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日本のフジテレビのバラエティ番組(1982 - 2014) ウィキペディアから
『森田一義アワー 笑っていいとも!』(もりたかずよしアワー わらっていいとも)は、フジテレビ系列で1982年(昭和57年)10月4日から2014年(平成26年)3月31日まで、毎週平日(月曜日から金曜日まで)の12:00 - 13:00[注 1](JST)に生放送されていた帯バラエティ番組。
森田一義アワー 笑っていいとも! | |
---|---|
| |
別名 |
笑っていいとも! いいとも! |
ジャンル | バラエティ番組 |
構成 | スタッフ参照 |
ディレクター | スタッフ参照 |
監修 | スタッフ参照 |
司会者 | 森田一義(例外有) |
出演者 |
いいとも青年隊 各曜日レギュラー陣 |
ナレーター | 歴代ナレーション参照 |
音楽 |
鷺巣詩郎 伊藤銀次 |
オープニング | いいとも青年隊「ウキウキWATCHING」 |
エンディング | 同上(オフヴォーカル版) |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
話数 | 全8054回 |
製作 | |
チーフ・プロデューサー | スタッフ参照 |
プロデューサー | スタッフ参照 |
制作プロデューサー | スタッフ参照 |
編集 | なし(生放送) |
制作 |
フジテレビバラエティ制作センター (現・フジテレビ第2制作部) |
製作 | フジテレビ |
放送 | |
放送局 | フジテレビ系列 他 (ネット局参照) |
映像形式 | SDTV(2005年7月22日まで) HDTV(2005年7月25日より) |
音声形式 | モノラル放送(モノステレオ放送) |
放送期間 | 1982年10月4日 - 2014年3月31日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 12:00 - 13:00 |
公式ウェブサイト | |
番組年表 | |
前作 | 笑ってる場合ですよ! |
次作 | バイキング → バイキングMORE |
関連番組 | 派生番組参照 |
通称は『笑っていいとも!』、略称は『いいとも!』。スタジオアルタから一般観客を入れて毎日生放送を行っていた。モノラル放送(モノステレオ放送)、ハイビジョン制作(2005年7月25日放送分から)を実施していた。
森田一義(以下「タモリ」と表記)の冠番組であるが、他の番組とは違い、番組名通り基本的に「森田一義」名義であり、そのようにテロップも出ていたが、番組内では「タモリさん」「タモさん」と呼ばれていた。タモリが司会を務める番組の中ではテレビ朝日系列『タモリ倶楽部』[注 2] に次ぐ長寿番組。2014年3月31日の通常放送最終回、および同日ゴールデンタイム・プライムタイム枠の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』と題した生放送特別番組で31年半の歴史に幕を下ろした[1]。
1982年10月4日、スタジオアルタからの生放送を行っていた帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の後継番組として放送開始。また、1982年10月24日(日曜日)には、『もう一度笑ってる場合ですよ!』の後継番組として派生番組の『笑っていいとも!増刊号』が放送を開始した。フジテレビ系列局がない地域においては、他系列局で遅れネットも実施された。
他に派生番組として、年末年始の生放送特別番組『笑っていいとも!特大号』、夏の生放送大型特別番組『FNS27時間テレビ』内で日曜日の午前から午後の昼の時間帯(10:30頃 - 12:30頃)に掛けて行われた『笑っていいとも!増刊号 生スペシャル』、番組改編時期(春3月・秋10月)に放送されていた特別番組『笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル』・『笑っていいとも!新春祭』・『夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号』が放送されていた。2012年夏には、当番組が放送開始30周年目に因んで当番組をベースとした『FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』が放送された。
当時の人気お笑いタレントが勢揃いしていた『笑ってる場合ですよ!』の後を受けて、当時深夜色の強いタレントだったタモリを総合司会に起用した。『笑ってる場合ですよ!』に比べて視聴率的に苦戦することは十分予想でき、タモリ自身も3か月から半年での終了を予期していたが、番組放送開始から半年も経たないうちに視聴率が上昇し、同時間帯(月 - 金曜12時台)の年間平均視聴率では、1989年の統計開始から2013年までの25年間連続で民放横並び首位を獲得した[2]。「楽しくなければお昼じゃない!」(当時のフジテレビのキャッチフレーズ「楽しくなければテレビじゃない!」のもじり)のコンセプトで、タモリといいとも青年隊を軸として、月曜日から金曜日の各曜日レギュラー陣を始めとし、日替わりコーナーゲストに毎回「テレフォンゲスト」を1組招いてタモリとトークを展開する「テレフォンショッキング」「各曜日日替わりコーナー」「曜日対抗いいともCUP」などのコーナーを主に放送していた。
末期には『ヒルナンデス!』(日本テレビ)や『ひるおび!』(TBS)に視聴率で超されることが多くなった。そのため、2013年4月からは40歳以上の主婦を狙った内容への転換が図られたが、タモリは「目先の視聴者を意識すると、本来の視聴者を失うことになる」と主張した。しかし、スタッフはタモリの意見を無視。その結果、新コーナーにタモリが出演しないなど、番組改革とタモリとの不和が報じられていた。そして、2013年10月22日放送の終盤にて、2014年3月31日をもって番組が終了することが発表された[3]。
本番組の放送期間は31年6か月だった。これは本番組終了時点において、フジテレビ系列の帯番組最長記録となった[注 3]。お笑い評論家のラリー遠田は、いいともの終わり(最終回)は「テレビ自体の最終回」であり、数千万人規模の大衆がそれだけを求め、心を奪われ、酔いしれる、華やかでにぎやかな「祝祭」としてのテレビの終焉と評している[3]。
当番組の特徴として、一般人・視聴者が出演者(芸能人や著名人)と共に参加する視聴者参加型コーナーが、番組開始当初から長く続いていたことがあげられる[注 4]。
基本的に、オープニング → 日替わりコーナー① → テレフォンショッキング → 日替わりコーナー② → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディング。または、オープニング → 日替わりコーナー① → 日替わりコーナー② → テレフォンショッキング→ 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディングという流れで生放送を行っていた。
生放送のため、テレフォンショッキングや番組後半の日替わりコーナー2本目が長引いた場合、日替わりコーナー3本目を休止または短縮してそのままエンディングになることがある。通常、当日にオーディションを行う視聴者が出演・参加をする日替わりコーナーを優先するが、日替わりコーナーが2本とも視聴者出演の日替わりコーナーだった場合や、報道などの事情で事前オーディションに受かって出演予定となっていた視聴者が出演できなかった例もある。
番組開始初期から続いたトークコーナーのテレフォンショッキングは、毎回ゲストを当番組に招いてタモリとトークをするコーナーで、エンディングでは、週替わりの様々なゲームに各曜日レギュラー陣が挑戦し、曜日チーム同士の対抗戦で成績を争う[注 5] 企画があった。このコーナーは『爆笑オールスター・タモリンピック』→『曜日対抗 いいとも!選手権』→『曜日対抗いいともCUP』と名称を変えながら、断続的に行われた(なお、一週間を通しての放送がない年末年始には放送されなかった)。
1991年1月から、番組生放送終了後の約30分間は、タモリを始めとするレギュラー陣がファンサービスも兼ねてスタジオ舞台上でトークを繰り広げた。その模様の一部は『笑っていいとも!増刊号』で「放送終了後のお楽しみ」として放送されていた[注 6]。増刊号の特別企画でもある「増刊号スペシャル」「いいとも!ファンクラブ通信」「森田一義アワー 座っていいとも!」「いいとも!スピンオフトーク」「いいとも!5DAYS」など複数の企画が行われていた。
日替わりゲストとしてテレフォンショッキングのゲスト1組(以下テレフォンゲスト)、各曜日日替わりコーナーゲストが宣伝や番宣を兼ねて1組から2組[注 7] 出演していた。ゲストには多岐多彩な分野の人物が出演をしており、現役の内閣総理大臣が出演したこともあった。小渕恵三や小泉純一郎が生放送中に電話出演したほか、2014年にはテレフォンゲストとして安倍晋三が生出演している[4]。また、日本を訪れている外国の著名人が生出演することも多かった。
1998年10月より本番組開始前(11:57:15 - 11:57:30)に一部地域を除いて、クロスプログラム(番組宣伝)を生放送していた。
画像外部リンク | |
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番組ロゴ(フジテレビ番組基本情報ページ) |
番組のタイトルロゴは、下記のとおりのデザインとなっており、番組開始から最終回まで基本的な形に変化はなかった。
高柳義信のデザインで[5]「笑って」とガイドするイメージの旗に対して右上がりで跳ね上がり勢いを持たせた「いいとも!」の字体で同意と共にはじける元気さやポジティブさを表現し[6]、また感嘆符には真昼の太陽の輝きのイメージを持たせる形としていた[7]。オープニング3DCGでは「笑って」の旗にはためく動きが加えられていた[7]。
2001年4月以降、『笑って』の書体を変更したデザインが、一部のセットやテロップで使われるようになった。また、ロゴの配色は基本的に赤一色だが、時期によっては、オープニングタイトルやスタジオセットなどで、赤以外の配色をしたこともある。2011年10月以降は、青・黄・緑など多色にリニューアルされたデザインがメインに用いられた(上部の画像リンクを参照)。
1982年10月4日の第1回放送における視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。以下特記なき場合は省略)は4.5%[8]。
2014年3月31日放送の昼の通常放送の最終回の平均視聴率は16.3%(2005年10月10日の16.6%以来の高数字[9][10])、瞬間最高視聴率は12:45の18.4%を記録[11]。同日夜の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』の平均視聴率は28.1%(瞬間最高視聴率は23:10の33.4%)を記録し、有終の美を飾った[10][12]。
全8,054回放送の番組平均視聴率は11.5%[9]。最高視聴率は1988年4月29日の27.9%[9]。最低視聴率は1982年10月15日の2.8%[13]。
・歴代いいとも青年隊
・曜日別レギュラー、テレフォンアナウンサーほか
いいとも青年隊による番組テーマ曲「ウキウキWATCHING」の歌とダンスにより放送開始し、番組開始当初から2000年2月29日まではタモリが歌いながら登場していた(2000年2月25日までは歌の途中あるいは歌唱後のトーク中に「新宿情報ビルアルタより生放送」のテロップと遅れネットを含むネット局のロールテロップが流れていた)。1984年からはタモリが「ご機嫌斜めはまっすぐに」や「笑っていいともウキウキwatching」の後に「イェイ!」や「今日もいいかな?」と煽って観客にレスポンスさせていた。
84年秋ごろから一時期2番の歌詞を一部取り入れ、85年の2代目から4代目青年隊までは完全オリジナルの歌詞で歌唱した。歌詞起こしやレコード化もされていないなど、いくつかのパターンがある。タモリが夏休みなどで欠席した場合も各曜日レギュラー陣が同様に歌いながら登場していた。
2000年3月1日以降は後述するタモリの意向もあり、タモリの歌唱部分は省略となり、タモリが登場すると観客の拍手を収める芸[注 8] をするようになった。
その後、放送開始から1994年9月まではCMまでの約1分間、タモリのみのオープニングトークや各曜日レギュラー陣登場からのオープニングトークを行い、そのまま提供クレジット、CMに入っていた。1994年10月以降は各曜日レギュラー陣登場後、オープニングコーナーを挟んでから提供クレジット、CMという構成になった。なお、レギュラー陣登場時には1組ずつ名前テロップが入って紹介されていた(2000年3月放送分は青年隊、2000年4月から一時期はテレフォンアナウンサーも同等に名前テロップ付きで紹介されていた)。いずれの場合もCM前にタモリが「それじゃあ、今日もそろそろいってもいいかな?」とコールし、全員で拳をあげながら「いいとも!」[注 9] と言って提供クレジット(一部地域除く、初期は提供部分を差し替えるためこのコールが聞けない局もあった)が表示されていた。タモリとレギュラー陣はジングル終わりに合わせて一礼していた。
2014年3月31日の最終回では、タモリが歌唱しながら登場する形式が通常のレギュラー放送としては14年ぶりにとられた。また、「グランドフィナーレ 感謝の超特大号」では初代セットおよび振付が再現された。
1988年の昭和天皇病状悪化時には、それに配慮した歌舞音曲自粛のムードを受け、『ウキウキWATCHING』の歌を取りやめ、穏和なBGMが数秒流れてからタモリが挨拶し、その後出演者が軽めのフリートークを行ってから(スタジオはすでにテレフォンショッキングのセットが出来上がっている状態だった)テレフォンアナウンサーを呼び込み、タモリが「それでは今日もよろしくお願いします」と言ったのに続き提供クレジットを挟んでCM入りしていた。「いいとも!」のコールもこの間は廃止していた。 2001年11月5日から14日にタモリが欠席した際もテレフォンショッキングのセットが出来上がった状態でスタートしていたが、この時はオープニング自体が無く、正午の時報とともにいきなりテレフォンショッキングが始まる形式を取り(冒頭でタイトルCGは流された)、ゲストとのトークの途中で提供・CMを入れていた。この時も「いいとも!」のコールは廃止していた。ただし、欠席初日の5日に関してはいつものようにオープニングを行い、タモリではなく月曜レギュラー全員が中央から登場した後、タモリが負傷した事、当面欠席し番組は各曜日レギュラーのみで放送する旨が伝えられた。
曜日レギュラーやゲスト、またはエンディングに告知をする為に登場するゲストを招き入れて告知・番宣をしたり、コーナー募集をしたり、告知が無い場合は当日の放送内容を振り返ったりした後、タモリが「それじゃあまた、明日も見てくれるかな?」[注 10] と呼びかけ、観客・出演者全員が拳をあげながら「いいとも!」と言う流れで終わる形式だった。なお、観客が拳をあげながら言うようになったのは1990年代に入ってからで、それまではただコールするのみだった。
エンディングBGMは、当初から一貫してオープニングとは異なるアレンジの「ウキウキWATCHING」のインストだったが、昭和天皇病状悪化の時期はオープニングと同じ別のBGMでエンディングとなり、最後の流れも行われずタモリが「それではまた明日(来週)です」と挨拶し番組を終えていた。
1996年まではその後に一旦CMを挟んで、タモリやレギュラー陣が騒いでいる放送終了後のスタジオの様子(通称「偽善カット」。1990年12月までは後枠の『ライオンのいただきます』へのセット替えをしながら)をバックに提供クレジット、さらに再びCMを挟んでアルタ前の様子をバックに翌日(金曜は増刊号ではなく翌週月曜日)の予告テロップを表示していた。
放送期間 | 放送時間 (JST) | 放送分数 |
---|---|---|
1982年10月 | 4日 - 1984年 3月30日12:00 - 12:55 | 55分 |
1984年 | 4月 2日 - 2014年 3月31日12:00 - 13:00 | 60分 |
※ 出典(フジテレビ公式サイト[14])
タモリの主な休暇・不在年月日は、
などのほか、かつてはタモリが司会を務めていた深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ)の日本国外ロケを兼ねて、1983年から1992年までの10年間は、毎年定期的に夏休みをとっていた。
1985年から1988年の4年間、タモリは正月休暇をとっており、期間中は笑福亭鶴瓶、明石家さんま、関根勤、片岡鶴太郎、所ジョージなど、各曜日レギュラーの代表(リーダー)が代理総合司会を担当していた。
タモリのゴルフプレー中に起きた怪我による欠席時(2001年11月5日 - 14日)は、各曜日レギュラー陣が協力して番組を進行していた。
2009年7月10日放送分のエンディングで、平井理央(フジテレビアナウンサー、当時金曜日担当)から、タモリが精密検査(人間ドック)を行うため、一週間休養することを発表した。その中で検査とともに白内障の手術も行うことをタモリが自ら語った。タモリが休養の期間は代役総合司会を立てず、各曜日レギュラー陣が臨時で総合司会・進行を務めた。
1984年10月12日(金曜日)の放送では「タモリが前日仕事のために奈良に行って、当日の放送時間までに帰ってこられなくなった」という設定で、さんまにオープニングの代役を頼み、リハーサルまで行うというドッキリを仕掛けたことがある。実際には本番開始時にタモリは観客席の最前列に座っており、さんまがオープニングテーマを歌い始めた直後にステージに上がってきて主役を奪い取り、思いっきりズッコケさせた[注 13]。
1986年9月5日(金曜日)の放送ではタモリより先にビートたけしが乱入。たけしが歌や煽りを行うなどやりたい放題を繰り返す途中にタモリが登場。半熟隊がいつも通りにこなす中で「何やってんの?」「いや・・・B&Bですけど。『笑ってる場合ですよ!』?」などとやりとり。曲終わりでさんまが登場し、(たけし)「いや、面目ない」(さんま)「『ひょうきん』来んと『いいとも』来てんのかいな」(たけし)「『ひょうきん』のとき寝坊しちゃって」(タモリ)「なんでひょうきん族寝坊してこれだけちゃんと来んの?」とトークした。いわゆるお笑いビッグ3のそろい踏みの瞬間でもあるが、まだ当時はあまりこの3人が「BIG3」と言われていなかった時代のことであり、当時は年に1、2回はほぼ必ずBIG3の共演が番組で実現していた。
2013年7月1日放送分から一時、タモリが各曜日日替わりコーナーを1コーナー(オープニングコーナー)とテレフォンショッキングしか出演しないという形状になったが、2014年1月6日放送分から番組終了までは、全てのコーナーに出演する形に戻った。
当番組を観覧希望するには、往復はがきで、希望日、希望人数、全員の氏名・年齢・職業、代表者の連絡先を明記の上、希望放送曜日の1か月から10日前までに番組宛に必着で応募する。1人で多数の応募や、記入漏れがあった場合は無効となり、参加メンバーの変更は出来ない。
番組開始当初から、18歳未満、および高校生(18歳以上であっても定時・通信制を含む高校生であれば該当)による応募は(18歳以上の同伴者を伴った場合を含め)無効となっている。理由としては、学校(高校)を無断欠席し、観覧させるのを防ぐためとのタモリの意向による[注 48] とされるが、番組に出演(一般人・芸能人ともに)する際にはこうした制限もなく、一般の就学児童や学生が学校を欠席して出演している。18歳以上で高校を卒業していても、新年度になる4月までは応募不可となっている。
なお、次に挙げる各回は通常の観覧募集を行わず、以下のような特別観覧となった。
また、すべての観覧募集終了後、最終回までの5回分の観覧応募落選者に送付されたはがきには、応募者多数による不当選となった旨の他、32年間の本番組の御愛顧に対する御礼と、番組末期の『森田一義アワー 笑っていいとも!』タイトルロゴの赤色のゴム印が添えられていた。
また、番組開始から間もなく、希望する日時に直接会場に行けば観覧ができる「いいとも定期券」が若干数発行された。この定期券は番組終了まで有効であった。
なお、当日、当選しても観覧に来られない人が一定数いるため、客席が数席空く対策として、キャンセル待ち制度があった。当選者が全員入場してから、番組開始直前にキャンセル待ちの観客が入るため、下手の席になることが多かった。
観客による写真撮影が、番組開始からほとんどの期間で禁止されていなかったため、前説では、フラッシュが光らないように注意喚起がされ、フラッシュ部分に貼るガムテープが用意されていた。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | ネット状況 | 備考 |
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関東広域圏 | フジテレビ(CX) | フジテレビ系列 | 月曜 - 金曜 12:00 - 13:00 | 【制作局】 | |
北海道 | 北海道文化放送(uhb) | 同時ネット | |||
岩手県 | 岩手めんこいテレビ(mit) | 1991年4月1日開局に伴いネット開始 | |||
宮城県 | 仙台放送(OX) | 1984年4月2日 - 1985年3月29日は12:04飛び乗り[82] | |||
秋田県 | 秋田テレビ(AKT) | 1984年4月2日 - 1985年3月29日は12:04飛び乗り[83] 1987年3月31日まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |||
山形県 | さくらんぼテレビ(SAY) | 1997年4月1日開局に伴いネット開始 | |||
福島県 | 福島テレビ(FTV) | 1983年10月3日から同時ネット開始 1983年9月30日まではTBS系列とのクロスネット局 | |||
新潟県 | 新潟総合テレビ(NST) | 1983年10月3日から同時ネット開始 1983年9月30日まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 現:NST新潟総合テレビ | |||
長野県 | 長野放送(NBS) | ||||
静岡県 | テレビ静岡(SUT) | ||||
富山県 | 富山テレビ(BBT) | 1993年まで略称・T34 | |||
石川県 | 石川テレビ(ITC) | ||||
福井県 | 福井テレビ(FTB) | ||||
中京広域圏 | 東海テレビ(THK) | ||||
近畿広域圏 | 関西テレビ(KTV) | 現在の愛称は「カンテレ」。 | |||
鳥取県 島根県 | 山陰中央テレビ(TSK) | 現在の愛称は「さんいん中央テレビ」。 | |||
岡山県 香川県 | 岡山放送(OHK) | 1984年3月まで愛称・テレビ岡山 | |||
広島県 | テレビ新広島(tss) | ||||
愛媛県 | テレビ愛媛(EBC) | 2004年9月まで正式社名・愛媛放送 | |||
高知県 | 高知さんさんテレビ(KSS) | 1997年4月1日開局に伴いネット開始 | |||
福岡県 | テレビ西日本(TNC) | ||||
佐賀県 | サガテレビ(STS) | ||||
長崎県 | テレビ長崎(KTN) | 1990年10月1日から同時ネット開始 1990年9月30日までは日本テレビ系列[注 50] とのクロスネット局[注 51] | |||
熊本県 | テレビくまもと(TKU) | 1989年9月30日まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 | 1993年10月1日から同時ネット開始 1993年9月30日まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 正式なNNS加盟局としては、鹿児島讀賣テレビが開局した1994年4月1日以降も放送終了まで唯一当番組を同時ネットした。 | ||
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 放送終了時点ではNNSには非加盟 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ(KTS) | フジテレビ系列 | 1994年3月31日までは日本テレビ系列とのクロスネット局 | ||
沖縄県 | 沖縄テレビ(OTV) | ||||
青森県 | 青森テレビ(ATV) | TBS系列 | 月曜 - 金曜 16:45 - 17:45[注 52] | 遅れネット | 1983年10月3日から放送開始 放送終了時点では唯一の系列外のネット局[注 53] |
山形テレビ以外はいずれも遅れネット。
放送対象地域 | 放送局 | 放送当時の系列 | 備考 |
---|---|---|---|
岩手県 | テレビ岩手(TVI) | 日本テレビ系列 | 1983年4月4日から1990年3月30日まで 1990年4月2日から1991年3月29日まで岩手県では未放送[注 54] |
山梨県 | 山梨放送(YBS) | 1985年10月から2002年9月27日まで | |
徳島県 | 四国放送(JRT) | 1986年3月31日から1987年3月27日まで | |
高知県 | 高知放送(RKC) | 1987年3月30日から1996年9月27日まで 1996年9月30日から1997年3月31日まで高知県では未放送[注 55] | |
山形県 | 山形テレビ(YTS) | フジテレビ系列 | 1993年3月31日まで 1993年4月1日よりテレビ朝日系列 1993年4月1日から1997年3月31日まで山形県では未放送[注 56] |
山口県 | テレビ山口(tys) | TBS系列 | 1983年10月から2011年3月25日まで[40] 1987年9月まではフジテレビ系列(FNSのみ加盟)とのクロスネット局 |
大分県 | 大分放送(OBS) | 1984年4月2日から1993年9月30日まで 1993年10月1日にテレビ大分(NNS/FNS双方加盟)へ放送権移行 |
テレビ大分以外はフジテレビ系列のフルネット局。
番組予告(クロスプログラム)実施局 | |||
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このゲームではタモリンピック限定のレギュラータレントになって、1年間さまざまなゲームに挑戦していく内容に改変されている。挑戦できるゲームは全部で19種類であり、そのほとんどがゲーム独自の内容になっており、中には著名人の顔写真を使った記憶ゲームもある。各季節ごとに4種類のゲームに挑戦して合計スコアで競うようになっているが、行うゲームはスロットで決まるため、運が悪いと同じゲームに連続で挑戦することになることもある。どのゲームにも合格の基準が定められており、これを下回ると番組降板となる[85]。
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