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ファッションモデルの「久保順子」とは別人です。 |
久保 純子(くぼ じゅんこ、1972年1月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元NHKアナウンサー。本名は清重 純子(きよしげ じゅんこ)旧姓は久保。愛称は「クボジュン」、「ジュンジュン」。
概要 くぼ じゅんこ久保 純子, プロフィール ...
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両親ともにアナウンサー経験者である(後述)。三鷹市立第五小学校に入学後[1]、父の転勤により小4から中1までをイギリス・ロンドンで過ごす[2]。帰国後、三鷹市立第三中学校を経て[1]、東京都立調布北高等学校に入学した。高1の夏からアメリカ・ウィスコンシン州に留学し[3]、続いて留学したニューヨーク州のパイオニア・セントラル高校を卒業した[4]。帰国後、上智大学比較文化学部比較文化学科に半年通った後[5]、慶應義塾大学文学部に入学し英米文学専攻を卒業した[4]。
1994年、NHKに入局した[6](最初の勤務地は大阪放送局)。2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動となる。NHKでは珍しく「アイドルアナウンサー」と称され、受信料制度周知キャンペーンなどに起用された[7]。
1999年に一度だけ、NHKの現役の局員としては異例の民放番組出演を果たしている(後述)。
2000年に結婚した。2002年に長女を出産後、NHKに契約職員(専属契約。事実上嘱託)として復帰した。2004年3月31日の契約満了をもって、フリーランスとなる。2008年には次女を出産した。
2011年夏から夫の米国転勤に家族で同伴するため、当時のレギュラー番組をすべて降板した。帰国後の2013年秋から活動を再開した。
2022年2月からニューヨークで幼稚園の教諭として勤務していることを明らかにしている[8][9]。
ミュージック
- 嘉門達夫 食のワンダーランド〜食べることは生きること〜其の壱(2016年12月21日) - 「干し芋に抱かれて」
- 実父は元日本テレビアナウンサー(元アナウンス部長)および日本テレビアナウンスカレッジ初代学長の久保晴生。実母は元日本テレビアナウンサーの久保淑子(旧姓:加藤)。4歳年上の兄がいる[12]。
- 子供が大好きで道端でよその子供に抱きつくこともある。そのこともあり、子供番組を作りたくてアナウンサーを志望した。子供番組の企画書を書いて出したこともあった。紅白の紅組司会に抜擢される程の人気アナウンサーになったため、NHK時代に夢は叶わなかったが、フリー転身後『クボジュンのえいごっこ』で夢が叶うこととなった[13]。
- 母が日テレ退社後に営む英語教室の手伝いをしている[14]。
- 私生活では中学生の頃に同じ学習塾で、席が隣同士になったのがきっかけになり、木佐彩子(元フジテレビアナウンサー)と親友になった[15]。
- 2006年11月26日の『朝日新聞』の朝刊で、幼少期、イギリスで人種差別的ないじめを受けていたこと、帰国後の日本の公立中学校でもいじめを受けたことを告白している。AERA Englishでは、高校3年間のアメリカ留学先(ウィスコンシン)で、ベビーシッターの家にホームスティをし、毎日何人もの子供たちの世話をさせられ大変だったことを告白している。またそのこともあり、高3の時、ウィスコンシンからニューヨーク州のバッファローの高校に転校している。
- 18歳当時、父がアナウンス部長を務めていた日本テレビでイベントコンパニオンのアルバイト経験があり、そこで『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会をしていたみのもんたと一緒に仕事したことがある(商品をのせたお盆を持って出す役など)。また、1991年の世界陸上東京大会で通訳の仕事もしていたこともある[16]。
- 大学生の時に東京ドームでプロ野球・読売ジャイアンツのマスコットガールのアルバイトをしており[17]、本塁打を打った選手にジャビットのぬいぐるみを渡す場面が何度か『ウチくる!?』で流れされた。「このアルバイトは選手がホームランなど打たないと仕事が無いので、待機中の時は裏で勉強をしていた。当時巨人投手の桑田真澄が勉強の内容に興味を持って見に来ていた。(様子を見に来る選手は他にもいたが)勉強に興味を持っていた選手は桑田投手だけだった」と語っている。
- NHK入局試験の際の面接官が加賀美幸子だった。他の面接官が難色を示す中、加賀美が「全身が言葉という雰囲気が体から溢れてる」と推薦し、久保の入局が決まった。久保は「加賀美さんがいなかったら、今の久保純子はなかった」と感謝しており、(久保の)結婚の際には仲人を加賀美に務めてもらう程、親交は深い[18]。
NHK時代
- 「女子アナウンサーも普通の会社員なんですよ」と発言したことがある。
- 郷ひろみの大ファンである。そのため、自身が初紅組司会を務めた1998年の『第49回NHK紅白歌合戦』で、白組歌手である郷の曲紹介を例外的に久保が行った。
- NHKおよび慶應義塾大学の先輩である宮本隆治のことを大変尊敬しており、自身の結婚式の司会も宮本に担当してもらった程である。きっかけは共に十日町雪まつりを取材した時、宮本が久保の着物に積もった雪を払ってあげたことだったという[19]。
- 先述の通り、1999年1月放送の日本テレビ『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画ユニットポケビとブラビの激励のためにリハスタジオへ登場し、当時としては異例のNHKの現職アナウンサーの民放出演となった。これは1998年の紅白の司会を務めたためと、父が日本テレビ出身だったこともある。
NHK退職後
- NHK退職に関しては、円満退職である(久保本人も明言している)が、フリー転身後はNHKに出演する機会がしばらくなかったが、NHK紅白歌合戦60回を記念して製作された特番「紅白歌合戦AtoZ」(2009年12月30日)において、証言者の1人として退職から6年ぶりのNHK出演を果たし、その4日後には「ワンダー×ワンダー」(紅白を取り上げた拡大版)で久々のスタジオ出演を果たした。
- 自身の長女は山下智久の大ファンである。
- 2008年3月11日、『ウチくる!?』のロケ中に第二子を妊娠中であることを明らかにした。本人は「予定日近くまでは仕事をしたい」と語っており[20]、その言葉通り出産ギリギリまで普通に仕事をこなしていた。出産予定日は8月中旬とのことであったが、やや予定が早くなり、7月24日に次女を出産した。翌月23日には『ブロードキャスター』で早くも仕事復帰を果たし[注 2]、収録が長時間に及ぶ『小中学校教科書クイズ!』(秋のみ『小中学校…』というタイトルに)にも通常通り出演した。
- 2011年7月16日、文化放送『久保純子のライオンミュージックサタデー』の番組中、夫の米国転勤(任期は1年半)に家族で同伴することを明らかにした。番組自体は出演者を菊池桃子に交代する形で継続する。また『ウチくる!?』も同年8月21日放送分をもって降板した(帰国後の2013年10月6日の『ウチくる!?』にゲストとして登場)。
- 2004年、初のエッセイ集「なな転び八起き」(グラフ社刊)を執筆。
- 久保純子のニューヨーク街歩き
注釈
2007年3月をもって芸能界を引退した飯島愛の後任。3月25日放送分にゲストとしてプレ出演
久保の次女出産の頃には、『ブロードキャスター』の2008年9月での終了が決定し、復帰を急ぐ動機のひとつとなった