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日本のサッカー選手 (1982-) ウィキペディアから
田中 隼磨(たなか はゆま、1982年7月31日 - )は、長野県松本市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはMF(右ウイングバック、右サイドバック)、ディフェンダー(右サイドバック)。元日本代表。
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名前 | ||||||
愛称 | ハユマ、ハユ | |||||
カタカナ | タナカ ハユマ | |||||
ラテン文字 | TANAKA Hayuma | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年7月31日(42歳) | |||||
出身地 | 長野県松本市[1] | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション |
MF(RWB、RSH) DF(RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1997 | FC松本ヴェガ | |||||
1997-1999 | 横浜フリューゲルスユース | |||||
1999-2000 | 横浜F・マリノスユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2008 | 横浜F・マリノス | 168 | (10) | |||
2002-2003 | → 東京ヴェルディ(loan) | 26 | (2) | |||
2009-2013 | 名古屋グランパス | 161 | (3) | |||
2014-2022 | 松本山雅FC | 215 | (4) | |||
通算 | 570 | (19) | ||||
代表歴2 | ||||||
2006 | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月22日現在。 2. 2006年8月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
桑田真澄のファンで野球をしていた父親は隼磨を野球選手にしたいと考え、小学校1、2年は足腰を鍛えるためにサッカーを、3年生からは野球をさせていた。しかし、小学校6年の時に肩を痛めたことでサッカーに転じる。中学時代は当時長野県の少年サッカー界に君臨したFC松本ヴェガでプレーした。
卒業後は単身横浜フリューゲルスのユースに加入、横浜Fの解散後は横浜F・マリノスユースへ移籍した。当時は金子勇樹とのコンビで中盤の底を務め、豊富な運動量でクラブユース選手権優勝に貢献。高円宮杯、Jユースカップでも3位、更にユースチームが天皇杯予選の決勝まで進出するなどの活躍に貢献し、トップチームにも2種登録選手として出場した。坂田大輔は横浜Fユース時代からの同期。
横浜商大高卒業後、トップ昇格した2001年はチームの補強の失敗により新人ながら多くの試合に出場する機会を得たものの結果を出せず、第2ステージ以降の緊急補強で出番を失った。翌2002年も出番が少ないことから6月にレンタル移籍で東京ヴェルディ1969に移籍した。東京Vでは、ロリ・サンドリ監督が田中のポジションをボランチから右サイドにコンバートし、これがうまくはまったことから一気にレギュラーを獲得した。
2004年に横浜FMに戻ったときには、当時右サイドのレギュラーだった佐藤由紀彦の怪我をきっかけにポジションを奪い、チームの不動の右サイドとして中心選手になる。2006年は序盤こそ吉田孝行の加入によりベンチスタートに甘んじる時期もあったが、即座にレギュラーを取り戻し、同年トリニダード・トバゴ戦で日本代表に初選出された。2007年1月、フランスリーグ1のASサンテティエンヌの練習に参加した。
2009年1月、ユースから10年間所属していた横浜FMから3年契約の完全移籍で名古屋グランパスに移籍した。名古屋移籍後は右サイドバックのレギュラーを確保している。
2010年は累積警告による出場停止1試合を除く33試合に先発出場した。2013年は全試合に出場したものの、同年限りでの退団が発表された。
2014年1月6日、地元のチームである松本山雅FCへ加入[2]。背番号は先輩の松田直樹が付けていた3番となる[3]。松本のJ1昇格に貢献し、J2で一番活躍した選手に贈られるJ2 Most Exciting Playerを受賞した。
2016年、右目がほぼ見えない状態となり6月に「右眼裂孔原性網膜剥離」と診断され手術を受けた[4]。術後2週間は一日中ベッドでうつ伏せのままでの絶対安静という状況を乗り越え、8月19日に医師に完治との診断を受け[5]、9月11日のJ2リーグ第31節京都戦にて復帰、フル出場を果たした[6][7]。
2018年シーズンは、開幕から3試合連続で右サイドのレギュラーとして出場するも、チームがスタートダッシュに失敗し、自身も控えに回る事となった。しかし、9月1日の水戸ホーリーホック戦でスタメン出場し、その試合で大事な同点ゴールを挙げると、この試合以降全試合フル出場を果たしている[8]。その活躍もあり、チームは4年ぶりのJ1昇格を果たした。
2022年11月17日に現役引退を発表[9]。そして3日後、現役最後となった試合(相模原戦)では終盤に交代でピッチに入り、チームの決勝ゴールに繋がるロングパスを供給した。試合後の引退セレモニーでは、この年でチームが年間4位に終わりJ2復帰を果たせなかったことから、スピーチで「(サポーターの)皆さん、選手を甘やかしてはいけない。ダメな時はダメだと表現してください」等と訴えながら、自身に山雅の流儀を叩き込んでくれたサポーターに感謝の気持ちを伝えた[10]。
2023シーズンより松本山雅FCのエグゼクティブアドバイザーに就任し[11](同年12月をもって辞任[12])、10月にJリーグ功労選手賞を受賞することが発表された[13]。
アテネオリンピック代表候補時代、持久力の指標となるVMAテスト(有酸素運動時における最大スピード測定)で25本という記録をマークしている。これは当時日本代表選手でトップのスタミナを持っていた加地亮の記録(23本)を超える、サッカー日本代表の全世代を通じての最高記録[14]。田中も自身の持久力について「僕の持ち味」と語っている。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 横浜FM | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 |
2001 | 20 | 16 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | ||
2002 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | ||||
東京V | 31 | 16 | 2 | - | 0 | 0 | 16 | 2 | |||
2003 | 7 | 10 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | ||
2004 | 横浜FM | 17 | 23 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 30 | 1 | |
2005 | 7 | 31 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 36 | 1 | ||
2006 | 34 | 5 | 9 | 2 | 1 | 0 | 44 | 7 | |||
2007 | 32 | 2 | 9 | 0 | 2 | 0 | 43 | 2 | |||
2008 | 32 | 1 | 8 | 1 | 4 | 1 | 44 | 3 | |||
2009 | 名古屋 | 32 | 29 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 37 | 0 | |
2010 | 33 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 41 | 0 | |||
2011 | 34 | 1 | 2 | 0 | 5 | 0 | 41 | 1 | |||
2012 | 31 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 35 | 1 | |||
2013 | 34 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 39 | 1 | |||
2014 | 松本 | 3 | J2 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | |
2015 | J1 | 34 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 40 | 0 | ||
2016 | J2 | 28 | 1 | - | 0 | 0 | 28 | 1 | |||
2017 | 40 | 1 | - | 1 | 0 | 41 | 1 | ||||
2018 | 23 | 2 | - | 2 | 0 | 25 | 2 | ||||
2019 | J1 | 31 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 34 | 1 | ||
2020 | J2 | 18 | 0 | 1 | 0 | - | 19 | 0 | |||
2021 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | ||||
2022 | J3 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 420 | 15 | 64 | 3 | 37 | 2 | 521 | 20 | |
日本 | J2 | 149 | 4 | 1 | 0 | 4 | 0 | 154 | 4 | ||
日本 | J3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
総通算 | 570 | 19 | 65 | 3 | 41 | 2 | 676 | 24 |
その他の公式戦
その他の国際公式戦
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2006年08月09日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ○2-0 | イビチャ・オシム | キリンチャレンジカップ |
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