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群馬県高崎市と甘楽郡下仁田町を結ぶ上信電鉄の鉄道路線 ウィキペディアから
上信線(じょうしんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅と同県甘楽郡下仁田町の下仁田駅とを結ぶ上信電鉄の鉄道路線である。
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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起点である高崎駅は上越・北陸新幹線を始め、高崎線・上越線・信越本線・両毛線・八高線といったJR各路線の列車が発着する交通の要衝であり、本路線においても起点であると同時に車両基地や本社の所在する重要な駅となっている。列車は構内で最も西側にある0番線ホームから発車すると、少しの間高崎線と並走した後、高崎アリーナを境に右手にわかれ家々の軒先をかすめるようにしてしばらく走り、県道134号(旧中山道)との踏切を越えると南高崎駅に到着する。同駅は、現在は1面1線の形態だが、かつては秩父セメントの施設が存在し、秩父鉄道から八高線経由の貨物列車が多数発着していたため[2][3]旅客用ホームに接する本線に並行して貨物側線を設けた1面2線の形態であった。南高崎を出ると国道17号・県道71号と相次いで交差した後、左にカーブして新幹線の高架の直下にある佐野信号所を通り、今度は右に急カーブして再び新幹線の高架をくぐると2014年に開業した線内で最も新しい駅である佐野のわたし駅に到着する。佐野のわたしを出ると直後に烏川を渡り、左手下流側には鉄道橋と並行して木造の人道橋(流れ橋)である佐野橋が架かる。川を渡ると一旦は田園が広がるが、東京農業大学第二高等学校の野球グラウンドを車窓に望みつつ左側に大きくカーブすると住宅地に入り、そのまま直進して根小屋駅に到着する。根小屋を出るとやや宅地から離れて桑畑などが点在する山裾を走って高崎商科大学のキャンパス最寄り駅である高崎商科大学前駅を過ぎ、再度住宅地に入って山名八幡宮の参道をオーバークロスすると山名駅に到着する。
山名を出ると田畑や住宅の広がる平坦区間に入り、駅をでてすぐ右へカーブした後直進して西山名駅に到着する。西山名を出た直後にある小さな右カーブを抜けると隣の馬庭駅まで約2 kmの直線区間となり、列車は一気に速度を上げる。次の馬庭駅は陸上自衛隊吉井分屯地の最寄り駅であり、かつては自衛隊向けの貨物列車が設定されていた[4]。馬庭を出るとすぐに鏑川を渡り、右カーブと勾配を抜けて、ふたたび県道71号をアンダークロスすると旧吉井町の中心駅である吉井駅に到着する。同駅にはかつて専用線が存在した[4]。 吉井を出ると、多少のカーブはあるものの数駅先まで続く長い直線区間に入る。次の西吉井駅は上信電鉄が開発する住宅地の最寄り駅として開業した駅であり、駅周辺は新興住宅街になっている[4]。西吉井を出ると甘楽町に入り、天引川を渡って新屋信号所を過ぎると上州新屋駅、次いで上州福島駅に到着する。上州福島駅は、高崎 - 下仁田間のほぼ中間に位置し、駅周辺にはマンナンライフの工場などが立地する。
上州福島を出ると沿線第2の都市である富岡市に入る。鏑川を渡り、丘陵地帯に入って切通しを抜けると東富岡駅に到着する。ここからは再び住宅地の中を走り、まもなく富岡市の中心駅であり、同時に世界遺産富岡製糸場の最寄り駅でもある上州富岡駅に到着する。同駅を始終着とする列車も数本設定されているほか、かつては上信電鉄の乗合バス部門の中心地でもあり、鉄道に沿って高崎・前橋・下仁田方面や直角に松井田・磯部・安中方面を結ぶ路線網が築かれていた[5]。上州富岡を出ると、西富岡、敷地内に旧七日市藩の藩邸の一部が保存されていることで知られる富岡高校の最寄り駅である上州七日市駅を通り、国道254号の踏切を越えて鏑川が右に迫ってくると川に沿って左にカーブし、その名の通り上野一宮である一之宮貫前神社の最寄り駅上州一ノ宮駅に到着する。同駅の駅舎にはかつてバスの営業所も同居していた[6]。
上州一ノ宮を出ると田畑と住宅の混在する区間を鏑川の北岸に沿って走り、右に大きくカーブした後再び国道254号と踏切で交差して、まもなく神農原駅に到着する。神農原を出ると再び線路は一直線となり、上信越自動車道とアンダークロスした後、右に大きくカーブして珍駅名で知られる南蛇井駅に到着する[6]。南蛇井を出て、千平駅を過ぎると下仁田町に入る。ここからは今までと風景が一変し、不通渓谷の急峻な山肌と鏑川に挟まれた僅かなスペースを縫うようにして走る。途中ナローゲージ時代の旧橋梁を右手に望む鬼ヶ沢橋梁を渡り、やや開けたところに赤津信号所がある。赤津信号所を過ぎてもしばらく山岳区間は続き、ナローゲージ時代のトンネルの遺構が右手に見えてくるとS字型のカーブに入り、そこを抜けるとまもなく上信線唯一のトンネルである白山トンネル(延長40メートル[7])に入る。トンネルを抜けると国道254号が左手に迫ってきてしばらく並走した後下仁田の市街に入り、まもなく終点の下仁田駅に到着する。駅前はかつては中込方面へのバスターミナル[注釈 1]として賑わったが[6]、2019年現在は町内各所や南牧村方面へ向かうバスやタクシーが発着する。
1996年のダイヤ改正までは一部の駅を通過する優等列車も運転されていたが、2024年現在は全列車がワンマン運転の普通(各駅停車)である。朝夕のラッシュ時には一時間に2-3本、昼と夜遅くを除いた時間帯には概ね1時間に2本の列車が運行されている。高崎 - 下仁田間の通し運転のほか、3往復(うち1往復は土休日運休)の区間列車が高崎 - 上州富岡間で設定されている。2019年現在の高崎-下仁田間の所要時間は概ね1時間前後だが、後述のように利用者増加策として路線全体のスピードアップを行っていた1980年代には同区間を急行が36分(1981年[8][9])、準急・快速が44分(1983年[10])で結んでいたほか、各駅停車でも50分前後で走破していた。
1924年の電化開業時にドイツのシーメンス社から購入したデキ1形電気機関車が現在も不定期に工事列車や電車を牽引してイベント時等の臨時列車として走る。ほかにも利用客を増やすために様々な試みがなされており、カラオケ列車、お座敷列車、宴会列車といった企画列車の運行や、電車・デキ1形電気機関車を用途自由で貸切運行することが出来るサービスなどがある。また、時間帯は限られるが平日、休日ともに自転車が持ち込める列車(サイクルトレイン)が運行されている。
かつて1950年から1969年まで日本国有鉄道(国鉄)高崎線から春・秋のハイキングシーズンの日曜祝日に上野 - 下仁田間を結ぶ臨時列車(1961年以降は「あらふね」の愛称が設定されると同時に国鉄80系電車によって電車化)の乗り入れがあったほか、1984年に国鉄12系客車のジョイフルトレイン「くつろぎ」が6両編成で、1992年秋に東日本旅客鉄道(JR東日本)の「やすらぎ」(後のわたらせ渓谷鐵道「サロン・ド・わたらせ」わ01形)3両と最後尾に原型・原色の12系客車1両を連結した4両編成が入線したことがあり、デキ1形が重連でこれらを牽引した。
地方私鉄の中でも本路線は沿線人口に恵まれ、昭和30年代までは安定した経営状態を維持していたが、年間旅客輸送人員は昭和41年度(1966年度)の816万5千人をピークに減少に転じ、昭和48年度(1973年度)には営業損失が1億5000万円を超えて、遂に昭和49年度(1974年度)からは地方鉄道軌道整備法に基づく助成金を受けるまでになった[11]。しかし、この状態は群馬県としても西毛地区発展の観点から当然好ましいことではなく、早急に対策を講じることが求められたため、列車の増発とスピードアップによる利便性向上によって需要の掘り起こしを行うことになり、総事業費約12億円(当時)のうち半額程度を県が補助する形で、昭和55年度(1980年度)から56年度(1981年度)の2か年に渡って、車両および施設の更新や新設、線形の改良といった大規模な近代化事業が実施された[12]。 具体的な事業内容を以下に示す[13]。
これらの改良を行った結果、1981年(昭和56年)11月25日のダイヤ改正においては従来運転されていた快速に加え、新たな優等種別として、1960年代に運転されていた「妙義」号以来となる急行と初の運転となる準急が設定された。これによって、高崎-下仁田間の所要時間は、最速で改正前の快速による48分から急行による36分に大幅に短縮されたほか、各停でも改正前には56分-67分かかっていたものが50分前後となり、概ね10分程度の時間短縮となった[14][8][10]。上りの準急列車は通過駅の利用客に配慮して、いずれも上州富岡駅において後を追う形で設定された同駅始発の各駅停車に接続を行った[8]。列車本数は改正前の上下28往復(うち高崎-下仁田間25往復)から上下33往復(うち高崎-下仁田間30往復)へと上下10本の増発がおこなわれた[8][9]。
さらに、1982年(昭和57年)からは富岡市内にあるお茶の販売店と提携して、毎週日曜日運転分の急行列車において、車内サービスとして、緑茶とコーヒーの提供を行う等の試験的な試みもなされた[8][10]。
しかし、乗客の減少を食い止めることは出来ず、1984年(昭和59年)の赤津信号所における正面衝突事故をきっかけに、全線でATSを導入した以降は、所要時間短縮による利便性向上よりも、1990年(平成2年)の東富岡駅を始めとして、2002年(平成14年)の高崎商科大学前駅、2014年(平成24年)の佐野のわたし駅といった新駅の開業および停車駅の増加による利便性向上によって、需要を喚起する方針へと転換している。
かつては農業用肥料・セメント・石灰といった製品を対象にした貨物営業も行っており、上州富岡駅・下仁田駅といった主要駅のほか、一時期は馬庭駅や吉井駅にも列車の設定があった。また、1960年(昭和35年)には南高崎駅に秩父セメントのセメント倉庫が開設されて、当路線の貨物輸送は最盛期を迎えた[15]。
1975年(昭和50年)には、1日あたり高崎から吉井・富岡・下仁田方面の列車が1往復のほかに、南高崎発着の不定期列車が約13往復設定され、1983年(昭和58年)時点では高崎-下仁田間の列車が1往復、高崎-南高崎間の列車が6往復設定されていた[14][10]。
1994年(平成6年)9月に南高崎駅のセメント倉庫が閉鎖され、当路線の貨物営業も同9月30日をもって廃止された。廃止時点では下仁田から中和用石灰を搬出するために、デキ1形とJR貨物所有のトキ25000形を使用した列車が設定されており、廃止前年度である1993年度(平成5年度)の貨物収入は3148万円であった[16]。
沿線は、元々江戸時代より中山道のバイパス(下仁田道)として交通が盛んな地域であった。1871年(明治4年)の官営富岡製糸場開設に伴って近代交通導入への機運が高まり、1873年(明治6年)に乗合馬車が本庄 - 富岡間で開業した。しかし、この馬車は営業の不振から一度廃業し、後に新町 - 富岡間に路線変更して再開したものの、こちらも程なくして廃業の憂き目を見ている。1881年(明治14年)には木道馬車の計画が行われたが、これは遂に完成しなかった。
1884年(明治17年)、日本鉄道の高崎線開通により再び交通の改革へ着手しようとの動きが始まり、1895年(明治28年)に有志によって妙義・荒船両山系の地域交通の便益を図り、同時に小坂鉄山・青倉石灰山等の産出物の搬出を目的とした「上野(こうずけ)鉄道株式会社」が設立され、同年に高崎から富岡を経て下仁田に至る路線の免状を得た。1897年(明治30年)に高崎 - 下仁田間33.7 km全線が開業した後は、客貨混合列車が全線を2時間半かけて走破した。
その後は順調に収益を伸ばし、全線の所要時間も1922年(大正11年)には2時間10分-20分まで短縮したが、軽便鉄道規格では時代の進展に対応できず、全線の軌間1067 mmへの改軌と直流1500 Vによる電化が行われる事になった。また、時を前後して千曲川に沿って長野県の中込に延伸する計画も得て、1921年(大正10年)に社名を「上信電気鉄道」に改名した。電化に際しては当初自給電力の供給を目論んで、1922年に東京電燈より、同社室田発電所の土地建物を譲り受けている。また、改軌に際しては第1期線である高崎 - 上州富岡間を既設レールの外側に1線を敷設する3線式、続く第2期線上州富岡 - 下仁田間では、第1期線の使用後発生したレールを再利用して、既設レールの内外に1線ずつを敷設する4線式として、列車の運行に支障が無いように考慮している。
改軌と電化により、蒸気機関車が客車と貨車を引く混合列車から、旅客列車は電車に、貨物列車は電気機関車牽引へと置き換えられ、特に旅客列車による全線の所要時間は1時間前後へと大幅に短縮された。室田発電所からの自給電力の供給は事故等への配慮から中止となり、東京電燈に発電所からの電力を供給する代わりに、自社の福島変電所に受電する方式となった。
1964年(昭和39年)、社名を「上信電鉄」へと再び改名した。
上信線の輸送実績を下表に記す。輸送量が増加した時期もあったが、最近では一貫して減少している。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | |||||||
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年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人 | 輸送密度 人/日 |
貨物輸送量 万t |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | ||||
1966年(昭和41年) | 816.5 | 旅客輸送実績最高値を記録 | |||||
1975年(昭和50年) | 193.8 | 231.0 | 222.7 | 647.5 | 6,493 | 21.0 | |
1976年(昭和51年) | 178.6 | 232.3 | 204.3 | 615.2 | 5,977 | 20.9 | |
1977年(昭和52年) | 168.5 | 215.4 | 207.1 | 591.0 | 5,761 | 23.5 | |
1978年(昭和53年) | 160.3 | 204.7 | 193.7 | 558.7 | 5,445 | 25.5 | |
1979年(昭和54年) | 146.2 | 199.6 | 196.0 | 541.9 | 5,401 | 25.2 | |
1980年(昭和55年) | 144.1 | 198.5 | 189.1 | 531.8 | 5,226 | 22.2 | |
1981年(昭和56年) | 135.8 | 184.2 | 177.3 | 497.2 | 4,884 | 22.7 | |
1982年(昭和57年) | 135.0 | 177.7 | 183.5 | 496.2 | 4,891 | 20.0 | |
1983年(昭和58年) | 128.5 | 185.8 | 175.6 | 489.9 | 4,825 | 20.1 | |
1984年(昭和59年) | 119.3 | 186.1 | 169.9 | 475.3 | 4,671 | 19.7 | |
1985年(昭和60年) | 109.9 | 193.5 | 165.4 | 468.8 | 4,650 | 17.4 | |
1986年(昭和61年) | 97.5 | 194.1 | 157.2 | 448.8 | 4,473 | 13.8 | |
1987年(昭和62年) | 83.4 | 189.4 | 146.7 | 419.5 | 4,233 | 14.6 | |
1988年(昭和63年) | 78.8 | 210.8 | 142.8 | 432.4 | 4,429 | 11.4 | |
1989年(平成元年) | 73.6 | 216.7 | 144.5 | 434.8 | 4,520 | 15.8 | |
1990年(平成2年) | 76.0 | 219.3 | 147.7 | 443.0 | 4,627 | 16.9 | 東富岡駅開業 |
1991年(平成3年) | 74.7 | 223.7 | 151.3 | 449.7 | 4,661 | 15.1 | |
1992年(平成4年) | 70.7 | 225.0 | 147.8 | 443.5 | 4,685 | 12.2 | |
1993年(平成5年) | 67.2 | 223.2 | 141.0 | 431.4 | 4,592 | 10.8 | |
1994年(平成6年) | 66.8 | 216.1 | 125.9 | 408.8 | 4,445 | 4.9 | 貨物営業廃止 |
1995年(平成7年) | 62.9 | 198.8 | 118.5 | 380.2 | 4,125 | 0.0 | |
1996年(平成8年) | 62.3 | 183.2 | 113.4 | 358.9 | 3,909 | 0.0 | ワンマン運転開始 |
1997年(平成9年) | 59.8 | 166.0 | 106.2 | 332.0 | 3,620 | 0.0 | |
1998年(平成10年) | 56.9 | 157.8 | 94.6 | 309.3 | 3,413 | 0.0 | |
1999年(平成11年) | 54.6 | 152.2 | 89.3 | 296.1 | 3,278 | 0.0 | |
2000年(平成12年) | 50.3 | 149.7 | 88.0 | 288.0 | 3,249 | 0.0 | |
2001年(平成13年) | 45.3 | 144.6 | 78.9 | 268.8 | 3,010 | 0.0 | 高崎商科大学前駅開業 |
2002年(平成14年) | 39.0 | 141.9 | 76.4 | 257.3 | 2,920 | 0.0 | |
2003年(平成15年) | 36.9 | 134.8 | 72.0 | 243.7 | 2,747 | 0.0 | |
2004年(平成16年) | 36.6 | 126.9 | 69.2 | 232.7 | 2,625 | 0.0 | |
2005年(平成17年) | 37.6 | 122.8 | 70.7 | 231.1 | 2,591 | 0.0 | 高崎駅改札口分離・JR連絡運輸廃止 |
2006年(平成18年) | 36.5 | 117.1 | 69.1 | 222.7 | 2,453 | 0.0 | |
2007年(平成19年) | 68.9 | 220.4 | 0.0 | ||||
2008年(平成20年) | 68.9 | 226.0 | 0.0 | ||||
2009年(平成21年) | 38.1 | 118.4 | 64.4 | 220.9 | 2,439 | 0.0 | |
2010年(平成22年) | 59.8 | 220.6 | 0.0 | ||||
2011年(平成23年) | 57.7 | 215.8 | 0.0 | ||||
2012年(平成24年) | 40.9 | 126.8 | 57.6 | 225.3 | 2,586 | 0.0 | |
2013年(平成25年) | 40.1 | 123.2 | 59.0 | 222.4 | 2,532 | 0.0 | |
2014年(平成26年) | 41.9 | 124.6 | 70.0 | 236.5 | 2,745 | 0.0 | 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産登録 |
2015年(平成27年) | 40.7 | 120.3 | 68.0 | 229.0 | 2,583 | 0.0 | |
2016年(平成28年) | 40.2 | 115.9 | 65.7 | 221.8 | 2,456 | 0.0 | |
2017年(平成29年) | 42.7 | 111.4 | 66.4 | 220.5 | 2,415 | 0.0 | |
2018年(平成30年) | 46.6 | 109.2 | 66.5 | 222.3 | 2,422 | 0.0 | |
2019年(令和元年) | 49.7 | 107.2 | 64.3 | 221.2 | 2,377 | 0.0 | |
2020年(令和2年) | 44.0 | 71.9 | 36.9 | 152.8 | 1,679 | 0.0 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
上信線の営業成績を下表に記す。営業収益が増加した時期もあったが、最近では一貫して減少している。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別営業成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 旅客運賃収入:千円 | 貨物運輸 収入 千円 |
運輸雑収 千円 |
営業収益 千円 |
営業経費 千円 |
営業損益 千円 |
営業 係数 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||||||
1975年
(昭和50年) |
291,959 | ←←←← | 378,928 | 8,203 | 679,090 | 28,955 | 11,099 | 719,144 | |||
1976年
(昭和51年) |
379,308 | ←←←← | 471,581 | 10,925 | 861,814 | 36,189 | 33,419 | 931,422 | |||
1977年
(昭和52年) |
377,823 | ←←←← | 472,961 | 10,393 | 861,178 | 48,535 | 19,347 | 929,062 | |||
1978年
(昭和53年) |
410,553 | ←←←← | 510,423 | 8,866 | 920,977 | 53,984 | 74,607 | 1,058,436 | |||
1979年
(昭和54年) |
413,286 | ←←←← | 525,548 | 7,000 | 945,835 | 59,497 | 43,678 | 1,049,010 | |||
1980年
(昭和55年) |
419,821 | ←←←← | 533,533 | 5,823 | 959,177 | 62,550 | 41,445 | 1,063,173 | |||
1981年
(昭和56年) |
447,712 | ←←←← | 557,673 | 5,143 | 1,010,528 | 67,124 | 44,030 | 1,121,682 | |||
1982年
(昭和57年) |
438,542 | ←←←← | 573,174 | 4,041 | 1,015,758 | 58,833 | 53,700 | 1,128,290 | |||
1983年
(昭和58年) |
442,425 | ←←←← | 569,560 | 3,315 | 1,015,300 | 54,886 | 95,778 | 1,165,963 | |||
1984年
(昭和59年) |
464,522 | ←←←← | 586,470 | 2,352 | 1,053,344 | 54,766 | 44,534 | 1,152,645 | |||
1985年
(昭和60年) |
458,072 | ←←←← | 573,074 | 2,068 | 1,033,214 | 50,355 | 53,660 | 1,137,229 | |||
1986年
(昭和61年) |
441,227 | ←←←← | 567,619 | 1,174 | 1,010,020 | 39,363 | 34,732 | 1,084,115 | |||
1987年
(昭和62年) |
186,143 | 258,341 | 564,852 | 0 | 1,009,336 | 40,463 | 33,380 | 1,083,179 | |||
1988年
(昭和63年) |
178,736 | 285,646 | 555,386 | 0 | 1,019,768 | 31,824 | 38,637 | 1,090,229 | |||
1989年
(平成元年) |
166,005 | 295,132 | 561,923 | 0 | 1,023,060 | 43,276 | 57,799 | 1,124,135 | |||
1990年
(平成2年) |
168,420 | 304,436 | 570,561 | 0 | 1,043,417 | 45,440 | 42,471 | 1,131,328 | |||
1991年
(平成3年) |
171,464 | 309,098 | 587,590 | 0 | 1,068,152 | 41,969 | 33,722 | 1,143,843 | |||
1992年
(平成4年) |
164,113 | 317,640 | 574,697 | 0 | 1,056,450 | 35,131 | 37,899 | 1,129,480 | |||
1993年
(平成5年) |
157,645 | 324,033 | 557,142 | 0 | 1,038,820 | 31,485 | 47,633 | 1,117,938 | |||
1994年
(平成6年) |
167,133 | 342,551 | 542,190 | 0 | 1,051,874 | 14,747 | 47,384 | 1,114,005 | |||
1995年
(平成7年) |
157,992 | 314,690 | 510,948 | 0 | 983,630 | 0 | 37,400 | 1,021,030 | |||
1996年
(平成8年) |
157,842 | 290,413 | 489,759 | 0 | 938,014 | 0 | 40,576 | 978,590 | |||
1997年
(平成9年) |
152,063 | 261,670 | 458,719 | 0 | 872,452 | 0 | 46,314 | 918,766 | |||
1998年
(平成10年) |
156,206 | 271,293 | 434,711 | 0 | 862,210 | 0 | 31,417 | 893,627 | |||
1999年
(平成11年) |
156,027 | 271,145 | 419,892 | 0 | 847,064 | 0 | 31,598 | 878,662 | |||
2000年
(平成12年) |
143,570 | 269,627 | 413,123 | 0 | 826,320 | 0 | 24,988 | 851,308 | |||
2001年
(平成13年) |
130,874 | 261,000 | 370,401 | 0 | 762,275 | 0 | 27,153 | 789,428 | |||
2002年
(平成14年) |
112,364 | 256,701 | 357,831 | 0 | 726,896 | 0 | 26,965 | 753,861 | |||
2003年
(平成15年) |
105,429 | 242,386 | 337,012 | 0 | 684,827 | 0 | 26,739 | 711,566 | |||
2004年
(平成16年) |
104,093 | 226,670 | 323,232 | 0 | 653,995 | 0 | 27,749 | 681,744 | |||
2005年
(平成17年) |
107,632 | 218,714 | 328,222 | 0 | 654,568 | 0 | 30,831 | 685,399 | |||
2006年
(平成18年) |
104,239 | 204,260 | 320,146 | 0 | 628,645 | 0 | 26,585 | 655,230 | 680,118 | △24,888 | 101.5 |
2007年
(平成19年) |
|||||||||||
2008年
(平成20年) |
|||||||||||
2009年
(平成21年) |
|||||||||||
2010年
(平成22年) |
|||||||||||
2011年
(平成23年) |
|||||||||||
2012年
(平成24年) |
120,210 | 222,877 | 284,330 | 0 | 627,417 | 0 | 650,194 | △55,668 | |||
2013年
(平成25年) |
117,327 | 215,109 | 295,070 | 0 | 627,506 | 0 | 653,758 | △50,681 | |||
2014年
(平成26年) |
121,194 | 216,491 | 382,062 | 0 | 719,747 | 0 | 742,944 | △21,080 | |||
2015年
(平成27年) |
9,383 | 11,340 | 30,106 | 0 | 50,829 | 0 | 700,343 | △80,068 | |||
2016年
(平成28年) |
112,882 | 198,776 | 321,438 | 0 | 633,096 | 0 | 659,517 | △68,755 | |||
2017年
(平成29年) |
120,907 | 189,605 | 318,209 | 0 | 628,721 | 0 | 657,666 | △52,621 | |||
2018年
(平成30年) |
130,942 | 185,717 | 316,322 | 0 | 632,981 | 0 | 658,680 | △89,413 | |||
2019年
(令和元年) |
137,406 | 181,095 | 305,453 | 0 | 623,954 | 0 | 648,095 | △88,703 | |||
2020年
(令和2年) |
121,969 | 130,748 | 163,975 | 0 | 416,692 | 0 | 440,467 | △308,900 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1897 | 274,863 | 14,715 | 33,667 | 33,896 | ▲ 229 | |||
1898 | 323,878 | 21,321 | 48,737 | 34,826 | 13,911 | |||
1899 | 332,526 | 30,949 | 59,449 | 34,922 | 24,527 | |||
1900 | 364,201 | 31,972 | 65,849 | 47,989 | 17,860 | |||
1901 | 323,865 | 32,539 | 69,537 | 53,028 | 16,509 | |||
1902 | 323,941 | 32,353 | 69,835 | 47,095 | 22,740 | |||
1903 | 300,337 | 35,652 | 68,335 | 47,861 | 20,474 | |||
1904 | 269,618 | 38,978 | 65,256 | 47,596 | 17,660 | |||
1905 | 266,523 | 34,829 | 64,013 | 50,204 | 13,809 | |||
1906 | 272,568 | 39,292 | 71,461 | 49,756 | 21,705 | |||
1907 | 236,079 | 33,284 | 59,356 | 51,141 | 8,215 | |||
1908 | 285,596 | 40,428 | 77,372 | 56,253 | 21,119 | 13,638 | ||
1909 | 279,318 | 39,015 | 77,169 | 55,925 | 21,244 | 992 | 10,894 | |
1910 | 261,758 | 27,803 | 63,546 | 61,074 | 2,472 | 9,665 | ||
1911 | 268,567 | 36,179 | 78,292 | 62,913 | 15,379 | 12,425 | ||
1912 | 272,767 | 42,718 | 85,807 | 54,716 | 31,091 | 株式買収差益金66,062 | 繰越欠損補填金66,915 | 11,683 |
1913 | 290,595 | 47,875 | 94,668 | 59,675 | 34,993 | 株式買収差益金18,045 | 未収入損金648 | 11,418 |
1914 | 282,029 | 41,327 | 84,955 | 54,735 | 30,220 | 11,558 | ||
1915 | 289,935 | 44,688 | 85,791 | 55,603 | 30,188 | 11,013 | ||
1916 | 326,896 | 44,124 | 95,640 | 63,977 | 31,663 | 8,821 | ||
1917 | 368,661 | 54,633 | 120,567 | 92,686 | 27,881 | 6,357 | ||
1918 | 393,437 | 67,606 | 157,517 | 131,278 | 26,239 | 6,252 | ||
1919 | 507,093 | 55,546 | 192,372 | 185,075 | 7,297 | 6,986 | ||
1920 | 440,080 | 54,148 | 224,644 | 198,326 | 26,318 | 9,609 | ||
1921 | 515,345 | 57,158 | 252,596 | 169,345 | 83,251 | |||
1922 | 569,384 | 65,982 | 282,272 | 176,997 | 105,275 | |||
1923 | 650,866 | 81,447 | 316,047 | 181,357 | 134,690 | 償却金14,000 | 10,617 | |
1924 | 689,994 | 98,331 | 387,227 | 204,917 | 182,310 | 電力収入16,417 | 償却金5,000 | 55,475 |
1925 | 749,232 | 70,353 | 438,860 | 227,405 | 211,455 | 電力供給37,361 | 雑損6,361 | 69,428 |
1926 | 731,628 | 66,054 | 401,706 | 223,828 | 177,878 | 電力業30,560 | 72,606 | |
1927 | 731,165 | 66,468 | 395,622 | 212,293 | 183,329 | 電力34,227 | 償却金6,034 | 84,624 |
1928 | 790,699 | 54,549 | 381,406 | 224,448 | 156,958 | 電力業35,976 | 71,446 | |
1929 | 866,078 | 57,219 | 372,907 | 222,981 | 149,926 | 電燈自動車業40,792 | 償却金4,000 | 67,943 |
1930 | 682,982 | 45,212 | 271,903 | 153,205 | 118,698 | 電燈電力自動車業4,427 | 74,729 | |
1931 | 669,581 | 43,513 | 248,669 | 134,324 | 114,345 | 自動車業その他13,754 | 83,633 | |
1932 | 616,713 | 42,999 | 210,926 | 133,999 | 76,927 | 電燈自動車業9,196 | 償却金6,000 | 97,852 |
1933 | 635,785 | 54,203 | 230,346 | 122,098 | 108,248 | 自動車業その他5,474 | 86,677 | |
1934 | 637,132 | 49,071 | 232,317 | 128,087 | 104,230 | 宮内省御下賜金10,000[38]自動車業その他26,076 | 償却金19,500 | 82,598 |
1935 | 634,813 | 41,653 | 238,998 | 127,444 | 111,554 | 自動車業その他29,956 | 償却金34,611 | 81,294 |
1936 | 719,317 | 48,949 | 256,589 | 152,338 | 104,251 | 電燈電力自動車業56,262 | 償却金26,000 | 78,075 |
1937 | 761,050 | 52,412 | 290,590 | 156,058 | 134,532 | 電気業53,072 | 償却金98,783諸税引当金3,000 | 79,620 |
1939 | 1,427,999 | 88,068 | ||||||
1941 | 2,044,975 | 128,110 | ||||||
1943 | 3,283,386 | 138,283 | ||||||
1945 | 6,501,233 | 131,298 | ||||||
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
高崎駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:上越新幹線・北陸新幹線(長野経由) 高崎線(湘南新宿ライン・上野東京ラインおよび八高線直通含む)・上越線(両毛線・吾妻線直通含む)・信越本線 |
| | 高崎市 |
南高崎駅* | 0.9 | 0.9 | | | ||
佐野信号所 | - | - | ◇ | ||
佐野のわたし駅* | 1.3 | 2.2 | | | ||
根小屋駅 | 1.5 | 3.7 | | | ||
高崎商科大学前駅* | 1.3 | 5.0 | | | ||
山名駅 | 1.1 | 6.1 | ◇ | ||
西山名駅* | 0.9 | 7.0 | | | ||
馬庭駅 | 2.4 | 9.4 | ◇ | ||
吉井駅 | 2.3 | 11.7 | ◇ | ||
西吉井駅* | 1.7 | 13.4 | | | ||
新屋信号所 | - | - | ◇ | 甘楽郡 甘楽町 | |
上州新屋駅* | 1.2 | 14.6 | | | ||
上州福島駅 | 2.0 | 16.6 | ◇ | ||
東富岡駅 | 2.7 | 19.3 | | | 富岡市 | |
上州富岡駅 | 0.9 | 20.2 | ◇ | ||
西富岡駅 | 0.8 | 21.0 | | | ||
上州七日市駅 | 0.8 | 21.8 | | | ||
上州一ノ宮駅 | 1.3 | 23.1 | ◇ | ||
神農原駅* | 2.3 | 25.4 | | | ||
南蛇井駅 | 2.8 | 28.2 | ◇ | ||
千平駅* | 1.7 | 29.9 | | | ||
赤津信号所 | - | - | ◇ | 甘楽郡 下仁田町 | |
下仁田駅 | 2.7 | 33.7 | ∧ |
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