ポップジャム
NHK総合テレビの音楽番組 (1993 - 2007) ウィキペディアから
NHK総合テレビの音楽番組 (1993 - 2007) ウィキペディアから
『ポップジャム』(POP JAM)は、NHK総合テレビジョンで1993年4月10日から2007年3月16日まで、14年間にわたって放送された若者向けの音楽番組である[1]。
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
ポップジャム POP JAM | |
---|---|
番組収録が行われていたNHKホール | |
ジャンル | 音楽番組 |
出演者 | (以下に記載) |
製作 | |
プロデューサー | 石原真(制作統括) |
制作 | NHK |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
ポップジャム'93 | |
出演者 | 本木雅弘(司会) PJG(バックダンサー) |
放送期間 | 1993年4月10日 - 1994年3月5日 |
放送時間 | 土曜日 17:00 - 17:55(月1 - 2回) |
放送分 | 55分 |
ポップジャム'94 | |
出演者 | 森口博子(司会) PJG(バックダンサー) |
放送期間 | 1994年4月24日 - 1995年3月4日 |
放送時間 | 土曜日 17:00 - 17:54(月1 - 2回) |
放送分 | 54分 |
ポップジャム | |
出演者 | 司会 森口博子(第3期) 爆笑問題(第4期) 柘植恵水(第4期) 堂本光一(第5期) 久保純子(第5期) 優香(第6 - 7期) 高市佳明(第6期) つんく♂(第7期) 高山哲哉(第7期) 西川貴教(第8期) アンジャッシュ(第8期) 村上由利子(第8期) |
放送期間 | 1995年4月7日 - 2006年3月11日 |
放送時間 | 放送時間を参照 |
放送分 | 35→40→30分 |
POP JAM DX | |
出演者 | 安めぐみ(ナビゲーター) |
放送期間 | 2006年5月1日 - 7月3日 |
放送時間 | 月曜日 22:00 - 23:30(月1回) |
放送枠 | プレミアム10 |
放送分 | 90分 |
回数 | 3 |
POP JAM | |
出演者 | 安めぐみ(ナビゲーター) |
放送期間 | 2006年9月16日 - 2007年3月17日 |
放送時間 | 土曜日 0:30 - 1:00(金曜日深夜) |
放送分 | 30分 |
回数 | 26 |
総合テレビおよび、海外向け放送のNHKワールド・プレミアムで放送(ステレオ・字幕放送)。また地上デジタル放送ではハイビジョンで放送。通称PJ。記載している時刻は全て日本時間。
番組タイトルの「ポップジャム」は、様々な音楽をジャムする(混ぜる)の意味を表している[2]。
1993年4月10日に『ポップジャム'93』として放送開始。東京・渋谷のNHKホールからの公開収録で、J-POPアーティストが数組出演し、ライブパフォーマンスを展開。番組のラストには司会者、ゲスト、ファンらが一体となって「せーの、ポップ、ジャムッ!!」と唱和して締めるのも恒例だった。
1993年の開始当初は月1 - 2回ペース、夕方の1時間番組であった(スペシャルの場合は1時間30分だった)。1995年4月7日よりレギュラー番組に昇格し、放送時間も夕方から金曜深夜へ移動し、これまでの1時間から35分に短縮。また、この年よりタイトルから年号が取れ、番組名を『ポップジャム』に統一。1996年より放送時間を土曜夜11時台へ移動、1997年より時間枠を35分から40分に拡大。土曜日時代、6回に渡って放送時間を変更し、2004年4月2日より金曜深夜枠に再び移動[注 1]した。なお、14年間で12回も放送時間が変更され、また延べ14組16人[注 2]もの司会者が担当した。
基本的にはNHK総合での放送だが、全てハイビジョン制作となっていた。また、第1期レギュラーシリーズまではNHKハイビジョンでも放送されていた。アナログハイビジョンの実用化試験放送時代にも総合テレビの放送に先駆けて収録当日に生放送をしていたこともあったが、BSデジタル放送の開始後は総合テレビより数日遅れでの放送に移行し、2006年3月を以って終了した。
『ポップジャム』としてのレギュラー放送を2006年3月10日で終了し、同年5月1日から毎週月曜日22:00 - 22:30のレギュラーの単発特別番組枠である『プレミアム10』の企画の1つとして、番組名を『POP JAM DX』(ポップジャム・デラックス-POP JAM DELUXE)に変更、放送も年間8回予定の不定期放送となり、11年ぶりの単発番組化で再出発、5月1日より毎月第1月曜日に放送。しかしながら、第3回放送(7月3日)を最後にわずか3回で単発放送を取り止め、夏季集中編成明けの9月16日(15日深夜)に新生『POP JAM』(ポップジャム)として、土曜日(金曜日深夜)0:30 - 1:00の週1回のレギュラー放送に復帰したが、2007年3月17日(16日深夜)の最終回スペシャルをもって完全終了となった。
2007年4月6日より、本番組の内容をほぼ引き継ぐ形で、『MUSIC JAPAN』(通称MJ)がスタート、2016年4月3日(4日未明)まで9年に亘って続く。その後、『シブヤノオト』『NAOMIの部屋』を経て2022年度より開始の『Venue101』に引き継がれている。
2008年4月から2009年まで、CS放送・第一興商スターカラオケにて、過去のポップジャム(標準画質版)の放送分から厳選して再放送されていた。
2019年5月から10月にかけて歌謡ポップスチャンネルにてハイビジョン版が再放送された(全12回)。2020年4月から9月に2期レギュラー放送(全12回)。2期より第一興商スターカラオケでは未放送の回が含まれるようになった。スカパー!プレミアムサービスなど、ハイビジョン形式の放送ならハイビジョン画質で視聴可能。
現在も『SONGS』などのNHK音楽番組内での出演アーティストのトークの中で過去のPJ映像が登場することがしばしばある。
基本編成。
基本的にはNHKホールからの公開収録となっており、1993年の放送開始当初から第1期レギュラーシリーズ時代は全編にわたってホール公開収録(原則2本撮り)方式をとっていた。
#第8シーズン(2005年度)の公開収録からゲストの歌(演奏)部分中心となり、トーク部分はNHKのスタジオで別に収録していた。
なお、1999年ごろから2004年までは年に数回のペースで地方各地[注 6]での公開収録も行われた。2006年10月2日にはNHK大阪ホール5周年記念として『ミュージック・エクスプレス』(BS2で放送)との併禄による収録が行われた。
また、通常のレギュラー版以外にも、2003年より2005年まで3年間、毎年2月に地方での公開生放送も行ってきた[注 7]。
2006年度(第9・10シーズン)は、NHKホールで行う公開収録もこれまで行われてきた2本録りが廃止され、放送3回分ならびに『ミュージック・エクスプレス』併録となり、出演アーティストの一部もスタジオ収録となった[注 8]。また、これまでのNHKホール収録を極力減らし、NHK・CT-101スタジオなどでの収録も増やしていた。
期間 | 男性 | 女性 | NHK アナウンサー | |
---|---|---|---|---|
1993年4月10日 | 1994年4月24日 | 本木雅弘 | (不在) | (不在) |
1994年4月30日 | 1998年3月28日 | (不在) | 森口博子 | |
1998年4月4日 | 2000年3月25日 | 爆笑問題 (太田光・田中裕二) |
(不在) | 柘植恵水 |
2000年4月1日 | 2002年3月9日 | 堂本光一 | 久保純子* | |
2002年3月23日 | 2003年3月15日 | (不在) | 優香 | 高市佳明 |
2003年4月6日 | 2005年3月12日 | つんく♂ | 高山哲哉 | |
2005年4月2日 | 2006年3月11日 | 西川貴教 アンジャッシュ (渡部建・児嶋一哉) |
(不在) | 村上由利子* |
2006年5月1日 | 2007年3月10日 | (不在) | 安めぐみN[注 9] | (不在) |
2007年3月17日 | 西川貴教 | 高山哲哉 |
単発番組時代の1993年4月 - 1994年9月に活動した番組内のダンスユニット。番組のマスコット兼バックダンサーも務め、ブレイク前の安室奈美恵や現MAXのメンバー所属のSUPER MONKEY'Sも参加していた。
元々ユニット名は「ポップ・ジャム・ガールズ」の略であったが、中盤で男性メンバーも加入し、混合ユニットとなった。
なお、メンバーは次の通り。
初代司会者・本木雅弘時代。
第1回放送は1993年4月10日17:00 - 17:55。当時は月1 - 2回ペースの単発での放送だった。
オープニングムービーは青色のモノクロ映像で、本木の顔のアップが徐々に大きくなって行き、頬の部分に『ポップジャム'93』のロゴが表示される仕組みだった。当時は全体的に暗めの階段を模したセットだった。オープニングでは雷の演出の中でPJG(ポップ・ジャム・ガールズ)のダンスによって開幕。
1993年5月1日には初のスペシャル版として『特集・ポップジャム'93』が16:30 - 17:59の枠で放送された。以後、8月28日、12月4日と3回放送された。
1993年7月31日には初の総集編が16:30 - 17:59の枠で放送された。
第2代司会者・森口博子時代。
第2シーズンから森口が司会者に就任するとともに、番組のロゴやオープニングムービー、テーマも一新。スタジオセットがトロピカルムードなものに変わり、明るい仕上がりとなった。また、オープニングテーマの演奏を兼ねてBINGO BONGO(メンバーだったユースケ・サンタマリアは後継番組の『MUSIC JAPAN』でも司会を務めている)がレギュラーに加わった。第2シーズンのエンディングテーマは、WILD STYLE「とまどいを断ち切って」ほか。
1995年1月5日から1月7日まで未明(深夜)枠にて『ポップジャム・ベストセレクション』と題した総集編が3回に亘り放送された。
森口博子時代、1995 - 1998年。
第3シーズンより、単発番組から週1回のレギュラー番組に昇格。放送時間は単発時代の60分より35分に短縮され[注 10]、収録も放送2回分となる。番組タイトルも『ポップジャム』で統一[注 11]。
森口司会末期の1997年4月 - 1998年3月のオープニング・エンディングアニメーション映像はアニメーターの笹原和也が手がけた。
レギュラー初放送となった1995年4月7日の放送でaccessがテレビを通じて活動休止[注 12]を発表。これには事前に打ち合わせした森口曰く、収録終了後、NHKホールにいたaccessのファンの多くが泣き出すハプニングがあった[注 13]。
レギュラー化に伴って、期間ごとに異なるオープニング・エンディングテーマ曲が採用されるようになる。第3シーズンでは以下の曲が使用された。
年度 | 期間 | オープニング | エンディング |
---|---|---|---|
1995年度 | 1995年4月 - 6月 | 東京スカパラダイスオーケストラ「JAM[要曖昧さ回避]」 | 奥田民生「コーヒー」 |
1995年7月 - 9月 | 今井美樹「Ruby」 | ||
1995年10月 - 12月 | JUDY AND MARY「ドキドキ」 | ||
1996年1月 - 3月 | SIAM SHADE「TIME'S (Single Version)」 | THE YELLOW MONKEY「JAM」 | |
1996年度 | 1996年4月 - 6月 | 電気グルーヴ「誰だ!」 | |
1996年7月 - 9月 | 佐野元春「ヤァ!ソウルボーイ」 | ||
1996年10月 - 12月 | 吉川晃司「SHADOW BEAT」 | GLAY「a Boy〜ずっと忘れない〜」 | |
1997年1月 - 3月 | ウルフルズ「それが答えだ!」 | ||
1997年度 | 1997年4月 - 6月 | カジヒデキ「たまごの中の欲望」 | |
1997年7月 - 9月 | 河村隆一「BEAT」 | エレファントカシマシ「明日に向って走れ」 | |
1997年10月 - 12月 | T.M.Revolution「WHITE BREATH」 | スガシカオ「愛について」 | |
1998年1月 - 3月 | ORIGINAL LOVE「ディア・ベイビー」 | THE YELLOW MONKEY「球根」 |
この節の加筆が望まれています。 |
司会者を単独制から複数制に変更。お笑いコンビ・爆笑問題と柘植恵水アナウンサー[注 14]を起用。初めてNHKアナウンサーが司会に起用された。なお、爆笑問題がNHKの音楽番組で司会を担当するのは『メガロックショー』(1991年度、1991年4月 - 1992年3月)以来6年ぶりのことであった。
2年目の1999年から全国各地での公開収録が始まり、札幌、北九州、大阪でそれぞれ行われた。
第4シーズンでは、以下のオープニング・エンディング曲が使用された。
年度 | 期間 | オープニング | エンディング |
---|---|---|---|
1998年度 | 1998年4月 - 6月 | 4月度:LUNA SEA「STORM」 5月度: 6月度: | 黒沢健一「WONDERING」 |
1998年7月-9月 | JUDY AND MARY 「ステキなうた」 | 相川七瀬「眠れない夜」 | |
1998年10月 - 1999年3月 | BLANKEY JET CITY「SWEET DAYS」 | 10月 - 12月:CASCADE 「cuckoo」 1月 - 3月: | |
1999年度 | 1999年4月・5月 | 番組オリジナル | ZEPPET STORE「もっともっと」 |
1999年6月・7月 | SURFACE「なあなあ」 | ||
1999年8月・9月 | the brilliant green「CALL MY NAME (JAPANESE VERSION)」 | ||
1999年10月 - 12月 | Hysteric Blue「ふたりぼっち」 | ||
2000年1月 - 3月 | THE YELLOW MONKEY「バラ色の日々」 |
この節の加筆が望まれています。 |
堂本光一(KinKi Kids)・久保純子[注 16]時代、2000 - 2002年。
第5シーズンは堂本が所属するジャニーズ事務所の所属タレントの出演も多かった。特に2001年度には、堂本がKAT-TUNやジャニーズJr.のメンバー、または大物アーティストとジョイント、ミニライブを行う企画も行われた。なお、ライジングプロダクション所属の男性グループ[注 17]が出演する場合は久保の単独司会となっていた。
第5シーズンの地方での公開収録は5ヶ所で行われた[注 18]。
第5シーズンのオープニング・エンディングテーマは、小西康陽(2001年 OP)。
2002年3月23日、新たに優香と高市佳明アナウンサー[注 14]を司会に迎え『ポップジャム スペシャルプロローグ』と題した特別番組を放送。globe、ウルフルズ、岡本真夜、キンモクセイらが出演した。注目・期待のアーティストを紹介する「ブレイクレーダー」がスタート。優香がアーティストの素顔に迫る「優香のBack Stage Jam」のコーナーが新設される。このシーズンでの地方公開収録はなし。
2003年2月8日、10周年記念特番として『生放送!黄金の10周年!』を大阪城ホールより生放送(19:30 - 21:00)。このときの司会に優香・高市に加え藤井隆が参加。歴代司会者が登場する企画や、PJで披露された曲、セッション企画、初登場シーンを振り返る企画が行われた。2月15日には前週未放送部分を加えた完全版として放送された。
高市が別番組へ異動したため、第6シーズンは1年で幕。
オープニングテーマは1年間オリジナルのものを使用。また、エンディングテーマは以下の楽曲が使用された。
第6シーズンの司会者のうち優香が続投のほか、新司会者にシャ乱Qのつんく♂と高山哲哉アナウンサー[注 14]を迎え3人で司会を担当というスタイルとなった。
また、第7シーズンからはブレイクレーダーが「ブレイクレーダーNEO」にバージョンアップした他、新たに地方人材発掘企画として「つんく♂のエンタメ情報局」なる企画も登場した。エンディングで、出演アーティストに毎回質問を出し、フリップに回答を書いてもらうのが慣例となった。
2004年5月より、アーティスト1組に焦点を当てて特集する新スピンオフ企画『PJ PURE SIDE(ポップジャム・ピュア・サイド)』がスタート。第1回目は175Rを特集(2004年5月14日放送)。以後、東京事変編(2005年6月24日放送)まで2回制作されたのみだった。
第7シーズンの地方での公開収録は4ヶ所で行われた[注 20]。
エンディングテーマは「ブレイクレーダーNEO」で最高得票を獲得したアーティスト[注 21]の曲が翌週から流れる方式となった。得票数が更新されるごとに変更されていた。
西川貴教・アンジャッシュ・村上由利子時代、2005 - 2006年。
トーク部分が通常のNHKホールでの収録とは別録りとなった。たいてい1 - 2組のアーティストがこのトーク部分に出演するため、これによりNHKホール収録は歌中心となった。
第8シーズンのオープニング・エンディングテーマは、いきものがかり[注 22]。EDは、 ユンナ「ほうき星」、など。
安めぐみナビゲーター時代。
2006年5月 - 7月。
ポップジャム第9シーズンとなるこの『POP JAM DX』(以下『DX』)は、1995年以来11年ぶりの単発化であった。2006年5月1日(月曜日)より「新生NHK」の一環の新枠『プレミアム10』(月曜22:00 - 23:30)内の企画として、不定期での放送となり、放送時間も最長の90分となった。NHKホールでのライブ収録はBS2で放送中の『サンデーヤングミュージック ミュージック・エクスプレス』(日曜18:00 - 18:50、不定期)と併録となった。基本的にはこれまでと同様NHKホールで収録。また、DXからは一部NHKスタジオでの収録となった。当初の放送予定は年8回のペースを予定していたが、実際には3回のみとなった。従来の番組内容とは一新。ドキュメンタリー色が強くなった。
収録時のホール司会は河辺千恵子と高山哲哉[注 24]が務めていたが、ここでは基本的に司会者を置かず、放送に登場するのはナビゲーターの安めぐみだけであった。出演者は基本的に『ミュージック・エクスプレス』と同じアーティストが一部出演。『DX』のみ出演のアーティストも数組というスタンスとなった。
『DX』では新コーナーとして、東京発の音楽、ムーヴメントを映像で紹介する「東京.NOW(トーキョードットナウ)」、渋谷で行われているライブを紹介する「Live in Shibuya」が登場。第10シーズンまで継続された。ナレーションは山寺宏一[注 25]が引き続き担当のほか、松本まりかが新たに参加。『DX』からオープニングアニメーションを吉浦康裕が担当。テーマ曲にはニュー・オーダーの「リグレット」を使用[注 26]。
新たにポッドキャスティングによる展開を開始、最終シーズン終了まで1年間に亘って実施された[注 27]。
2006年9月 - 2007年3月。ナビゲーターの安めぐみは『DX』から続投。
レギュラーシリーズ第2期目は、2006年3月以来半年ぶりのレギュラー復帰となる第10シーズン目である。2006年9月15日より、毎週金曜日深夜(土曜日未明)0:30 - 1:00の枠で放送開始。特番時代のタイトルから『DX』が取れ『POP JAM』(ポップジャム)となった。ただし、前回のレギュラー(40分)から時間が短くなり、1993年の番組開始以来最短の30分となった[注 28]。番組史上最短の放送時間は同年12月1日の20分である[注 29]。
NHKホールでの収録は引き続き『ミュージック・エクスプレス』(BS2)との併録ではあるが『POP JAM』は放送3回分の収録となった。
松本まりかが引き続きナレーションを担当[注 30]のほか、2003年から2年間司会を担当し、『ミュージック・エクスプレス』司会の高山が不定期でナレーションとして参加した。前作『DX』からの流れで、ドキュメンタリー色の強い番組となり、またアーティストの演奏部分についてはNHKホール収録部分を極力減らし、NHKスタジオでの別収録部分が新たに加わる形となった。吉浦康裕によるオープニングアニメーションを引き続き使用。
2007年3月16日深夜(17日未明)に最終回スペシャルが放送され、1993年4月から放送開始した『ポップジャムシリーズ』は14年の歴史に幕を閉じた。
PJ最終回は同年3月5日にNHKホールで収録が行われ、第8シーズンの司会も務めたT.M.Revolution(西川貴教)をはじめL'Arc〜en〜Ciel、TRF、GLAY、ゴスペラーズ、浜崎あゆみ、いきものがかりらが出演。最終回のNHKホール司会は安と高山が担当。このほか、TRFのDJ KOOがDJプレイを披露した。
NHKホール以外にも、スタジオで司会者と出演アーティストによるトーク[注 39]を展開し、PJ出演時のVTRを見たり、当時の思い出等を語った。また、森口博子、爆笑問題といった歴代司会者も登場し、番組の思い出を語った。なお、浜崎は別収録で、インタビュー映像のほか、最新曲『No way to say』をそれぞれ紹介された。
なお、PJ最後の演奏となったT.M.Revolutionのメドレー[注 40]の後、西川が音頭を取り最後のタイトルコール『ポップ、ジャムッ!!』の唱和と同時にキャノン砲から発射された紙テープと紙吹雪がホール全体に舞い、盛大な終幕を飾った。
また、番組の最後の10分間は「POP JAM REPRISE」(ポップジャム・リプライズ)と題した特別企画があり、PJに縁のあるアーティストとして安室奈美恵が登場、本人のトークと2曲[注 41]がスタジオで披露された。
なお、本編(50分)と「POP JAM REPRISE」の映像切り替えの合間には、4月新番組『MUSIC JAPAN』の告知を兼ね「PJからMJへ」として「PJ」のロゴが「MJ」に変わる映像が放送された。
ポップジャムでは番組内で数々の企画が展開された。以下はその主な一例。
2002年4月6日「ポップジャムブレイクレーダー」として、今後注目されるアーティストが登場し、ブレイクするかどうかをNHKホールの観客に投票してもらうコーナーが登場。2003年4月からは「ブレイクレーダーNEO」とタイトルを変更。その後「ブレイクレーダー」に再変更し、2006年3月3日放送分まで4年間続いた。
このコーナーから、さまざまなアーティスト[注 44]がブレイクを果たした。出場者は実力派から、人気アイドル、お笑い、さらには企画ユニットまで、幅広い分野にわたって領域が広く、女性タレント[注 45]やお笑い芸人からも人気者[注 46]が歌手として参加した。また、mihimaru GTなど、1回目に敗退して後に再挑戦したアーティストも多い[注 47]。
システムは、2002年度は筆記式で投票箱に入れる方式だったが、2003年4月より「ブレイクレーダーNEO」と改題されたのに伴い、システムも機械式のものに変更。「レーダー君」と呼ばれる赤外線を放射するロボットに、観覧者が赤い団扇[注 48]で反射させ、ブレイクするかどうかを判定。また「NEO」では高山哲哉アナの「照明さん、暗転!」の掛け声も名物のひとつとなった。
2003年以降、コーナー集計得点1位のアーティストは番組でエンディングテーマとしても流れるほか、4週連続勝ち抜いたアーティストは再度、番組出演できるという権利が与えられる方式となった[注 49]。2004年度までブレイクレーダーには毎回2組のアーティストが登場していたが、2005年からは1組となり、得票数が80%を超えた場合は抽選会があり、主な賞品は番組エンディングテーマなどだが、特賞としてNHK紅白歌合戦の出場権などもあった[注 50][注 51]。
ブレイクレーダーの最高得票は、平川地一丁目が記録した97.5%[注 52]。最低得票は、秘密博士とエンペラーズの14.1%[注 53]。
2003年11月8日の放送では、いつものブレイクレーダーNEOを変更し、ダンディ坂野対はなわによる「平成の歌う爆笑キング決定戦!」を開催[注 54]。
2004年6月18日放送[注 55]において、集計マシン『レーダー君』の誤作動により、不正確な数字を表示するというミスがあった。NHKでは後日、その集計を無効としているが、その後Bean Bagは9月10日放送[注 56]でブレイクレーダーNEOに再度出演、82.3%という高い支持得点を獲得、5週勝ち抜いた[注 57]。また、安良城は10月22日放送[注 58]に出演し、70.6%という高い得点を出したが、同日出演のTRIPLANEに83.3%という得点を記録され敗れた。
今後の音楽界を担う若手アーティストがNHKホールに集結し、ブレイクするかを競うスペシャル企画として「ブレイクレーダーNEOまつり ハッスルスペシャル」が2004年10月8日と2005年1月14日の2回開催された。『ハッスル』のタイトル通り、大会委員長はキャプテン・ハッスルこと格闘家の小川直也。審査員長は小川で、また優香が審査員を務めたほか、第1回では後浦なつみ、第2回では波田陽区が特別審査員で参加した。また、グランプリ獲得者以外にも、特別審査員から各1組ずつハッスル特別賞と称した特別賞も出ている。各2回とも、6組ずつが出場した。
順位 | アーティスト名 | 得票 | 備考 |
---|---|---|---|
☆GP | スムルース | 87.5% | |
2 | Meyou | 76.5% | ハッスル特別賞 |
3 | HUNGRY DAYS | 59.3% | 前年度「全国バンドコンテスト」優勝。 |
4 | 伊禮麻乃 | 58.8% | 高校時代の級友であるRYO(ORANGE RANGE)より応援コメント。 |
5 | Hi-Timez | 56.0% | |
6 | 秘密博士とエンペラーズ | 14.1% | ブレイクレーダー史上最低得票率を記録。 横山剣(クレイジーケンバンド)より応援コメント。 |
ポップジャムとしても毎年、夏季やクリスマスなどに大型スペシャルが放送されていた。
ポップジャムでは通常版以外にもスピンオフ企画として、さまざまなアーティストに密着したドキュメント企画や、アーティストの「個」の部分を生かしたスペシャル番組などが放送された。
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