広島県立広島商業高等学校(ひろしまけんりつ ひろしましょうぎょうこうとうがっこう, Hiroshima Prefectural Hiroshima Commercial High School)は、広島県広島市中区舟入南六丁目にある県立商業高等学校。
概要 広島県立広島商業高等学校, 過去の名称 ...
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一般的には「広商」(ひろしょう)と呼ばれている。
- 歴史
- 1899年(明治32年)に設立された伝統ある高等学校。1901年(明治34年)に県立となる。1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下により壊滅的な打撃を被るが、学制再編により現在の県立広島商業高等学校となる。2000年(平成12年)には創立100周年記念式典を挙行した。
- 校訓
- 「誠実・進取」 - 真心を持った人間になろう。物事を自分から進んで行われる人間になろう。
- 教育方針
- 「キャリア教育日本一」
- 校章
- ローマ神話の商業神マーキュリーの持つ2匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)をモチーフに校名の「広商(HIROSHO)の頭文字Hをからませたデザインとなっている[1]。
- 校歌
- 歌詞は4番まであり、校名の「広商」が1番に登場する。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 統一学科
- 特色
- 毎年、12月に2日間開催される販売実習「模擬株式会社広商デパート」は地域からの支持も高い。学校オリジナル商品も販売している。
- 制服
- 男子の冬服は学生服(学ラン・詰襟)、女子の冬服はコート型。
- 商業学校時代
- 1899年(明治32年)
- 7月21日 - 広島市会(広島市議会の前身)において、甲乙両種併設の商業学校設立案が可決される。
- 11月1日 - 文部大臣によって「広島商業学校」の設置が認可される。
- 修業年限を甲・乙両種とも3ヶ年とし、定員を甲種科150名・乙種科300名とする。またこの日を創立記念日とする。
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)
- 4月1日 - 県立移管に伴い、「広島県広島商業学校」と改称。
- 6月21日 - 「広島県立広島商業学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 広島市竹屋村に新校舎が完成し移転を完了。
- 1903年(明治36年)3月20日 - 甲種科の定員をこれまでの2倍に増員し300名に、乙種科をこれまでの2分の1に減員し150名とする。
- 1907年(明治40年)2月19日 - 甲種科を本科と改称し、予科1ヶ年を付設し修業年限を4ヶ年とする。乙種科を廃止。
- 1909年(明治42年)2月19日 - 予科修業年限1ヶ年を2ヶ年に変更し、修業年限を5ヶ年に延長。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 定員を450名とする。校歌を制定。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 定員を700名に増員。
- 1922年(大正11年)7月30日 - 広島市皆実町に寄宿舎を新設。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 予科を廃止し、本科の修業年限を5ヶ年とし、定員を750名に増員。
- 1934年(昭和9年)11月20日 - 広島市江波町に新校舎が完成し移転を完了。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 定員を1,000名とする。
- 1940年(昭和15年)10月21日 - 校舎を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 定員を1,250名とする。
- 1944年(昭和19年)5月17日 - 陸軍兵器学校広島分教所として校舎を徴用されたため、広島市皆実町一丁目の広島師範学校旧校舎に移転。
- 1945年(昭和20年)
- 8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により、皆実町校舎は全焼。職員・生徒は皆実町校舎・広島市役所東側・土橋付近で被災。
- 11月8日 - 戦災物故者追弔法要を執行。(職員3名、4年33名、3年21名、2年64名、1年17名、計138名)
- 11月11日 - 江波校舎に復帰。
- 1947年(昭和22年)11月1日 - 創立50周年記念式を挙行。
- 新制高等学校
- 運動部
- 高校野球の前身・全国中等学校優勝野球大会草創期からの強豪として知られ、春・選抜大会で21回、夏・選手権大会で22回それぞれ甲子園に出場。うち春選抜で1回、夏選手権では6回の優勝を誇る(準優勝は春夏各1回)。また特に夏の甲子園に強いため、県内ではかつて「春の広陵、夏の広商」と呼ばれていた。「緻密な野球」で知られ、送りバント・スクイズ・盗塁を多用し、固い守備で1点差で守り勝つ野球が身上である[2]。但し近年は低迷が続き、春は2002年・第74回選抜大会、夏は2004年・第86回選手権大会を最後に、甲子園への出場は遠ざかっていた。しかし、創部120年を迎えた2019年の春季県大会で15年ぶりに優勝すると、勢いそのままに第101回選手権広島大会も15年ぶりに優勝し、大正、昭和、平成、令和の4元号で甲子園出場を果たした。2024年まで夏の選手権で4元号で出場したのは本校と静岡、米子東、高松商、松商学園、北海、長崎商、慶應、広陵、大社、早稲田実の11校である。
- 高等学校野球大会(春のセンバツ)
- 初. 1929年(昭和4年)- 第6回大会(以降・広島商業学校として)
- 2. 1930年(昭和5年)- 第7回大会(2年連続)
- 3. 1931年(昭和6年)- 第8回大会(3年連続)- 初優勝
- 4. 1932年(昭和7年)- 第9回大会(4年連続)
- 5. 1933年(昭和8年)- 第10回大会(5年連続)
- 6. 1936年(昭和11年)- 第13回大会(3年ぶり)
- 7. 1938年(昭和13年)- 第15回大会(2年ぶり)
- 8. 1940年(昭和15年)- 第17回大会(2年ぶり)※1942年(昭和17年)から1946年(昭和21年)までの間、大会は行われていない。
- 9. 1947年(昭和22年)- 第19回大会(7年ぶり)
- 10. 1952年(昭和27年)- 第24回大会(5年ぶり、広島観音高等学校商業科時代)
- 11. 1956年(昭和31年)- 第28回大会(4年ぶり、以降・広島商業高等学校として)
- 12. 1969年(昭和44年)- 第41回大会(13年ぶり)
- 13. 1973年(昭和48年)- 第45回大会(4年ぶり)- 準優勝
- 14. 1974年(昭和49年)- 第46回大会(2年連続)
- 15. 1983年(昭和58年)- 第55回大会(9年ぶり)
- 16. 1985年(昭和60年)- 第57回大会(2年ぶり)
- 17. 1987年(昭和62年)- 第59回大会(2年ぶり)
- 18. 1992年(平成4年)- 第64回大会(5年ぶり)
- 19. 1994年(平成6年)- 第66回大会(2年ぶり)
- 20. 1998年(平成10年)- 第70回大会(4年ぶり)
- 21. 2002年(平成14年)- 第74回大会(4年ぶり)
- 22. 2022年(令和4年)- 第94回大会(20年ぶり)
- 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)
- 初. 1916年(大正5年)- 第2回大会(以降・広島商業学校として)
- 2. 1917年(大正6年)- 第3回大会(2年連続)
- 3. 1918年(大正7年)- 第4回大会(3年連続)- 中止
- 4. 1922年(大正11年)- 第8回大会(4年ぶり)
- 5. 1924年(大正13年)- 第10回大会(2年ぶり)- 初優勝
- 6. 1929年(昭和4年)- 第15回大会(5年ぶり)- 2回目の優勝
- 7. 1930年(昭和5年)- 第16回大会(2年連続)- 3回目の優勝(2回連続)
- 8. 1956年(昭和31年)- 第38回大会(26年ぶり、以降・広島商業高等学校として)
- 9. 1957年(昭和32年)- 第39回大会(2年連続)- 4回目の優勝
- 10. 1966年(昭和41年)- 第48回大会(9年ぶり)
- 11. 1970年(昭和45年)- 第52回大会(4年ぶり)
- 12. 1973年(昭和48年)- 第55回大会(3年ぶり)- 5回目の優勝
- 13. 1975年(昭和50年)- 第57回大会(2年ぶり)
- 14. 1977年(昭和52年)- 第59回大会(2年ぶり)
- 15. 1979年(昭和54年)- 第61回大会(2年ぶり)
- 16. 1981年(昭和56年)- 第63回大会(2年ぶり)
- 17. 1982年(昭和57年)- 第64回大会(2年連続)- 準優勝
- 18. 1983年(昭和58年)- 第65回大会(3年連続)
- 19. 1984年(昭和59年)- 第66回大会(4年連続)
- 20. 1987年(昭和62年)- 第69回大会(3年ぶり)
- 21. 1988年(昭和63年)- 第70回大会(2年連続)- 6回目の優勝
- 22. 2004年(平成16年)- 第86回大会(16年ぶり)
- 23. 2019年(令和元年)- 第101回大会(15年ぶり)
- 文化部
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 広島バス 50号(東西)線 「広商入口」バス停
- 広電バス 6号線「舟入南」バス停
注釈
広島大学政経学部は1977年(昭和52年)4月に改組され、法学部と経済学部に分かれた。
使用された期間は1950年(昭和25年)から1960年(昭和35年)までの間。
出典
校章の変遷 - 広島県立広島商業高等学校ウェブサイト