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山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手(DF)、元サッカー審判員。現在はJリーグのサンフレッチェ広島職員。
広島市立舟入高等学校、東京農業大学卒業。高校・大学の1年先輩に石井知幸がいる。
卒業後マツダに入社、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に在籍。ディフェンダーとして松田浩や信藤克義)らとともにDFラインを形成し、高橋真一郎、風間八宏、森保一、織田秀和、前川和也らとプレーした。
Jリーグ発足後はプロ契約を結ばず、サンフレッチェ広島強化部の職員としてユース年代の指導に当たりつつ、審判員として活動する。1997年に1級審判員登録。以後、J1を中心とした国内試合の主審として笛を吹く。
審判員の活動が本格化すると同時に指導者の立場からは離れたが、サンフレッチェ広島に事業部職員として在籍、2006年までスタジアムで販売される弁当・グルメの企画開発を担当、試合前に不定期で行われるサポーター向けルール講習会の講師も行っていた。
2008年現在、事業本部営業部に所属し、スポンサーとの契約交渉を担当。
2009年度をもって審判業を引退し、サンフレッチェ広島での業務に専念することになった[2]。
サンフレッチェ広島職員の傍ら審判員をこなしていたこともあり、広島の公式戦において審判員を務めることはなかった。
その他の公式戦
1級審判員登録:1997年12月11日
Jリーグ登録:J1副審 1999年-2000年/J1主審 2001年-2009年
国際主審 2002年-2006年
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