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日本の俳優 ウィキペディアから
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月30日 - 2018年〈平成30年〉2月24日[1])は、日本の俳優、歌手、タレント。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。
父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる[2]。
1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎、永六輔、いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[3][信頼性要検証]。1957年にニッポン放送のバラエティ番組『トリロー・サンドイッチ』のメンバーになる。
芸名の由来は、本名の肥田木をもじって「左」を、名付け親の三木鶏郎の行きつけの居酒屋から「とん平」を取った。初めは「三木」を提案されたが、嫌な顔をしたために「左」となった[4]。
1960年頃から新宿コマ劇場の舞台に出演し、1960年代後半にはザ・ドリフターズの喜劇映画の常連となる[5]。1970年代にテレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などでの演技が当たり、コメディリリーフを担う俳優として一躍人気者となった。
1973年に「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」(「Hey you! What's your name?」、トニー谷のギャグである「あなたのお名前何てぇの?」の英語版)というギャグが流行語となり、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」としてレコード化もされてヒットした[6]。TBSの深夜番組『ぎんざナイトナイト』のコーナー「とん平のヘイ・ユー! インタビュー」では、銀座を歩く若い女性に「ヘイ・ユー!」と声をかけてインタビューするスタイルが話題を呼んだ。
1980年代には『楢山節考』や『居酒屋兆治』などのシリアスな映画にも立て続けに出演し、味のある名バイプレーヤーとしての地位を確立していく[7]。
森光子や淡島千景と親交があり、「お母さん」「とんとんちゃん」と呼び合う仲だった[8]。淡島のことは「淡島のママ」と呼んでいたという。
2017年6月に急性心筋梗塞で倒れ、長期入院を余儀なくされる[9]。一時は快方に向かうも[10]、翌2018年2月24日午後3時57分、心不全により東京都内の病院で死去。80歳だった[1]。葬儀・お別れの会は、長年CMキャラクターを務めたさがみ典礼が請け負った[11][12]。
1973年の楽曲『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』をめぐって、スチャダラパーがデビューアルバム(1990年)でサンプリングしたのをきっかけに、同年代だけではなく若者にも評価が高まった。また、大槻ケンヂはファーストソロアルバム『ONLY YOU』(1995年)の中でもカバーをしている(左とん平自身も参加)。
クラブシーンでも楽曲のファンキーなサウンドに評価が高まり、同じ1995年にシングルCD、およびアナログシングルで再発。2000年と2006年にもマキシシングルで再発されている(「東京っていい街だな」「とん平の酒びたり人生」「続・東京っていい街だな」との4曲入り)。2004年にはお笑いコンビのカンニングによってカバーされた。
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