サニー(英: SUNNY)は、株式会社ゆめマート熊本が福岡県、熊本県、大分県、佐賀県、長崎県で展開しているスーパーマーケットである[4]。
1963年(昭和38年)8月29日に設立された「株式会社サニー」(英: Sunny Co.,Ltd.)が運営していたが[1][2]、2008年(平成20年)7月1日に「株式会社西友」(2009年(平成21年)9月1日付で合同会社西友に改組[5]、2022年(令和4年)1月6日付で株式会社に組織変更[6])が吸収合併し[3]、同社が運営していた[4]。2024年(令和6年)8月1日付でゆめマート熊本に事業を承継した。
岩田屋グループのスーパーマーケットへの進出
福岡市で当時地場資本の百貨店として営業していた岩田屋は、1960年(昭和35年)4月に他社との共同出資で福岡市に「株式会社しろや」を設立し、同年6月15日に福岡市の香椎団地にスーパーマーケットを開店したのが、同グループの量販店事業の始まりである[2]。
翌年・1961年(昭和36年)10月9日には岩田屋の出資で福岡市にスーパーマーケットの「株式会社グランドストア西都」を設立し、同年11月10日に西鉄名店街(西鉄福岡駅の駅ナカ商業施設)地階にスーパーマーケットを開店した[2][注釈 1]。
本社は福岡県福岡市中央区天神2丁目11番1号の岩田屋本社内に置かれ[2]、その後福岡市中央区清川1丁目8-18[1](福岡店内[2])、福岡市中央区平尾2丁目20番35号[1](平尾店内[2])に置かれた。
株式会社サニーの設立と発展
全国で百貨店と提携してスーパーマーケットチェーンを設立した伊藤忠商事と共同出資で、1963年(昭和38年)8月29日に「株式会社サニー」を設立し、岩田屋本社内に本部を置いたのが、当社の始まりである[2]。
そして、同年11月18日に1号店として熊本市水前寺に「水前寺店」を開店したのを皮切りに、九州各地へ店舗展開を進めた[2]。
その際には、「株式会社しろや」や「株式会社グランドストア西都」が先行して設立されていた経緯もあり、当初は「株式会社しろや」が団地内での出店を行い、「株式会社サニー」はそれ以外の場所への出店を行うことで棲み分けを目指していた[2]。
しかし、品揃えなどの面で「株式会社しろや」が苦戦したことから、1985年(昭和60年)までに堤店と原店の2店以外は当社が継承することになった[2]。
また、石油危機で物価が高騰したのを好機と捉えて事業拡大をすると共に、1974年(昭和49年)6月には本部をニュー平尾店内に移転してコンピューターを導入するなど近代化も図った[2]。
その後、1981年(昭和56年)3月にベスト電器とフランチャイズ契約を締結したのを皮切りに、1982年(昭和57年)4月に大洋ストアと資本・業務提携、1983年(昭和58年)2月にスーパーヤマエと資本・業務提携するなど、提携戦略も進めた[7]。
なお、グランドストア西都は後に株式を西日本鉄道に売却、西鉄グループとなった後に同じ西鉄グループのタミーに吸収され西鉄タミーとなり、更に西鉄ストアに吸収されている。
西友の傘下に入り、吸収合併
2001年(平成13年)8月28日に連結債務超過に陥っていた岩田屋が、再建策の一環として、保有する「株式会社サニー」の発行済み株式47.7%を約38億円で西友に売却することを発表[8]。
これに伴い、同年11月19日に臨時株主総会を開催して西友グループのエス・エス・ブイの海老根政勝会長が[9]、社長に就任した[10]。
その後、2004年(平成16年)3月26日には西友が伊藤忠商事保有の全株を取得して出資比率を約88.8%に引き上げて[11]、同年4月1日に西友グループと運営を一体化し[12]、同年6月1日には西友がグループ外保有の全株式を株式交換で取得して同社の完全子会社とされることになった[13]。
そして、2005年(平成17年)9月1日に西友営業統括部長が社長を兼務して経営を事実上一本化し[14]、2008年(平成20年)7月1日に「株式会社西友(現・合同会社西友)」に吸収合併されて法人としての「株式会社サニー」は消滅することになった[3]。
西友への吸収合併後
合併直後の2008年(平成20年)11月5日に「サニー南熊本店」を開店したが[15]、西友がその後2012年(平成24年)3月28日に「西友つくば竹園店」を開店するまで出店を凍結した[16]。
2015年(平成27年)2月時点で福岡県69店と熊本県6店の他、佐賀県と大分県に各1店の合計77店舗を展開していたが[4]、同年3月末までに「南熊本店」を含めた11店を閉店し[17]、同年4月末に「おおき店」を閉店するなど不採算店の大量閉鎖を行うことになった[18]。なお、残った店舗は「サニー」の店名で引き続き店舗を展開するとしている[19]。
2021年(令和3年)4月29日、「西友春日店」を「サニー春日店」としてリニューアルオープンした。これにより、福岡県における西友の店舗は「サニー」の店名に統一された[20]。
イズミグループへ
2024年(令和6年)4月、イズミの子会社のゆめマート熊本が、「サニー」の店舗および、長崎県内の西友2店舗を、西友から会社分割によって承継することを発表[21]、同年8月1日付でゆめマート熊本へ承継された[22]。
ゆめマート熊本への承継後も「サニー」ブランドは存続され、また大半の店舗で実施している24時間営業は当面継続される[22]。またイズミ側は、西友のプライベートブランド「みなさまのお墨付き」の販売継続も希望している[22][23]。
サニー(長崎県の西友を含む)では2022年4月26日より西友と楽天ペイメントの提携により、「楽天ポイントカード」を取り扱っているが、承継日当日にゆめマート熊本が楽天ペイメントと新たに提携を締結[24]したことにより、「楽天ポイントカード」は運営会社変更後も継続して利用可能となった。
またイズミは、長崎県内の西友2店舗(西友長崎駅店・西友道の尾店、いずれも長崎市)について、西友道の尾店は2024年11月1日に、西友長崎駅店は同年秋に「サニー」へそれぞれ店名変更する予定としている[23][25]。サニーは創業初期の1968年(昭和43年)10月に長崎県に大型商業ビル「サニーショッピングセンター」およびその店舗として「サニー長崎店」を展開したが、短命に終わっていた[26][27]。今回の店名変更により「サニー」の店舗が長崎県内に半世紀ぶりに復活することとなる[26]。
- 松本金也(1919-2008) ‐ 岩田屋創業家の中牟田家の姻戚(2代目中牟田喜兵衛の娘婿)で、実家は熊本の乾物商で熊本県多額納税者。一時岩田屋取締役も務め、サニーの実質的な創業者となった。サニーは当初衣料品や雑貨を含めた総合スーパーを目指し、ダイエーとも提携するなど試行錯誤したが、松本が食品スーパーに特化させて業績を上げ、マルキョウと福岡都市圏を2分する大手に成長させた。[28][29]
- 松本英一 ‐ 金也の長男。西友へ身売り後ボンラパスに転じたが、同社売却時に退社。[29]
- 木内政雄
- 中村一夫 ‐ 元西友執行役シニアバイスプレジデント営業統括本部長[30]
- 野田亨 ‐ 三菱商事、ベルリッツインターナショナル(ベネッセ傘下)を経て、元西友執行役エグゼクティブ・バイス・プレジデント(EVP)最高執行責任者(COO)[31]
2024年(令和6年)11月現在、福岡県62店舗、熊本県3店舗、佐賀県・長崎県・大分県に各1店舗の計68店舗を営業している。現行店舗については、ゆめマート熊本公式サイト「店舗一覧」を参照。
西友に吸収合併後も屋号は変更されなかった。福岡県においては、既存の西友店舗がサニーに屋号が変更された(サニー美野島店、サニー那珂川店など)。福岡県で最後に残った西友春日店(アクロスモール春日内)が2021年4月29日にサニー春日店へ屋号を変更したことにより、九州内の西友ブランド店舗は長崎県の2店舗のみとなった(2024年8月現在)。この2店舗はゆめマート熊本への承継後に屋号を「サニー」に変更予定で、これにより長崎県に再進出する[22]。
かつては一部の店舗でカルチャーセンターの運営も行っていた[41]。
★は西友からサニーに屋号が変更された店舗である。また、☆は系列店舗(サニーヤマエ・しろや等)からの転換店舗である。
福岡県
福岡市中央区
- 店舗面積488m2[42]。
- 小笹店(福岡市中央区小笹3-10-33、旧ダイエー小笹店)
- 警固店(福岡市中央区警固2-10-20)
- 那の川店(福岡市中央区那の川2-6-1)
- 梅光園店(福岡市中央区梅光園団地8-1)
- サニーヤマエ梅光園店 → 梅光園店☆(福岡市中央区梅光園団地575-10[43])
- ニュー平尾店 → (2代目)平尾店(福岡市中央区平尾2丁目20番35号[1]、1972年(昭和47年)4月開店[42])
- 店舗面積987m2[42]。
- 福岡長浜店(福岡市中央区港1丁目10番1号、2021年(令和3年)2月25日開店)
- 渡辺通店
- 福岡店[1][42] → 渡辺通店[44](福岡市中央区清川1-8-18[1]、1964年(昭和39年)7月3日開店[2] → 2001年(平成13年)3月1日渡辺通店として新装開店[44])
- 店舗面積2,233m2[42]。
- 開店時に岩田屋本社内から当店内に本部を移転した[2]。
- 渡辺通り、住吉通り、日赤通り、城南線が交差する渡辺通り一丁目交差点付近に立地しており、2001年(平成13年)3月1日、渡辺通店として新装開店した際には総菜やパンなどの即食商品に力点を置いた品揃えを行っていた[44]。
福岡市博多区
- 店舗面積3,612m2[45]、
- エレデ博多寿屋跡地に建てられた呉服町ビジネスセンタービルの核テナント。サニーちゃんが現存する珍しい店舗[46][47]。
- 月隈店(福岡市博多区月隈、2001年(平成13年)5月19日開店・旧:月隈サティ[48])
- 2001年(平成13年)3月1日にマイカル九州から営業譲渡され[49]、同年5月19日に新装開店した[48]。
- 東比恵店(福岡市博多区東比恵2丁目15番18号)
- 美野島店★(福岡市博多区美野島3丁目20番5号[34])
- 吉塚駅前店(福岡市博多区吉塚本町13-40、2007年(平成19年)10月24日開店[50])
- 博多住吉店(福岡県福岡市博多区住吉5丁目5-33、2023年(令和5年)4月27日開店、売場面積944.02m2)
福岡市東区
- 店舗面積450m2[42]。
- ガーデンズ千早店(福岡市東区千早3丁目6番37号 ガーデンズ千早1階、2021年(令和3年)4月24日開店)
- 奈多店(福岡市東区奈多[42]、1979年(昭和54年)7月開店[42])
- 店舗面積1,716m2[42]。
- 新八田店 → (2代目)八田店(福岡市東区八田1丁目4番45号[51]、2004年(平成16年)2月開店[51])
- 店舗面積2,020m2[51]。
福岡市南区
- 長住店(福岡市南区長住2丁目23番7号、1976年(昭和51年)7月開店[42])
- 店舗面積1,219m2[42]。
- 「しろや」がサニーのボランタリーチェーンとして開店した[2]。
- 店舗面積1,143m2[42][52]、延べ床面積約2,200m2[52]。直営店舗面積1,077m2[52]。
- 向新町店(福岡市南区向新町1丁目14番50号[45]、1999年(平成11年)4月開店[要出典])
- 店舗面積1,350m2[45]、延べ床面積約1,895m2[45]。直営店舗面積1,350m2[45]。
- 若久店(福岡市南区若久5丁目25番5号[45]、1996年(平成8年)4月開店[45])
- 店舗面積1,488m2[45]、延べ床面積約1,951m2[45]。直営店舗面積1,488m2[45]。
- 福岡桧原店(福岡市南区桧原7丁目59番1号、2022年(令和4年)6月23日開店、売場面積1,395m2[37])
福岡市早良区
- 店舗面積559m2[42]。
- 店舗面積1,305m2[52]、延べ床面積約1,875m2[52]。直営店舗面積1,305m2[52]。
- 重留店(福岡市早良区重留6丁目3番2号[52]、1999年(平成11年)10月開店[52])
- 店舗面積1,695m2[52]、延べ床面積約2,295m2[52]。直営店舗面積1,695m2[52]。
- 藤崎店[42] → 高取店[43](福岡市早良区高取・高取市街地住宅ビル[43]、1977年(昭和52年)11月開店[42])
- 店舗面積1,021m2[42]。
- 97年12月より藤崎店から名称変更。また2Fにはカルチャーセンターがあるが、かつてはサニーによる運営であった[41]
- 店舗面積629m2[43]。
- 店舗面積1,048m2[42]。
- 旧しろや[要出典]
筑後市
- ちくご店(筑後市大字山ノ井737-3、1989年(平成元年)11月開店[53])
- 店舗面積2,000m2[53]、延べ床面積約2,938m2[53]。
春日市
- 春日店★(春日市春日5丁目17番地、2021年4月29日に西友春日店からリブランド。)
- 春日原店(春日市春日原北町2丁目20番1[51]、1974年(昭和49年)4月開店[42][51])
- 店舗面積1,587m2[51]、延べ床面積約3,895m2[51]。直営店舗面積1,587m2[51]。
- 宝町店(春日市伯玄町2丁目18番[51]、1984年(昭和59年)4月開店[51])
- 店舗面積1,404m2[51]、延べ床面積約1,485m2[51]。直営店舗面積1,404m2[51]。
- 店舗面積756m2[42]。
宗像市
- 店舗面積1,284m2[42]。
- 岩田屋などの共同出資で設立したスーパーマーケットの「株式会社森林都市ショッピングセンター」として開業した[2]。
- 店舗面積758m2[42]。
糸島市(旧:前原市)
- 直営店舗面積2,282m2[53]。
糟屋郡
- 須恵店(須恵町大字須恵字赤坂488-1)
- 原町店(粕屋町若宮1-8-5)
佐賀県
- ニュー鳥栖店 → (2代目)鳥栖店(鳥栖市元町[42]、1986年(昭和61年)4月開店[42])
- 店舗面積900m2[42]。
長崎県
- 道の尾店★(長崎市葉山1-6-10、2024年(令和6年)11月1日に西友道の尾店から屋号変更[26])
福岡県
福岡市
- (初代)平尾店(福岡市中央区、1965年(昭和40年)7月開店[56] - 1972年(昭和47年)閉店[2])
- (初代)八田店(福岡市東区土井[42]、1978年(昭和53年)9月開店[42])
- 店舗面積822m2[42]。
- 壱岐団地店(福岡市西区壱岐団地1006-1[1]、1976年(昭和51年)11月開店[42] - 2008年(平成20年)11月30日閉店)
- 店舗面積984m2[42]。
- 旧サニーヤマエ
- ハイマートかどた → ワイドマートドラッグ&フード壱岐団地店(イオン九州運営)→ダイソー福岡壱岐団地店
- 店舗面積1,123m2[52]。
- 若久団地店(福岡市南区、? - 2015年(平成27年)3月末閉店[17])
- 寺塚店(福岡市南区寺塚[42]、1981年(昭和56年)11月開店[42])
- 店舗面積454m2[42]。
- 直営店舗面積1,100m2[53]。
- 「西新エルモールプラリバ」の店舗面積20,208m2[53]、延べ床面積約29,398m2[53]。
- 西新岩田屋の営業していた時点で出店していた[43]。 西新岩田屋の開店当時は岩田屋の地下食料品売り場だったが、1995年秋から1996年2月末にかけて
- 西新岩田屋の全館改装が行われた際、系列のサニーに運営を任すことになる。これにより1996年2月29日に九州初の百貨店内スーパーマーケットとして開店。
- 「西新エルモールプラリバ」後も営業していたが、建物の老朽化などを理由に「西新エルモールプラリバ」が閉店し、それに伴ってサニーも閉店となった[57]。
- 店舗面積1,371m2[42]。
- 井尻店(福岡市南区井尻[58]、1969年(昭和44年)4月開店 - 1984年(昭和59年)12月閉店[58])
- 店舗面積1,011m2[58]
- 美和台店(福岡市東区美和台[42]、1987年(昭和62年)11月開店[42])
- 店舗面積614m2[42]。
- 店舗面積2,316m2[42]。
- 香住ヶ丘店(福岡市東区香住ヶ丘[42]、1983年(昭和58年)4月開店[42])
- 店舗面積499m2[42]。
- 店舗面積569m2[42]。
- 長丘店(福岡市南区長丘3丁目3番1号、2023年(令和5年)8月20日閉店[59])
株式会社サニーによる運営の頃は、会員カードによる割引や均一祭といった親会社の西友とは異なる独立性があったが、次第に西友色が強まる中で最終的にこれらはすべて吸収合併前には廃止された[注釈 6]。吸収合併後は店名の違いを除けばほとんど西友店舗と変わらない形態になっていた。
- 3つのお約束 - 1998年3月より、品質の保障・品切れの保障・価格違いの保障を「3つのお約束」と決め、商品の品質に不満がある場合は交換や返金という形で対応。通常販売している商品が店頭になく品切れしていた場合、48時間以内に取り寄せ連絡。会計で打ち間違いや値引きなどを忘れて価格違いが生じた場合は、レシートを持参し申告することで商品の代金を全額返金しその商品を進呈。この3つのお約束は店内ポスターなどの掲示物などでアピールしていた[67]。
- 給水サービス - 会員制の給水サービスを行っていた。会員は、初回に限りボトルを購入し、店内で無料給水ができた。
- わくわくカード - 一般的なポイントカードとは異なるカードで、会員価格で商品を購入できたり、購入金額や来店日数に応じてキャンペーンの抽選などができた。のちにセゾンカードと一体型のカードも存在した。店内には「わくわくステーション」という会員用の確認用端末機が設置されていた。2007年10月に廃止。
- 均一祭 - いくつかの均一祭があった。しかし、後に西友店舗と同じEDLP(毎日が低価格)を導入するにあたり廃止したと思われる。
類似の屋号で営業するスーパーマーケットは他にも存在する。
- サニーマート - 高知県などに店舗を置くスーパーマーケットチェーン。1961年(昭和36年)11月19日に「有限会社主婦の店朝倉鴨田店」として設立し、1968年(昭和43年)3月に「株式会社主婦の店サニー」に改組した後、1972年(昭和47年)7月に「株式会社サニーマート」と改称した[68]。
- サニースーパーチェーン - 長野県のスーパーマーケットチェーン。
注釈
2016年現在は改築した西鉄福岡(天神)駅地下に実質的な後身店舗としてグランドストア西都を吸収した西鉄ストア運営による「レガネット天神」が営業している。
住居表示前の地番は春日市大字小倉字上池田237-3であった。
2010年に前原市と隣接の2町が合併し糸島市が誕生している。
住居表示実施前の地番は前原市大字浦志74-1であった。
例えば、西友との吸収合併前から既に西友のプライベードブランドの一つである「グレートバリューシリーズ」など一部の商品が店内に並んでいた。
出典
『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
“西友、食品スーパー子会社5社を吸収合併 経営資源の最適配分で”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年5月23日)
“サニー不採算店3月末閉鎖、福岡・熊本11店”. 読売新聞 (読売新聞社). (2015年2月19日)
“西友、9月1日付で合同会社に改組”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年9月9日)
“西友、岩田屋からサニーを買収、九州1200億円規模に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月31日)
“サニー、新社長に海老根政勝氏、専務に松岡達二氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年10月10日)
“サニー、海老根新社長就任挨拶で「野武士的な力強さで勝つ」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年12月7日)
“西友、サニー株を取得、九州西友と経営一体化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年2月27日)
“西友、系列SM5社を実質経営統合 店舗運営・商品調達などを一本化へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年4月7日)
“西友、サニー全株取得で完全子会社に、系列SM統合へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年4月28日)
“西友、系列5社の社長に中村一夫氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年9月9日)
“サニー南熊本店 11月5日(水)オープン 熊本県熊本市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年11月27日)
“西友、3年4ヵ月ぶりに出店再開 「西友つくば竹園店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年4月4日)
“西友:3月末でに九州の「サニー」11店など閉鎖”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年2月20日)
“西友志免、諫早店とサニーおおきが閉店へ 4月末”. 西日本新聞(西日本新聞社). (2015年3月7日)
“サニー店舗閉鎖「考えていない」 西友・上垣内CEO”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2015年5月30日)
松本嘉平次『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
“スーパーのサニーヤマエ、サニーと合併 22日正式発表”朝日新聞(朝日新聞)(1999年4月20日夕刊)
“スーパー・サニーが関連会社ヤマエと大洋ストアを合併へ”西日本新聞(西日本新聞(1993年1月27日夕刊)
『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
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“サニー、都心型店舗狙い「渡辺通店」開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年3月7日)
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
“(株)サニー、マイカル九州から2店舗を譲りうけ5月19日オープン 福岡県福岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年6月7日)
“マイカル九州が三月一日付けで、福岡市内サティ二店舗を(株)サニーに営業譲渡! 福岡県福岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年2月19日)
“サニー吉塚駅前店 07年10月24日オープン 福岡県福岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年1月17日)
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
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“スーパーサニー、三月から熊本岩田屋食品売場に出店 熊本市桜町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年1月24日)
米谷陽一 (2004年4月25日). “この人・かたらんね【この人】丸本文紀さん(県民百貨店社長)”. 朝日新聞(朝日新聞社)
“サニー県内3店閉鎖 西友、不採算店見直し”. 熊本日日新聞(熊本日日新聞社). (2015年2月20日)
『流通会社年鑑 1997年版』 日本経済新聞社、1996年12月4日。