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熊本市が運営する地方公営企業 ウィキペディアから
熊本市交通局(くまもとし こうつうきょく)は、日本の熊本県熊本市で公共交通事業を行う熊本市の地方公営企業の一つで、熊本市電(路面電車)を運営している。交通局庁舎は熊本市中央区大江5丁目に所在する。
かつては熊本市営バス(くまもとしえいバス)として公営バス(乗合バス事業)も運営していたが、2015年(平成27年)3月31日をもって廃止され[1]、熊本都市バスに移管された。
熊本市電についても2025年度に上下分離方式を導入することを決定しており、2024年度に熊本市交通局を廃止し、2025年(令和7年)4月から熊本市に車両や軌道の管理を担う部署を新設することになっている[2]。熊本市電の運行は熊本市が出資する一般財団法人に移行する[2]。2024年7月にその一般財団法人熊本市公共交通公社が設立された[3]。
熊本市内の交通機関としては、明治末期より大日本軌道が運行されていたが、蒸気軌道のため評判はよくなかった。市民から電車化の要望が出てくるようになり、市当局では1917年(大正6年)に「電車期成会」を結成し、翌年には同じ九州で当時既に電車が運行されていた福岡、長崎、久留米、鹿児島の各都市へ視察団を派遣した。こうした結果を踏まえ、熊本市では大日本軌道と電車化についての交渉をすることとなった。大日本軌道側も電車化を受け入れたが、結局実現はみることはなかった。そこで熊本市では審議の結果、電気会社(電力会社)の熊本電気に対し、軌道事業の兼営を提案することになった[4]。交渉の結果、熊本電気も条件付きで受け入れることになり、1920年(大正9年)仮契約を結ぶことになった。しかし、この年の不況により計画は中断してしまう。
その後、熊本電気は新会社を設立して軌道事業を経営するという提案をした。熊本市もこれを了承し、1921年(大正10年)11月に軌道敷設特許状が下付されるのを待って、熊本電車株式会社が設立された。ところがこの頃から、市民の間からは電車市営の要望が出されるようになる。1922年(大正11年)には新市長が誕生したことにより、市営化の方針となり、軌道特許敷設権は熊本市へ譲渡されることとなった[5]。
熊本市では第一期工事として、幹線と水前寺線を選定した。その建設費は起債によることとして、1923年(大正12年)3月に許可を得た。そして5月から用地買収に取り掛かった。幹線は熊本駅前を起点とする市の中心部を貫通する道路であるが、道幅は狭く、幅員を10間ないし12間に拡張することになった。幸い家屋移転は順調に進み、10月には起工式を挙げ、1924年(大正13年)8月1日に開通した。
第二期工事(春竹線、上熊本線、黒髪線〈子飼橋線〉)については、1926年(大正15年)6月16日に市議会において可決され、工事施工及び起債発行の申請が1927年(昭和2年)4月及び7月に認可となったため、1928年(昭和3年)より用地買収と工事にかかり、1928年(昭和3年)12月に黒髪線が開通。1929年(昭和4年)6月に春竹線辛島町 - 春竹間および上熊本線辛島町 - 段山町間が開通した。上熊本線段山町 - 上熊本駅前間は藤崎台にある陸軍練兵場の堀鑿や井芹川の改修工事、耕地整理事業の関係で着工が遅れていた。市では1935年(昭和10年)3月の熊本大博覧会の開催までには開通するべく昼夜工事を敢行し、博覧会開催の前日の1935年(昭和10年)3月24日に開通することができた。
熊本市内には熊本市のほか、熊本電気軌道が運営する路面電車路線もあったが、1945年に熊本市は熊本電気軌道を買収した。
2023年(令和5年)3月7日、熊本市議会都市整備委員会で市交通局は「上下分離方式」の導入に伴い、2024年度に交通局を廃止する方針を示した[2]。上下分離方式の導入に伴い、市電の運行は熊本市が出資する一般財団法人に移行し、熊本市は2025年4月に車両や軌道の管理を担う部署を新設することになっている[2]。
熊本市交通局の運転士ら111人については熊本市が出資する一般財団法人の正規職員として採用する方針で、事務職や技工職の正規職員84人は熊本市から法人への出向という形を取る[2]。
2024年7月17日、熊本市は同月1日に一般財団法人熊本市公共交通公社を設立したことを発表した[3]。
2024年11月22日、大西市長が上下分離計画の精査を市議会に指示し、上下分離方式の導入が延期される見通しを発表した[6]。
路線数は5本、運転系統は2系統ある。洗馬橋 - 新町間のみが専用軌道であり、他は全路線併用軌道となっている。また、熊本駅前から田崎橋にかけてはサイドリザベーション化されている。軌間は全線1435mm(標準軌。廃止路線も1067mmの百貫線以外同じ)。田崎橋電停付近と健軍町電停の乗車ホーム部分を除くほぼ全線が複線で、電化方式は直流600V。車庫は上熊本にあるが、以前車庫があった大江の交通局横にも留置線が少し残されており、交通局前停留場の味噌天神前電停側に引き込み線がある。
電線地中化・電柱撤去への対応としては、道幅の関係でセンターポール方式は採用せず、照明柱添加方式を採用しており[注 1][51][52]、対象区間では道路端に建植された道路照明柱にスパンワイヤーを取り付けて架線を吊架している[53]。
随所に設けたトロリーコンタクターにより電車の位置を検出し、運行を集中的に管理する運行管理システムを導入しており、車両無線も活用して運行間隔の適正化や異常時の迅速な対応を図っている[54]。
A系統・B系統それぞれ全線通しての運転が主であるが、熊本駅前発着や交通局前発着の便もある(ただし、交通局前発便のうち健軍町方面に向かう便は、大江車庫からの出庫時に乗車取り扱いができないため、交通局前発ではなく次の味噌天神前発となる)。そのほか、便数は少ないが健軍交番前発、神水交差点発着、辛島町発着および新水前寺駅前行きなども設定されている。ただし、これらの停留場などで途中折り返しが可能な停留場が終点となる便はA系統の熊本駅前止まりを除いてすべて「臨」で運行される。ラインカラーは黄色。あくまでも「増発」 による「臨時」ではなく、途中で終点となることを意味している。
JR九州線とは熊本駅前で九州新幹線・鹿児島本線・豊肥本線、上熊本で鹿児島本線、新水前寺駅前で豊肥本線と乗り換えが可能。上熊本では熊本電気鉄道とも乗り換え可能。
5系統廃止段階では、6系統は段山町 - 辛島町 - 南熊本駅前の路線であった。その後、上熊本駅前まで延伸された後、辛島町 - 南熊本駅前となり、最後は5系統と同じ路線となった。
熊本市は以下の区間の特許も保有していたが1937年に失効している[10][55]。
熊本市運輸局では、2002年(平成14年)1月に市電網拡大についての路線10案を発表した。この中には、熊本港や熊本空港方面への延伸、熊本電鉄との接続が含まれていた。
また、2015年(平成27年)1月1日付の『熊本日日新聞』では、市電延伸検討を公約に掲げる大西一史の熊本市長就任を機に、田崎橋から西と、健軍町から東方面の延伸について、調査を再開すると報道されている[56]。また、2016年(平成28年)9月11日付の『熊本日日新聞』で、2つの方面の延伸が優先して整備されることが報じられている[57]。
2004年(平成16年)1月の『熊本日日新聞』において、熊本市が策定中の江津湖観光活性化計画の一環として、市電の延伸を検討していると報じられた。この計画は2002年(平成14年)の路線10案には含まれていない。総事業費は約10億円。報道によれば、2007年度(平成19年度)の着工、2008年度(平成20年度)中の開業を考えているなど、最も実現性の高い計画であった。概要は以下のようなものである。
続いて同2008年9月には、路線10案の中にある健軍町から東部への延伸と自衛隊方面の新設の2案が追加された。こちらの事業費は60億から70億円と見込まれたが、市有地が少ないため、道路拡幅による用地取得が鍵となっている。しかし、庄口公園方面の延伸については、同年度の予算によって調査をした結果、採算性が見込めないことと、湖の水質に悪影響を与える可能性があることから、同年12月に計画の中止を発表した。また、益城方面への延伸については調査が開始された。
一方、熊本電気鉄道は2004年(平成16年)7月に藤崎宮前駅と市電の接続計画を発表した。電鉄全線を市電に合わせて改軌した上でLRT化、国道3号のバスレーンに軌道を敷設して市電に接続、熊本駅方面へ直通させるもの。総事業費は100億円以上と見込まれ、電鉄では負担しきれないことから、公的支援を要請した。また、受け入れられない場合は2008年(平成20年)3月に鉄道事業を廃止するとして、自治体側を強く牽制していた。
電鉄は2005年(平成17年)10月に計画を市に譲り渡し、その後、熊本市は熊本県と合志市と共同で、電鉄案(電鉄から熊本市に譲渡した)のほかにも、市電を藤崎宮前まで延長して電鉄と同一ホーム乗り換えを行うという形も含めて検討することとし、委員会を設けて事業計画の策定を行うことを2007年(平成18年)3月に決定した。これを受けて熊本電鉄側では廃止案を撤回している。しかし、交通渋滞を引き起こす可能性があることや、採算性の問題などで、計画は一時凍結となった。その後、熊本県・熊本市・合志市は電鉄案のほか、市電の藤崎宮前までの延長と同一ホーム乗り換えという形も含め、都心結節計画検討委員会を設けて事業計画を策定し、2008年3月、鉄道を廃止して線路敷をバス専用道に転用し、連節バスやガイドウェイバスを走らせる新バスシステム導入を軸に検討を進める方針を決めた。その後、同年6月に熊本電気鉄道が7か年での経営再建計画を発表し、LRT(超低床電車)などの新規投資ができる環境にないことから、8月に検討委員会は計画検討の凍結を決定した。
熊本市は、2016年(平成28年)9月9日までに、市電の延伸を検討しているいくつかの計画線のうち、自衛隊(健軍駐屯地)ルート(健軍町電停から東区東町の第二空港線までの1.5km)と南熊本ルート(辛島町電停からJR南熊本駅までの1.7km、旧・春竹線)のどちらかを優先的に整備する方針を固めた。同年10月から詳細検討に入り、2017年度(平成29年度)には自衛隊ルートか南熊本ルートに絞り込むとした[57]。そして、2017年6月16日、熊本市が「自衛隊ルート」を優先して整備する方針であることが報じられた。今後、地元住民にアンケートを行い、電停数などを決めていく方針[58]。2018年(平成30年)12月、熊本市は「自衛隊ルート」の整備方針について、仮に2019年(平成31年)中に設計に取りかかった場合、2022年に着工、2026年の開業というスケジュールを発表したと報じられた[59]。また、報道では他ルートについても計画は無くなったわけではなく、あくまで「自衛隊ルート」から進めるということになっているとも報じている。
2021年(令和3年)3月に策定された熊本市交通局の2028年度までの経営計画においても、自衛隊ルートの延伸計画が具体化され次第、経営計画に盛り込むものとしている[60]。
2024年3月、熊本市は国に申請する軌道運送高度化実施計画案を公表し、自衛隊ルートの延伸区間の仮称を「東町線」と定めて、4箇所の停留場を区間に設置する予定を明らかにした[61]。市議会での実施計画関連議案の可決後に国に計画認定を申請して、認定後に設計経費を予算化する予定[61]。
熊本市電の停留場における、1日平均乗車人員数のトップ5の停留場は以下のとおりである(2015年度)[62]。
型式 | 車両数(在籍車) | 製造年 | 備考 |
---|---|---|---|
1060型 | 1両 (1063) | 1951年 | 全国唯一の廣瀬車輌製現存車 |
1080型 | 2両 (1081, 1085) | 1954年 | |
1090型 | 7両 (1091-1097) | 1955年、1957年 | |
1200型 | 6両 (1201, 1203-1205, 1207, 1210) | 1958年 | 日本初の冷房付路面電車車両があった。8500型に機器を提供し廃車された車両がある。 |
1350型 | 6両 (1351-1356) | 1960年 | |
5000型 | 1編成 (5014AB) | 1957年 | 旧西日本鉄道1000形、連接車。 |
8200型 | 2両 (8201, 8202) | 1982年 | 営業用鉄道車両として、日本で初めてVVVFインバータ制御を採用。8201号は「しらかわ」、8202号は「火の国」の愛称がある。 |
8500型 | 4両 (8501-8504) | 1985年、1986年 | 1200型の車体更新車。 |
8800型 | 3両 (8801, 8802, 101) | 1988年、1993年 | 8801号は「サンアントニオ号」、8802号は「桂林号」(熊本市の友好都市である米国・サンアントニオ市、中国・桂林市にちなむ)、101号はレトロ調電車。 |
9200型 | 5両 (9201-9205) | 1992年、1994年 | 9201号は「ハイデルベルク号」(熊本市の友好都市であるドイツ・ハイデルベルク市にちなむ)。 |
9700型 | 5編成 (9701AB-9705AB) | 1997年、1999年、2001年 | 日本初の超低床電車、連接車。2025年3月31日までに9702と9703の2編成が廃車解体予定。[63] |
0800型 | 3編成 (0801AB-0803AB) | 2009年、2014年 | 超低床電車、連接車。0803編成は水戸岡鋭治デザインの「COCORO」。 |
2400型 | 2編成(2401ABC-2402ABC) | 2024年 | アルナ車両製リトルダンサータイプL。3車体超低床電車・連接車。 九州の路面電車では最大のサイズ。2024年11月24日に運行開始。 |
合計45両
市電全線、おとな180円、こども90円の均一運賃(2023年6月1日改定)[25]。
2007年(平成19年)10月12日より、それまでの距離制運賃(改定前日時点では130円から200円まで)から、利用者増加策の一環として分かりやすい運賃体系への統一や長距離利用者に対する値下げ、整理券の廃止による経費削減を狙って、均一制運賃に改められた[70]。これに伴い、整理券が廃止されたため、乗車口に設置されていた整理券発行機とTO熊カードの乗車位置記録用のカードライターが撤去された。
上述のように運賃均一化により整理券は廃止されたが、ICカードを利用する場合は、乗車時に乗車口のICカードリーダーにタッチするようになっている。
辛島町停留場でA系統とB系統とを乗り換える際は乗換券が発行される。運転士がボールペンで書き込むもので、降車時から20分以内に乗り継ぐ必要がある。ただし、大人用ICカードで大人1名が乗車する場合は乗換券を発行しない(乗り換え後の電車で同じICカードを利用すれば運賃は差し引かれない)[71]。また、nimoca利用の場合はどの電停で下車しても60分以内に次の電車に乗り継げば20円引きとなる(nimoca以外のICカードでは適用されない)[71]。
しかしながら、車両によって時刻整合ミスで「乗り換えた乗車時間が過去」という現象が起きた場合は、乗り換えた車両の降車時にも課金されることがある。カードの利用記録をプリントアウトとしたものを交通局に持ち込むと当該額が現金で返金され、帰路の市電の無料乗車券が渡される。辛島町電停がスクランブル交差点を挟んだ位置に再配置されてからは、乗り換えに要する時間が長くなったため、結果として発生し難くなった。
ほかに、九州旅客鉄道が発行する旅名人の九州満喫きっぷが全線で利用できる。
熊本県内のバス事業者5社は2015年(平成27年)4月1日にICカード「熊本地域振興ICカード」(くまモンのIC CARD)を導入したが、市電でも同年8月7日より利用可能になった[73]。
2024年度をもって熊本県内のバス事業者5社における全国相互利用サービス対象の交通系ICカードの片利用を終了することが2024年5月27日に発表されたが[74][75]、その翌28日には熊本市電においてもその2年後の2026年4月を目途にでんでんnimocaの廃止ならびに全国相互利用サービス対象の交通系ICカードの相互利用を終了することを明らかにした。バスなどより使用割合が高い全国交通系ICカードを廃止する理由として、熊本市側は運賃の支払い手段を統一することや、将来にわたって機器の更新にかかる費用負担などを考慮したとしている[40][76]。廃止後は「熊本地域振興ICカード」(くまモンのIC CARD)対応機器に切り替え、ICカードは同カードのみ引き続き使用できるほか、その他の運賃支払方法は変更がないとしている。
2024年11月15日をもって熊本県内のバス事業者5社における全国相互利用サービス対象の交通系ICカードの片利用を終了した[77]。
熊本市電は、2014年(平成26年)時点で5路線2系統が存続しているが、かつては全線を廃止する計画があった。熊本市電は1960年代(昭和35年 - 44年)頃から他都市の路面電車と同じく採算悪化に悩まされ、5路線2系統を残して廃止された。
さらに残る5路線2系統についても1980年(昭和55年)前後をめどに廃止し、代替としてモノレールを建設する構想もあったが、市民から存続を求める声が上がったことや、オイルショックによる車社会依存の見直し等により、熊本市議会により存続が決議された。
広告電車は、昭和30年代(1955年 - 1964年)には小型広告を、また、昭和40年代(1965年 - 1974年)には全面広告を取り付た車両が走りだした。登場した背景には赤字に悩む熊本市電の経営安定化がある。1988年(昭和63年)9月7日には、熊本県は観光都市・熊本のイメージアップのため、屋外広告物条例とその施行規則を改正し、交通局は1989年(平成元年)4月1日から外部の全面広告及び小型広告を自主的に全廃した。しかし、広告廃止から10年ほどが経過した交通局の経営状態は決して良くはなく、独立採算性や経営安定化という点からも市電の車体広告を復活するべきであるとして、1999年(平成11年)4月1日から広告電車が復活した。広告はかつての小型広告ではなく、ラッピングによるフル広告となり、民間企業の広告では8503号の 不二家ミルキー を皮切りに、現在も約20車両程が広告車両となっている。
熊本市電において、自動両替機がまだ無かった昭和40年代初め(1960年代前半)までは、運転士と車掌役の男性2名体制での運行であった。1966年(昭和41年)から自動両替機や整理券発行機の導入でワンマン運行体制となり、車掌の居た位置に整理券発行機が設置された。しかし、2007年(平成19年)の再度の運賃定額化により、整理券発行機は撤去された。1997年(平成9年)の超低床連接車である9700型の導入にあたり、男性もしくは女性車掌が採用され(2011年〈平成23年〉から「トラムガイド」と呼称)、後部ドア側の業務及び車内案内などを行っている。
トミーテックの「鉄道むすめ 〜鉄道制服コレクション〜」では、2013年に トラムガイド「辛島みく」が設定され、車内等の掲示物(交通局の人材募集など)にも用いられている。イラストは伊能津。
姓の「辛島」は辛島町電停、名前の「みく」は、上熊本駅前(か みく まもとえきまえ)電停から来ている。
背丈は小柄、笑顔は人一倍。明るく元気なムードメーカー。熊本城の歴史を覚えるうち歴史全般が好きに。全国の名城巡りを計画中。ちょっと小顔のせいか制帽がズレやすく、常に気にしている[78]。
熊本市内各地に路線を持つ路線バスのみの運営を基本としていたが、熊本競輪場への無料バスを運行しているため、貸切免許も保有していた。また、過去には熊本市に合併以前の旧・北部町や(かすめる程度であるが)旧・富合町にも運行していた。
1927年(昭和2年)に運行を開始し、最盛期の1969年(昭和44年)には34路線で約3906万人の輸送人員に達した[1]。
しかし、2003年(平成15年)には29路線で約1536万人に落ち込んだ上、同年に九州産業交通(現:九州産業交通ホールディングス)が産業再生機構の支援を受けたことから、民間のバス事業者各社の慢性的な赤字解消を兼ねて事業の集約を進めることになった[1]。
それを受けて、2004年(平成16年)から2008年(平成20年)にかけての約4年間で、民間のバス事業者3社に路線の移管を進めた[1]。
その後、2009年(平成21年)以降は民間3社が共同出資して設立した熊本都市バス株式会社への移管を進め、2015年(平成27年)4月1日付の最後の路線を含めて23路線が移管されることになった[1]。
2015年3月31日で最後の1路線の運行を終了すると共に、同路線を運営していた小峯営業所の営業も終えることになり、88年間走った熊本市営バスの幕を下ろした[1]。なお、バス事業に従事する職員は他部門に転配している[1]。
熊本市営バスの路線では、SUNQパスが当初は利用できなかったものの2006年(平成18)10月1日から利用できるようになった[注 3]。また、同日から熊本城周遊バスの運行が九州産交バスへ移管された(さらに2011年〈平成23年〉10月1日から熊本都市バスに再移管)。
メーカーは国内大型4メーカー全社を使用している。1995年(平成7年)までは西日本車体工業製車体を架装した車両を中心に導入していたが、その後は車両の低床化(ワンステップバス、ノンステップバス)により、純正車体での購入の割合が増えた。日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)のノンステップバスのみ西日本車体工業製の車体を架装した車両を一部導入している。
1994年(平成6年)に車椅子乗降用リフト付きバスを1台、翌1995年に大型ワンステップバスを1台導入したのち、1997年(平成9年)10月からノンステップバスを投入している。九州では大分バスに次ぎ2番目のノンステップバス導入事業者となっている。
また、ノンステップバスの購入開始と同時に、並行して都営バスから中古車を購入したのを皮切りに、その後、全国各社から中古車を購入し、特に大型車の代替としていた。主な譲受先は、東京都交通局、京浜急行バス、西武バス、川崎鶴見臨港バス、江ノ電バス、船橋新京成バスである。熊本都市バスへの移管を控えた2008年度(平成20年度)以降は新車の導入が無くなった。
塗装はツーステップ車(リフト付きバスを含む)は緑色と白色のツートンカラー。ノンステップバスは黄緑色・白色・橙色の3色で前面窓下に赤帯を加えた塗装である。ワンステップバスはこれに赤帯を加えた塗装を施していた。その後、ワンステップバス・リフト付きバスはすべて熊本都市バスに譲渡されたため、この塗装の車両は消滅した。
1993年(平成5年)、市電のレトロ調電車導入と同時期にレトロ調バスを1台導入している。シャーシはこの種のファンタスティックバスに多く使用されている日野自動車の特装車シャーシ (U-CG3KSAU) で、車体は地元のイズミ車体製作所製。この車両は熊本都市バスへ移籍することなく除籍された。
運賃表示器は交通電業社製、整理券発行機と運賃箱は小田原機器製(整理券発行機はSAN-V型、運賃箱はRX-SB型)が導入されている。
2008年(平成20年)4月1日時点での路線名に基づいて記す。ただし、系統番号は1996年(平成8年)以降は熊本都市圏に乗り入れている他社と共通の「漢字1文字」と「アラビア数字」を組み合わせた番号を用いている、数字のみの番号は実質的には使われていない。かつては、番号を表示せず、各路線ごとに異なる動物のイラストを描いた路線番号板を車両前面に掲出していたが、1996年4月1日に系統番号の使用が開始されたため中止した[要出典]。
旧番号 | 路線名 | イラスト | 備考 | 担当営業所 (臨時増発等のぞく) |
---|---|---|---|---|
1 | (第1環状線) | (ゾウ) | 2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山 |
2 | (第2環状線) | (ウシ) | 八王寺環状線と子飼渡瀬線に分割され廃止 | 小峯 |
3 | (池田大窪線) | (ツバメ) | 2005年4月に大窪方面の系統を産交バスへ移譲。残った系統(池田京町線)も2011年4月に都市バスへ譲渡 | 上熊本 |
4 | 小峯京塚線 | ライオン | 2015年3月をもって運行を終了。2015年4月に都市バスへ譲渡。 | 小峯 |
5 | (川尻帯山線) | (ハト) | 2004年6月に川尻町方面の系統を産交バス・熊本バスへ移譲。残った系統(帯山線)も2012年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯・本山 |
6 | (島崎保田窪線) | (シカ) | 2012年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯・上熊本 |
7 | (子飼長嶺線) | (イヌ) | 2006年1月に廃止 | 小峯・上熊本 |
8 | (楠城西線) | (ワニ) | 2008年4月に蓮台寺・熊本駅・交通センター - 竜田口駅・楠団地・武蔵塚駅の系統を産交バス・電鉄バスへ移譲。営業所からの出庫ダイヤであった上熊本駅→竜田口駅・楠団地・武蔵塚駅の系統は廃止。残った城西校 - 交通センターの系統は大江城西線へ、2010年4月に大江城西線も都市バスへ譲渡 | 上熊本・本山 |
9 | (流通団地線) | (ウマ) | 2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山 |
10 | (秋津健軍線) | (パンダ) | 旧・野口健軍線。2005年4月に春日校経由のアクアドーム系統を産交バスへ譲渡、2009年4月熊本駅・島団地経由のアクアドーム系統も都市バスへ譲渡、2013年4月残りの全線を都市バスへ譲渡 | 小峯・本山 |
11 | (御幸木部線) | (ワシ) | 御幸木部町系統は2007年4月に熊本バスへ譲渡、川尻町系統は廃止 | 本山 |
12 | (花園柿原線) | (タヌキ) | 2011年4月に都市バスへ譲渡 | 上熊本 |
13 | (川尻(国道)線) | (サル) | 2005年4月に産交バスへ移譲 | 本山 |
14 | (画図線) | (トラ) | 2008年4月に熊本バスへ移譲 | 小峯 |
15 | (池田健軍線) | (カンガルー) | 2011年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯 |
16 | (健軍長嶺線) | リス | 2013年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯 |
17 | (川尻土河原線) | (インコ) | 廃止 | 本山 |
18 | (東町団地線) | クジラ | 2013年4月都市バスへ譲渡 | 小峯 |
19 | (中央環状線) | (キリン) | 2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山 |
20 | (昭和町線) | (ダチョウ) | 2011年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯・上熊本 |
21 | (高平団地線) | (ネズミ) | 2007年7月に電鉄バスへ移譲 | 上熊本 |
22 | (熊本駅県庁線) | (ネコ) | 2012年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯(本山担当は先に廃止) |
23 | (上熊本線) | (ペンギン) | 2011年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯・上熊本 |
24 | (長溝団地線) | (ウサギ) | 2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山 |
25 | (上熊本車庫線) | (ニワトリ) | 共同運行時にはイラストなしになっていた。2010年4月に都市バスとの共同運行を開始し、2011年4月に全便移管 | 上熊本 |
26 | (川尻県庁線) | (ミミズク) | 廃止 | 本山 |
27 | (本山車庫線) | (なし) | イラストなし。2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山 |
28 | (八王寺環状線) | (サイ) | 2009年4月に都市バスへ譲渡 | 本山・上熊本 |
29 | (子飼渡瀬線) | (ハクチョウ) | 2010年4月に都市バスへ譲渡。営業所から出入庫の交通センター - 小峯営業所の系統は廃止 | 小峯 |
30 | (熊本城周遊バス) | (なし) | 2006年10月に民間移譲 | 上熊本・本山 |
31 | (熊本駅長嶺線) | (イノシシ) | 2012年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯 |
32 | (渡鹿長嶺線) | (カメ) | 2014年4月に都市バスへ譲渡 | 小峯 |
(33) | (大江城西線) | (ワニ) | 2010年4月に都市バスへ譲渡 | 上熊本 |
この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
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