JNN報道特集
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『JNN報道特集』(ジェイエヌエヌほうどうとくしゅう)は、1980年10月4日から2008年3月30日までTBS (JNN) 系列で放送された報道ドキュメンタリー番組である。通称は、後継番組の『報道特集NEXT』から改題し、その番組名として2010年4月3日から用いられている「報道特集」。
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JNN報道特集 | |
---|---|
ジャンル | 報道ドキュメンタリー番組 |
出演者 |
料治直矢 田畑光永 小島康臣 小川邦雄 堀宏 蟹瀬誠一 阿川佐和子 田丸美寿々 岩城浩幸 池田裕行 ほか (「メインキャスター」参照) |
製作 | |
製作 | TBS(JNN) |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
開始から1982年3月まで(プライムタイム時代) | |
放送期間 | 1980年10月4日 - 1982年3月27日 |
放送時間 | 土曜日22:00 - 22:55 |
放送分 | 55分 |
1982年4月から1995年10月1日まで(夕方時代前期) | |
放送期間 | 1982年4月4日 - 1995年10月1日 |
放送時間 | 日曜日18:00 - 19:00 |
放送分 | 60分 |
1995年10月8日から2000年4月9日まで(夕方時代中期) | |
放送期間 | 1995年10月8日 - 2000年4月9日 |
放送時間 | 日曜日18:00 - 18:54 |
放送分 | 54分 |
2000年4月16日から終了まで(夕方時代後期・末期) | |
放送期間 | 2000年4月16日 - 2008年3月30日 |
放送時間 | 日曜日17:30 - 18:24 |
放送分 | 54分 |
番組年表 | |
次作 | 報道特集NEXT→報道特集 |
概要
時事問題を様々な観点から分析。時には政治家や経済評論家らをスタジオに呼び、詳しくニュースを解説した。“報道のTBS”の原点を築いた看板番組とも位置づけられる[1]。 芸能界にかかわる時事的な話題はしばしば取り上げられたが、芸能界自体の話題が取り上げられる事は少なかった。
放送前日・当日に大きな事件が起こった場合は急遽放送内容を切り替え、他のニュースショーと同じ形態での放送となる場合もあった。
番組に専属するスタッフ以外にも、TBSをはじめJNN系列局の記者や別番組(『JNNニュースの森』など)のスタッフの取材内容も放送していた。なお、初期はスタジオに専門家を招き、時事問題に関する討論を放送したことがあった[注 1]。
2021年、後継番組『報道特集』と共に、第58回ギャラクシー賞(報道活動部門大賞)を受賞した。
放送時間帯の変遷
スタート当初はプライムタイムの放送であり、毎週土曜日の22:00 - 22:55の1時間番組(実質55分、以下は全てJST)であったが、後に、1982年4月から毎週日曜日の18:00 - 19:00(1995年10月以降は6分縮小して18:00 - 18:54)に移行。2000年4月からは18:30にドキュメンタリー番組枠が設置されたことから30分繰り上がり、17:30 - 18:24の放送になった。
CS放送TBSニュースバードでも2日遅れの火曜日の21:00 - 22:00に放送(ただし『ザ・プロ野球』放送日は再放送なし)。
2007年4月16日からはBSデジタル放送BS-i(現:BS-TBS)でも1日遅れの月曜日の20:00 - 20:54に放送された(2008年3月10日に終了)。
期間 | 放送時間(日本時間) | |
---|---|---|
1980.10.4 | 1982.3.27 | 土曜日 22:00 - 22:55(55分) |
1982.4.4 | 1995.10.1 | 日曜日 18:00 - 19:00(60分) |
1995.10.8 | 2000.4.9 | 日曜日 18:00 - 18:54(54分) |
2000.4.16 | 2008.3.30 | 日曜日 17:30 - 18:24(54分) |
内容
要約
視点
初代アンカーマンの北代淳二は自らの意見を述べないスタイルを貫いたが、料治直矢に替わって以降キャスターが自身の意見を述べた。日本の民間放送における報道の方向性が変化していた。
1981年のポーランド民主化運動を放送した回は世界的なスクープであるにもかかわらず視聴率は2%前後であった。
1982年8月の毎週末の台風報道、1983年1月の中川一郎変死スクープ報道、さらにフィリピンのベニグノ・アキノ暗殺事件においては20%強の視聴率を得、内外からも注目されて一時は時代の寵児的な報道番組と評された。
1994年、田丸美寿々がテレビ朝日より移籍してキャスターに就任。1997年2月をもって料治は休養のため降板、翌月に田丸がメインキャスターとなる(料治は同年の夏に逝去)。
しかし2002年10月、日テレで裏番組の『真相報道 バンキシャ!』が放送を開始、一部時間帯が本番組と重複し、重複時間帯の視聴率に陰りが見え始める。
『バンキシャ!』対策もあり、2003年秋季にタイトルロゴやテーマ音楽、スタジオセットを刷新、番組スタッフを大幅に入れ替え、岩城浩幸キャスターも降板して内容を大きく改変する。時代にあったテーマを掘り下げて北朝鮮問題や国内の社会テーマでスクープを連発した。
2004年当時、『バンキシャ!』の平均視聴率は13 - 15%、最高視聴率は同年7月17日の20.5%だったが、リニューアルにより視聴率が回復傾向に転じた本番組も10%を超える平均視聴率を記録。後半の時間帯のみとは言え、本番組の視聴率に裏番組の影響がそれほどなかったばかりか、両番組とも報道番組における数少ない視聴率10%超の番組となった。
リニューアル以降、いわゆるヒューマンドキュメンタリーの類はほとんど扱わず、逆に他の報道番組では取り挙げられないテーマに対しても挑み、系列局のエース記者やディレクターも多く制作する。
2008年4月の改編で土・日の17時・18時台が枠再編されるのに伴い、同年3月30日放送分をもって同タイトルでの放送を終了。4月5日からは『報道特集NEXT』と題して毎週土曜17:30 - 18:50に放送されるようになった。これにより、『バンキシャ!』との重複は解消された。『報道特集NEXT』は、それまで放送されてきた『JNNイブニング・ニュース』に替わる土曜日夕方のJNNニュース枠を挿入する形の編成となった。
本番組が立ち退いた跡の2008年4月6日以降は、17:00 - 17:30は毎日放送制作のアニメ番組枠となり[注 2]、17:30 - 17:55は『JNNイブニング・ニュース』[注 3]が30分繰り下げ、18:00 - 18:30は日曜23:30から放送されていた『世界遺産』が『THE世界遺産』と改題・枠移動して放送されている。
当番組の開始から満30年となるのを前に、2010年4月3日から『報道特集NEXT』は『報道特集』へと再改題した。放送時間・内容は『報道特集NEXT』と同じ。
放送局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 現:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | ||
岩手県 | IBC岩手放送 | 1995年6月22日までの局名は『岩手放送』 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
山形県 | テレビユー山形 | 1989年10月開局から | |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列(当時) (現・フジテレビ系列) |
放送開始から1982年3月まで[4] 日曜夕方への時間帯移動に伴い打ち切り |
テレビユー福島 | TBS系列 | 1983年12月開局から[5] | |
新潟県 | 新潟放送 | ||
富山県 | チューリップテレビ | 1990年10月開局から 1992年9月までの局名は『テレビユー富山』 | |
石川県 | 北陸放送 | 1981年4月11日から1982年3月27日まで放送[6]。 一度打ち切り後1982年10月3日から再開[7] | |
山梨県 | テレビ山梨 | ||
長野県 | 信越放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現:CBCテレビ | |
近畿広域圏 | 毎日放送 | ||
島根県・鳥取県 | 山陰放送 | ||
岡山県・香川県 | 山陽放送 | 現・RSK山陽放送 | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 | |
愛媛県 | あいテレビ | 1992年10月開局から 2002年9月までの局名は『伊予テレビ』 | |
高知県 | テレビ高知 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 琉球放送 |
歴代出演者
歴代キャスター
期間 | メイン格 | メイン格以外 | |
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1980.10.4 | 1982.9 | 北代淳二 アンカーマン | 料治直矢、田畑光永、小島康臣 キャスターリポーター |
1982.10 | 1986.9 | 田畑光永 | 小川邦雄、料治直矢 |
1986.10 | 1987.9 | 堀宏 | 小川邦雄1 |
1987.10 | 1991.9 | 料治直矢 | 堀宏、小川邦雄 |
1991.10 | 1993.3 | 小川邦雄、蟹瀬誠一 | |
1993.4 | 1994.9 | 小川邦雄、阿川佐和子 | |
1994.10 | 1997.2 | 田丸美寿々、吉岡攻2 | |
1997.3 | 1998.9 | 田丸美寿々3 | 吉岡攻2 |
1998.10 | 2003.9 | 岩城浩幸、池田裕行、吉岡攻2 | |
2003.10 | 2008.3.30 | (不在) | |
|
- 備考
- 開始当初は、北代をアンカーマンに、料治・田畑・小島のキャスターリポーター体制だった。
- 料治は、同局平日深夜のニュースを担当したため一時降板。小川も1988年10月から1年間、平日深夜の『JNNニュースデスク'88・'89』を担当していたが、当番組を降板することなく1994年9月まで出演した。
ナレーター
スクープとなった報道
- 1983年、ベニグノ・アキノ・ジュニアに同行取材し、8月21日にマニラ国際空港で暗殺された際の銃声を収録。1週間後の8月28日に「アキノ白昼の暗殺」と題した特別番組を放送した。この番組では撮影した事件映像を基に音声解析を行い、フィリピン政府発表の矛盾点をあぶり出した。フィリピン共和国では海賊版が上映され、フィリピン共和国大統領のフェルディナンド・マルコスへの不信感が募り、1986年2月22日のエドゥサ革命(別名:イエロー革命、ピープルパワー革命)蜂起に至る遠因となった。1984年度日本新聞協会賞を受賞。
- 1988年2月28日放送回で、インタビュー出演した大阪商工会議所会頭(サントリー社長)の佐治敬三が仙台への首都移転構想に異を唱え、東北地方を蔑視する内容の舌禍事件を起こした(東北熊襲発言)。
問題となった報道内容
- 1995年5月7日と5月14日のオウム真理教に関する報道で、麻原彰晃の顔のカットが挿入され、サブリミナル効果を引き起こす手法が問題となった。TBSは7月21日付で、郵政省(現:総務省)から厳重注意の行政指導を受けた[8]。
- 2004年3月7日放送回で、自閉症の原因として水銀を取り上げ、キレーション療法を紹介した。この治療方法は、開発されたアメリカ合衆国でも根拠が無いとの説があり、過去4回にわたって試験され、いずれも否定的な結果に終わっていたが「一定の効果をあげているのは事実」として報道した。特定非営利活動法人東京都自閉症協会は、TBSに対して申し入れを行い、3月14日の放送で出演者が「キレート剤の治療については、専門医に慎重にご相談いただきたいと思います」とコメントした。
脚注
参考文献
関連項目
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