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PlayStation 2のゲームタイトル一覧 (2002年)

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PlayStation 2のゲームタイトル一覧 (2002年)(プレイステーションツーのゲームタイトルいちらん (2002ねん))では、PlayStation 2対応として2002年に発売されたゲームソフト(全346タイトル)を発売順に列記する。

PlayStation 2
ゲームタイトル一覧
(日本)
2000 - 2001 - 2002
2003 - 2004 - 2005
2006 - 2007 - 2008
2009 - 2010 - 2011
2013

発売ソフトの形態・変遷

要約
視点

ソニー作品においては、主人公ラチェットと相棒のロボット・クランクの銀河を股に掛けた大冒険を描いた『ラチェット&クランク』(2002年12月3日)が大ヒットし、PlayStationファミリーの顔ともいえるシリーズへと成長した[1]

2001年にサードパーティへ転向したセガからは、家庭用ゲーム機事業撤退宣言時に言及した作品[2]のうち、『バーチャファイター4[3]、『スペースチャンネル5 Part2[注釈 1][4]、『サカつく2002 J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう![注釈 2]がそれぞれ発売された。

一方、スクウェアは2002年3月28日にディズニーとのコラボレーション作品『キングダム ハーツ』を発売し、人気を集めた[5]

この年はインターネットに関する事柄もいくつかあった。スクウェアは2002年5月16日にファイナルファンタジー史上初となるMMORPGファイナルファンタジーXI』を発売した[6]。同作は発表時から注目を集めていたものの、サービス開始時点では一般家庭におけるインターネットがそこまで普及しておらず、同作で初めてMMORPGを知った家庭用ゲーム機の利用者がインターネットの接続方法を調べたり[7]、プレイに必要な環境[注釈 3]を構築できずに購入を断念する者も多かった[9]とされる。一方、2002年6月20日から3カ月に1回の頻度で発売された『.hack』シリーズ(バンダイ)においては、「The World」という架空のオンラインゲームで起こった「遭遇すると(現実の人間も)意識不明になるモンスター」の存在を入り口に、ゲーム内の出来事が現実世界を侵食する様子が描かれており、インターネットと現実、そしてオカルトをうまく融合した作品として知られている[10]。なお、これらの作品群はメディアミックス「.hack Project」の一環であり、ゲームに同梱されたOVA『.hack//Liminality』では本編の裏で起きた出来事が描かれているほか、同時期にはゲームの前日談を描いたテレビアニメ『.hack//SIGN』が放送された[10]

コナミからは『ときめきメモリアル』の派生作品『ときめきメモリアル Girl's Side』が発売され、女性たちを中心に人気を集めた[11][10]

ディースリー・パブリッシャーの低価格帯シリーズ「SIMPLE2000」は10タイトルほど売り出したところでテーブルゲームのアイデアが尽きてしまったため、Vol.11以降は誰もが知っている遊びを幅広く取り上げるという方針転換がはかられた[12]。岡島によると『THE ビリヤード』はビリヤードブームと相まって約58万本売れたといい、『 THE 恋愛シミュレーション 〜私におまカフェ〜』以降はコアゲーマーから注目が集まったという[12]。また、珍妙な題名は『族車キング』あたりからつきはじめたという[12]。その一方で、「SIMPLE2000」シリーズの中には『THE恋愛アドベンチャー BITTERSWEET FOOLS』のように他プラットフォームからの移植作もあった[13]

スポーツゲームにおいては、サッカー日韓ワールドカップで盛り上がっていたこともあり、コナミの『ワールドサッカー ウイニングイレブン6』が100万本を突破した[14]。一方、野球においては人気プロ野球選手がどんどんメジャーリーグに進出していったため、プロ野球を題材としたゲームに彼らを登場させるのが厳しくなっていった[14]。その中でスクウェアから発売された『日米間プロ野球 FINAL LEAGUE』(2002年4月25日)では、日本野球機構(NPB)ではなく選手会から許諾を得る[注釈 4]ことで、実在の選手たちが架空のリーグやチーム、および球場のもとで戦うという設定が組まれた[14]

このほかにも、身長5cmの宇宙人が4LDKの一般家屋の中で仲間を探す『ボクは小さい[15]や、首だけになった女神を世話する『Tomak〜Save the Earth〜Love Story』など、個性的なソフトが登場した。 2002年9月26日にはヘッドマウントディスプレイ・PUD-J5Aが発売されており[16]PlayStation VRの先駆けだとみる評論家もいた[17]

また、2002年には韓国でもPlayStation 2が発売され、『ICO』や『NBA Live 2002』をはじめとする複数の作品がローンチタイトルとして発売された[18][19]。日本のニュースサイト「電撃オンライン」は2002年の記事の中で、韓国ではインターネットカフェの一種である「PC房」(PC-VAN)でパソコン向けのオンラインゲームを遊ぶのが盛んであり、一般向けに普及するとは考えにくいことから、まずはこのような店に置くのではないかと推測している[19]。また、同サイトによると、韓国では家庭用ゲーム機は普及していないため、PlayStaiton2用ソフトをパソコン向けに違法コピーして販売している事業者が多いという[19]

その一方で、ゲームがユーザーに与える影響を懸念する声から、これまでのコンピュータエンターテインメント協会(CESA)の倫理規定に代わり、2002年6月にはコンピュータエンターテインメントレーティング機構(以下:CERO)が設立され、PlayStation 2は審査対象のハードの一つとなった[20]。 このレイティングでは「全年齢対象」、「12歳以上対象」、「15歳以上対象」、「18歳以上対象」の4段階に分かれており、法的な拘束力まではなかった[20]

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発売されたタイトル

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脚注

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