||
2000-2001 | 駒澤大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2007 | 横浜F・マリノス | 119 | (6) | |||
2008 | 東京ヴェルディ | 32 | (1) | |||
2009-2011 | ジュビロ磐田 | 100 | (7) | |||
2012 | 柏レイソル | 23 | (0) | |||
2013-2017 | 浦和レッズ | 117 | (15) | |||
2018-2019 | ヴィッセル神戸 | 9 | (0) | |||
2022 | アルビレックス新潟バルセロナ | 1 | (0) | |||
2023 | いわてグルージャ盛岡 | 1 | (0) | |||
通算 | 402 | (29) | ||||
代表歴 | ||||||
2000-2001 | 日本 U-20 | 0 | (0) | |||
2002-2004 | 日本 U-23 | 2 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2021- | WINNER'S | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年9月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
神奈川県横浜市生まれ[1]、鹿児島県枕崎市出身。鹿児島実業高等学校、駒澤大学文学部地理学科卒業[2]。
高校の同期に松井大輔、2学年上に遠藤保仁、1学年下には田原豊、上本大海、2学年下には赤嶺真吾らがいた。
駒澤大学2年生の時に全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献。年代別カテゴリーの日本代表に選出される[3]。
2002年、大学3年時に大学生Jリーガーとして横浜F・マリノスに入団[4]。1年目は出場1試合にとどまった。
2003年、横浜FM監督に岡田武史が就任。中盤でのアンカー役となれる選手を求めていた同監督は、2002年に浦和レッズで現役引退したマリノスOB・井原正巳の推薦の下、浦和から獲得した河合竜二を起用しようとした。しかし河合のコンディションが万全ではなく、苦肉の策としてセンターバックの那須を起用することを決定。このコンバートが那須にとって重要な転機となった。
与えられたポジションは本職ではなかったが、持ち味であるディフェンス力でチームに貢献。試合出場を重ねる中で、チームの中心選手へと成長を遂げた。当時の日本代表エースである久保竜彦を獲得し優勝を目指していたチームにおいて、J1完全制覇の立役者となっただけでなく、自身も新人王のタイトルを獲得した。
2004年、横浜FMは浦和とのチャンピオンシップ(CS)に出場。2試合合計1-1(PK4-2)で勝利し、J1連覇を飾った。しかし、CS直前に負傷した那須はベンチでチームの優勝を見届ける形となった。これ以降は横浜FMにおいてプレーの幅を広げるなど成長を遂げ、中澤佑二、松田直樹、河合竜二、栗原勇蔵らJ屈指のDF陣を擁するチームにおいて厳しいポジション争いの中で力を磨いていった。
2007年は新しく監督となった早野宏史の下で重用され、CB、SB、ボランチと多くのポジションで起用されたが、中でもSBとしての起用が多く、左SBが本職である小宮山尊信、田中裕介、右SBの田中隼磨らを差し置いての起用であった。だが、本職のCBとして代表を目指したい那須は移籍を模索。シーズン途中にFC東京からレンタル移籍のオファーが届いた際には、横浜FMに残る決断をした。
2007年シーズン終了後の2008年1月11日に東京ヴェルディへの完全移籍が発表された。東京Vではキャプテンを任される試合もありレギュラーとして奮闘するも、自身初となるJ2降格を経験した。
センターバックの若返り策を進めていたジュビロ磐田のオファーを受け、2009年に完全移籍で加入。主力選手として躍動し、2010年シーズンからは磐田の主将を務めた。
2012年より柏レイソルに移籍[5]。柏では近藤直也や増嶋竜也がCBとして出場した際は両SB、両者の欠場時にはCBを務めるも、リーグ戦での出場は23試合と5年振りに30試合を下回る結果に終わった。一方、天皇杯準々決勝の大宮アルディージャ戦では、試合途中にボランチから右SBにポジションを変更し、後半ロスタイムに工藤壮人の逆転ゴールをアシストするなど、全6試合中5試合に先発出場。柏レイソルとしては初となる天皇杯優勝に貢献した。
2013年1月5日、浦和レッズに完全移籍[6]。
開幕直後はACLでは先発出場、J1ではゲーム終盤で守備固めとしてボランチでの出場が続いていたが、3月30日アルビレックス新潟戦で怪我の永田充に代わって途中出場して以降、センターバックのレギュラーに定着。ACL予選第6節ムアントン・ユナイテッドFC戦からJ1第12節サガン鳥栖戦まで、自身初の公式戦4試合連続得点を記録した。
最終的にリーグ32試合でチーム3位の9ゴールと、それまで自己最多であった3ゴールを大きく更新する活躍を見せ、自身初となるJリーグベストイレブンに選出された。2016年からは遠藤航の加入もあり出場機会が激減しベンチを温める状況が続いたが、遠藤の不在時等に出場し健在ぶりをアピールした。
2018年よりヴィッセル神戸に完全移籍[7]。11月24日に行われたJ1第33節・清水エスパルス戦に途中出場し、23人目となるJ1リーグ400試合出場を達成[8]。
2019年12月16日、自身のYouTubeチャンネルにて2019シーズン限りでの現役引退を発表[9][10]。2020年1月1日、国立競技場のこけら落としとして行われた天皇杯決勝で鹿島アントラーズを破り、神戸はクラブ初のタイトルを獲得した。那須はベンチ外であり、その試合をもって18年間の現役生活を終えた。
カタルーニャ州4部リーグにて1試合限りの現役復帰を果たした。 尚、試合は2-2の引き分けであった。 那須が監督を務めているwinnersの選手でありTikTokやYouTubeで活躍しているウンパルンパも共に試合に出場した。引退後は監督やコーチ業に携わりたい思いがありつつも、選手を育てるよりもサッカーそのものの人気を広げるため、YouTuberとして活動している[11]。引退発表から数日後の2019年12月26日にはチャンネル登録者数が10万人を突破している[12]。
2022年2月23日開幕「2022 Jリーグ YBC ルヴァンカップ」30回大会を記念した大会アンバサダーに中村憲剛、佐藤寿人と共に就任[13]。
2023年8月15日、J3・いわてグルージャ盛岡に加入、現役に復帰した[14]。なお、自身のYouTubeで加入期間は8月15日から19日の1週間だと述べている[15]。
8月19日に開催された明治安田生命J3リーグ23節愛媛FC戦において、後半37分から途中出場した。後半ロスタイム4分には、右サイドのスローインをバックヘッドでFW佐藤未勇につなぐと、佐藤がそのままペナルティーエリア内に進入。佐藤が倒されてPKを獲得した。MF中村充孝がこれを決めて土壇場で同点に追いついた[16]。
2004年初頭、アテネオリンピックを目指すU-23日本代表に招集。積極的にチームを引っ張り、新たに招集された田中マルクス闘莉王のお目付け役ともなった。3月に行われた、アテネオリンピック予選では、第4節のバーレーン戦で途中交代した鈴木啓太の代わりにキャプテンマークを巻き、第5節のレバノン戦では出場停止だったものの、最終節のUAE戦では先制点を挙げ、チームの予選突破に貢献。本大会直前には、山本昌邦監督からキャプテンに指名された[17]。
しかし、現地ギリシャ入り後にコンディションを崩し、本大会初戦のパラグアイ戦で失点に直結する致命的なミスを犯し、前半のみで交代。2戦目のイタリア戦では、2点ビハインドの前半18分、負傷した徳永悠平に替わり途中出場。駒野友一と入れ替わる形で左SBに入るも、日本は2-3で敗れた。最終戦となったガーナ戦は起用されず、不完全燃焼に終わった。それ以降は代表に選出される事はなかった。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 駒大 | 4 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2002 | 横浜FM | 36 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 |
2003 | 26 | 29 | 2 | 6 | 0 | 3 | 0 | 38 | 2 | ||
2004 | 24 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 28 | 1 | |||
2005 | 4 | 29 | 2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 34 | 3 | ||
2006 | 16 | 1 | 9 | 1 | 3 | 0 | 28 | 2 | |||
2007 | 18 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | |||
2008 | 東京V | 5 | 32 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 39 | 1 | |
2009 | 磐田 | 6 | 34 | 1 | 6 | 0 | 3 | 1 | 43 | 2 | |
2010 | 33 | 3 | 11 | 0 | 2 | 0 | 46 | 3 | |||
2011 | 33 | 3 | 5 | 1 | 1 | 0 | 39 | 4 | |||
2012 | 柏 | 23 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 31 | 0 | ||
2013 | 浦和 | 4 | 32 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 37 | 9 | |
2014 | 32 | 3 | 4 | 1 | 2 | 0 | 38 | 4 | |||
2015 | 30 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 34 | 2 | |||
2016 | 14 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 17 | 1 | |||
2017 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
2018 | 神戸 | 2 | 9 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 | |
2019 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
2023 | 岩手 | 55 | J3 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 400 | 29 | 81 | 4 | 31 | 1 | 512 | 34 | |
日本 | J3 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 401 | 29 | 81 | 4 | 33 | 1 | 515 | 34 |
その他の公式戦
その他の国際公式戦
出場歴
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