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株式会社タイトーが発売したアーケード用固定画面シューティングゲーム ウィキペディアから
『スペースインベーダー』(Space Invaders)は、株式会社タイトーが1978年6月16日に発表し[2]、同年8月から[3]稼働を開始したアーケード用固定画面シューティングゲーム。
ジャンル | 固定画面シューティング |
---|---|
対応機種 |
アーケード |
開発元 | タイトー |
発売元 | タイトー[注釈 1] |
デザイナー | 西角友宏 |
プログラマー | 西角友宏 |
音楽 | 亀井道行 |
シリーズ | スペースインベーダーシリーズ |
人数 | 1 - 2人(交互プレイ) |
メディア | 業務用基板(8キロバイト) |
発売日 |
1978年8月 1978年12月31日 |
デバイス |
2方向レバー+1ボタン 3ボタン |
CPU | 8080 (@ 1.9968 MHz) |
サウンド |
SN76477 (@ 1.9968 MHz) |
ディスプレイ |
ラスタースキャン 縦モニター 256×224ピクセル 60.00Hz 白黒モニター、もしくはカラーモニター[1]。 |
売上本数 | 約20 - 30万台 |
本作は日本のアーケード史上最大のヒット作であり[4]、タイトーによる純正品が約10万台、許諾先メーカーからのものが約10万台、許諾なしのコピー品が約30万台出荷されたと推定されており、ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った[4]。
後に多くの家庭用ゲーム機や携帯電話アプリ向けにも移植された。また、シリーズ化され様々な作品が発売されている(#シリーズ一覧を参照)。
「スペースインベーダー」はタイトーの登録商標である[5]。一方、タイトーの純正のスペースインベーダーを初めとする同社の後継製品、および他社製のコピー品、模倣品、類似商品などを広くひとまとめに総称する場合は(正規ライセンス品でないものをタイトーの登録商標で呼んではいけないので)「インベーダーゲーム」と呼ばれ、2つの名称は使い分けられている。
2018年、発売から40周年を迎えた年に、タイトーは本作を発表会で初御披露目した6月16日を「スペースインベーダーの日」に制定、日本記念日協会に正式に認定された[6]。
本作は画面上方から迫り来るインベーダー(敵キャラクター)を、左右に移動できるビーム砲で撃ち、インベーダーを全滅させることを目的とするシューティングゲームである。時々、上空に敵母艦のUFOが出現し、これを撃ち落とすとボーナス点を獲得できる。
それまでのビデオゲームでは「シューティングゲーム」といっても、ただターゲットを狙って弾を撃つだけのいわゆる「的当て(まとあて)」ゲームであり[7]、「のんびり」していて向こうからは攻撃してこず、自分が何もしなくてもせいぜい点数が入らないというものだったが、本作は敵と対戦するような形のゲームであり、そこが画期的だった[7]。また、それまでのアーケードゲームは想定プレイ時間が3分程度であり、開発者の西角友宏は本作でもそれを踏襲し、長くても10分程度を想定していたが、プレーヤーの上達および攻略法の発見により、想定した以上に長く遊ぶことができるものとなった[7]。また難易度の設定に関しても、それまでのアーケードゲームはゲーム会社上層部の年配の人々の判断によって年配の人でも遊べるような、かなり容易な難易度設定がされるものだったが、本作は西角の判断によって若者層が楽しめるような比較的難しい難度設定が採用された[7]。(ゲームコンセプトについては「開発」の節で解説)
本作は登場した当時大ヒットし、数々の社会現象を生み、テレビゲームを象徴する存在ともなった。昭和時代や戦後の通俗文化史を解説する書籍などで、特筆すべきこととして語られることが多い。たとえばインベーダーゲームばかりを設置した「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが全国各地で次々と開店し、若者らが本作をプレイしようと順番待ちの行列を作ったことや、喫茶店やスナックのオーナーらがこぞって店内のテーブルの多くを本作のテーブル型筐体に置き換え、客たちも本作をプレイすることに熱中したことなどである。他にもこの種のエピソードには事欠かない(本作が業界及び社会に与えた影響の詳細については、#ヒットと社会現象の節で解説)。
敵弾を回避しつつ敵を撃つ、というゲームシステムには他社も着目し、ナムコの『ギャラクシアン』などに受け継がれ、後に日本で数多く登場したシューティングゲームの始祖のひとつとされる。 当時はまだゲーム業界でも著作権という概念が今ほどには根付いておらず、第一印象が「よく似た」ゲームが複数のゲーム会社から同時多発的に登場することがしばしば起きた。とりわけ本作はあまりにも記録的な大ヒットをしたため、中身はほぼ同じでせいぜいタイトルを少し変えた程度のコピーゲームが氾濫した(詳細は#亜流「インベーダーゲーム」及びその関連の節を参照)。なお、本作のコピーゲームを制作した会社の中には、後に家庭用ゲーム機向けコンシューマーゲームのソフトハウスとなり、世界的に有名になった会社も少なくない。
約30万台と言われる売上を記録したことでタイトー自体の生産が追いつかなかった。そのため国内では以下の5社が許諾を得て生産していた[13]。なお、当時の業界では違法コピーに対し、契約金などの条件を付け、後付けで許諾をするというケースもあった。
画面の中央やや上方に、縦5段 横11列の、計55のインベーダーが現れる。 インベーダーは、軍団状で、隊列状態でまとまって横移動をしながら、端にたどり着く度に一段下がり、下がり終えると進行方向を逆方向に変えて再び移動しはじめる。これを繰り返すことによって、段々と下に降りてくる。インベーダーが画面最下部のプレイヤーの位置まで降りてきたら、自陣が占領されたことになり、残機があってもゲームオーバーとなるために、それまでにインベーダーを全滅させなければならない[16]。
自陣に関しては、ビーム砲(自機)が一門、画面の下段に表示される。ビーム砲は左右にしか動けず、弾を撃つ場合でも1発限定で、しかも自分が撃った飛翔中の弾がどこかに着弾するまでは、次の弾が撃てない。ビーム砲の上にはいくつかトーチカ(防御壁のようなもの)があり、ビーム砲を敵の攻撃から護る役割を最初は果たしているが、トーチカはインベーダーからの攻撃を受けた場合も、またビーム砲がトーチカ下方からビームを撃った場合も、少しづつ破損してゆき、さらには降りてきたインベーダーが触れることでも削られてしまう。プレーヤは、トーチカの下に、まるで傘に入るようにしてインベーダーからの攻撃を避けたり、そこから出てインベーダーを攻撃したりすることになる。なお、画面がスクロールすることはなく、インベーダーやビーム砲が画面からはみ出すことなどもない。
インベーダーを撃墜した際の得点は一番上の段が30点、その下の2段が20点、その下の2段が10点である。画面最上段にはUFOが通過するゾーンがある(UFOの得点参照)。逆に敵インベーダーからの攻撃でビーム砲が被弾した場合、ミスとなりビーム砲を1門失う。
インベーダーは撃墜されたことで数が減るにつれ、徐々に移動速度が速くなっていく[16]。インベーダーが最下段まで降りてしまうと、占領されたということでビーム砲は破壊されてしまい、ゲーム終了となり「GAME OVER」の文字が表示される。
インベーダーが最下段に降りる前に画面内のインベーダーを全滅させると、ゲームは続行され、1面より(前の面より)も一段下にインベーダーの軍団が配置され、インベーダーは前の面よりも近い位置から攻撃してくる。つまり、面が進むにつれ難度が上がるようになっているが、9面目をクリアした時は、一旦は2面目の位置に戻りそこから再び面ごとに下がり、以降8面ごとの繰り返しになる。なお開発者の西角は開発段階で、一定の面数をクリアした後、インベーダーの位置が戻るかどうかのテストプレイをしておらず、実際に位置が戻る場面を見るまでは、途中でゲーム進行不能になることを危惧していた[7]。
プレーヤーが上達するにつれて長時間プレイが可能になり、そのうちに高得点を目指すプレーヤーによって攻略が進められた。その結果、攻略の元祖とも呼ばれる「名古屋撃ち」が生まれ、バグの一種である「レインボー」が発見された[7][17]。開発者の西角は「名古屋撃ち」という攻略法があることを知った当時「ショックだった」と語っている[18]。
「名古屋撃ち」の名称の出自ははっきりせず、別名として「モグラ撃ち」「寝技」「横浜撃ち」「原宿撃ち」「神戸撃ち」「フェイス・トゥ・フェイス」のほか、当時慶応義塾大学の学生で「インベーダー名人」と呼ばれた、生命科学者の冨田勝は「300点UFO」と呼んでいたと証言している[19]。その後名称は、1979年6月に日本国内初のゲーム攻略本『インベーダー攻略法―これであなたも10000点プレイヤー』(ヘラルド出版)の発売を契機に統一されたとされる[19]。
以下、画面内の位置の順、上から下の順に解説する。
開発者は太東貿易(現・タイトー)の子会社、パシフィック工業の社員だった西角友宏[20]。西角は同社の『スピードレース』(1974年)や『ウエスタンガン』(1975年)の制作を手掛けており、『ウエスタンガン』のライセンス許諾版であるセガの『ガンファイト』に、CPU付きの基板が使用されていたことに着目し、将来的にゲームはプログラムによって制作される様になると予測。独学で本作のプログラムを手掛けることとなった[21]。結果として本作は「日本において初めてCPUを使用したゲーム」となった[21]。
「敵の集団」という発想は『ブロックくずし』を元にした、と西角本人が説明している[22]。開発当時、アタリ社の『ブレイクアウト』を日本に持ってきた『ブロックくずし』が、ゲームセンターや喫茶店などで人気を博していた。そこでタイトーではブロックくずしに続くゲームの開発を指示し、その内の一機種が『ズンズンブロック』と、この『スペースインベーダー』であった。西角は、自身がシューティングゲーム好きであったことが発案の背景で、さらに「『ブレイクアウト』を超えるゲームを作れるか」と上司に尋ねられて奮起した、と回想している[20]。
西角はブロックくずしを分析した結果、その目的は「ブロック全てを消した時の満足感」にあると考え、この満足感を大切にして開発することにした[23]。ただし、同じ内容では超えられないため、互いに攻撃しあい、相手からも撃ってくることを思いついた[23]。ブロックを消すだけで満足感があるのだから、攻撃してくる相手を消せたらさらに大きな満足感を得るはず、と考えた。
開発初期段階では「戦車」や「飛行機」等をキャラクターとして設定する予定だったが、当時の技術ではそのスムーズな動きが難しいという理由で断念した[24]。次いで「人間」をキャラクターとして設定したところ、滑らかな動きを実現できたが、今度は社内から「ゲームとはいえ人を撃つことは良くない」という声が挙がったほか、当時のタイトー社長も戦争もののゲームを嫌がっていたため、この案も見送られた[24]。そこで、当時1作目がアメリカで公開され大人気となった映画『スター・ウォーズ』[注釈 3]をヒントにした「宇宙人」にすることを提案し、インベーダーのキャラクターになった[24]。
インベーダーのキャラクターデザインは、H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』の挿絵をヒントに西角がイメージ画を描き起こし、これを元に西角自身がドット絵を作成した[24]。イメージ画のモチーフは、タコ(10点)、カニ(20点)、イカ(30点)となっている[24]。後にそれぞれ正式名称としてそのままOCTOPUS、CRAB、SQUIDと名付けられている(なお、なかでもCRABは『スペースインベーダー』のみならず、タイトーを代表するマスコットキャラクターに位置付けられ、またさまざまな媒体でも引用されている)。
西角はデザインのためにブラウン管をペン状のデバイス(ライトペン)で直接描画し、それをデータとして利用できるシステムを発明した。これが世界で最初の実用コンピューター用ペンデバイスであったとされることがある[誰?][いつ?](なお、ライトペンはWhirlwindで開発されSAGEで使われた[注釈 4]のが最初[25]と今日では一般にされている)。西角曰く「自分の作業をしやすくするための道具として作っただけ」という理由で、特許などは取得しなかった[26]。
西角はアタリ製『ポン』の見本機に触れて、コンピューターゲームの仕組みを学んだ。後に『スペースインベーダー』となる構想中のゲームの制御には、通常の集積回路(IC)では限界があると考えた西角はマイクロプロセッサを利用しようとしたが、当時は軍用が主で、民生用は日本国内にほとんどなかった。このためインテルの講習会に出席したり、英書を読んだり、ミッドウェイ製ゲーム機に搭載されていたCPUを解析したりしてプログラムを調べた。パーソナルコンピュータがない時代であったため、入力装置を自作した[20]。
西角はサウンド作業については苦手だったため、サウンドのみは『ブルーシャーク』を担当していた亀井道行が担当した[27]。インベーダーが動く音はなかなか適した音が決まらず、最後は心臓の鼓動音と、当時話題となった動物パニック映画『ジョーズ』のテーマソングの「ジャンジャンジャンジャン…」という響きを参考にした(宝島社『「ゲーセン」最強読本』西角のインタビューより)[27]。本来は二拍子だったものが、現在知られるような四拍子にされたとされる。一方、被弾音は少しかわいくしたいという亀井の考えから、『ブルーシャーク』のタコの出現音を遅くしたものが用いられた[27]。当初はシングルコーンの安いスピーカーを用いていたが、移動音の音圧によって壊れてしまった[注釈 5]ため、すぐさま保守要員総出で出荷済みの分を溝の大きいダブルコーンに差し替えられた[27]。
移動音については変更後も社内評価は変わらず酷評されていたが、結果的には四拍子だからこそのヒットとさえ評価されている。なおコピーゲームには、二拍子の物もある。
販売可能な品質に仕上がったのは、実際の販売日よりずっと早かったと言われる。しかし初期バージョンの社内評価は芳しくなく、途中で面クリアできなくなるといったバグも残っていたため、(販売予定日前の)2ヶ月ほどかけて修正を行い、その際のバランス調整によって、ゲーム性が大きく向上した[4]。
開発段階ではもともと、当時大人気のピンク・レディーがリリースしたシングル「モンスター」(1978年)の影響を受け[28]、『ギャラクシーモンスター』または『スペースモンスター』というタイトルで呼ばれていたが、手直しの際に海外発売を視野に入れることを理由とした上層部命令により、発売二ヶ月前に田島一成により、他にも多数存在したタイトル候補から、『スペースインベーダー』に変更された[24]。西角はこのタイトル変更によって、「ゲームへの愛着がなくなった」、とコメント[29]した。
敵が攻撃してくるという内容は、営業部門を中心とする熟年社員には難しく[30]「敵が攻撃しないように改造しろ」という命令も出た。一方で開発部門を中心とする若い社員には好評であり[30]、西角は改造を拒否した(『新・電子立国』4、『未来創造堂』で西角が証言)[31]。コンピューター側が敵として攻撃してくるゲームは当時まだ珍しく、業者向けの内覧会でも、操作に慣れないうちに全滅してしまうと芳しくない評価であった[20]。
当時の社内評価では、同時に発売される『ブルーシャーク』の方が、従来と同じシステムのゲームとして人気が高く、『スペースインベーダー』は「難しくて一般受けしない」という評価であった[注釈 6]。社内的には『ブルーシャーク』を積極的に営業展開し[33]、『スペースインベーダー』の方は当初はタイトー直営のゲームセンターにしか置かれず、「置いておけば、投資した分が回収できるか」といった程度にしか期待されていなかった[注釈 7]。ところがいざ蓋を開けてみると、本作のゲームバランスが高校生・大学生や若いサラリーマンを中心に大いに受けた。各地から本作の発注が殺到、タイトーは急遽、営業方針を切り替えた。
インカム[注釈 8]は1日で2万円から3万円に及び、筐体価格が46万円であり元金がすぐに回収できるため、タイトーに注文が殺到した[35]。注文の殺到により生産が追い付かなくなったことから、日本で初めてライセンス許諾を他メーカーに与えた[13]。
大ヒットしたことで「インベーダーハウス」と呼ばれる、本作の筺体を並べた施設[36]が日本全国各地に乱立した。またこうしたゲーム施設だけでなく飲食店などにも設置された[35][注釈 9]。喫茶店の中にはテーブルを本作のテーブル筐体に置き換えたところもあり、このような店は「ゲーム喫茶」[38][32]や「インベーダー喫茶」[39]と呼ばれた[注釈 10]。
これら大人が出入りする場所だけでなく、駄菓子屋や、中・高生などが下校時に立ち寄るような、パン・ミルクなどを販売している店のオーナーたちの間でも、ブームに便乗して副収入を得ようと思う人が続出、またコピーゲームを作るメーカーからも駄菓子屋などへ積極的に売り込みが行われ、駄菓子屋や学生向け食べ物屋の店先に本作およびコピー品が設置された。コピーゲームでは50円から10円と安く設定されていることが多かった。『インヴィンシブルコレクション』のプロデューサー・外山雄一はこれらのコピー品が出回った背景について、あまりの人気でタイトーによる生産が追い付かなくて入手できず、コピー品を設置せざるを得なかったようだと西角との対談の中で語っている[37]。
1979年2月19日にNHKで放送された『スタジオ102』内のコーナー「過熱!!テレビ・ゲーム業界」[40]では熱狂的ブームとなっている原因が取り上げられたほか、同年3月4日にTBSで放送された『話題の演出者』では「卓上大戦争!! インベーダー異常発生」と題して、アイ・ジョージや太田裕美などの芸能人の熱中ぶりが伝えられた[41]。
こうして国民が一丸となってインベーダーゲームにお金を使うようになったことで、その軍資金となる100円玉が枯渇してしまい、日本銀行は急遽月の3倍にあたる66億円もの100円玉を市中に流した[42][43]。
また人々が熱中した結果、パチンコ業界は全国的に客の入りが悪くなり、1979年におけるパチンコホール軒数は9,961店舗と1万軒を割り込んだ[44]。パチンコ台メーカーは苦肉の策で「電役」の導入といったコンピュータ化に乗り出したものの人気は得られず、この状況は1980年の『フィーバー』の登場まで続いた[44]。
以下は当時のタイトー社員の体験談など
アーケードゲーム業界紙「ゲームマシン」第113号に掲載によると、ヨーロッパにおいても『スペースインベーダー』の爆発的なブームが起きており、さっそくアーケードゲームの見本市第35回アミューズメント・トレーズ・エキシビジョンにおいてもコピー基板が展示されていると報じられていた[47]。
全国的な人気の中、1979年3月2日の衆議院予算委員会にて、日本社会党の野口幸一が「授業時間であるのに高校生がゲームに熱中している」ことを指摘すると、国家公安委員会委員長の渋谷直蔵が「青少年の非行に結びついたりしないよう適当な措置を検討する」と答弁した[48]が、少年による偽造硬貨の使用や盗難などの犯罪行為が発生していることを受けて、各地で論議が始まった[49]。結果1979年4月から6月にかけて、多くの学校でゲームセンターへの入場禁止の通達を出す措置が講じられた[50][注釈 12]。
同年6月2日には当時のアミューズメント業界による業界団体「全日本遊園協会(JAA)」が「自粛宣言」を発表し[51]、ポスターを作成・配布した[52]。これは、あくまで未成年者には深夜に遊ばせないなど、常識的な範疇における自主規制であったが、世間へ業者による自粛という印象を与える結果となった[53]。これに応じてイトーヨーカドーや西友、ダイエーなどの大手スーパーは店内に設置していた筐体の撤去を始めた[54]。
同年6月8日には、3月の衆議院予算委員会での議論を受けて、国会の文教委員会が新宿歌舞伎町へ視察へ赴き、委員の扇千景は、ゲームを子供から取り上げるのには否定的で、非行は家庭教育の問題ではないかと指摘した[55]が、同年6月11日に、警察庁はゲーム代欲しさに恐喝や強盗などを働く少年非行が増加していること、違法と知りながら景品を出す業者などが目に余るとして、ゲーム機がある場所での補導強化、悪質業者の摘発などを都道府県警に通達した[56][52]。この通達と前後して、ゲームの得点によって景品を提供したとして風営法違反で各地で摘発が相次いだ[57]。
同年7月1日時点で、全国7万店に28万台のTVゲーム機がある中、インベーダー形式のゲームが23万台、全体の81%を占めていた[58]。7万店の内訳は喫茶店が66.4%、喫茶店以外の飲食店が21.8%、遊技場・ゲームセンターは11.8%であり、中には暴力団が営業に関与する店が1.7%、少年のたまり場となっている店が7.1%あった[59]。
マスコミなども加熱するブームに対して警鐘を鳴らす論調となり、ゲームに対するイメージの低下やゲームセンターが不良少年のたまり場となったことが報道されるようになった[35]。当時専修大学の講師であった梶原勝美[注釈 13]は同年8月1日に記し、『ゲームマシン』126号に寄稿した文章の中で、インベーダーブームは既に下火になっており、盛況していたインベーダーハウスは空席が目立っている点を伝えている[61]。その原因の一端として、梶原は筐体の供給量が増えて誰でも「名古屋撃ち」等を利用して高得点を上げられるようになったことで、遊ぶ人間の心理的優越感が薄れ、自己確認や自己表現としての意味を失ったためと論じている[61]。
こうしてブームは急速に縮小し、各メーカーは大量の在庫を抱える事となった[35]。またタイトーの製造許諾を得ていない業者や電気用品取締法による事業者として登録されていない業者などが倒産した[62]。
なおブームの影響で、娯楽施設利用税が課されているパチンコ業界において、TVゲームにも法規制が必要とする案が1979年2月16日に全国遊技業協同組合の北陸3県の理事から、同組合宛てに提出された[63]。自治省は同税を課すべく、実態調査を各地方自治体を通じて進めていた[64]が、ブームの沈静化や徴税事務の煩雑さによる経費を考慮し、財源としてのメリットが少ないと判断されて導入は見送られた[65]。
アーケードゲームとしてのインベーダーゲームブームは去った一方、おもちゃ会社の間で「家庭で楽しめる『インベーダーゲーム』」を作ろうという動きが出てきた[66]。
このうちバンダイは1979年6月の玩具見本市で「TV JACK アドオン5000」用ソフトとしてインベーダーゲームを発表したが、諸事情[注釈 14]によりお蔵入りとなった[66]。その後、同社は「TV JACK スーパービジョン8000」を発売した際、専用ソフト「ミサイルベーダー」を同梱するも、今度は59800円という高い価格故に売れ行きは今一つだった[66]。
一方、任天堂は自社のインベーダーゲーム基板を再構築した家庭用ゲーム機を投入しようとしていた。こちらは専用ディスプレイがついていて本体価格は60000円前後になると見られていたが、試作のみに終わった[66]。
他方、当時アメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校の学生だった孫正義は、日本でのブームが過ぎた頃、日本で余剰となったゲーム機をアメリカに持ち込んで現地のレストラン等にリースするビジネスを始めた。孫が持ち込んだゲーム機は合計350台、半年間で1億円を超える儲けを得た[67]。
タイトーからアーケードゲームとして発売された、正式な『スペースインベーダー』のシリーズは以下の作品である。タイトル横の記述はリリース年。その横に☆印が付いている作品は、後述する『スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション』に移植版が収録されている(別版にのみ収録されている作品については付記形式で言及)。
この節の加筆が望まれています。 |
No. | タイトル | 発売日 | 対応機種 | 開発元 | 発売元 | メディア | 型式 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Space Invaders | 1980年 |
Atari 2600 | アタリ | アタリ | ロムカセット | - | ||
2 | スペースインベーダー | 1985年 |
SG-1000 | セガ | セガ | 128キロビットロムカセット | G-1045 | ||
3 | スペースインベーダー | 1985年4月1日 |
MSX | タイトー | ニデコム | ロムカセット | - | ||
4 | スペースインベーダー | 1985年4月17日 |
ファミリーコンピュータ | タイトー | タイトー | ロムカセット | 01 TF-4500 | ||
5 | スペースインベーダーズ 復活の日 | 1990年3月2日 |
PCエンジン | タイトー | タイトー | 2メガビットHuCARD[84] | TP02008 | ||
6 | スペースインベーダーズ | 1990年3月30日 1994年10月 |
ゲームボーイ | タイトー | タイトー | 256キロビットロムカセット | DMG-SPA | 対戦型 | |
7 | スペースインベーダー90 Space Invaders'91 |
1990年9月7日 1991年 |
メガドライブ | タイトー | タイトー | 2メガビットロムカセット[85] | T-11053 11036 |
||
8 | スペースインベーダー | 1992年 |
PC-9801 | タイトー | ウィズ | 5インチフロッピーディスク | - | ||
9 | スペースインベーダー The Original Game |
1994年3月25日 1997年11月 |
スーパーファミコン | タイトー | タイトー | 2メガビットロムカセット | SHVC-IC SNS-IC-USA-1 |
||
10 | スペースインベーダー The Original Game |
1995年7月28日 |
PCエンジンスーパーCD-ROM² | NECアベニュー | NECアベニュー | CD-ROM | NAPR-1050 | ||
11 | スペースインベーダー バーチャルコレクション |
1995年12月1日 |
バーチャルボーイ | タイトー | タイトー | ロムカセット | VUE-P-VSPJ | ||
12 | スペースインベーダー | 1996年12月13日 |
セガサターン | タイトー | タイトー | CD-ROM | T-1107G | ||
13 | スペースインベーダー | 1997年7月31日 |
PlayStation | タイトー | タイトー | CD-ROM | SLPS-00940 | ||
14 | スペースインベーダー2000 | 1998年12月3日 |
PlayStation | タイトー | タイトー | CD-ROM | SLPM-86153 | 廉価版 | |
15 | スペースインベーダー | 1999年5月13日 |
ワンダースワン | サンソフト | サンソフト | ロムカセット | SWJ-SUN002 | ||
16 | スペースインベーダーX | 2000 2000年2月17日 |
PlayStation | タイトー | アクティビジョン タイトー |
CD-ROM | SLPM-86419 |
||
17 | スペースインベーダーX | 2000年 2000年9月29日 |
ゲームボーイカラー | タイトー | アクティビジョン タイトー |
ロムカセット | DMG-BSIJ |
||
18 | スペースインベーダー | 2001年1月18日 |
Java搭載iモード | タイトー | タイトー | ダウンロード (げ~むタイトー) |
- | [86][87] | |
19 | SIMPLE1500シリーズ Vol.73 THE インベーダー 〜スペースインベーダー1500〜 |
2001年9月27日 |
PlayStation | D3パブリッシャー | D3パブリッシャー | CD-ROM | SLPM-86900 | ||
20 | スペースインベーダーEX | 2002年8月2日 |
ゲームボーイアドバンス | タイトー | タイトー | ロムカセット | AGB-AIDJ-JPN | ||
21 | スペースインベーダー | 2003年5月8日 |
BREW対応機種 (EZアプリ) |
タイトー | タイトー | ダウンロード | - | [88] | |
22 | スペースインベーダーアニバーサリー | 2003年7月31日 |
PlayStation 2 | タイトー | タイトー | CD-ROM | TCPS-10069 | [89][90][91] | |
23 | スペースインベーダー 筐体型コントローラ同梱セット |
2003年9月25日 |
PlayStation 2 | タイトー | タイトー | CD-ROM | TCPS-10074 | [92] | |
24 | スペースインベーダーDS | 2005年3月24日 |
ニンテンドーDS | ドリームス | タイトー | DSカード | NTR-AIRJ-JPN | [93] | |
25 | スペースインベーダー ポケット | 2005年5月12日 |
PlayStation Portable | ドリームス | タイトー | UMD | ULJM-05015 | [94] | |
26 | タイトーメモリーズ 上巻 | 2005年7月28日 |
PlayStation 2 | タイトー | タイトー | DVD-ROM | SLPM-66057 | 『スペースインベーダー・カラー』収録 | |
27 | タイトーメモリーズ 下巻 | 2005年8月25日 |
PlayStation 2 | タイトー | タイトー | DVD-ROM | SLPM-66092 | 『スペースインベーダー(モノクロ)』収録 | |
28 | スペースインベーダー ギャラクシービート |
2005年9月22日 |
PlayStation Portable | タイトー | マーベラスインタラクティブ | UMD | ULJM-05045 | ||
29 | スペースインベーダーエクストリーム | 2008年2月21日 |
ニンテンドーDS PlayStation Portable |
タイトー | タイトー | DSカード | DS:NTR-YXXJ-JPN PSP:ULJM-05315 |
||
30 | SPACE INVADERS GET EVEN 〜逆襲のスペースインベーダー〜 |
2008年8月26日 |
Wii (Wiiウェア) |
キャトルコール | タイトー | ダウンロード 専売 |
RVL-WIVJ | 2019年1月31日 配信・販売終了 | [95][96] |
31 | スペースインベーダー エクストリーム2 |
2009年3月26日 |
ニンテンドーDS | タイトー | タイトー | DSカード | NTR-CV8J-JPN | ||
32 | スペースインベーダー インフィニティジーン |
INT 2009年7月28日 |
iPhone iPod touch |
タイトー | タイトー | ダウンロード | - | [97] | |
33 | スペースインベーダーエクストリームZ | 2009年11月4日 |
ニンテンドーDSi | タイトー | タイトー | ダウンロード | - | 2010年7月9日に無料アップデート実施[98] | |
34 | SPACE INVADERS for NESiCAxLive | 2011年3月10日 |
アーケード(NESiCAxLive) | タイトー | タイトー | ネットワーク型サービス | - | ||
35 | スペースインベーダーエクストリーム for Steam |
INT 2018年2月13日 |
Windows ※ Steam クライアントソフトのインストール必須 |
タイトー | タイトー | ダウンロード (Steam) |
- | ||
36 | スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション |
2020年3月26日 |
Nintendo Switch | ゴッチテクノロジー[注釈 15] | タイトー | ゲームカード[注釈 16] ダウンロード |
- | パッケージ版は特典品を同梱した「特装版」も別途発売 | [99][100] |
37 | スペースインベーダー フォーエバー |
2021年6月17日 |
Nintendo Switch PlayStation 4 |
移植担当企業は未発表 | タイトー | ダウンロード 専売 |
- | Switch版については、実質的に『インヴィンシブルコレクション』の少数セレクション版 | [101][102][103] |
38 | スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション スペシャルエディション |
2021年7月26日 |
Nintendo Switch | ゴッチテクノロジー[注釈 15] | タイトー | ゲームカード ダウンロード |
- | 特装版をベースに同梱特典品を省き 特装版限定2作品を正式収録した版 |
[104] |
39 | スペースインベーダー | 2022年3月2日 |
イーグレットツー ミニ | 移植担当企業は未発表 | タイトー | プリインストール | - | 本体に収録されている40作品の一つ | |
38 | スペースインベーダー90 | 2024年6月13日 |
Nintendo Switch | エムツー | タイトー | ダウンロード | - | メガドライブ版の移植 | |
下に記載したソフトのうち、Wiiショッピングチャンネルで販売されていた配信ソフト全般(Wii版バーチャルコンソール・Wiiウェア)については、2019年1月31日をもってサービス(配信・販売)が終了している。後述する『スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション』に何らかの形で収録されている作品については、付記形式で言及。
評価 | ||||||||||||||||||||||||
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| ||||||||||||||||||||||||
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項目 | キャラクタ | 音楽 | お買得度 | 操作性 | 熱中度 | オリジナリティ | 総合 |
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GB版 | 2.4 | 2.3 | 2.5 | 2.7 | 2.6 | 2.4 | 14.8 |
MD版 | 2.7 | 2.6 | 2.3 | 2.8 | 2.7 | 2.6 | 15.6 |
SFC版 | 2.9 | 2.8 | 3.7 | 3.4 | 3.2 | 2.8 | 18.7 |
PCE版 | 3.3 | 3.3 | 3.3 | 3.4 | 3.6 | 2.6 | 19.4 |
VB版 | 3.2 | 3.1 | 2.6 | 3.1 | 2.9 | 2.6 | 17.5 |
SS版 | 2.1 | 2.7 | 2.4 | 3.1 | 2.9 | 2.4 | 15.6 |
PS版 | 2.9 | 3.1 | 3.2 | 3.3 | 3.1 | 2.6 | 18.2 |
アーケード版はゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』(1991年)において、『ゲーメスト』読者による全アーケードゲームを対象とした人気投票で第40位を獲得した[126]。巻末の「ビデオゲームフルリスト」の紹介文では、「いまだにこの作品を、知名度、売り上げともに抜くものがいないと言われるくらい有名。55匹の敵を左右移動の砲台で撃つというシューティングを確立した」と評されている[130]。
ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』(1998年)では『名作・秀作・天才的タイトル』と認定された「ザ・ベストゲーム」に選定され、ライターのがっちんは本作を「タイトーから発売された、ゲーム界に残る歴史的な名作」と位置付け、後のゲームはほぼ全て本作を基本として発展したと主張し、55匹の侵略者を左右移動可能な自機で撃ち落とすというシステムが単純であると指摘しながらも、本作がシューティングゲームを確立したと評価した[131]。また、当時では斬新であった本作のゲームシステムが(当時として)「画期的であり」(プレイヤーたちに)「驚きと興奮を与えた」と指摘したほか、すべての筐体が本作で埋め尽くされた「インベーダーハウス」が存在したことを指摘、「もはや伝説となったインベーダーに匹敵する作品の出現は2度とないだろうとまで言われている」と総括した[131]。ゲーム本『甦る 20世紀アーケードゲーム大全 Vol.1 アイデア満載! ユニークゲーム編』では、本作の元となったアタリの『ブレイクアウト』(1976年)が動作しないブロックを破壊するのに対し、本作では敵が左右に移動しながら攻撃してくる事が大ヒットの要因であると結論づけている[21]。
移植版の評価は、ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」において、メガドライブ版は合計23点(満40点)[114]、スーパーファミコン版は6・4・6・5の合計21点(満40点)[115]、PCエンジンSUPER CD-ROM²版は6・5・4・5の合計20点(満40点)[116]とそれぞれ標準的な評価となったが、ゲームボーイ版は合計19点(満40点)[113]、バーチャルボーイ版が4・4・4・3の合計15点(満40点)[117]、セガサターン版は合計16点(満40点)[118]、PlayStation版は合計17点(満40点)[119]といずれも低評価となった。
徳間書店のゲーム誌における読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は右記の通り、スーパーファミコン版が『ファミリーコンピュータMagazine』において合計18.7点(満30点)[121]、PCエンジンSUPER CD-ROM²版が『PC Engine FAN』において合計19.4点(満30点)[123]、PlayStation版が『PlayStation Magazine』において合計18.2点(満30点)[125]とそれぞれ標準的な評価となったが、ゲームボーイ版は『ファミリーコンピュータMagazine』において合計14.8点(満30点)[120]、メガドライブ版が『メガドライブFAN』において合計15.6点(満30点)[122]、バーチャルボーイ版が『ファミリーコンピュータMagazine』において合計17.5点(満30点)となっている[120]、セガサターン版が『SATURN FAN』において合計15.6点(満30点)[124]といずれも低評価となった。
本項ではタイトースペースインベーダーを含む、それと類似したゲームの総称として当時頻繁に使われた『インベーダーゲーム』一般について取り扱う。
亜流を製造したメーカーは50〜80社と言われる。内容はタイトーとほぼ同じではあるが、ハードウェアやソフトウェアの全てをそのままコピーしたデッドコピーと表現するしかないような物から、ゲーム内容が似せてあるだけで中身は独自に開発した物まであった。キャラクターデザインやUFOの動きなどをアレンジしたもの、文字表示をカタカナにしたもの、2in1筐体で遊べる等の差別化を行った製品が出るようになり、逆に独自技術で亜流を作ったメーカーの中には、ハード的制約で完全再現できないものまで存在していた。
マコト電子工業の『スーパー・インベーダー』[132]、ウコー・コーポレーションの『ファイティングミサイル』(スペースミサイル)[133][134]、ワールドベンディングの『インベーダーウォーズ』[135][136]、日本物産の『ムーンベース』[137]、アイ・エヌ・ジ・エンタープライゼスのコピーゲーム[138]に対する損害賠償請求訴訟は、ゲーム業界初期の知的財産トラブル事例とされる。プログラムを勝手にコピーすることは犯罪であるという判例がきっかけとなり、著作権法の一部が改正された[139]。
亜流作品を以下に挙げる。
ブーム後にナムコから『ギャラクシアン』が出たが、『ギャラクシアン』の基板は一つのキャラに複数の色が付けられる画期的なもので、中小メーカーはこぞって『ギャラクシアン』基板の流用ゲームを出した。タイトーも『ギャラクシアン』に匹敵する基板を既に開発していたが、『インベーダー』基板が大量に残り、廃棄するのも無理があったので、営業部門の上層部から、『インベーダー』基板のROMだけ差し替え、別のゲームを作ることを命じられた[144]。このため1979年から1981年にタイトーから出たゲームの色や音は、工場で新造されたものは独自の仕様だったが、インベーダー基板を流用したものは、色と音(当時はまだシンセサイザーがなく、抵抗器を一つ一つ付け、『インベーダー』の場合8種類の音が用意されていた)の両方または片方が、『インベーダー』と同じままだった。タイトーがインベーダー基板を流用したゲームを作っている間にスプライトが一般的になり、動きの激しいゲームが実現したことで、ちょっと後れを取ってしまったと西角は2019年のインタビューで振り返っている[144]。その一方、ROM交換で新作を出したことで、ゲームセンターの経営者からはタイトーが面倒見の良い企業だと受け止められ、営業から感謝されたと、西角は語っている[144][注釈 19]。
『ルナレスキュー』の時点ではROMの交換のみだったが、やがてそれだけでは厳しくなり、『バルーンボンバー』(1980年)では基板の改造やサブボードの追加が行われた[144]。 西角が2019年のインタビューで語ったところによると、タイトーのみで10作品がインベーダー基板の流用だという[144]。
基板を流用したゲームは、主に以下のタイトルなどが挙げられる(メーカーにリンクがあるものは後述)。
また自社から発売したゲームに本作品の要素が登場するものがある。
コンピュータゲーム以外にも、スペースインベーダーに影響を受けたことで、作品内にスペースインベーダーに関する要素が登場するものがある。
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