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野生動物の捜索、追跡、捕獲、殺害する行為。 ウィキペディアから
狩猟(しゅりょう、英: hunting)とは、野生動物を捕獲する行為のことである。
捕獲後の目的(殺傷して利用、保護、タグ付けリリース)とは関係なく、捕獲行為を言う。
漁労や採集活動と並んで、人間社会の最初期から存在する生業とされている。
狩猟の最も本来的な目的は、食料や物資といった人間の個別集団の生活に不可欠な必需品を野生動物から獲得することにある。その目的となる食料や物資の典型例は、肉・皮革・油脂・羽毛・骨・牙である。その行われる地域も世界の各地で行われてきた。
狩猟の歴史は古く、農耕や牧畜が普及しない時代から今日に至るまで行われている。時代が下るにつれ牧畜業が発達した地域においては、食糧を得る目的での狩猟は減少した。
生活の必需品を得る目的に代わって、特に近代産業資本主義が興隆し貨幣経済が発達してからは、商品価値の高い資材の獲得を目的に大規模な狩猟が行われてきた。その狩猟の目的となった資材には、象牙やアザラシ・ヒョウの毛皮といったものが含まれている。このため、狩猟によって特定の種が絶滅したり生息数が激減するなどの生態系への深刻な影響が顕在化してきた。これに応じて、狩猟が行われる地域の法規や、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)が整備され、狩猟には一定の制限が加えられたり禁止されている場合がある。ただし、密猟も後を絶たず実効性が上がっていないとの指摘もある。
アフリカの熱帯雨林に暮らす人々や、日本における銃を用いた大型獣の狩猟などは、集団によって行われる。
日本のシカやイノシシ猟を例にとると、グループの中で獲物を追い立てる役と、獲物の逃げ道沿いに待ち伏せをして銃を構えている役とに分かれて狩猟する。熊を狩るときも集団を組むのは基本である。
このように集団で捕った獲物は、狩猟の参加者あるいは村落全体で配分されるという事例が日本の他に、サン人、ムブティ族などアフリカにおいてもみられる。
こうした狩猟には主に以下のケースがある。
いずれの形態であっても、捕獲した鳥獣が副次的に資材を得るために用いられる場合がある。
ヨーロッパには先史時代の狩猟の痕跡や遺跡が多く残されている。スペインとフランスの洞窟には数多くの壁画が残されている。1000点の壁画の内、人間が描かれたのものは20点たらずで残りはすべて狩猟対象の動物の絵である。フランスのソーヌ=エ=ロワール県には断崖の下に野生馬の骨が2メートル半堆積した場所があり、人間に追い立てられた推定10万頭のウマが崖下に落ちた痕跡と見られている。同様の狩りの様子を描いた壁画がラップランドで見つかっている[2]。
イギリスでは古来よりスポーツハンティングが貴族や富裕層の嗜みとして行われたことから[3]、彫金が施された銃器やシューティングブレークなどの高級な狩猟用品の市場が形成されている。現在のイギリスには48万人の狩猟者がいるとされるが、狩猟免許は存在せず、狩猟者登録も必要ない[3]。狩猟をする権利はその土地の所有者が有しており、他者に貸与することもできるため、娯楽として自由に狩猟を楽しむアマチュアハンターもいれば、仕事として依頼されるなどして専門に狩猟を行うプロハンターもいる[3]。なおイギリスではシカを対象とした狩猟はハンティング(hunting)ではなく「ストーキング」(stalking)と呼ばれる。狩猟の際にかぶる帽子も「鹿撃ち帽(deerstalker hat)」と呼ばれる。
ドイツで狩猟を行うには試験に合格して狩猟免許を得る必要がある[4]。ドイツには2008年の時点で約35万人の狩猟者が存在し、狩猟者数は微増傾向にある[4]。ドイツでは森林管理と狩猟が密接に関係しており、ドイツの森林官のほとんどは狩猟免許を取得している[4]。こうした狩猟森林官とは別に、職業狩猟者が1000人ほど国内に存在する[4]。
北欧はヨーロッパの中でも狩猟が盛んに行われている地域である[5]。ノルウェーの狩猟者数は約19万人で、他のヨーロッパ諸国と同様に土地所有者が狩猟権を有する[5]。ロングイェールビーンではホッキョクグマの狩りが1950年代まで観光資源となっていた。
アフリカではヨーロッパによる植民地支配が始まった19世紀以降から現代までサファリと呼ばれる狩猟旅行やスポーツハンティングが盛んに行われている。サハラ砂漠以南の42のアフリカ諸国のうち25か国でスポーツハンティングが認められており、年間1万8500人を超える狩猟者がアフリカを訪れる[6]。 また、正規の狩猟者以外によって行われる密猟が国際的な問題となっている[7]。
アメリカは狩猟大国であり、2011年の時点で総人口の約6%に相当する1370万人が狩猟を行っており、20-30億ドルもの経済効果が推定されている[8]。1980年代からは狩猟者の数は減少傾向がみられたが、2010年代に入ってまた増加している。アメリカでは銃や弓矢、クロスボウが使われ、年間700万頭のオジロジカや2万頭のアメリカクロクマが狩猟される[9][注釈 1]。
日本列島においては旧石器時代や縄文時代には狩猟が植物採集や漁労活動とともに主要な生業であったと考えられている。縄文時代にはシカ、イノシシを主要な狩猟獣とした生業が営まれていた[10]。弥生時代、そして続く古墳時代になると本格的な稲作農耕が開始され、安定的な食料供給が可能になったため狩猟の重要性が低くなっていったと言われる。一方で農耕に伴なう害獣駆除などを目的とした狩猟は継続していたと考えられており、弓矢などの狩猟道具や矢が刺さったシカが描かれた土器や埴輪の存在から狩猟がなおも行われていたことが窺える[10]。鷹狩も古代から行われており日本書紀には仁徳天皇の時代(355年)に鷹狩が行われ、タカを調教する専門職が置かれたという記録がある。
東北地方に住んでた蝦夷は騎乗しての狩猟の他に鷹狩も行っており、毛皮を交易品としてヤマト王権に売っていた。また狩猟で培われた騎射の技術が俘囚により武士へと伝わった。
農耕に適さない北方に住んでいたアイヌは狩猟採集生活を続けており、トリカブトの毒矢や罠猟で大小様々な動物を狩り、毛皮を和人に売っていた。
奈良時代には仏教の受容により殺生・肉食が忌避されるに至ったとされる[注釈 2]。しかし、『延喜式』では地方に対して鹿皮や猪脂など狩猟獣の動物資源が賦課されていたり、『万葉集』ではシカの毛皮から内臓までを無駄なく利用している内容の歌が詠まれているなど、とくに庶民の間では狩猟活動が継続されていたと考えられている[11]。日本では肉食の禁忌令が何度か発令されたが、主に牛や馬など家畜を対象としたものであった[12]。江戸時代にはももんじ屋と呼ばれる獣肉を販売する店が存在した[13]。
貴族の間ではスポーツハンティングとしての狩猟が行われた。狩りに出かける際には動きやすい狩衣へ着替えたが、平安時代になると公家の普段着となっていった。
中世には武家の間でスポーツハンティングとして鷹狩が広まり、江戸時代には諸大名が鷹狩のため、鳥見などの専門職が定められた。
狩猟は木材生産・製材や鉱山経営、炭焼きなど山の諸生業のひとつとして行われていた一方で、動物資源の利用だけでなく畑作物への獣害対策としても行われた[14]。東日本では鉄砲(火縄銃)を用いた害獣駆除を目的とした狩猟が実施されていた[15]。また、東北地方では職業として狩猟を行う人々はマタギと呼ばれ、独特の習俗があった。対して、西日本ではわなを一部に組み合わせたしし垣が利用された[13]。中世や近世の日本における農民にとって鉄砲は農具であり、農耕と狩猟は密接な関係があったとされる[16]。
明治時代になると狩猟の法制化が進んだ。1872年に「鉄砲取締規則」、1873年に「鳥獣猟規則」、1892年に「狩猟規則」、1895年3月27日に「狩猟法」が次々と公布され、狩猟期間や狩猟方法、狩猟鳥獣などが具体的に定められた[17]。また、「北海道鹿猟規則」、「樺太狩猟取締規則」、「朝鮮狩猟規則」、「台湾銃猟取締規則」、「関東州銃猟取締規則」、「南洋群島狩猟取締規則」といったように各風土に応じて特別の法令によって取締が実施された。これらの背景には、軍用毛皮の需要拡大にともなう欧米向けの外貨獲得という目的があり、狩猟によって産業が築かれた[18]。1908年9月24日、狩猟法施行規則改正が公布(省令)、10月1日施行され、コマドリ・メジロなど59鳥類が捕獲禁止された。
大正時代の1918年には「狩猟法」が改正され、狩猟鳥獣や狩猟免許が制度化されたことで、現代の狩猟法に近いものとなった[19]。昭和時代の1929年に全国の狩猟者によって設立された「大日本聯合猟友会」(のちの「大日本猟友会」)は、狩猟道徳の向上、野生鳥獣の保護、有害鳥獣駆除、狩猟の適正化など日本の狩猟において大きな役割を担っている。
1970年前後は、狩猟事故が相次いだ。特に、1970年は11月1日から同月8日の間だけでも死者3人、負傷者75人(うち40人は地域住民)を出したことから社会問題化した。警察庁は原則、講習を受ければ銃砲所持許可が得られる制度[20]を見直し、規制強化が行われた。
現状として、日本の狩猟人口は年々高齢化し、かつ減少しつつある。1979年に45万人だった狩猟人口は1995年には25万人、2007年時点で16万人程度である。日本で許可されている銃は約30万丁である。これは国際的には低い登録率であり、日本同様厳しい銃規制を持つ狩猟国イギリスでは日本の半分の人口にもかかわらず、500万丁の銃が許可されている。日本の狩猟者のほとんどは男性であり、女性の割合は1%にも満たない[21]。
一方、北海道などはエゾシカ・ヒグマ、本州ではイノシシ・ニホンジカに代表される野生動物による農林業被害は深刻な事実であり[1]、ライフル銃の所持条件の緩和や毒薬の使用、狩猟期間の延長といった鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律の規制緩和が強く求められている。またハンター養成のため、北海道の西興部村などは、指導者付きで若者などに狩猟体験ツアーを行っている(但し、このツアーは銃器を使用できるものではない)。伊豆半島においてはニホンジカによる食害が深刻な問題であり、半島全体で推定2万頭生息する個体を5000頭以下まで減少させる事が望ましいとされている現状が存在する。また、経済や自然に大きな影響を与える外来種(アライグマやマングースなど)も駆除が強く求められている。以上のような状況にあって、国の統一的見解はまだ存在せず、猟銃の所持許可および狩猟は、有害鳥獣の被害が深刻な自治体では緩く、都市部では殆ど認めない傾向にある。しかし、近年は環境省が鳥獣保護管理の担い手確保を目的とした狩猟の魅力を伝えるフォーラム[外部リンク 1]を都市部を含む各地の都道府県で開催するなど、ハンターを増やそうとする取り組みが行政主体で行われ始めている。
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