『寺内貫太郎一家』(てらうちかんたろういっか)は、1974年にTBS系列の水曜劇場枠で放送され、平均視聴率31.3%を記録したテレビドラマ。昭和の東京下町、石屋を営む一家とそれを取り巻く人々との人情味溢れる毎日を、コメディータッチで描いた。向田邦子脚本、久世光彦プロデュース、小林亜星主演。1974年第7回テレビ大賞受賞作品[1][2]。
東京の下町、台東区谷中[注釈 1] で三代続く手彫りが売りの「寺内石材店(通称「石貫」)」を舞台に、納得できないことがあると家族に限らず街の学生や来客などに手を上げたりと短気で喧嘩っ早いが、温かくて懐が深く面倒見もいいため憎まれずに慕われる昔ながらの下町の頑固親父「寺内貫太郎(小林亜星)」を中心とした家族やご近所さんとの触れ合いを描いたホームドラマ。しかし「死」や「孤独」、「老い」、もう一歩踏み込んだ「闇」の部分も描かれており、単なる人情喜劇の一言では片付かない作品。
全般的に時折アドリブも展開しつつ、何故か寺内家の本日の献立がテロップで出たり「キタネエなあ!バアちゃん!」のようなきん(悠木千帆)と周平(西城秀樹)のお決まりの掛け合いも楽しい食卓や、貫太郎と周平らとの大喧嘩(西城はこのシーンで実際に腕を骨折して入院)や、きんが沢田研二のポスター[注釈 2] を見て身悶えながら「ジュ~リィ~![注釈 3]」と叫ぶシーンなどが話題になった。また、タメ(左とん平)と岩(伴淳三郎)の喜劇役者同士の作業場での掛け合いも妙味。
2の第10話の食卓シーンでは中央上部にガンマイクがはっきりと映りこんだり、第24話では酔った節子(風吹ジュン)の下着も映ってしまったもののNGにせず、そのままOAされている。
平成になってからも、主な出演者が『東京電話』(東京通信ネットワーク)のCMに起用されたり、舞台でも公演され、新たにTVドラマスペシャルも3本作られるなど、その人気の根強さがうかがえた。また、寺内貫太郎の役柄そのままに、小林亜星が全優石のCMに起用された。
新・寺内貫太郎一家は10年前に他界した脚本の向田邦子に捧ぐと冒頭でテロップが出る。
2から16年経ち(家族構成もやや変更しながらも)きんは他界し、貫太郎の子どもたちにはそれぞれの悩みが。
しかし最大の違いは貫太郎がめっきり大人しくなったこと。年を取ったのかと思うとそれだけではなかった。
2000ではきんが復活し、序盤の貫太郎と周平の親子げんかに2の第1話の悪夢(上記の西城の骨折)も視聴者には鮮やかに蘇ったが[要出典]、四半世紀の月日の関係か当時のスピード感は無く怪我には至らず胸を撫で下ろした[要出典]。その分豪快なちゃぶ台返しを貫太郎が見せた。そして終盤での親子げんかでは今度は周平がちゃぶ台返しをやった。
時代の流れと共に食卓に掲げられている書が「初志貫徹」から「時代錯誤」に、食卓脇の黒電話もデジタルのコードレス子機に変わっている。
BS12トゥエルビで「寺内貫太郎一家」は2018年1月4日~3月14日、
「寺内貫太郎一家2」は2020年10月22日~2021年2月4日、単発スペシャル第1弾の「新・寺内貫太郎一家」は2021年2月11日、第3弾の「寺内貫太郎一家2000」は2021年2月18日に再放送された。城島茂や竹内結子が出演した第2弾の「寺内貫太郎一家98秋」だけは再放送されなかった。
水曜劇場・寺内貫太郎一家
- 放送期間
- 1974年1月16日 - 1974年10月9日 全39話
- 出演
- 主人公 53歳[注釈 4] 寺内家の亭主・石頭で典型的な頑固親父
- 貫太郎の妻 和服姿でいつもテキパキ働いている
- 寺内家の長女 23歳 4歳の頃の怪我がもとで左足を引きずっている。
- 寺内家の長男 大学浪人中で何かにつけて貫太郎と衝突する(原作では西城秀樹に似ていると書かれている)
- 貫太郎の実母 70歳[3] 新潟県出身
- もともとは寺内家の奉公人としてやってきたが、三代目貫太郎に見初められ結婚。
- 沢田研二の大ファンで、自室のポスターを見つめファイティングポーズのような両手をグーにした格好で左右に振りつつ「ジュ~リィ~[注釈 3]」と、時には激しく時には切なく呟くのがお約束(子どもを中心とした多くの視聴者が真似て大流行した)
- 寺内家のお手伝い(新潟から上京)
- 高校3年の5月に母を亡くして親戚に引き取られたが、家計の悪化により高校を中退している。
- 「石貫」の職人(石工) 66歳(山形出身で職人歴50年のベテラン。大阪に息子夫婦がいる)
- 基本的に貫太郎からの信頼は厚いが、頑固な性格のため似た性格の貫太郎と大ゲンカになることも。静江や周平が落ち込んだときに気配りをすることもある。若い頃は、きんに想いを寄せて求婚したこともあったらしい。
- 「石貫」の職人(石工)(女好きのお調子者でいつも貫太郎に啖呵を切っては痛い目に遭う)
- 安アパートに岩次郎と同居している。独身生活が長く、あまり幸せでない家庭で育ったため、家族の愛情に憧れている。
- 「石貫」の職人(石工)で花くまの知り合い
- 「石貫」の向かいにある花屋「花くま」の主人(独身)
- 静江の恋人(子持ちでバツイチ)
- 上条の連れ子(フィンガー5玉元妙子のファン)
- 上条と別れた元妻(しゃぶしゃぶ屋に勤務)
- 嫁姑問題のもつれから離婚、姑の希望からマモルとは引き離された。その後姑が他界したこともあり、上条やマモルには未練を抱いている。ひと月に一度、マモルと会えることになっているが、我が子恋しさから上条の留守に約束を破って、さつき荘を訪れ、静江を困惑させたこともあった。
- 貫太郎や岩さん達がよく利用する居酒屋「霧雨」のおかみ
- 居酒屋「霧雨」の常連客で謎多き男(岩さん、タメなどから「だんまり兄さん」と呼ばれている)
- 居酒屋「霧雨」の常連客(岩さん、タメのアパートの隣人)
- 居酒屋「霧雨」の常連客(洋服屋を営む)
- 周平のガールフレンド
- 居酒屋「霧雨」の従業員
- さつき荘(上条の住むアパート)の管理人
- 上条と静江の仲を応援してはいるが、付き合いの長さから幸子との付き合いのほうに重点を置いている。甘いもの好きで、ポケットには常に菓子が入っている。
- 貫太郎の腹違いの弟(豆腐屋経営)
- 第26話で豆腐屋が火事となり登場(実際は、谷のほうが早生まれだが、亜星と同い年)
- 貫次郎の妻(第26話より)
- 貫次郎の長女(第26話より)
- 貫次郎の長男(第26話より)
- ゲスト
- 第1話
- 第2話
- 第3話
- 第5話
- 第6話
- 第7話
- 第9話
- 第10話
- 第11話
- 岩さんの息子。大阪暮らしで岩さんを老人ホームに入れると貫太郎に申し入れるも断られる。
- 第12話
- 第13話
- 第14話
- 第16話
- きんの友人。花くまと見合いをし、第36回では行商をしに寺内家にやってくる。
- 第17話
- 第18話
- 第19話
- 第20話
- 第21話
- 第22話
- 第23話
- 第24話
- 第25話
- 第27話
- 第29話
- 第30話
- 第31話
- 第32話
- 少年時代の貫太郎:都井健治
- 少年時代の花くま:高橋一成
- 第33話
- 第34話
- 第35話
- 第36話
- 第37話
- 第38話
- 第39話
- 挿入歌
水曜劇場・寺内貫太郎一家2
- 放送期間
- 1975年4月16日-1975年11月5日 全30話
- 出演
- 今作で54歳[注釈 4]
- 寺内家の第1子で長男
- 1年半前、高校時代の悪友、大沢卓夫・君島祐二と共謀し唐島多江を3人でレイプしようと企て大助の部屋で実行。途中で気が変わり卓夫らをやめさせようとするも激しく抵抗する多江に瀬戸物の灰皿で殴られ失神。事実何もしなかったため収監されず強姦未遂で懲役10か月執行猶予2年の判決が出るが会社はクビになりやさぐれている。そのせいで節子の縁談も破談になった。それらにより激怒した貫太郎には口もきいてもらえなければ食卓も共にしてもらえない。でも何故か被害者の多江とその後付き合っていて、それを家族に知られたとき貫太郎には当然別れろと激怒され、鋏を持って殺してやると迫られたが長髪を切られるに留まった。イワさんのさりげない助言もあり、それを機に短髪にし、別れることは了承しなかったが貫太郎に頭を下げ家業を手伝うことになった。最終回では執行猶予期限が終わる日となるが、その日が来るまで耐え忍び真面目に家業に勤しみ、第16話で式を挙げた多江もおめでたとなり、その日を迎えた。実は第17話で断ったはずの石富提案の分店を実は貫太郎が頭金を払っていて、これを機にそちらにも舵を切ることになった。
- 寺内家の第2子で長女 23歳[注釈 7](前作梶芽衣子版の障害の設定はなくなったが年齢は同じ)見合い相手ヨシユキ[注釈 8] とのまとまり掛けていた縁談が大助の一件で破談になる。第29話では最後のサービス(?)なのか入浴シーンがある。
- 寺内周平:西城秀樹(第1話~第4話 『第5・7話』 第14話~第16話、第28話、第30話【終】のみ出演 ※『 』は声のみ ※※特記参照)
- 寺内家の第3子で次男(前作では長男だったが、家族構成の設定が変わったため)きんには何故か時々寺内と呼ばれる。
- 【特記】 第1話開始早々の亜星との乱闘シーンで、障子を壊す程度の予定が中庭まですっ飛び、その際付いた左手を骨折。その瞬間を見ていた亜星も加藤も芝居を忘れて一瞬固まった後に心配そうに歩み寄り、同時に悠木のリアルな「アラアラ!大丈夫~!?」の声が上がったところでカット。その後西城が中庭から反撃してくるシーンからは腕組みをするような格好が目立ち、よく見ると長袖内の左腕肘上部までギプスで固められているせいで右手だけ伸ばして応戦し、間に里子が密着して止める体で西城の左腕をひたすら守りつつ隠していた。その後は撮影順の関係でギプスをしたり取れたりしていたが、第2話は前半の食卓シーンから左手を吊っていて骨折ありきの撮影になっていた。その原因は事実である親子喧嘩ではなくサッカーでのタックルによるものだと家族の会話内でミヨコが言っていた。第4話では電話出演(第5・7話のクレジットには「周平の声/西城秀樹」となっている)に留まり、その際貫太郎が勉強と腕直しに行ってるんだろうと言い、リハビリなのか合宿講習なのか判り辛い設定になった。第5話のミヨコとエミ子の会話で長野に行っていることが判明。サッカーでタックルをした設定の吉岡の別荘がそこにあり、挫きなどに効く温泉があるということで治療と勉強を兼ねて行っているとミヨコが説明した。第8話~第13話までは一旦クレジットから完全に消えた。第14話エンディングシーンまで休演したが、長野から帰宅しギプスも取れたその登場時には半袖の左腕で髪をかき上げ全快をアピールした。そのエンディング後にはレギュラー全員が揃い、真ん中の貫太郎が大助を指差し「This is my son」と言い、すかさず周平を指差し「This is my son」と言って全員で「ワッ!」と言って終わっているが、わざわざそのシーンを撮って放送したことは、おそらく「西城は怪我によりクレジットからも消えて休んでいたが、それは噂になっていた降板ではなく、これからも貫太郎の息子として出演します。」ということを暗示していた。しかし第15・16話はクレジットにも名が記され出演を果たしたが、17話以降又も出演もクレジットも無くなり復帰を喜んだファンを大きく失望させた。第14話以前のような休演のドラマ的裏付けもなく、普段通りに第28話で復帰したのも視聴者はあっけにとられたが、もはや25mプールを全レギュラーが自由形で50m泳いでいる中、秀樹だけはスタートとターンとゴールしか姿を見せずに一人だけ潜水しているかのような出る出る詐欺のような格好になってしまった。そんな中、第29話ではまたも出ず、さすがに最終回の第30話にはどうにか出演を果たすということになった。ストーリーとしては他のレギュラーの好演で遜色なかったが、大きな色を失ったことも事実の大きな事故だった。
- 寺内きん:悠木千帆 74歳[注釈 9](クレジットの表示順は出演者の最初の方と最後の方とでまちまちだった)
- このシリーズでは基本的に「ジュ~リィ~[注釈 3]」はやらなくなったが、第8話ではミヨコに前作で掛けていたポスターをいきなり下げられるとついつい条件反射でやってしまい、最終回ではエンディング後に視聴者サービスでもやってみせた。
- 最終回ではきんとの度重なるケンカで限界点を超え、辞めさせてもらうと言ったがそれは伏線があった。第29話のきんも知る地元新潟の役場勤務だった高齢の樋口清[注釈 10] 氏に入院なら独り身で大変だから、自分がお世話できるため東京の東大病院にしたらどうかとミヨコが勧めた。それはミヨコの母が亡くなった時の世話や人生相談も乗ってもらい、一番にはきんにミヨコの紹介状を送ってくれた恩人であることから。そのミヨコの献身ぶりから養女として縁組したいと(来春にはせんだみつお似の人との縁談の話もある)なったため、その世話に家族的な生きがいも感じて受け入れる決断をしたが、それは石貫を辞めて帰郷しないとならないことを寺内家のみんなに言い出せないままの芝居だった。送別の席では大好きなきんに(凄い置き土産もした)飛びつき号泣。みんなに上野駅で見送られる予定だったが、別れが辛いため置手紙を残し1便前の特急で黙って旅立った。
- 倉島岩次郎(イワさん):伴淳三郎(第11・12話、第23~25話はクレジットも無く出演無し)
- 最終回ではいつのまにか大助(まだ半人前であるため)と多江の狭山分店に一緒に行くことになっている。
- 第20話で背中にうっすらと消え残った刺青があることが判明した。
- 随所に笑いを散りばめていたが、最終回の伊作・トミコ親子旅立ちのしんみりしたシーン後にも「おしゃまんべ」をやっていた
- 「石貫」の夜学生バイト(第2話~) 花くまの紹介。がっちりしているという話だったが細身の色男で全然違うが採用される。クレジットには最終回まで「(新人)」と付記
- 唐島多江:池波志乃(クレジットは「多江」だけの場合とまちまち)
- 大助の元被害者で現恋人(事件シーンでは明瞭に顔が映っていない)
- 大助らから被害を受けた後、居づらくなった信用金庫を辞めたこともあり、新たな勤め先とアパートを貫太郎に保障されている。それにもかかわらず隠れて交際中というむちゃくちゃな存在で普通のカップルのように本名を名乗り大助宛に電話をしてくる始末。きんからその電話を代わった周平に感づかれ交際が発覚する。第4話で直接勤め先を訪れた周平におかしくなった家族が少しずつ良くなってきているのでもう電話もかけずに兄と別れてくれと強く願われる。その際、身寄りもないことからもう死のうと思ったが、その前に何故だか大助に会いたくなり、特に話もなかったがそばにいるだけでもう少し生きようと思えたことを周平に泣きながらぶつけた。しかし後に恒久的に寺内家の問題として家族不仲の種になるならば、ひっそりと消えようと考えだす。そのため貫太郎が紹介したサンダル屋の岡兄弟商会を辞め、アパートを引き払い人知れぬ町でウエイトレスでもして生きる決意をしたことを第10話の自身が患った盲腸での退院時に病室に訪れたきんを清掃員と勘違いしてつい苦しさから吐露する。なので大助と里子が退院の補助に来る前に全てを清算し消えようとしたが、きんの機転で時間稼ぎをされ大助らと鉢合わせになり、きんから多江の思いが語られた。その後寺内家を訪れ、大助が罪滅ぼしではなく多江が好きで一生付き合っていきたいから家族の縁を切ってくれと貫太郎に土下座して願ったが、貫太郎は縁を切っても子を思う親の気持ちは変わらず、体を切れば互いに同じ血が出るんだと一発食らわせた大助に言い、縁切りは認められずも二人がそこまでの思いならと正式交際を貫太郎以下全てに認められるに至った。第15話でイワさんときんの半ば強引な仕掛けにより、第16話では結婚式を執り行い寺内家の一員となった。多くの障害があった禁断の恋を実らせ結婚し、世間の冷たい目や声に耐え忍び、大助の執行猶予が明ける最終話までには妊娠もし、幸せをしっかりと掴んだ。
- 噂話が大好きなイワ・タメ・テツの住むアパートの管理人
- 周平の彼女
- ミヨコの同郷の友人
- 居酒屋「花ちょうちん」のおかみ
- 最終回では店を畳み、出所した夫の実家のある北海道の旭川西部へ行くことになった。
- 居酒屋「花ちょうちん」の主人でトミコの父親
- 最終回でトミコ夫婦と同居を望まれ、亡くなった妻の墓守から拒むが、常連客との会話で旭川行きを決意。
- 品川巻次郎:上村一夫(クレジットは第1・2話「巻次郎」第3話から「品川巻」) ※ヒット作「同棲時代」などの漫画家
- 居酒屋「花ちょうちん」の常連客
- 第25話では即興で花くまへ無心に来た色っぽい鈴子の横顔を描き、第29話では徳さんに代わって「北へ帰ろう」を弾き語った。
- ヘンな流し(徳さん):徳久広司(第1話~第12話、第14・15話はノンクレジット)
- 居酒屋「花ちょうちん」店内や店外~石貫辺りの町内で、毎話ではないが「北へ帰ろう」を歌う流し(第29話では品川に店内で歌われたが、店外で聴いていて最後にお辞儀をしたのち街を闊歩して自分も歌った)
- ゲスト
- 挿入歌
脚本を執筆した向田邦子は当時多かったひらがなの軽いドラマタイトルに反して、「四角ばって漢字の多い(中略)左右対称で末広がりに落ちついた」タイトルを望んでいた。しかし『寺内貫太郎一家』はやくざ一家の物語のようなタイトルである、墓石屋は縁起が悪い、親の過失で身体障害者となった娘という設定はまずい、主役の小林亜星は演技経験がない、など諸方面から反対意見が出ていた。また、向田自身も自分の父親をモデルにした貫太郎役に当時髪を伸ばしていた小林を起用することに大変難色を示した[4]。プロデューサーの久世光彦は、同局の下にある床屋で小林の髪を坊主にして、黒い丸縁めがね、印半纏、裁付袴、毛糸の腹巻、水天宮の守り札を身に着けさせて向田にひき合わせたところ、ようやく向田は納得して起用に承諾した[5]。このときから小林は「タレント作曲家」と呼ばれるようになる[注釈 25]。また本人の話では、当時太っている俳優は少なく、最初に若山富三郎、次にザ・ドリフターズの高木ブーに出演依頼したが共に多忙で断られ、その中で小林に白羽の矢が立った[6][7][8][9]。
1975年4月3日、赤坂のスタジオでの番組収録中に貫太郎役の小林亜星が次男役の西城秀樹を突き飛ばすシーンで勢いよく突き飛ばしたところ、秀樹が釘の付いた板に手を突いて大怪我をしてしまい救急車が呼ばれた[10]。この件以降2人は心が通い合って本当の親子喧嘩のようにお互いに演技できるようになったという。
後に亜星がアニメ『∀ガンダム』(フジテレビ)の主題歌『ターンAターン』を担当した際、歌手として秀樹を指名(この時期、ちょうど秀樹がレコード会社との契約が切れていた“空白の時期”であり、起用しやすかったという点もある)し、作曲者と歌手という形ながら、久々にコンビの復活となった。
『新・寺内貫太郎一家』のみ、寺内きんは既に亡くなった設定になっている。1979年、久世の女性問題を樹木がドラマ「ムー一族」の打ち上げパーティーにおけるスピーチで明かしたことから、一大スキャンダルに発展して以降、1996年放送のドラマ「坊ちゃんちゃん」まで距離を置いた状態にあったためである。
- 福島県では、第1・第2シリーズは福島テレビ(FTV。当時はJNNとFNSのクロスネットで現在はFNSフルネット局)にネットされていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー福島(TUF。1983年にJNN系列局として開局)で放送された。
- 当時TBS系列局がなかった愛媛県では、第1・第2シリーズは南海放送(RNB。NNS系列局)で系列外ながら同時ネットで放送されていたが、1998年に放送された「寺内貫太郎一家98秋」以降のシリーズはあいテレビ(itv。1992年にJNN系列局として開局)で放送された。
- 現在もTBS系列局がない秋田県では、第1・第2シリーズ共、秋田テレビ(AKT。FNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
- 現在もTBS系列局がない福井県では、第1・第2シリーズ共、福井テレビ(FTB。FNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた[11]。
- 現在もTBS系列局がない徳島県では、第1・第2シリーズ共、四国放送(JRT。NNS系列局)で、土曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
- 当時TBS系列局がなかった山形県では、第1・第2シリーズは山形テレビ(YTS。第1シリーズ放送時はFNS系列局、第2シリーズ放送時はFNSとANNのクロスネット局。現在はANNフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー山形(TUY。1989年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。
- 当時TBS系列局がなかった富山県では、第1・第2シリーズは富山テレビ(T34〈現・BBT〉。FNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが[11]、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはチューリップテレビ(TUT。1990年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。
- BOX 第1弾(2006年2月24日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第1話-第12話
- BOX 第2弾(2006年3月24日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第13話-第24話
- BOX 第3弾(2006年4月28日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第25話-第39話
- BOX 第4弾(2006年11月22日):水曜劇場「寺内貫太郎一家2」第1話-第15話
- BOX 第5弾(2006年12月20日):水曜劇場「寺内貫太郎一家2」第16話-第30話
2006年3月2日、このドラマの演出・プロデュースを手掛けた久世光彦が急死した。TBSでは同年3月13日21:00 - 22:54に久世の追悼特別番組として、『久世光彦追悼特別企画・寺内貫太郎一家傑作選』を放送(通常の『月曜ミステリー劇場』の枠)。特番では、『寺内貫太郎一家』(1974年)の第1回と最終回を再放送。スタジオには小林亜星、樹木希林が出演し、在りし日の久世を偲んだ。司会進行は三雲孝江が務めた。
注釈
2のオープニングでの絵の中の吹き出しに「ジューリー」と記されている
2の第22話、きんの話から48年前に数えの7歳と判明"
挿入歌から察しはつくが、第24話で貫太郎が話す。最終話では今月末には24歳になるとも貫太郎が話した
1では70歳と本人が言ったので辻褄が合わないが、今作は第22話の最後に里子が48年前きんは26歳だったと回顧
クレジットにはないが劇中で里子やきんが「たちばなさん」と発している。漢字表記不明
クレジットされているが、強烈な役処のためか明瞭に顔が映っていない
デスクワークでの身なりや16話の結婚式の唯一の参列などから、岡ではないが社長の可能性もある一定以上の上席と思われる
劇中エンディングシーンのおふざけでは命名助平(大助の「助」と周平の「平」)になるところだった
その交友のエピソードで、一緒に飲んでいた屋台の割りばしの長い方が「サチ子」で短い方が「節子」という2人が考えた最終候補をくじ引きで決めたと貫太郎が話した。よって節子はその選ばれなかったハズレくじの名前だったことが判明した
準レギュラーの皆川役があるのに何故か最終回にこの役も担った
向田邦子の代表作「阿修羅のごとく」の主人公・四姉妹のうち、三人の女優(加藤・いしだ・風吹)が顔を揃えた
今作の設定では、結婚して三島(静岡県)に住んでいる
「かねだ」でなく「かねた」で、ムーでの樹木希林のいつもの訂正シーンを演じた
本業は作曲家である小林の俳優・タレントデビューでもある
出典
『あの日、夢の箱を開けた!―テレビ黄金時代の立役者12人の告白』 - 182ページ
『北國新聞』1975年10月8日付朝刊、テレビ欄。
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TBS系 水曜劇場 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
娘はむすめ(1973年9月12日- 1974年1月9日)
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寺内貫太郎一家 (1974年1月16日 - 10月9日)
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時間ですよ 昭和元年 (1974年10月16日 - 1975年4月9日)
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寺内貫太郎一家2 (1975年4月16日 - 11月5日)
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