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日本の男性プロレスラー ウィキペディアから
後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、1979年6月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。愛称は 「ごっちゃん」。新日本プロレス所属。三重県桑名市出身[2]。血液型O型。
獲得メダル | ||
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男子 レスリング | ||
全日本レスリング選手権大会 | ||
銅 | 2001 | グレコローマン85kg級 |
三重県桑名市立光風中学校時代は、ソフトテニス部に所属していた。
三重県立桑名工業高等学校出身。柴田勝頼とは同級生であり、柴田と共にレスリング部を立ち上げた。
国士舘大学へ進学後、2001年の全日本学生選手権グレコローマン85kg級で3位入賞を果たす[3]。大学時代の後輩に伊藤旭彦、先輩にプロレス同期入門の山本尚史(現:ヨシタツ)がいた。大学卒業後、2002年に新日本プロレスに入門するが肩を脱臼し、一旦新日本を退団。柴田の家に居候して病院に通い、リハビリにつとめた後に新日本が経営する闘魂ショップ名古屋店併設の道場でトレーニングを重ねた後の2002年11月、新日本に再入門を果たした。入門直後の肩のケガは同期の田口とのスパーリング中に起きたものであり、自分が原因で同期が辞めてしまったことを田口は深く悲しんでいたため、後藤が再入門した際は誰よりも喜んだという。
2003年7月6日の岐阜産業会館における田口隆祐戦でデビューした。
同年にはデビュー戦で対戦した田口と組み、邪道、外道とIWGPジュニアタッグ王座決定戦を争うなどタッグで活躍。
2005年ヤングライオン杯で、前年の雪辱を果たし優勝する。4月にC.T.Uに加入すると、後藤も天然ボケキャラを見出され、先輩の獣神サンダー・ライガー、邪道、外道らを差し置いてリーダーとして(形の上だけ)活動。5月には田中稔と組んで金本浩二&井上亘組からIWGPジュニアタッグ王座を獲得。エル・サムライ & 田口組に敗れるまで3度の防衛を果たした。12月の「夢☆勝ちます」では、棚橋弘至の持つIWGP U-30無差別級王座に挑戦するも敗れた。
2007年に髪を伸ばし、今の容姿に変貌。同年3月4日にはウルティモ・ドラゴン、TAJIRIらが参戦した闘龍門MEXICO自主興行で行われた8人参加トーナメント「〜YAMAHAカップ NWAインターナショナルJrチャンピオンシップトーナメント〜」でショッカーを破り、22年ぶりに復活したNWAインターナショナルジュニア王座に戴冠した[4]。それまで91kgだった体重を同年の6月に103kgまで増量。8月26日「LAST OF C.T.U」興行で凱旋帰国予定だったが、棚橋の欠場を受け日程が前倒しとなり、8月25日の大会で凱旋試合を行った。
10月8日、かつて付き人を務めた天山広吉と対戦、大流血の末に必殺の昇天で勝利を収める。この試合で、後藤が繰り出した変形バックブリーカー(後に牛殺しと命名)で天山は頸椎を負傷し、長期欠場に追い込んだ。11月11日、DESTRUCTION'07にて、棚橋が保持するIWGPヘビー級王座に初挑戦するが敗北した。
1月4日、レッスルキングダムIIにて、7年8か月ぶりに新日本へ降臨したグレート・ムタと初遭遇を果たすが、ムタのムーンサルトプレスであえなく敗戦。3月に行われたNEW JAPAN CUP(以降NJC)では、1回戦から棚橋と対戦するが敗北を喫した。
8月、G1 CLIMAX(以降G1)に初出場。開幕前に「初出場・初優勝を狙います」と発言し注目を集めた。初戦の川田利明戦は敗北するも、その後は白星を重ねて決勝進出を果たし、17日の決勝戦では真壁刀義と対戦。真壁らG・B・Hメンバーの介入やイス攻撃などにより流血を負いながらも、最後は昇天・改で勝利した。なお、後藤は史上最短キャリアでのG1優勝という新記録を打ち立てた。8月31日、IWGPベルトの奪還を目標に敵地のリングにおもむき、全日本プロレスでは史上2度目[5] となるIWGPヘビー級王座戦が行われ、王者・武藤敬司に挑戦した。しかし、武藤のムーンサルトプレスで敗退し、奪還に失敗した。
その後、真壁 & 矢野通が所持するIWGPタッグ王座に的を絞り、9月5日に中邑とタッグを組み挑戦。ところが試合終盤、同じRISEメンバーだったはずのジャイアント・バーナードとリック・フーラーが乱入しG・B・Hと結託。最後は真壁のキングコングニー・ドロップを受け惨敗した。試合後、後藤はG・B・H勢とバーナード、フーラーに袋叩きされるも、救出に駆けつけた棚橋と握手を交わし本隊と共に打倒G・B・Hをアピールする。10月13日、DESTRUCTION'08にてバーナードと一騎討ちを行うが、敗北を喫した。
1月4日、レッスルキングダムIIIにて、中邑と共にプロレスリング・ノア(NOAH)対抗戦に出陣。三沢光晴 & 杉浦貴組と対戦した。最後は中邑が杉浦を飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めで捕獲し、タップを奪った。
3月に行われたNEW JAPAN CUPではカール・アンダーソン、中邑、永田裕志に勝利し、決勝戦でバーナードを変型腕固め(昇龍結界)でギブアップ勝ちを収め、昨年のG1優勝に続き春夏連覇を果たした。
5月3日、レスリングどんたくと冠が付けられ、3年ぶりに開催した福岡国際センターで、NEW JAPAN CUP覇者として棚橋とIWGPヘビー級王座を賭けて対戦したが、ピンフォール負けを喫する。5日には岡田かずちかと組み、NOAHの杉浦 & 青木篤志組との対抗戦を行う。最後は岡田が杉浦のオリンピック予選スラムで轟沈。その後、6月20日の「DOMINION6.20」で杉浦とのシングルマッチが組まれたが敗北。8月のG1公式戦で再び対決するも、惨敗した。またこの敗戦で予選リーグ落ちとなり、G1二連覇の夢が潰えた。
その後、ZERO1の田中将斗と抗争を展開。11月8日、DESTRUCTION'09にて、田中とのシングルマッチを行うも、スライディングDでピンフォール負けを喫する。12月5日愛知大会で、再び田中とシングルで対戦。勝利を収め、対戦成績を五分に戻した。
1月4日、レッスルキングダムIVで杉浦とGHCヘビー級王座を賭けて対戦するも、足首固めで敗退。3連敗を喫した。2月にはハードコアルールで再び田中と対戦。エルボーパッドに鉄パイプを仕込んだスライディングDを喰らい、敗北。3月のNJCでは前年度優勝者だったことからシード権を獲得し出場。初戦は高橋裕二郎、準決勝で田中を撃破し、決勝戦で真壁と対戦、これに勝利しNJC2連覇を達成した。
4月4日、中邑の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも敗北した。その試合終了後にバックステージでコメントを発表しているところに田中が現れ、再戦を要求された。5月3日、レスリングどんたく田中と4度目の対戦を敢行するもラリアットの相打ちで両者K.O.という結末で終わる。6月19日、DOMINION6.19にて再度田中とのシングルマッチが行われ、ピンフォール勝ちを収めて抗争に終止符を打つこととなった。
10月11日、DESTRUCTION'10で中邑に勝利し、IWGP王座挑戦へ名乗りを上げるが、IWGP王者の小島聡は中邑を逆指名した。菅林直樹社長は後藤を次期挑戦者に推するも、小島は拒否し続け、結局会社側が小島への指名を呑み込み、中邑が次期挑戦者に決定した。一方で、後藤は同じく同王座へ挑戦を表明した棚橋との次期挑戦者決定戦に臨んだが、棚橋のハイフライフローで敗退した。
2月20日、The New Beginningで、「(後藤がIWGPヘビー級ベルトを戴冠していない事実に対して)あんたは新日の四天王にふさわしくない!」と発言し、真っ向から後藤を全否定した内藤哲也と対戦。内藤から昇天・改でピンフォールを奪い実力を示した。その後、3連覇達成を目指しNJCに出場するも、中邑に敗れ初戦で敗退。後藤の3連覇実現は失敗に終わった。3月20日に棚橋とのタッグで組まれた試合(対戦相手は小島、MVP組)でラリアットが棚橋に誤爆。口論になった末、棚橋に対してヘッドバットを見舞い、試合を放棄した。23日よりCMLLに遠征。現地でウルティモ・ゲレーロの保持するCMLL世界ヘビー級王座に挑戦し、ベストバウト級の試合を見せる。
5月3日のレスリングどんたくに合わせて帰国、後藤も黒袴姿に身を纏い、新・入場曲に乗りタマ・トンガをパートナーにプロレスリング・ノアの杉浦 & 橋誠組と対戦し、昇天・改で橋から3カウントを奪った。さらに全試合終了後、IWGPヘビー級王座を所持する棚橋に対してヘッドバットを見舞い挑戦を表明する。
6月18日、DOMINION6.18にて棚橋とのIWGPヘビー級選手権試合に挑むが敗北した。この試合終了後にジャイアント・バーナードが、棚橋のIWGP王座へ挑戦を表明した。一方で棚橋が「交換条件」としてBAD INTENTIONS(バーナード & カール・アンダーソン)が保持するIWGPタッグ王座に挑戦を表明する。するとアンダーソンが「Who is your partner?(お前のパートナーは誰だ?)」と質問を投げかけ、棚橋は会場の「後藤」コールに乗っかる形でパートナーを後藤に指名。後藤も互いの遺恨を清算し、棚橋とタッグチームを結成した。7月3日、後藤は棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するが、奪取するには至らなかった。
11月12日、POWER STRUGGLEで、田中が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦するも、田中のスライディングDで敗れた。試合終了後、後藤はNOAHの杉浦に対して、「アイツに借りを返す!」というコメントを残し一年越しのリベンジを誓った。
1月4日、レッスルキングダムVIにおいて杉浦と一騎討ちを行い、昇天・改でピンフォール勝ちを収めついに杉浦から初勝利を収めた。2月12日、THE NEW BEGINNING(大阪府立体育会館)にて、田中の所持するインターコンチネンタル王座に再度挑戦。勝利を収め、ヘビー級に転向してから初のシングル王座奪取となり第3代IWGPインターコンチネンタル王者に戴冠した。
4月、NEW JAPAN CUPでは高橋、ラ・ソンブラ、真壁を破り、迎えた棚橋との優勝決定戦で昇天・改で初めて棚橋から勝利を収め、3度目の優勝を遂げた。5月3日、レスリングどんたくで、NEW JAPAN CUP優勝で得たIWGPヘビー級王座挑戦権を行使し、IWGP王者のオカダ・カズチカと対戦するも敗戦した。
7月22日山形大会で中邑に敗れ、インターコンチネンタル王座から陥落した。しかし8月のG1で中邑と再戦し、この試合に勝利する。10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGで同王座を賭けたリターンマッチを敢行するも、中邑のボマイェで敗北を喫した。
11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEで後藤はカール・アンダーソンとのタッグ、SWORD&GUNSで出場、4勝2敗で決勝トーナメントを通過し、12月2日愛知大会の準決勝でテンコジ(天山 & 小島組)を下し決勝でK.E.S.(ランス・アーチャー & デイビーボーイ・スミスJr.組)と対決。試合はアンダーソンがスミスからピンフォール勝ちを収めて優勝を果たした。
2月3日、後藤は昨年8月よりフリーランスとして新日本にスポット参戦している柴田に対戦を要求。その後、幾度かタッグマッチで柴田と対戦。5月3日、レスリングどんたくで初めてシングルマッチで対戦する。試合は両者による張り手の相打ちでダブルノックダウンとなり、引き分けとなった。6月16日、DOMINION6.22で再びシングルで対戦したが、柴田のP.Kを喰らいピンフォール負けを喫した。
8月、G1 CLIMAXに出場するも、7日の仙台大会における棚橋戦で張り手を喰らった際にアゴの骨を骨折し、休場することとなった。8月12日に手術を受け、18日に退院。その後、リハビリ生活を経て、12月8日愛知大会のリングに上がり復帰を発表。後藤は復帰戦の相手として柴田を指名した。
1月4日、レッスルキングダム8の舞台で、柴田勝頼を相手に復帰戦を行った。試合は昇天・改でピンフォール勝ちを収め、柴田から勝利をもぎ取った。試合後には二人で肩を組んで退場していき、その後意気投合しタッグを結成した。
12月、WORLD TAG LEAGUEでは柴田と組み、Bブロック1位通過。決勝でアンダーソン&ドク・ギャローズ組を破り、優勝を果たした。
1月4日、レッスルキングダム9で、アンダーソン&ギャローズ組が保持するIWGPタッグ王座に柴田と挑戦し、これに勝利。第65代王者組に戴冠したが、2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAで前王者組とのリマッチに敗戦し、王座から陥落した。
5月3日、レスリングどんたく 2015にて、中邑真輔の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。戦前「透明人間」などと挑発されながらも、最後は昇天・改で勝利。約3年ぶりに同王座を奪取した。7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLでは、中邑のリマッチを退け初防衛に成功するも、8月のG1公式戦では中邑にギブアップ負けを喫した。
9月27日、DESTRUCTION in KOBEでインターコンチネンタル王座を賭けて再び中邑と対戦するも敗れ、王座陥落となった。
1月4日、レッスルキングダム10で、内藤とシングルマッチで対戦。戦前、「キャプテン・クワナ」などと挑発されたが、最後は昇天・改で勝利を収めた。翌日、後楽園ホール大会でオカダが持つIWGPヘビー級王座に挑戦を表明。しかしここでも挑発される始末だった。
2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにてオカダと対戦。後藤も全身に写経のペイントを施し、コスチュームも従来の黒から白に変えて臨んだが、オカダのレインメーカーで敗北。試合後にはオカダの所属するCHAOSへの勧誘を受けたが、応じなかった。
3月、NJCでは決勝で内藤に敗れ準優勝に終わったが試合後、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに襲撃されたところをオカダに救出された。CHAOSに再び勧誘され、新技「GTR」を引っさげ、正式に加入した。
8月、G1 CLIMAX 26に出場。最終公式戦で丸藤正道を下し、Aブロック単独首位で予選突破を決める。14日、優勝決定戦でケニー・オメガと対戦。激闘の末、最後は片翼の天使でピンフォール負けを喫し、準優勝に終わった。
10月、オメガとの1.4東京ドームの権利証を賭けて戦い、後藤も熱戦の最中昇天・改や雪崩式回天を決めたが、最後はオメガの片翼の天使を決められ敗戦した。だが、この試合はベストバウト候補だと話題になった。
1月4日、レッスルキングダム11で、柴田とシングルマッチで対戦。戦前、「今の軍団で楽しいか?」などと挑発されたが、最後はGTRで勝利を収めた。第15代NEVER無差別級王者に戴冠した。
2月5日、札幌大会でジュース・ロビンソン、27日、後楽園ホール大会でパニッシャー・マルティネスと対戦し、防衛に成功。
4月9日、両国大会にてザック・セイバーJr.と対戦。試合中、鈴木みのるが乱入し、一時は無法地帯となるも、最後は16分16秒GTRで勝利を収める。その後、鈴木が王座挑戦を表明し、同月27日広島大会で対戦。終盤で鈴木軍メンバーのアシストにより、ゴッチ式パイルドライバーに沈み、王座陥落。
6月11日、DOMINION6.11 in OSAKA-JO HOLEで、ランバージャックデスマッチでリマッチをするも敗れる。
7月、『G1 CLIMAX 27』に出場。5勝4敗勝ち点10と好成績を残した。
11月、NEVER王座4度目の防衛を果たした鈴木みのるの前に現れ、王座に挑戦表明を果たすも、「ボクちゃんは帰りなさい」とあしらわれたが、WORLD TAG LEAGUEの公式戦で鈴木から直接フォール勝ちをする。しかし鈴木は最終日の福岡大会にて、「俺は王座を懸けているのに、何故お前は何も懸けない?」と言われると、「この髪懸けてやってやるよ!それでどうだコノヤロー!」と自らの髪を懸けることを宣言。その後、東京ドームにてNEVER無差別級選手権試合・敗者髪切りノーセコンドデスマッチが決定した。
1月4日、レッスルキングダム12で敗者髪切り&ノーセコンドデスマッチで鈴木みのると対戦。裏GTRからのGTRで勝利を収め、2度目の王座戴冠。
2月10日、大阪大会でEVIL、23日、後楽園ホール大会でビアシティ・ブルーザーと対戦し、王座防衛。
4月、広島でジュース・ロビンソンと対戦し、勝利。その直後、マイケル・エルガンとタイチが同時に挑戦表明し、6月9日の、DOMINION6.9 in OSAKA-JO HOLEで3WAYマッチで対戦。結果はエルガンがタイチからピンフォール勝ちをしたため王座陥落。その後、6月17日の、後楽園ホール大会でのリマッチを行い、第19代王者となる。その直後にジェフ・コブが挑戦を表明し、7月7日の、サンフランシスコ大会で初防衛戦となるタイトルマッチを行い、防衛に成功。
8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』には唯一日本人のシングル王者として11年連続11度目の出場となったが、Bブロック予選を3勝6敗勝ち点6で敗退と振るわなかった[6]。
9月、3WAYマッチで直接フォールを取られたタイチが挑戦表明。鈴木軍の介入などに惑わされ、ブラックメフィストに敗れ王座陥落。
10月、勝利したタイチと後藤と同じCHAOSのウィル・オスプレイのタイトルマッチが決定するも、怪我で欠場。タイトルマッチ中止と思われたが、オスプレイの代打として急遽カードが変更。
11月3日の大阪大会でタイチから勝利し、第21代王者となる。試合後、G1 CLIMAX28鹿児島大会で敗れた飯伏幸太を次期挑戦者に指名。しかし、飯伏本人はTwitterを通じて却下。後楽園大会で後藤は飯伏率いるBULLET CLUB ELITEとのタッグマッチ終了後に、「諦めるよ」とマイクで宣言。すると、飯伏が「何で諦めるんですか?やりましょうよ!」と発言。これによりWORLD TAG LEAGUE優勝決定戦の第8試合にタイトルマッチを行うことが決定した。
12月9日、岩手県産業文化センター アピオにて、第8試合で、挑戦者に逆指名し続けていた飯伏幸太と対戦、16分35秒、カミゴエにて、ピンフォール負けし、王座陥落。
1月4日、レッスルキングダム13では第0試合に行われたNEVER無差別6人タッグ王座・ナンバーワンコンテンダーガントレットマッチにバレッタ、チャッキーTとタッグを組み、参戦するも敗戦。
2月、ROH世界TV王座を保持するジェフ・コブに挑戦。2度目のシングルマッチはコブのツアー・オブ・ジ・アイランドに敗れ、王座獲得ならず。
3月、NEW JAPAN CUP2019にエントリー。2017、2018はNEVER王者だったため出場はならなかったが、3年ぶり11回目の出場となった。また6日に行われた旗揚げ記念日スペシャル6人タッグマッチで棚橋弘至、オカダ・カズチカとタッグを組み、内藤哲也&EVIL&SANADA組と対戦。1回戦で対戦するSANADAから後藤式でフォールを取る。その後、高松大会でSANADAに敗れ、1回戦敗退。
3月21日、NEW JAPAN CUP決勝戦で組まれたタッグマッチでジェイ・ホワイトからピンフォールを取られてしまう。これを機に、4月29日熊本大会でシングルマッチを行うも、敗れてしまう。
5月、盟友である柴田勝頼がコーチを務める新日本プロレスLA道場へ向かい、修行を開始。6月のKIZUNA ROAD最終戦、仙台サンプラザホール大会で、LA道場Tシャツを着用してジェイ・ホワイトの前に現れ、G1優勝とジェイからの初勝利をアピール。
7月、G1 CLIMAX29にBブロックエントリー。初戦でジェイ・ホワイト相手に、新技「GTW」などを用いて、初勝利をするが、ジュース・ロビンソン、内藤哲也、タイチに敗北。しかし、後藤も意地を爆発させ、そこから矢野通、石井智宏、ジェフ・コブに勝利。さらに8.8横浜文化体育館大会では、元WWEスーパースターのジョン・モクスリーから劇的勝利をし、5勝3敗までに戦績を伸ばした。
8月11日、最終戦で鷹木信悟と対戦。血気溢れるファイトで会場を沸かせた。結果はラスト・オブ・ザ・ドラゴンを喰らって敗北。5勝4敗勝ち点10でリーグ戦を終了した(ちなみに、鷹木に勝利していれば、その後の試合で内藤哲也に勝利したジェイ・ホワイトと勝ち点12で並び、直接対決に勝利しているため、優勝決定戦進出が確定だった)。
9月、鷹木へのリベンジマッチを要求。鷹木本人も「売られた喧嘩は買うぜ」と要求を承諾。22日の神戸大会セミファイナルでスペシャルシングルマッチが組まれた。試合は20分を越え、最後はGTRで勝利しリベンジに成功する。その後、IWGPインターコンチネンタル王者となったジェイ・ホワイトの前に現れ、挑戦をアピールする。
11月3日、大阪府立体育会館大会にてIWGPインターコンチネンタル王座を懸けてジェイと対戦。ジェイをあと1歩のところまで追い込むが、終盤でKENTAが乱入し、ジェイをアシスト。最後はブレードランナーを喰らい敗北した。
11月中旬、WORLD TAG LEAGUE 2019に2年ぶりに参戦。パートナーにLA道場のカール・フレドリックスを選んだ。また、KENTA&高橋裕二郎組との試合ではKENTAから直接勝利する。その後、互いに試合後の襲撃を繰り返し因縁はさらに深まった。そして12月に東京ドーム2連戦2日目にKENTAとのNEVER無差別級選手権試合が決定した。
1月5日、レッスルキングダム14東京ドーム2連戦2日目にKENTAと対戦。最後はGTRで勝利し、第28代王者となる。これで後藤は石井智宏に並ぶ5度目の戴冠を果たした。その翌日、タッグマッチで鷹木信悟に直接フォール勝ちを許してしまい、2月の札幌2連戦初日に鷹木との初防衛戦が決定した。また、2月6日にはNEVER無差別級6人タッグ王座の初防衛戦も決定した(挑戦者組:後藤・石井・ロビー・イーグルス vs 第20代王者組:鷹木・EVIL・BUSHI組)。
2月1日、札幌2連戦初日のメインイベントに初防衛戦を行うが、最後はラスト・オブ・ザ・ドラゴンで敗北。戴冠から約1ヶ月で王座陥落となった。そして2月6日の6人タッグ選手権試合もイーグルスがBUSHIにフォール負けしてしまい、王座戴冠とはならなかった。
6月、NEW JAPAN CUP2020にエントリー。初戦で高橋裕二郎に勝利するも、2回戦でEVILの反則攻撃からのEVILで敗北した。
8月、石井智宏、YOSHI-HASHIと共に、第21代NEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメントに出場し、勝利。6人タッグ王座初戴冠を果たした。
9月、G1 CLIMAX30にエントリー。結果は4勝5敗で負け越しを喫すも、棚橋弘至に約8年ぶりに勝利したり、矢野通から18秒で勝利し、G1史上最短試合時間の新記録を叩き出したりした。
11月、WORLD TAG LEAGUE2020にエントリー。3年ぶりにYOSHI-HASHIとのタッグでエントリーした。結果は5勝4敗と好成績を残すも最終決戦進出とはならなかった。
1月4日、東京ドーム大会の第0試合に出場。
2月11日、NEVER無差別級6人タッグ王座を防衛。YOSHI-HASHIがIWGPタッグ王座を持つタンガ・ロアから勝利を収めたため、後藤とのタッグで王座挑戦が決定した。
2月27日、IWGPタッグ選手権の前哨戦として、タマ・トンガと対戦。ガン・スタンを堪え、牛殺しの体制からGTRで一気に勝利を収める。翌28日、タッグ王座に挑戦するも、邪道の竹刀攻撃からのタマのガン・スタンでフォール負けを喫し、王座戴冠とはならなかった。
3月、NEW JAPAN CUP2021にエントリー。1回戦でタイチから勝利を収めるも、2回戦で鷹木信悟に敗北する。
3月29日、バレットクラブとの10人タッグマッチにて、ジュニアヘビー級の石森太二からフォール負けしてしまう。この結果、4月20日後楽園ホール大会にてNEVER無差別級6人タッグ王座を懸けて対戦することが決まり、前日19日には石森との前哨戦スペシャルシングルマッチが決定した。
4月10日、横浜武道館大会で行われたイリミネーションマッチにて、またしても石森からフォール負けをしてしまう。そして19日、前哨戦として石森と1vs1のシングルマッチで対戦。GTRの体制に入ったところを逆さ抑え込みでフォールを取られ、逆転負けしてしまう。そしてタイトルマッチ当日の4月20日、前日同様石森に逆さ抑え込みでフォールされるも石井智宏のカットでなんとか脱出し、ヘッドバット→GTW→GTRで直接勝利。王座防衛を果たした。
7月25日、IWGPタッグ王座を内藤哲也&SANADA組から奪還したタイチ&ザック・セイバーJr.組にYOSHI-HASHIと共に挑戦表明。その後、内藤哲也&SANADA組もリマッチを要求したため、9月5日のメットライフドーム大会にてタッグ選手権3WAYマッチが決定した。
9月、メットライフドームで行われたIWGPタッグ選手権試合3WAYマッチに挑むも、王座獲得とはならなかった。そして、G1 CLIMAX 31にBブロックでエントリー。4連敗→2連勝→2連敗で2勝6敗となるも、最終公式戦でタマ・トンガから勝利し、3勝6敗でリーグ戦を終えた。
11月、NEVER無差別級6人タッグ王座から陥落。その後、YOSHI-HASHIとのタッグでWORLD TAG LEAGUE 2021にエントリー。9勝2敗勝ち点18でリーグ戦を1位通過した。
12月15日、両国国技館にて行われた優勝決定戦でEVIL&高橋裕二郎組から勝利。後藤は個人で3度目の優勝を果たした。
1月4日、東京・東京ドームで行われた、「WERESTLE KINGDOM16」の第6試合IWGP タッグ選手権試合において、YOSHI-HASHIとタッグを組み、タイチ、ザック・セイバーJr.の持つベルトに挑戦し、最後は消灯で試合を決め、勝利。王座戴冠となった。
1月5日、同大会の第4試合、NEVER無差別級6人タッグ選手権において、YOSHI-HASHI、YOHとタッグを組み、EVIL,高橋裕二郎、SHOの持つベルトに挑戦するも、敗北。王座奪取とはならなかった。
2月19日、北海道・北海きたえーるで行われた「LECクリンぱっ! presents 新春黄金シリーズ」の第7試合IWGPタッグ選手権試合において、EVIL、高橋裕二郎と対戦、最後は消灯で試合を決め、見事初防衛を果たした。
2月20日、同大会の第7試合NEVER無差別級6人タッグ選手権試合において、YOSHI-HASHI、YOHとタッグを組み、EVIL 、高橋裕二郎、SHOの持つベルトに再挑戦するも敗戦。王座奪取とはならなかった。
3月1日、東京・日本武道館で行われた「旗揚げ記念日」の第6試合スペシャルタッグマッチにおいて、マスター・ワト、田口隆祐と試合を行い、最後は消灯で沈め、見事勝利を果たした。
3月2日、同会場で行われた「NEW JAPAN CAP 2022」に出場し、3回戦まで突破したが、3月14日の香川大会の3回戦GREAT所属のCIMAに敗れ、敗退となった。
4月9日、東京・両国国技館で行われた「HYPER BATTLE22」の第6試合IWGP タッグ選手権試合において、YOSHI-HASHIとタッグを組み、グレートーOーカーン、ジェフ・コブと対戦したが、最後はコブのツアー・オブ・ジ・アイランドで沈められ、王座陥落となった。
5月1日、福岡・福岡PayPayドームで行われたIWGP タッグ選手権試合において、グレートーOーカーン、ジェフ・コブの持つベルトにYOSHIーHASHIとタッグを組み、チェーズ・オーエンズ、バッドラック・ファレ組を交えた3WAYマッチで挑戦するも、チェーズ・オーエンズ、バッドラック・ファレ組に直接破れ、王座奪取失敗となった。
G1CLIMAX32にCブロックでエントリー 3勝3敗
「荒武者」と称される通り、肉体戦やパワー勝負を好む無骨なファイトスタイルが特徴。非常に多種多彩なオリジナル技を開発しており、状況に応じて戦法を変える器用さも持ち合わせている。既存の技に対しても後藤独自のアレンジが加えられていることが多い。
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