Loading AI tools
長距離かつ精密な射撃を行うための専門の要員 ウィキペディアから
狙撃手(そげきしゅ)とは、標的から長距離を隔てて狙撃銃などの銃で狙撃を行う為に専門的な訓練を受けた要員である。
狙撃手は、軍事組織・準軍事組織に所属する歩兵である者 (military sniper) と、警察などの法執行機関に所属する者 (police sniper) に大別される。
スナイパー (sniper) とも呼ばれ、選抜射手 (designated marksman) などの精密射撃を行う各種要員を含めて広義に用いられている。
確認されている限り、英語で「狙撃手」を意味する"sniper"という単語は18世紀後半に駐印英国武官が本国に宛てて送った書簡内に登場するものが最古で、この書簡では単に「狩猟の名人」を指す言葉として用いられている。その語源となったのは、野鳥のタシギ (snipe) であった。タシギはその性質や逃亡時の飛行パターンから、当時の狩猟用銃器の精度水準では仕留めることが困難だったため、タシギ猟を他の鳥類の狩猟と区別して"snipe shooting"と呼び、これが略称となって"sniping"として定着し、そこからタシギを上手く仕留められるほど優れた猟師のことを"sniper"と呼ぶようになったとされている[4]。
かつて、英語圏において弓矢や銃などの投射兵器で精密射撃を行う兵士を指して用いられていた言葉は、主に"sharpshooter"(射撃の名手)であった。「狙撃手」としての"sniper"という単語は、第一次世界大戦期に新聞などの報道機関が"sharpshooter"や"marksman"(選抜射手)をまとめて指す言葉として用い、これが定着したものである[5]。
軍隊や警察による狙撃は、原則として専門の訓練を受けた狙撃手によって行われる。狙撃が行われる状況は様々だが、共通していることは適切な位置まで移動して待ち伏せを行い、相手に悟られずに狙いを定めて、少数の弾丸で目標の敵や犯罪者を確実に殺害あるいは無力化することにある。
狙撃手を狙撃に専念させる為に、周囲の状況把握や命令伝達、場合によっては接近する敵の排除などを受け持つ観測手(スポッター、オブザーバー)とペアを組んで活動する。この観測手は狙撃手としての技術を持つ人員が担当する。これにより意思疎通がスムーズにでき、互いに役割を交代する事で負担を分散できるようになる。変則的な例として、狙撃手に汎用機関銃手と小銃射手を加えた3人チームで行動していたセルビア紛争の事例がある。これを目撃した傭兵の高部正樹は、注意力の維持や負担の軽減のみならず、装弾数や連射力に乏しい狙撃銃の火力を補い、広範囲に対処できる極めて有効な戦術だったと述べている。
狙撃銃は軍用あるいは民生用ライフル銃の量産品から精度の良い個体を選び出し、スコープ照準器などの追加装備を施した物が使用されていたが、近年では当初から狙撃専用に開発された製品も存在する。精度の問題から、従来は一発必中を求めてボルトアクション方式ライフルが主に用いられたが、近年では、ミュンヘンオリンピック事件の影響などで、射撃精度を犠牲にしても、第2弾を素早く発射できるセミオートマチック方式ライフルの製品も増えている。戦間期から第二次世界大戦にかけては自動小銃を狙撃に用いる構想も一部の国では存在した。継続的に至近弾を送ることによる制圧効果を期待してのものだったが、戦後一般の小銃手にも広く自動火器が配備されたことで廃れた。
軍事行動での狙撃手は必然的に身を隠すことになり、高度なカモフラージュの技術を求められる。目立ちにくい色の服や迷彩服を着用し、その上からさらにギリースーツと呼ばれる植物を模した覆いを被ったり、植物を身に巻くなどの工夫がある。これは敵に、「何処からともなく撃たれる」という心理的な圧力を与えることも期待している。
基本的に観測手を伴って行動し、単独では困難な、長距離射撃における射弾の観測と修正を担当させる。観測手は経験を積んだ狙撃手が担当し、狙撃手への射撃の指示や射弾の修正量の計算は観測手が行う。また移動の痕跡が少なく敵に発見されにくいことから、斥候(偵察兵)としての任務を兼ねる場合がある。このため軍隊の狙撃手と観測手には、敵情を正確に判断、把握する能力や記憶力なども要求され、目標排除のために必要であれば航空支援、火砲による支援砲火の要請、巡航ミサイルなどの精密誘導兵器の標定、誘導なども任務に含められることがある。
ベトナム戦争時、アメリカ軍の狙撃手カルロス・ハスコックが敵司令官を追って長時間匍匐で移動し、発見されることなく暗殺に成功したが、この際、ハスコックは屎尿を全てズボンの中に垂れ流しにしていた。生物として回避できない排泄であっても、痕跡を抹消することを優先したこの行為は、狙撃兵の任務を表す一例として引用されている[6]。
軍事行動の場合、狙撃手の基本的な任務は脅威度の高い目標の排除となる。敵狙撃手を探知及び排除するカウンタースナイプ任務なら優先目標となるのは敵の狙撃手であり、この他に対戦車兵器の射手、機関銃手など、その場での脅威度が高い物が目標となりうる。
また、指揮系統や部隊運用能力の麻痺を狙って、代替の困難な高級将校や通信兵、衛生兵を狙う狙撃がある。これを避ける為、兵士と将校が同じスタイルの軍服を着用するようになり、将校に対する敬礼が省略されて、階級の上下を問わず先に敬礼された方が答礼を返す方式となった。また所持品や装備の面でも、双眼鏡や拳銃、マップケースなど、一目で将校と分かる特徴は出さないように工夫され、ベトナム戦争以降のアメリカ軍では、階級章の材質を高級将校も兵士も同じにするなど違いを目立たせない工夫が図られるようになった。
敵兵士に強いプレッシャーを与えて敵の進行を遅らせる遅滞戦闘を目的とする狙撃はカウンタースナイパーと呼ばれ、たった1組の狙撃兵によって敵部隊を1つ足止めするといった大きな効果を現すことがある。この場合、負傷者を出して手当てに人手を割かせるため、あえて止めを刺さないなど長期的な影響を狙った選択が行われる事がある。
狙撃による攻撃を受けた場合、狙撃手はカモフラージュによって位置を隠蔽しているため、大まかな位置を割り出した後は火砲や迫撃砲による砲撃か、航空隊による空爆を用いて、目標一帯を面制圧するような大規模な手段を用いる場合が多い。市街地など砲爆撃が行い難い場所においては、多数の兵士を投入して数で制圧する対処法がある。
多数の兵士が交錯する集団戦では誰の攻撃が味方を殺害したのか判別が難しいのに対して、狙撃兵は単独もしくは少数で行動しているため、殺害者を特定した上での報復として、捕虜となった狙撃兵が虐待、殺害されることもあった。また、第二次世界大戦において連合軍上陸後のフランスでは、居残ったドイツ軍狙撃兵が手持ちの弾丸を使い切るまで連合軍兵を射殺し続けた後に投降してくることがあり、「投降する前に殺せ」という命令を下した指揮官もおり、一般部隊の兵士には狙撃を卑怯とする風潮もあった。味方からも畏怖まじりの賞賛を受ける一方で、精神的嫌悪感や、敵の強烈な報復攻撃などの厄介事を招き込みかねないため、疫病神扱いされる事もある。
帝政ロシア軍やソ連軍、第二次世界大戦前後の時期のポーランド軍には、狙撃師団あるいは狙撃兵師団と呼ばれる部隊が存在していた。これは日本陸軍が ロシア語: стрелковая дивизия や ポーランド語: dywizja strzelcowという呼称を翻訳するにあたり、従来「歩兵」と訳してきた語と区別する為に造語したものとされる。原語に忠実に訳せば「射撃師団」のような意味合いで、従来の戦列歩兵(重装歩兵)とは対照的な散兵戦術を用いた軽歩兵に相当する。したがって、いわゆるスナイパーで構成された部隊という意味ではなく、実態としては近現代的な歩兵師団と変わるところはない。同様の理由から、ソ連軍やロシア連邦軍の機械化歩兵にも、日本語では「自動車化狙撃兵」との訳語が用いられる。
確認されている戦闘中の狙撃の最長距離記録は、イギリス陸軍ブルーズ・アンド・ロイヤルズのクレイグ・ハリソン近衛騎兵軍曹が達成したものである。2009年11月、アフガニスタンのヘルマンド州ムサ・カラ県でハリソン軍曹はL115A3を使ってタリバンの機関銃手を2,475メートルの距離から二名続けて射殺した[7][8]。QTU Lapua外部弾道学ソフトウェア[9]は、Lapua[10]から提供されるドップラー抵抗係数(Cd)の連続データを用いて、その射撃は滞空時間約6.0秒で2,475m飛んで、運動エネルギーの93%を失って、初速936m/sから255m/sに減速し、当初の射線から121.39mもしくは2.8°落下して、標的に当たると予測した。かなりの長距離と滞空時間であるが故に、2.7m/sのわずかな横風でさえも、その射撃を標的から9.2mも偏流させ、その補正が必要となる。計算では水平射撃シナリオを想定し、16.2 g (250 gr) Lapua LockBase B408弾を装填したイギリス軍特注の高圧 .338 Lapua Magnumカートリッジを使い、銃口初速936m/sで発射された[11]。同地の2009年11月の(平均的な)大気条件は:海面更正気圧1019hPa、現地気圧899hPa、湿度25.9%、気温15℃ [12]であり、これでムサ・カラでの標高1043mにおける空気密度ρ = 1.0854 kg/m3となる。
ハリソン近衛騎兵軍曹は、環境条件は長距離狙撃にとっては完璧で、無風、好天、良好な視程であったと報告書で述べている。BBCのインタビューで、ハリソンは観測手とペアで標的に最初に着弾するまでに約9発撃たねばならなかったと述べている。
2017年6月23日、カナダ軍特殊部隊は、狙撃兵が3540メートル離れた距離から、マクミランのライフル銃「TAC-50」を使用し、過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の戦闘員を狙撃することに成功したと発表した。狙撃成功は世界最高記録となる[13]。
警察行動での狙撃ではほとんどの場合、絶えずその発砲の適法性を入念に検証される。特に犯人の間近に人質が存在する場合、その保護のため目標の確実な無力化が求められる。犯人射殺に至るか行動不能に留めるかは状況によって異なるが、警察活動における狙撃には「命を救うために命を奪うことを覚悟すべし」[14]という格言もある。確実を期するために可能な限り目標に接近して行われ、複数の射手が同時に行動する場合もある。射界を広く取ることで、全体の状況を監視する役目を負うこともあるため通常は高台や周囲を見渡せる場所などへ配置される。また、ヘリコプターに搭乗して上空から狙撃を行うこともある。
警察の狙撃手は軍隊の狙撃手とはその任務や戦術を含めて多くの点で異なる。警察の狙撃手は警察活動の一環として、通常は比較的短期の任務を行うことが多い。警察が狙撃手を用いるのは主に人質事件の場合である。これらの点で、大規模な部隊の一員として戦場で交戦する軍隊の狙撃手とは異なる。SWATなどの特殊部隊の一員として、警察の狙撃手は交渉人や近接戦闘訓練を受けた突入部隊と共に配備される。警察官として、彼らは生命に対する直接的な脅威がある場合の最後の手段としてのみ射撃するよう訓練されている。警察の狙撃手は通常は軍隊の狙撃手に比べて近距離で射撃することが多く、一般的に100メートル以内である[15]。警察の狙撃手は、人質を盾にして顔が半分しか見えていないような犯人の脳幹を正確に撃ち抜いて即死させなければならず、許容誤差も2センチメートル程度しか認められていないため、軍隊の狙撃手に比べて精度の高い射撃を行い、一発で射殺することが求められる[15]。したがって、警察の狙撃手は100メートルで2センチメートルの精度を要求される[15]。
狙撃装備を持たない警察部隊はSWATなどの特殊部隊に頼ることがある。そうした特殊部隊には専門の狙撃手がいる場合もある[14]。いくつかの警察の狙撃部隊は、その運用当初、軍隊の援助を受けて始まったものもある[16]。警察の狙撃手は、イベント警備の際に、たとえば高層ビルなどの有利な位置に配置されることもある[17]。
ある事件では、米国オハイオ州コロンバス警察部SWATの狙撃手マイク・プラムが、自殺志願者の男が手に持っていた拳銃を狙撃して打ち落とし、彼を傷つけることもなく、自殺を防いだ[18]。
警察における狙撃手の専門的な訓練の必要性は、1972年のミュンヘンオリンピック事件において明らかになった。ドイツ警察は、この事件の最終局面である空港での立て籠もりの期間中、専門的な警察官や装備を配備することができず、結果的にイスラエル人の人質全員が殺害された。ドイツ警察には通常の警察官しかいなかった。一方、1972年時点でドイツ軍には狙撃手がいたが、ドイツ陸軍の狙撃手をこの事件で用いることはドイツ憲法が国内事件に軍を用いることを明示的に禁止しているため不可能であった。この事件に対する取り組みとして、後に国境警備隊の隷下にテロ対策特殊部隊GSG-9が設立されることになる。
狙撃が要人暗殺や連続殺人などの手段に用いられ、重大な事件や、テロリズムに発展した事例が存在する。
ジョン・アレン・ムハンマド
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
ジョン・アレン・ムハンマド John Allen Muhammad | |
---|---|
陸軍時代のムハンマド | |
個人情報 | |
別名 |
ベルトウェイ・スナイパー D.C.スナイパー |
生誕 |
1960年12月31日 アメリカ合衆国・ルイジアナ州 バトンルージュ |
死没 |
2009年11月10日 (48歳没) アメリカ合衆国・バージニア州グリーンズビル郡グリーンズビル矯正センター |
死因 | 薬殺刑による刑死 |
殺人 | |
犠牲者数 | 17人 |
犯行期間 | 2002年2月16日–2002年10月23日 |
国 | アメリカ合衆国 |
州 |
アラバマ州 アリゾナ州 カリフォルニア州 フロリダ州 ジョージア州 ルイジアナ州 メリーランド州 テキサス州 バージニア州 ワシントン州 ワシントンD.C. |
逮捕日 | 2002年10月23日 |
司法上処分 | |
刑罰 | 死刑 |
有罪判決 | 殺人罪 |
判決 | 死刑 |
ジョン・アレン・ムハンマド(John Allen Muhammad、1960年12月31日 - 2009年11月10日)は、アメリカ合衆国の元アメリカ陸軍の狙撃手であり連続殺人犯でもある。2002年2月16日から10月23日にかけて、主にワシントンD.C.のベルトウェイや複数の州に約8ヶ月にわたり、17人を射殺した。当時のアメリカでは見えないスナイパーなどとして大きく報道され、社会的な恐怖を引き起こした。 同年10月23日に逮捕された。取り調べで全事件を自供し、起訴された。その後の裁判でムハンマドには死刑判決を受け、2009年11月10日に死刑が執行された。
狙う位置は、関係する狙撃手の種類によって大きく異なる。一般的に300m以下の距離では戦わない軍の狙撃手の場合、胸を狙って胴体に当てようとすることが多い。これらは、射弾を頭部や四肢よりも大きく、動きが激しくない胴体へ確実に命中させ、体の組織や臓器に損傷を与えたり、出血させることで相手を殺傷しようとするものである。 マークスマンの場合は、状況がひっ迫しているときは胴体を狙うが、暗殺時、人質を取られたときなど自分の身は危険ではないがターゲットの命をすぐに奪わなければならないとき、戦闘中にあまり状況がひっ迫していないときや奇襲を仕掛けるときなど余裕があるときは急所を狙う。主に眉間、顎や鼻先、頸動脈など脳幹に一直線に弾丸が到達する、即ちターゲットを即死させることのできる部位を狙う(眉間の場合、即死させるには斜め45度以上の角度から狙わないとならない)。
一般的に、軍の狙撃手よりも近距離で任務を行う警察の狙撃手の場合、体の特定の部分あるいは特定の物体に対して、より精密な射撃をしようとすることが多い。たとえば2007年にマルセイユで起きた事件では、GIPNの狙撃手が80mの距離から自殺をしようとしていた警官の短銃を狙撃して破壊し、その警官が自殺するのを防いだ。
標的が動いている場合、弾丸が飛ぶ間に標的が動く分を見越して、狙点を標的の未来位置へずらす「偏差射撃」を行う必要がある。
狙撃手は人を狙う事もあれば物資を狙う事もあるが、敵の中で最も重要な人員(たとえば将校などの指揮官や、通信や重火器を扱う専門技術兵)を狙い、それによって敵の作戦を最大限に妨害することを図ることが多い。その他に狙撃手が狙う対象としては、狙撃手自身にとって直接の危険をもたらす敵兵(たとえば、しばしば狙撃兵の捜索を行う軍用犬を扱う兵など)がある。
狙撃手は、その外見や振舞いで敵の指揮官を特定する。たとえば階級章や、通信兵に話しかけている、車輌に乗客として乗っている、従卒を従えている、双眼鏡や地図ケースを持っている、しばしば移動しては何かを話していることなどを手掛かりとする。もし可能であれば、狙撃手は階級の高い順に狙うが、階級が分からない場合は、敵の通信や重火器を妨害することを図る。
現代戦では、損害の多くは何らかの運用員を必要とする兵器によるものが殆どなので、狙撃手の最も有効な使用法の一つは偵察である。狙撃兵は、高い潜伏技術、浸透技術、優れた長距離観測装備と、敵への接近・監視技術を生かすことができる。偵察の役割を与えられた場合、重要度の高い標的を撃破できる機会がある場合に限り交戦を認める交戦規定が与えられる。
ダネル NTW-20やVidhwansakのようなライフルは純粋に対物ライフルとして設計されたものである。たとえば、駐機している航空機のタービン・ディスクやミサイル誘導パッケージ、高価な光学装置、ベアリング、レーダー装置の導波管などを狙撃する。対物ライフルを装備した狙撃手は、レーダー盤、水タンク、乗り物のエンジンや、多くの他の標的を狙うことができる。
バレット製やMcMillan製の.50口径ライフルのようなものは、対物専用として設計されたものではないが、対物ライフルとして求められる射程と破壊力を従来の多くの対物ライフルよりも軽量なもので実現していたため、しばしば対物目的に用いられた。他の口径、たとえば.408 Cheyenne Tacticalや .338 Lapua Magnumなどは限定的な対物目的に使うこともできるように設計されているが、理想的には長距離対人狙撃用の弾丸である。
撒き餌とは、敵が見つけて拾うように何か物を落としておくことである。イラク戦争では、武器や弾薬を拾う事は敵対の証拠とみなされた。狙撃手たちはわざと武器を落としておいて、それを拾う者があれば交戦した。ワシントン・ポスト紙が引用した法廷文書によれば、[19]米軍の非対称戦グループは、「導火線、プラスチック爆弾や弾薬」を落としておき[20]、それを拾ったイラク人を殺すことを狙撃兵たちに奨励していた[19][20][21]
「撒き餌というのは、敵が使うだろうということが分かっている物を、敵を倒す狙いを持って置いておくことです...基本的に、我々はそうした物を付近に置いておき、監視します。誰かがその物を見つけて、拾い、そしてそれを持ったままその場を離れようとした場合、我々はその人間と交戦します。なぜならば、自分は、彼らがそれを拾ったという事は、彼らがそれを米軍に対して使うだろうという事のしるしだと考えたからであります」 — 米軍第501歩兵連隊第1大隊付選抜狙撃偵察小隊長 Matthew P. Didier大尉の宣誓証言[20]
標的が複数ある場合、狙撃手は場所を変えることが多い。狙撃手は、ある場所から数発撃った後、敵が自分の場所に気付いて反撃してくる前に、敵に見えないように別の場所に移動する。狙撃手はこの戦術を強みとしてよく使い、混沌と混乱の雰囲気を作り出す。また稀なことではあるが、風の影響を受けないようにするために場所を変える場合もある。
日本軍は大正時代から狙撃銃の研究を始め、のちに九七式狙撃銃(三八式改狙撃銃)・九九式狙撃銃として開発採用された。これらの狙撃銃(総生産数約32,500挺)は一般歩兵の選抜射手に支給されこれを狙撃手とし、第一次世界大戦の欧州派遣テストスナイパー・第二次世界大戦の各戦線で運用された。
現代では陸上自衛隊の普通科連隊狙撃班(志願制)及び特殊部隊の特殊作戦群と海上自衛隊の特別警備隊、警察の銃器犯罪に対応する部隊(銃器対策部隊、特殊急襲部隊など)、海上保安庁の特殊警備隊に狙撃手が配置されている。自衛隊ではM24 SWSを「対人狙撃銃」の名称で採用している。警察や海上保安庁では、主に銃器を使用したテロや武装しての立て篭もり事件などに投入される。
関連参考項目:暗殺事件の一覧
米陸軍特殊部隊の狙撃手として33人以上の命を戦場で奪い、「死神」との異名を持つニコラス・アービングは、PTSDの苦痛について、以下のように述べた[23]。
同じ夢を何度も見た。銃弾を受けてバラバラになった男の顔や手足がまとわり付いてくる。二〇〇五年、十八歳の時だった。イラク南部に赴任した翌朝。装甲車に、うつろな目をした男が運転する車が近づいてきた。「撃て、早く撃て」。四カ月の訓練で覚えた通りに狙いを定め、引き金を引いた。弾は男に当たった。車には手製爆弾が積まれていた。これが戦場か。初めて人の命を奪った戸惑いと、役目を果たしたという手応えが同時にやってきた。射撃を命じた下士官は言った。「興奮はやがて消え、人を撃った感触だけが残る」その夜は落ち込んだ。人を殺してはいけないと教えられてきた。あの男に家族はいるのか-。
五年後に第一線を退いた後も、頭上を飛ぶ戦闘機を見ると、逃げ惑うアフガンの子供たちの姿が頭をよぎった。風が運んでくる乾いた土のにおいは、射殺した兵士の顔を思い出させた。その都度、自分が正しいと信じてきたことと罪悪感の間を行き来した。PTSDに悩み、自ら命を絶った仲間は知っているだけで十二人。運を天に任せよう。自分も二年前、回転式のピストルの弾倉に一発だけ弾を込め、頭に当てて引き金を引いた。弾は出なかった。 — ニコラス・アービング、東京新聞2017年6月26日朝刊
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.