広島市立舟入高等学校
広島県広島市にある高等学校 ウィキペディアから
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広島市立舟入高等学校(ひろしましりつふないりこうとうがっこう)は、広島県広島市中区に所在する広島市立高等学校。
広島市立舟入高等学校 | |
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北緯34度22分45.3秒 東経132度26分24.9秒 | |
過去の名称 |
広島市立第一高等女学校 広島市二葉高等学校 広島県広島舟入高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島市 |
学区 |
(国際コミュニケーションコース)全県学区 (普通コース)広島市域 |
校訓 | おのれに徹して人のために生きよう |
設立年月日 | 1921年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 国際コミュニケーションコース |
学校コード | D134210000818 |
高校コード | 34173J |
所在地 | 〒730-0847 |
外部リンク | 広島市立舟入高等学校 |
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1921年(大正10年)、広島市高等女学校(通称:市女"いちじょ")として開校。100余年の伝統と歴史を有する県内屈指の進学校である。
市女時代の自由な校風を受け継ぎ、伝統的に英語教育に力を入れている舟入高校は、「舟入から世界へ」をスローガンに、21世紀を担う社会のリーダーシップを育成すべく、国際理解教育や平和教育にも力を注ぎ、心身共に優れた人間の育成を目指している。2004年度からスーパーイングリッシュランゲージハイスクール (SELHi) に指定されていた。
進路指導も充実しており、地元広島大学および旧帝大を含め、6割近くの生徒が国公立大学に現役合格している。私大では、関関同立を中心に、早慶上理など有名私大へも毎年多数の現役合格者を出している。
学校独自の伝統として、3F精神(ファイト・フェアー・ファイン)・舟入高校体操[1]・アルルの女を流そう・組体操・なわとびなどがある。
制服の白シャツとセーターの左腕上部に舟入高校の3F精神を表す “fff“の刺繍が施されており、女子生徒のスカートの左下にも“fff“の刺繍がある。
舟入高校の制服は、ワンタッチネクタイではない為、ネクタイを結ぶ必要があるが、ネクタイを結ぶことに憧れて入学する生徒も多く、広島県内、特に市内6校の中で最も人気のある制服と言われている。
体育祭では、1年生全員が舟入高校体操を披露し、3年生全員が自前の浴衣を着て盆踊りをする伝統がある。体育祭で最も盛り上がるのは1年生全員による舟入高校体操(通称:舟入体操)で、音楽が流れ始めると共に、2、3年生から拍手、手拍子、大声援が送られる。体育祭の締めは全校生徒によるフォークダンス。
舟入:おのれに徹して人のために生きよう
市女:揺籃を動かす手が世界を動かす
他の市内6校が校樹をモチーフにしているのに対し、本校は「舟」をモチーフにしている。これは、生徒たちによってデザインされたものである。同様に、校旗のデザインも生徒の手によって行われた。
アカシヤの木
1番が「アカシヤに光あり」で始まり、2番が「アカシヤに望みあり」で始まる。
遅刻者ゼロの日は、校内放送でアルルの女が流されるという伝統がある。
2007年に携帯電話の持ち込みが許可された。しかし、校内では電源を切ってロッカーにしまうことになっている。校内での使用が見つかった場合、教師によって対応が異なる。厳しい罰則がある場合と見逃される場合がある。
令和3年度までは制服着用時、「女子生徒の靴下の色は白(ハイソックスや踝ソックスは不可)である必要がある。」とされていたが、令和4年度からは制服着用時、「男子生徒・女子生徒の両方において、靴下の色は黒・白・紺(ハイソックスや踝ソックスは不可)」に変更された。
体操服を着用する場合は、「男子生徒の靴下の色が女子生徒と同様に白」である必要がある。(2021年5月現在)
また、男子生徒・女子生徒の両方において「基準服の下に着用する衣類は白無地とする」と定められている。(2021年5月現在)
舟入高校の特徴は創立時から講堂があることである。
アカシヤホールは、西日本の公立高校で最大にして唯一の専用コンサートホールである。スタンウェイの象牙鍵盤グランドピアノを完備し、入学式、卒業式、文化祭、合唱祭、講演会、定期演奏会、朝会、始業式、終業式などの行事で使用されている。
舟入高校一階には食堂がある。廊下の入り口から入った正面に2台の食券販売機があり、購入した食券を受取口で渡すことで飲食物を受け取ることができる。食堂ではパン販売も行われている。
市女の初代校長である今堀友市氏は、当時の女学校教育が「良妻賢母」を育てるという美名のもとに内容が乏しい教育であることに憤り、「真の人間教育」を目指して教育改革を行い実践した。
市女の教育方針は、自由の教育観による人間教育、音楽を通じての情操教育、健康管理と体力作りの各スポーツ推進であった。[3]
モダンな校舎と大正デモクラシーの自由な空気のもと、当時としては珍しく水泳の授業があり、また、創立時から西洋の音楽教育に力を入れ、レコード鑑賞や合唱が盛んな華やかな校風で知られていた。当時、国内トップレベルの管弦楽隊だった呉の海軍軍楽隊が伴奏に訪れ、年に一度、演奏会も行っていた。[4][5]
1949年春、市女同窓生は「乳幼児を預かり、女性の社会進出を側面からお手伝いする」という思いから、千田保育園を設立。千田保育園は、全国的にも例がない女学校の同窓生が経営、運営する保育園で、市女の校章が園章として引き継がれ、市女の校訓がそのまま園是として継承されている。[3]
1998年に全面改築され、学習・生活環境が飛躍的に向上した。設備においては、将来の高校のあり方を示すかのごとく、あらゆる工夫が施されている。基町高校も同様のことがいえるが、一般的に基町ではデザイン重視、舟入では機能重視であるといわれる。[要出典]。設計は村田相互設計[7]。
広島への原爆投下に於いて当時の広島市立第一高等女学校が広島市内の学校では最多の犠牲者を出している。広島市立第一高等女学校の後身としてその歴史を受け継ぐ本校に建立された慰霊碑にて中央の少女が抱えている箱には「E=mc2」の公式が刻まれている。これは建立当時(1948年)の占領軍の報道規制により、『原爆』の文字が使えなかったためで、原爆の字の代わりにこの公式を刻んだとされる。父兄により建立された「市立高女慰霊碑」は、広島の学校に於いて最初の原爆慰霊碑だった。
通称FICC(Funairi International Communication Course)。国際コミュニケーションコースは1998年に設置された英語教育に特化したコースである。あくまで普通科なので英語を除く教科を疎かにすることなく履修可能である。海外の語学研修に意欲的で現地の人々を通じてコミュニケーション能力を高めることができる。卒業時には高度な言語力がついているため語学系の難関大学にも進学可能となる。
男子バレーボール部:名門崇徳高校を決勝で破り全国大会へ出場した実績があり、それ以来、合言葉は「打倒崇徳」である。
女子バレーボール部:戦前はバレーボールの強豪で、西日本大会および全国選手権にて優勝経験がある。
全国高等学校演劇大会(全国大会出場年及び成績)
・第15回 1969/昭和44年:作品「海岸線」作者 神宮茂十郎
・第21回 1975/昭和50年:作品「明日に舞う」作者 舟入高校演劇部 ★優秀賞/★創作脚本賞
・第24回 1978/昭和53年:作品「虎杖忌」作者 伊藤隆弘 ★優秀賞
・第25回 1979/昭和54年:作品「灯の河に-邂逅のれくいえむ-」作者 伊藤隆弘
・第29回 1983/昭和58年:作品「夜空を駆けろ! チンチン電車」作者 伊藤隆弘 ★優秀賞/★創作脚本賞
・第30回 1984/昭和59年:作品「おさん幻想」作者 伊藤隆弘 ★優秀賞/★創作脚本賞
・第32回 1986/昭和61年:作品「えんこうが出てくる日」作者 伊藤隆弘
・第34回 1988/昭和63年:作品「とうさんのチンチン電車」作者 伊藤隆弘 ★最優秀賞/★創作脚本賞
・第36回 1990/平成2年:作品「ともこのオルゴール」作者 伊藤隆弘
・第37回 1991/平成3年:作品「がんぎものがたり」作者 伊藤隆弘
・第43回 1997/平成9年:作品「富士に似た島」作者 伊藤隆弘
・第62回 2016/平成28年:作品「八月の青い蝶」周防柳/作(集英社刊『八月の青い蝶』)須﨑幸彦/脚色 ★舞台美術賞
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