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日本のサッカー選手 (1989-) ウィキペディアから
香川 真司(かがわ しんじ、1989年3月17日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身のプロサッカー選手[1]。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。
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名前 | ||||||
愛称 | シンジ | |||||
カタカナ | カガワ シンジ | |||||
ラテン文字 | KAGAWA Shinji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年3月17日(35歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市垂水区[1] | |||||
身長 | 175cm[2] | |||||
体重 | 68kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | セレッソ大阪 | |||||
ポジション | MF[3] | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1999 | マリノFC | |||||
1999-2001 | 神戸NKサッカークラブ | |||||
2001-2005 | FCみやぎバルセロナユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2010 | セレッソ大阪 | 125 | (55) | |||
2010-2012 | ボルシア・ドルトムント | 49 | (21) | |||
2012-2014 | マンチェスター・ユナイテッドFC | 38 | (6) | |||
2014-2019 | ボルシア・ドルトムント | 99 | (20) | |||
2019 | → ベシクタシュJK(loan) | 14 | (4) | |||
2019-2020 | レアル・サラゴサ | 31 | (4) | |||
2021 | PAOKテッサロニキ | 6 | (0) | |||
2022 | シント=トロイデンVV | 18 | (2) | |||
2023- | セレッソ大阪 | 34 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
2006-2008 | 日本 U-19/20 | 6 | (0) | |||
2008 | 日本 U-23 | 3 | (0) | |||
2008-2019[4] | 日本 | 97 | (31) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月4日現在。 2. 2019年6月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
幼稚園に通っていた頃からサッカーを始め[5]、小学校1年生となった1995年から地元のマリノFC[6] に所属した[7][8]。(現・センアーノ神戸)[9] に所属した[7][8]。小学4年生で神戸市選抜のメンバーに選出された。香川は小学5年生になると、神戸NKの監督からFCみやぎバルセロナへのサッカー留学を勧められた[5][10][11][12]。
2001年、中学校入学と同時にサッカー留学を果たした。仙台市立八乙女中学校に通いながら、FCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属し練習に励んだ。最初の半年はホームステイし、その後は仙台までやってきた祖母と2人暮らしだった[7][13][14]。この時期、ナショナルトレセンやU-15日本代表にも選出された。
中学3年生の時に、GKの獲得を目的にFCみやぎバルセロナユースに所属していた丹野研太を視察しにきた、セレッソ大阪のスカウト担当であった小菊昭雄に見出された[15]。
2004年、宮城県黒川高等学校(土木科)に進学し、高校1年生の時に日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会に出場した[8][16]。全く無名だったが、セレッソ大阪に、いち早く練習に呼ばれた[15][17]。
2005年9月、高校2年生の時にU-18東北代表に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会(U-18)にボランチとして出場した。この頃から、全国のスカウト関係者の間で「東北にすごい選手がいる」と有名になった[17]。
2005年、セレッソ大阪、FC東京からオファーを受けた[15][17]。強化部長が大熊清、監督が原博実であり、FC東京にも魅力を感じたが[18]、一番最初に気に掛けたのがセレッソのスカウト担当者であり、中学生から継続して気に掛けていたことや、セレッソの本拠地(大阪市東住吉区)が、地元(兵庫県神戸市)に近かったこともあって[18][19]、12月18日にC大阪と仮契約を交わした[20]。年が明けて2006年にC大阪に加入し、同クラブと業務提携していたウィザス高等学校(通信制)に転校した。同期加入の選手には、C大阪U-18からトップチームに昇格した柿谷曜一朗がいる[21]。Jクラブ直属の育成組織に所属していない選手が、高校卒業を待たずしてプロ入りしたのは前例が無かった[17]。
プロ1年目の2006年シーズンは全く出場機会が無かった。
チームの降格に伴いJ2で迎えた2007年シーズン当初は練習では左サイドバック、紅白戦では出場すら叶わなかったが、シーズン途中に就任した当時の監督のレヴィー・クルピによって実力を見出され、攻撃的ミッドフィルダーとしてレギュラーの座を獲得[15]。当時ボランチでのプレーを希望していた香川の思いを伝えられたクルピ監督は「ベテランになったら、いつでもボランチに戻ったらいい。今は前線でチャレンジしなさい。それが明るい未来につながっていくんだ」と伝えた[15]。リーグ戦35試合に出場し5得点9アシスト[22] を記録した。
2008年シーズンは、リーグ戦35試合の出場で16得点10アシスト[22] を記録した。
2009年シーズンから背番号をセレッソ大阪のエースナンバーである森島寛晃が着用した8番へ変更した。乾貴士との連携が猛威を振るいゴールを量産、他にもカイオ、マルチネスといった選手と攻撃を支えた[23]。J2第15節水戸ホーリーホック戦でプロ登録後初のハットトリックを達成し[24][25]、その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ねた。シーズン終盤は怪我の影響で主にスーパーサブとしての出場が目立ったが、リーグ戦で27得点16アシストという驚異的な成績を記録し[26][27]、ミッドフィルダー登録でありながらJ2得点王に輝いた[28](ミッドフィルダーの得点王はJリーグの全カテゴリー含めて史上初)。Jリーグはアシスト王の賞が無いため表彰はされていないが、16アシストはJ2最多であり、得点アシスト共にJ2最多だった[29]。香川が44試合・27得点16アシスト、乾が47試合・20得点14アシストと、2人で大量の得点を量産、チームの総得点はリーグ戦51試合100得点に達した。チームのJ1昇格の大きな原動力となった[23]。
2010年シーズンの開幕前には国内外のクラブへの移籍も噂されたものの、シーズンの開幕時点ではチームに残留した。C大阪所属としての最後の試合となった5月15日のヴィッセル神戸戦で自身初となる直接フリーキックでの決勝点を記録する[30] など、リーグ戦の出場期間の2ヶ月半で11試合7得点の好成績を残した。
2010年7月1日、育成補償金35万ユーロ(約4000万円)[31] でブンデスリーガのボルシア・ドルトムントに移籍した[32][注 1]。2009年12月にドルトムントのホーム試合に招待された香川は、8万を超える観衆が送る大声援に感激し、早い段階でドルトムントへの加入希望を伝えていたという[33]。
加入をすると背番号23番を背負い、セカンドトップのポジションでプレーする。8月4日、親善試合のマンチェスター・シティ戦で、ホーム初得点を決めて3-1の勝利に貢献した[34]。2010-11シーズンのUEFAヨーロッパリーグプレーオフ第1戦でのFKカラバフ戦に出場した香川は2得点を挙げ、ドルトムント移籍後の公式戦初得点を記録した[35]。ブンデスリーガ第3節・VfLヴォルフスブルク戦で移籍後のリーグ戦初得点を記録し、第4節・シャルケ04とのルールダービーにて、「僕が2点取って2-0で勝つ」との公約通りに2得点を挙げ[36]、キッカー誌、ビルト紙等で最高評価点『1』を獲得した[37]。加入当初は全くの無名の存在だったが、この試合の活躍によって、"Shinji Kagawa"の名がドイツ中に知れ渡った。また、選手個人に向けたチャントがほとんど歌われないドイツにおいて香川個人に向けたチャントが歌われるようになった。また、このチャントはセレッソ大阪在籍時と同じものが採用された。当時の同僚のマルセル・シュメルツァーはこの試合を「アウェーで3-1の勝利を収めて、待っていたファンたちに車を止められて、シンジが外に出て肩車された。ずっと記憶に残るだろう。ものすごくスペシャルだったし、当時あの場にいた選手たちはきっとみんなそう思っている。」と回顧した(ドルトムント時代に活躍すると度々、車をファンに取り囲まれて香川が声援に応える映像が現在も、インターネットで視聴可能である)[38]。その後も活躍を続け、UEFAヨーロッパリーグにおいてはチームは決勝トーナメント進出を逃したが、香川自身は同大会の8試合で4得点を記録した。このシーズンの香川はリーグ前半期17試合で8得点を記録し(MFとして登録された選手の中ではブンデスリーガ1位)、ブンデスリーガ公式サイトにて最優秀選手並みの活躍をしたと報じられ[39]、キッカー誌が選定するリーグ前半戦の攻撃的MF部門では最優秀選手に選出された[40]。2011年1月には国際サッカー連盟(FIFA)が発表した「2011年期待の若手13人」の1人に選ばれた[41]。しかし、2011年1月のアジアカップでの負傷により、ドルトムントの9シーズンぶりのリーグ優勝の瞬間をピッチで迎えることはできなかった。それでも、5月14日のブンデスリーガ最終節・アイントラハト・フランクフルト戦の後半43分にサポーターの「カガワコール」に迎えられ、約4カ月ぶりの実戦復帰を果たした。シーズン後半はこの1試合の出場に留まったものの、衝撃的な活躍は高く評価され、シーズン終了後にキッカー誌が選定したブンデスリーガの年間ベストイレブンに名を連ねた[42]。またスター選手を多数抱えるバイエルンがリーグ優勝を繰り返し、バイエルンの支配下だったブンデスリーガに、大きな風穴を開ける優勝であった[43]。
2011-12シーズンの初戦となったシャルケ04とのDFLスーパーカップではフルタイムで出場したが、チームはPK戦の末敗れタイトルを逃した。ブンデスリーガ第6節・ハノーファー96戦で怪我から復帰後初のリーグ戦で得点を記録した。10月に入ると不振が続き2試合連続で出場機会を失ったが、徐々に調子を取り戻し、11月5日の第12節・ヴォルフスブルク戦では1ゴール2アシストを記録し[44]、第13節・バイエルン・ミュンヘン戦ではマリオ・ゲッツェの決勝点をアシストした[45]。一方、自身初出場となったUEFAチャンピオンズリーグでは11月23日のグループリーグのアーセナル戦で同大会初得点を挙げたが、チームはグループリーグ最下位で敗退した。その後、2012年1月28日の第19節・ホッフェンハイム戦では2得点を決めた他[46]、1月はこの試合を含めて2試合で2ゴール1アシストを記録した。この活躍が評価されキッカー誌の欧州月間ベストイレブンに選ばれた[47]。その後も好調を維持し、ESM(European Sports Magazines、欧州スポーツ雑誌協会)により2月度以降3ヶ月連続で欧州月間ベストイレブンに選出された[48][49][50][51][52]。第27節・1.FCケルン戦では2ゴール1アシストの活躍で自身のリーグ得点記録を2桁台にのせ[53]、リーグ優勝に王手をかけた第32節・ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦では決勝ゴールを決めて、チームのリーグ連覇に貢献した。この得点にユルゲン・クロップ監督は香川めがけてダッシュし、足を滑らせながらも満面の笑みで香川を抱き上げた[54][55][56]。リーグ戦31試合出場13得点12アシストと[57]、活躍した前年をさらに上回る活躍でドルトムントの"顔"となった[54][58]。チームはブンデスリーガ新記録(当時)のリーグ戦28試合無敗を記録、またクラブ史上最高記録(2024年現在)の勝ち点81での連覇だった。更に、5月12日に行われたバイエルン・ミュンヘンとのDFBポカール決勝で香川は1ゴール1アシストを記録し、チームは5-2で快勝した。この勝利によりドルトムントはクラブ史上初となる国内2冠を達成し2011-12シーズンを締めくくることとなった。この時期の香川の活躍は高く評価され、ビルト誌は香川をブンデスリーガの年間ベストイレブンに選出し[59]、ヨーロピアン・スポーツ・メディア(ESM)も欧州年間ベストイレブンに香川の名を挙げた[60]。
香川獲得には当時レアル・マドリードやアーセナルも積極的に動いておりジョゼ・モウリーニョやアーセン・ベンゲルが直接オファーを送る中、イングランド・プレミアリーグ屈指の名門マンチェスター・ユナイテッドFC、その監督であるアレックス・ファーガソンは昨シーズンのドイツ杯決勝へ自ら視察に訪れた際、上記の二冠達成の原動力となった活躍を間近で認め、構想に入れるため獲得に乗り出した。 その後の2012年6月5日、香川の完全移籍に関してドルトムント及びマンチェスター・ユナイテッドの双方が合意したことが両クラブから発表された[61][62]。香川は同月22日にメディカルチェックをパスし、マンチェスター・ユナイテッドと正式に契約を結んだ。契約期間は2012年7月1日からの4年間[63]、背番号はC大阪在籍時にも着用していた26番に決まった[64]。2012年8月20日のリーグ開幕戦・エヴァートンFC戦でいきなりスターターとしてプレミアリーグへのデビューを果たすと、早くも第2節・フラムFC戦でプレミアリーグ初得点を決めた。10月23日、チャピオンズリーグ・グループリーグ第3節・SCブラガ戦で左膝を負傷して2カ月の間戦列から離れたものの、12月29日のウェストブロム戦で復帰を果たすと、2013年2月13日にはチャピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦1stレグのレアル・マドリード戦で先発出場、チームのアウェイゴールを獲得。この試合で香川は同大会の決勝トーナメント出場を果たした5人目の日本人選手となった。その後2ndレグでは国内リーグとのローテーションから出場せず、チームは敗退してしまった。3月2日のノリッジ・シティFC戦では、ウェイン・ルーニーのアシストで、自身ヨーロッパ移籍後では初、プレミアリーグにおいてアジア人選手初となるハットトリックを達成する[65]。 このシーズン、マンチェスター・ユナイテッドは2期越し久方ぶりのリーグ優勝を達成。香川自身にとってもドルトムント時代から3シーズン連続でのリーグタイトル獲得、更には怪我での離脱はあったものの、個人成績としてはイングランド初挑戦ながら、リーグ戦20試合、6ゴール、4アシストと、上々の記録でプレミア優勝に貢献して初年度を終えた[66]。
ところが2013-14シーズン、マンチェスター・ユナイテッドはアレックス・ファーガソン監督の勇退に際して代わりに就任したデイヴィッド・モイーズ新体制への移行や、香川自身としては自身がシーズン前に出場したコンフェデレーションズカップによる怪我の影響によりファーストチームへの合流が遅れたことも重なり、プレミアリーグ開幕から4試合連続の欠場。それを皮切りに、12月4日に呼吸困難を訴え救急車を自宅に呼び、胃の洗浄を行う処置をされる等の事態が続く[67]。上記のこともあり、前半戦は英国記者が選んだ上半期の期待外れの8選手の一人に選出された[68]。シーズンの後半には先発での出場機会が増えたものの、最終的にはプロ選手としてデビューした2007年以降で初めて無得点のシーズンとなってしまった。またチーム自体が一年を通して不振に陥り、優勝争いに全く絡めず翌シーズンのチャピオンズリーグの出場権も逃す結果に終わった。
レアル・マドリード、アーセナルからのオファーを断って鳴り物入りで加入したが、早々にファーガソンが退任する事態が発生、その波に呑まれるような形となった[69]。
2014-15シーズン、ルイ・ファン・ハールがマンチェスター・ユナイテッドFCの新たな監督に就任したが、香川には「私はアメリカでのプレシーズン遠征で彼を守備的な位置で試したが、彼は私の望みと哲学を満たさなかった」と評され[70]、リーグ戦の開幕後も出場機会が減っていった。香川は、マンチェスター・ユナイテッドからの移籍を模索する。完全移籍可能期間終了直前での、2014年8月31日に古巣ボルシア・ドルトムントへの復帰が発表された[71]。契約期間は4年間。復帰後のドルトムントでの背番号は7番を割り当てられることとなり[72]、ブンデスリーガ第3節・SCフライブルク戦で先発出場し、劇的な復帰後初得点を記録した。しかしチーム自体はリーグ戦で勝利に恵まれず、一時は暫定順位でブンデスリーガ最下位を記録し[73][74]、シーズン終了後の2部リーグへの降格も噂されるようになるなど低迷を極めた[73][74]。それに伴い香川自身も調子を落としリーグ戦で先発から外れる等、数試合連続で出場しない状況に、監督のクロップとの信頼関係の変化も取り沙汰された[75]。一方チャンピオンズリーグではグループリーグ5試合に出場し、合計2アシストを記録したものの、決勝トーナメント1回戦のユヴェントスFC戦では2試合とも出場せず、チームは敗退した。
復活を果たしたのは2015-16シーズン。背番号を7番から元々付けていた23番へ変更。ドルトムントはクロップの後任監督にトーマス・トゥヘルを迎え、前シーズンに行き詰まりを見せたゲーゲンプレスとショートカウンターを中心とする戦術からボールポゼッションを重視した戦術へとチーム戦術を転換した。それに伴い、香川も4-3-3のインサイドハーフとして起用される機会が増え、ブンデスリーガ第2節・FCインゴルシュタット04戦では初得点を記録した。またUEFAヨーロッパリーグにも参加し、ドルトムントは同大会の予選を突破して決勝トーナメントへの進出を決めた[注 2]。4月2日に行われたブンデスリーガ第28節・ヴェルダー・ブレーメン戦で、ブンデスリーガ通算100試合出場を達成し、その試合で得点も挙げた[76]。4月10日リーグ第29節、敵地でのシャルケとの"レヴィア・ダービー"に先発し、0-0で迎えた後半4分、パス交換からダイレクトでループシュートを放ちボールはゴール左隅へと吸い込まれた。試合は最終的に2-2で終わったが敵地でのダービーマッチという状況、美しい名ゴールシーンとして回顧されており、2020年にはブンデスリーガ公式が選出する「2010年代のドルトムントTOP10ゴール」で1位に輝いた[77]。このシーズン29試合、9得点、9アシストを記録し、ブンデスリーガ公式サイトがTwitterを使って実施したベストイレブンに選出され、MF部門1位に輝いた[78]。ビルト紙によるブンデスリーガ年間ベストイレブンに2011-12シーズン以来となる選出をされた。またこのシーズン活躍した前線の4人(ムヒタリヤン、オーバメヤン、香川、ロイス)はファンタスティック・フォーと呼ばれその攻撃力を評価された[79][80]。チームの勝ち点はクラブ史上2番目に多い78で惜しくも2位で終えた。
2016-17シーズン、11月22日の欧州CL第5節・レギア・ワルシャワ戦で前半17分と18分の76秒間で立て続けにゴールを奪い、UEFAチャンピオンズリーグ史上最速の連続得点記録を現在でも保持している[81]。この試合で2得点1アシストを記録し、UEFA公式のMOM、第5節のベストイレブンに選出された[82]。2017年4月3日のハンブルガーSV戦では2016-17シーズンのリーグ戦自身初得点を記録した[83]。
2017年7月14日、ドルトムントとの契約を2020年まで延長した[84]。このシーズンにピーター・ボスが監督に就任した。代表で負った怪我の影響もあり、プレシーズンマッチの浦和レッズ戦こそ出られなかったものの、開幕戦には間に合った。9月20日、第5節・ハンブルガーSV戦で今季初得点を決めた。9月30日、第7節・FCアウクスブルクでループシュートで得点を決め、ブンデスリーガにおいて日本人最多得点記録となるブンデス通算38得点目を記録した[85]。ボス政権下では途中交代が主だったが、12月10日にボスが解任され、ペーター・シュテーガーが新たに監督になると先発の機会を増やした。2018年1月19日の第19節・ヘルタ・ベルリン戦では、ブンデスリーガのアウェーゴール通算2万ゴール目となるメモリアル弾を決めた[86]。しかし第22節・ハンブルガー戦で負傷交代となり、そこから2カ月もの間、ピッチに立つことはできなかった[87]。最終節・ホッフェンハイム戦で途中出場から約3ヶ月ぶりに復帰。
2018-19シーズンは新監督のリュシアン・ファーヴルの構想から外れ、出場は4試合のみとなっていた[88]。
2019年1月31日、スュペル・リグベシクタシュJKへ半年間の期限付き移籍が発表された[88][89]。移籍に関して買取オプションが有るという報道が出ていたがベシクタシュ幹部ユルクメズギルや、ベシクタシュ内の担当者であるサファク・マームチャジショグルはそれを否定している[90][91]。新天地でのデビュー戦となった、2月3日のアンタルヤスポル戦で、後半81分から途中出場して16秒後に初ゴールを決めると、さらに84分にFKで2点目を決めた[92][93][94][95]。ベシクタシュでは3ヶ月のシーズンの14試合出場で4得点2アシストだった[96][97]。
2019年8月9日、レアル・サラゴサと2年契約を締結[98]。同年8月18日、開幕戦のCDテネリフェ戦で先発し、スペインデビューを果たした[99]。8月26日、第2節のSDポンフェラディーナ戦で移籍後初ゴールを決めた[100]。1月にはコンディション不良から不調を極め、1月14日の試合後地元紙「スポーツアラゴン」は、香川に対してチームワーストとなる評価1(10段階評価)をつけ、「酷い試合をした。動きが遅く、爆発力がなかった。ブランコと交代する前の最後のプレーがその象徴だ。相手GKバジェスが(ミスにより)ボールを譲ったが、日本人選手はこれ以上なく遅い形でドリブルをした」と鋭く指摘した[101]。チームは2019-20シーズン、2部リーグで3位で終了し自動昇格を逃す。さらに、準決勝でエルチェCF相手にゴールを奪えず、1分1敗で敗れた。2020年10月2日をもってレアル・サラゴサとの双方合意の上で、契約解除しフリーエージェントとなった[102]。同年12月に古巣のセレッソ大阪からの完全移籍の正式オファーを受けるが、Jリーグ復帰は決断しなかった[103]。
2021年1月27日、PAOKテッサロニキに1年半契約で締結したことが発表された。背番号は「23」[104]。 キペロ・エラーダス(ギリシャ国内杯)準々決勝ラミア戦の2ndレグで移籍後初スタメン出場し、移籍後初アシストをした。2021-2022シーズンのリーグ戦では僅か1試合の出場となり、12月18日に双方合意の上で契約解消に合意し、退団した[105]。
2022年1月10日、ベルギーのシント=トロイデンVVと加入合意したことを発表した。 シント=トロイデンVVサポーターの間では、「エヴァ(Eva)」というニックネームで呼ばれている。これはベルギー国内でも大ヒットした日本の人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公碇シンジと名前が同じ事で付けられた呼称である。 [106][107]。 2022年8月27日、第5節のKVメヘレン戦では移籍後初ゴールを決めた[108]。12節にはコーナーキックのキッカーをまかされて、それを直接ゴールに沈めた[109]。
その後、慢性化している足の痛みを取り除くための手術を決断。カタール・ワールドカップの中断期間をリハビリに充てるため、手術を行った[110]。
2023年2月1日、セレッソ大阪へ完全移籍で加入することが発表された[111]。12シーズンぶりの復帰となる。2月5日に加入会見が行われ、背番号は8となった[112]。小菊監督によって、セカンドトップやインサイドハーフで起用されたことで、相手のパスコースを消す役割をこなしつつ、攻撃の起点になり、中央に降りて、ダブルボランチと立ち位置を変えながらビルドアップの起点になり、4-4-2のボランチで起用された際には、ゲームコントロールや、相手のポケットに入ってバランスを崩させて得点の起点になるなど、攻守に効果的な動きを見せた[113][114][115][116]。7月28日、親善試合のパリ・サンジェルマンFC戦に後半から出場。ジャンルイジ・ドンナルンマが守るゴールマウスから決勝点を決めて3-2の逆転勝ちの立役者となった[117]。31節のガンバ大阪との大阪ダービーでは、4-3-3のアンカーで起用され完封勝利と、ダービーで2年連続のリーグ戦全勝に貢献した[118]。J1の選手、監督の投票で選ばれる優秀選手賞を初受賞した[119]。中央の様々なポジションで起用され、パス成功数、こぼれ球奪取回数がチーム内で最多だった[120]。
2024年、7月の古巣ボルシア・ドルトムント戦には途中出場したものの、筋肉系のけがの再発などコンディション不良が続き出場機会が激減している[121]。
2006年、仙台カップでの活躍で、プロ入り直前にU-19日本代表に選出された。AFC、U−19選手権では控えであったが、準決勝では左サイドバックで途中投入され、同点弾を演出する決定的な仕事を果たした[122]。
2007年、U-19でのトゥーロン国際ユースで、香川ら控えメンバー中心で挑んだグループリーグ第2戦のフランス戦。香川はボランチで出場するも、連係が全くかみ合わずシュート本数2対24の1−5という大敗となり、香川は大きな屈辱を味わった[123]。カナダで開催されたU-20ワールドカップに飛び級で選出され、2試合に出場した。なお、そのときFIFAに提出したメンバー表ではディフェンダーとして登録されていた[124]。
2008年、開幕からセレッソ大阪の主力として活躍し、本来所属する世代であるU-19代表の他、北京五輪に出場するU-23にも飛び級で選出された。そして4月にA代表に初招集、平成生まれの選手として初めて日本代表に選出された[125]。唯一のJ2所属チームからの選出であり、全国的な知名度は全くなかったため最大のサプライズ招集とされた。香川は「絶対に時の人で終わりたくないので呼ばれたことだけに満足せず、何かをつかめるように必死で頑張ってきたいと思います。」と決意を口にした[126]。5月24日のキリンカップにおけるコートジボワール戦で国際Aマッチデビューを飾った[4]。10月9日のキリンチャレンジカップの対UAE戦では日本代表史上3番目の若さで代表初得点を挙げた。
2010年6月のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では登録メンバーには選出されなかったが、サポートメンバーとしてチームに同行した。登録外ながらチームに帯同して練習を補佐するサポートメンバーであった香川について、登録メンバーに選出されていた内田篤人は練習時に「真司がね。我々をボコボコにした。『アイツが出たら良いじゃん』とみんな言ってた。(それで)ちょっと雰囲気が悪くなる。サポートメンバーで凄かった。(練習メニューの)8vs8や4vs4で、アイツがドリブルでパコパコポーンッとゴール決めて、闘莉王さんブチギレ」と2024年に回想した[127]。
2011年1月、アジアカップ・カタール大会の代表メンバーに選ばれ、中村俊輔が代表引退してから空き番となっていた背番号10番を着用した[128]。グループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司の得点をアシストし[129]、準々決勝の開催国カタール戦ではともに1点リードされている状況から2得点を挙げ、伊野波雅彦の決勝点もアシストする活躍で日本代表の準決勝進出に貢献した[130]。しかし、準決勝の韓国戦で右足を負傷し途中交代したところ、右第5中足骨(右足小指の付け根)骨折の全治3カ月の重傷であることが判明し、決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた[131]。その後2011年8月に行われたキリンチャレンジカップ2011の韓国戦で代表復帰し、2得点を挙げる活躍を見せた。
2012年から2013年にかけて行われたブラジルW杯最終予選では、5試合に出場し2得点を記録し日本代表のW杯出場に貢献した。2013年6月中旬に行われたコンフェデレーションズカップではグループリーグ第2戦のイタリア戦で得点を決めたが、チームは3-4で敗戦した。最終的にチームはグループリーグ3戦全敗で敗退した。
2014年5月12日にW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[132]。しかし、左サイドハーフとして先発出場した第1戦・コートジボワール戦はシュートを1本も打てず後半に途中交代。第2戦・ギリシャ戦は先発から外れ後半途中に投入されたがまたもシュート0に終わる。先発復帰した第3戦・コロンビア戦はチーム最多のシュートを放つも精度を欠き、チームも大敗しグループリーグ敗退となった[133]。英デイリー・メール紙やロイター通信などによる今大会のワーストイレブンに選出された他[134][135][136]、サッカーサイト「Squawka」による今大会において『自国民を失望させた』選手5人の内の1人に選ばれた[137][138]。
アジアカップ2015では全試合インサイドハーフで起用され、グループリーグ第3戦・ヨルダン戦では代表9試合ぶりの得点を決めた。しかし準々決勝・UAE戦では再三の決定機を外し、PK戦では6人目のキッカーとなるも失敗、チームはベスト8で敗退した[139][140]。
2018年6月、2018 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出され、中村俊輔と並ぶ2大会連続での背番号10番となった[141]。大会前は怪我の影響でドルトムントで直近3カ月で出場1試合、16分間のみ出場で、試合勘が問題視され、控えメンバー扱いであったが、控え選手中心で臨んだ大会直前のパラグアイ戦で西野ジャパンの初得点である乾貴士のゴールをアシストするなど1ゴール2アシストの活躍をみせると、本田圭佑に代わってスタメンに昇格[142]。グループリーグ初戦のコロンビア戦で、前半6分に自身のシュートから誘発したPKで、ワールドカップ初得点を決めるなど勝利に貢献、イギリスBBCの選ぶ第一節ベストイレブンに名を連ねた[143]。前半6分での得点はW杯での日本代表最速得点である[144]。グループリーグでは2試合に出場しGL突破に貢献。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、乾貴士の得点をアシストするもチームは敗れ、ベスト16止まりとなった[145]。乾とはセレッソ時代にチームメイトとして共闘した仲だが、代表では起用法からポジションが重なるなどもありそれまで同時出場することは少なかった。しかし今大会ではうまく共存し、両者とも世界的に高評価を得た[146][147]。
大会後しばらく代表から遠ざかったが、2019年3月のキリンチャレンジカップに久しぶりに招集される。森保一監督下ですでに10番として定着していた中島翔哉とどちらが10番をつけるのかが注目されたが、10番は香川が着用し、中島は8番となった。同26日のボリビア戦にて、国際Aマッチ97試合目にして自身初の日本代表キャプテンを務めた[148]。
類稀な技術と俊敏性に加えて判断の速さを持ち合わせる、得点能力の高いセカンドトップ及びインサイドハーフである。豊富な運動量で攻守の組み立てに献身する。細かいステップからのドリブル、繊細なタッチのシュート、広い視野を活かした創造性のあるパスと、攻撃全般の能力は非常に高く[149]、主にショートカウンター時のアタッキングサードではスピードに乗りながらプレーすることができる[150][151][152]。スモールスペースのプレーレベルは特筆に値する。反面で後述する攻守両面におけるパワープレーについて、フィジカルとの兼ね合いは難しく両立しているとは言えない。攻守において運動量が豊富であり評価も高い[153][154][155]。ブンデスリーガ2011年シーズン前半の最長平均走行距離(12.36 km)を記録したり[156]、2018年ロシアワールドカップの決勝トーナメントベルギー戦でも両チーム唯一の12km台(12.04)を記録している[157]。
日本人の最大の利点であるアジリティ(前後への静動、左右の体重移動)やボールタッチ(トラップやターン)に優れ、オフザボールやスペースメイクなども巧みである。中でもバイタルエリア(相手のディフェンスラインと中盤の間)では動きながら上記の技術を発揮できるため、ゴールを背にした姿勢でボールを受けてもフィジカルの優れたディフェンダーとの競り合いを回避しつつ正面を向くことが可能。また両足で遜色なくボールを扱えるため、タイトなファイナルサードでもスペースさえあれば複数のディフェンダーを翻弄する器用さを持ち合わせている。[151][158][159]。
2018年12月、スペイン紙「スポルト」は香川を両利きとして捉えており、ドルトムントでスカウト部門を務めたスヴェン・ミスリンスタットは、両利きのウスマン・デンベレと同等の才能を香川に対して買っており、「デンベレは私自身、本当に特別な選手だと感じた。それはシンジ・カガワについてもだ。我々は彼について計10回視察したが、誰も彼をつかまえることができず、一つの動きでゲーム全体の流れを変えることができたのだから」と同紙で語った[160]。
ドルトムント時代の指揮官であるユルゲン・クロップにはセカンドトップで起用されることが多かったが、2010年-2014年に日本代表監督を務めたアルベルト・ザッケローニからは、他選手との兼ね合いにより左サイドハーフで主に起用された。ドルトムント復帰後は新たに監督となったトーマス・トゥヘルによって、インサイドハーフとして起用された。また香川を起用した多くの監督が、彼のポテンシャルを最大限に発揮できるポジションは「トップ下ではなく、セカンドトップ(シャドーストライカー)」と発言している[161]。
2012年、ドルトムント時代にチームメイトだった元ドイツ代表MFマリオ・ゲッツェは「シンジはセカンドトップとしてヨーロッパナンバーワンのプレーヤーだと思う。見ていて何度も腰を上げちゃうほどエキサイティングなプレーを連発しているよね」と語り[162]、またドイツ代表DFマッツ・フンメルスは「シンジはワールドクラスの選手だ。ボールをキープする際のスピードとテクニックには悪魔的な怖さを感じるよ。味方でよかった」と語っている[163][164]。
豊富な運動量で前線からの守備を牽引する[154]。反面、屈強さ(骨格と筋力)を活かしたプレーは彼の主戦場ではなく[151][165]、パワープレイ、ミドルシュートの球威、タックルを伴う対人守備では評価を得られていないだろう[166][167][168]。2023年のセレッソ大阪復帰後は、ユース時代以来のボランチが主戦場となり、アンカーでも起用された。攻守の戦術眼、試合勘、チームメイトに与える好影響でチームの核となり、「彼の攻撃の良さ、違いについては言うまでもないが、守備も非凡でチームの助けになっていると」評された[118]。
アルゼンチン代表FWリオネル・メッシと比較すると、シュートの球威差は顕著である[166]。香川本人もその点は課題にしており、マンチェスター・ユナイテッド時代はフィジカルトレーニングに取り組んでいた[169][170]。ヘディングは不得意である[171]。
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 国際大会 | その他 | 通算 | ||||||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | AFC CL | - | - | 期間通算 | ||||||||||
2006 | C大阪 | 29 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | |||
2007 | 26 | J2 | 35 | 5 | - | 1 | 2 | - | - | - | 36 | 7 | |||||
2008 | 35 | 16 | - | 0 | 0 | - | - | - | 35 | 16 | |||||||
2009 | 8 | 44 | 27 | - | 0 | 0 | - | - | - | 44 | 27 | ||||||
2010 | J1 | 11 | 7 | 1 | 0 | - | - | - | - | 12 | 7 | ||||||
ドイツ | リーグ戦 | - | DFBポカール | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2010-11 | ドルトムント | 23 | ブンデス1部 | 18 | 8 | - | 2 | 0 | - | 6 | 2 | 2 | 2 | 28 | 12 | ||
2011-12 | 31 | 13 | - | 5 | 3 | 6 | 1 | - | 1 | 0 | 43 | 17 | |||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2012-13 | マンチェスターU | 26 | プレミア | 20 | 6 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | - | - | 26 | 6 | ||
2013-14 | 18 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | - | 1 | 0 | 30 | 0 | ||||
2014-15 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 1 | 0 | ||||||
ドイツ | リーグ戦 | - | DFBポカール | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2014-15 | ドルトムント | 7 | ブンデス1部 | 28 | 5 | - | 5 | 1 | 5 | 0 | - | - | 38 | 6 | |||
2015-16 | 23 | 29 | 9 | - | 5 | 1 | - | 12 | 3 | - | 46 | 13 | |||||
2016-17 | 21 | 1 | - | 3 | 2 | 5 | 3 | - | - | 29 | 6 | ||||||
2017-18 | 19 | 5 | - | 3 | 1 | 5 | 0 | - | - | 27 | 6 | ||||||
2018-19 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | 4 | 0 | ||||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | - | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2018-19 | ベシクタシュ | 23 | スュペル・リグ | 14 | 4 | - | - | - | - | - | 14 | 4 | |||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | - | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2019-20 | サラゴサ | 23 | セグンダ | 31 | 4 | 3 | 0 | - | - | - | - | 34 | 4 | ||||
2020-21 | 0 | 0 | - | - | - | - | - | 0 | 0 | ||||||||
ギリシャ | リーグ戦 | - | エラーダス杯 | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2020-21 | PAOK | 23 | スーパーリーグ1 | 5 | 0 | - | 3 | 0 | - | - | - | 8 | 0 | ||||
ベルギー | リーグ戦 | - | ベルギーカップ | UEFA CL | UEFA EL | その他 | 期間通算 | ||||||||||
2021-22 | シント・トロイデン | 10 | ジュピラー | 6 | 0 | - | 0 | 0 | - | - | - | 6 | 0 | ||||
2022-23 | 12 | 2 | - | 0 | 0 | - | - | - | 12 | 2 | |||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | AFC CL | - | - | 期間通算 | ||||||||||
2023 | C大阪 | 8 | J1 | 34 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 39 | 2 | |||
通算 | リーグ通算 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | UEFA CL | UEFA EL | その他 | リーグ通算 | |||||||||
日本 | J1 | 45 | 9 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 51 | 9 | |||||
J2 | 114 | 48 | - | 1 | 2 | - | - | - | 115 | 50 | |||||||
ドイツ | ブンデス1部 | 148 | 41 | - | 21 | 7 | 17 | 4 | 18 | 5 | 3 | 2 | 207 | 59 | |||
イングランド | プレミア | 38 | 6 | 3 | 0 | 4 | 0 | 11 | 0 | - | 1 | 0 | 57 | 6 | |||
トルコ | スュペル・リグ | 14 | 4 | - | - | - | - | - | 14 | 4 | |||||||
スペイン | セグンダ | 31 | 4 | 3 | 0 | - | - | - | - | 34 | 4 | ||||||
ベルギー | ジュピラー | 18 | 2 | - | 0 | 0 | - | - | - | 18 | 2 | ||||||
総通算 | 408 | 114 | 11 | 0 | 27 | 9 | 28 | 4 | 18 | 5 | 4 | 2 | 496 | 134 |
国際Aマッチ 97試合 31得点(2008年 - 2019年)[4]
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2008年05月24日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | コートジボワール | ○1-0 | 岡田武史 | キリンカップ |
2. | 2008年06月02日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | オマーン | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
3. | 2008年06月14日 | バンコク | タイ | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
4. | 2008年10月09日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | アラブ首長国連邦 | △1-1 | キリンチャレンジカップ | |
5. | 2008年10月15日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | ウズベキスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
6. | 2008年11月13日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | シリア | ○3-1 | キリンチャレンジカップ | |
7. | 2009年01月20日 | 熊本県 | 熊本県民総合運動公園陸上競技場 | イエメン | ○2-1 | アジアカップ予選 | |
8. | 2009年01月28日 | マナマ | バーレーン | ●0-1 | アジアカップ予選 | ||
9. | 2009年02月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ | |
10. | 2009年05月27日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | チリ | ○4-0 | キリンカップ | |
11. | 2010年02月02日 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | ベネズエラ | △0-0 | キリンチャレンジカップ | |
12. | 2010年02月11日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 香港 | ○3-0 | 東アジア選手権 | |
13. | 2010年02月14日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-3 | 東アジア選手権 | |
14. | 2010年09月04日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | パラグアイ | ○1-0 | 原博実(代行) | キリンチャレンジカップ |
15. | 2010年09月07日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | グアテマラ | ○2-1 | キリンチャレンジカップ | |
16. | 2010年10月08日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | アルゼンチン | ○1-0 | アルベルト・ザッケローニ | キリンチャレンジカップ |
17. | 2010年10月12日 | ソウル | 韓国 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
18. | 2011年01月09日 | ドーハ | ヨルダン | △1-1 | アジアカップ | ||
19. | 2011年01月13日 | ドーハ | シリア | ○2-1 | アジアカップ | ||
20. | 2011年01月17日 | アル・ライヤン | サウジアラビア | ○5-0 | アジアカップ | ||
21. | 2011年01月21日 | ドーハ | カタール | ○3-2 | アジアカップ | ||
22. | 2011年01月25日 | ドーハ | 韓国 | △2-2(PK3-0) | アジアカップ | ||
23. | 2011年08月10日 | 北海道 | 札幌ドーム | 韓国 | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
24. | 2011年09月02日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | 北朝鮮 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
25. | 2011年09月06日 | タシケント | ウズベキスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
26. | 2011年10月07日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | ベトナム | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
27. | 2011年10月11日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | タジキスタン | ○8-0 | ワールドカップ予選 | |
28. | 2011年11月11日 | ドゥシャンベ | タジキスタン | ○4-0 | ワールドカップ予選 | ||
29. | 2012年02月29日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ウズベキスタン | ●0-1 | ワールドカップ予選 | |
30. | 2012年05月23日 | 静岡県 | 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム | アゼルバイジャン | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
31. | 2012年06月03日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | オマーン | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
32. | 2012年06月08日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | ヨルダン | ○6-0 | ワールドカップ予選 | |
33. | 2012年06月12日 | ブリスベン | オーストラリア | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
34. | 2012年08月15日 | 北海道 | 札幌ドーム | ベネズエラ | △1-1 | キリンチャレンジカップ | |
35. | 2012年09月06日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | アラブ首長国連邦 | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
36. | 2012年10月12日 | サンドニ | フランス | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
37. | 2012年10月16日 | ヴロツワフ | ブラジル | ●0-4 | 国際親善試合 | ||
38. | 2013年02月06日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | ラトビア | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
39. | 2013年03月22日 | ドーハ | カナダ | ○2-1 | 国際親善試合 | ||
40. | 2013年03月26日 | アンマン | ヨルダン | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
41. | 2013年05月30日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ブルガリア | ●0-2 | キリンチャレンジカップ | |
42. | 2013年06月04日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | オーストラリア | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
43. | 2013年06月11日 | ドーハ | イラク | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
44. | 2013年06月15日 | ブラジリア | ブラジル | ●0-3 | コンフェデレーションカップ | ||
45. | 2013年06月19日 | レシフェ | イタリア | ●3-4 | コンフェデレーションカップ | ||
46. | 2013年06月22日 | ベロオリゾンテ | メキシコ | ●1-2 | コンフェデレーションカップ | ||
47. | 2013年08月14日 | 宮城県 | 宮城スタジアム | ウルグアイ | ●2-4 | キリンチャレンジカップ | |
48. | 2013年09月06日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | グアテマラ | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
49. | 2013年09月10日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ガーナ | ○3-1 | キリンチャレンジカップ | |
50. | 2013年10月11日 | ノビサド | セルビア | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
51. | 2013年10月15日 | ミンスク | ベラルーシ | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
52. | 2013年11月16日 | ヘンク | オランダ | △2-2 | 国際親善試合 | ||
53. | 2013年11月19日 | ブリュッセル | ベルギー | ○3-2 | 国際親善試合 | ||
54. | 2014年03月05日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ニュージーランド | ○4-2 | キリンチャレンジカップ | |
55. | 2014年05月27日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | キプロス | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
56. | 2014年06月02日 | タンパ | コスタリカ | ○3-1 | 国際親善試合 | ||
57. | 2014年06月06日 | タンパ | ザンビア | ○4-3 | 国際親善試合 | ||
58. | 2014年06月14日 | レシフェ | コートジボワール | ●1-2 | ワールドカップ | ||
59. | 2014年06月19日 | ナタール | ギリシャ | △0-0 | ワールドカップ | ||
60. | 2014年06月24日 | クイアバ | コロンビア | ●1-4 | ワールドカップ | ||
61. | 2014年10月10日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | ジャマイカ | ○1-0 | ハビエル・アギーレ | キリンチャレンジカップ |
62. | 2014年11月14日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ホンジュラス | ○6-0 | キリンチャレンジカップ | |
63. | 2014年11月18日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | オーストラリア | ○2-1 | キリンチャレンジカップ | |
64. | 2015年01月12日 | ニューカッスル | パレスチナ | ○4-0 | アジアカップ | ||
65. | 2015年01月16日 | ブリスベン | イラク | ○1-0 | アジアカップ | ||
66. | 2015年01月20日 | メルボルン | ヨルダン | ○2-0 | アジアカップ | ||
67. | 2015年01月23日 | シドニー | アラブ首長国連邦 | △1-1(PK4-5) | アジアカップ | ||
68. | 2015年03月27日 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | チュニジア | ○2-0 | ヴァイッド・ハリルホジッチ | キリンチャレンジカップ |
69. | 2015年03月31日 | 東京都 | 東京スタジアム | ウズベキスタン | ○5-1 | JALチャレンジカップ | |
70. | 2015年06月11日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | イラク | ○4-0 | キリンチャレンジカップ | |
71. | 2015年06月16日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | シンガポール | △0-0 | ワールドカップ予選 | |
72. | 2015年09月03日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | カンボジア | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
73. | 2015年09月08日 | テヘラン | アフガニスタン | ○6-0 | ワールドカップ予選 | ||
74. | 2015年10月08日 | マスカット | シリア | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
75. | 2015年10月13日 | テヘラン | イラン | △1-1 | 国際親善試合 | ||
76. | 2015年11月12日 | シンガポール | シンガポール | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
77. | 2015年11月17日 | プノンペン | カンボジア | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
78. | 2016年03月24日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | アフガニスタン | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
79. | 2016年03月29日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | シリア | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
80. | 2016年06月03日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ブルガリア | ○7-2 | キリンカップ | |
81. | 2016年09月01日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | アラブ首長国連邦 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
82. | 2016年09月06日 | バンコク | タイ | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
83. | 2016年10月11日 | メルボルン | オーストラリア | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
84. | 2016年11月15日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | サウジアラビア | ○2-1 | ワールドカップ予選 | |
85. | 2017年03月23日 | アル・アイン | アラブ首長国連邦 | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
86. | 2017年03月28日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | タイ | ○4-0 | ワールドカップ予選 | |
87. | 2017年06月07日 | 東京都 | 東京スタジアム | シリア | △1-1 | 国際親善試合 | |
88. | 2017年10月06日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ニュージーランド | ○2-1 | キリンチャレンジカップ | |
89. | 2017年10月10日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ハイチ | △3-3 | キリンチャレンジカップ | |
90. | 2018年05月30日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ガーナ | ●0-2 | 西野朗 | キリンチャレンジカップ |
91. | 2018年06月08日 | ルガーノ | スイス | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
92. | 2018年06月12日 | インスブルック | パラグアイ | ○4-2 | 国際親善試合 | ||
93. | 2018年06月19日 | サランスク | コロンビア | ○2-1 | ワールドカップ | ||
94. | 2018年06月24日 | エカテリンブルク | セネガル | △2-2 | ワールドカップ | ||
95. | 2018年07月02日 | ロストフ・ナ・ドヌ | ベルギー | ●2-3 | ワールドカップ | ||
96. | 2019年03月22日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | コロンビア | ●0-1 | 森保一 | キリンチャレンジカップ |
97. | 2019年03月26日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | ボリビア | ○1-0 | キリンチャレンジカップ |
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年10月9日 | 日本、新潟 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | キリンチャレンジカップ2008 |
2. | 2009年2月4日 | 日本、東京 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ2009 |
3. | 2010年9月4日 | 日本、横浜 | パラグアイ | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2010 |
4. | 2011年1月21日 | カタール、ドーハ | カタール | ○3-2 | AFCアジアカップ2011 |
5. | |||||
6. | 2011年8月10日 | 日本、札幌 | 韓国 | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2011 |
7. | |||||
8. | 2011年10月11日 | 日本、大阪 | タジキスタン | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
9. | |||||
10. | 2012年5月23日 | 日本、静岡 | アゼルバイジャン | ○2-0 | キリンチャレンジカップ2012 |
11. | 2012年6月8日 | 日本、埼玉 | ヨルダン | ○6-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 |
12. | 2012年10月12日 | フランス、サンドニ | フランス | ○1-0 | 国際親善試合 |
13. | 2013年3月26日 | ヨルダン、アンマン | ヨルダン | ●1-2 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 |
14. | 2013年6月19日 | ブラジル、レシフェ | イタリア | ●3-4 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 |
15. | 2013年8月15日 | 日本、宮城 | ウルグアイ | ●2-4 | キリンチャレンジカップ2013 |
16. | 2013年9月10日 | 日本、横浜 | ガーナ | ○3-1 | |
17. | 2014年3月5日 | 日本、東京 | ニュージーランド | ○4-2 | キリンチャレンジカップ2014 |
18. | 2014年6月2日 | アメリカ、タンパ | コスタリカ | ○3-1 | 国際親善試合 |
19. | 2014年6月6日 | アメリカ、タンパ | ザンビア | ○4-3 | |
20. | 2015年1月20日 | オーストラリア、メルボルン | ヨルダン | ○2-0 | AFCアジアカップ2015 |
21. | 2015年9月3日 | 日本、埼玉 | カンボジア | ○3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
22. | 2015年9月8日 | イラン、テヘラン | アフガニスタン | ○6-0 | |
23. | |||||
24. | 2016年3月29日 | 日本、埼玉 | シリア | ○5-0 | |
25. | |||||
26. | 2016年6月3日 | 日本、豊田 | ブルガリア | ○7-2 | キリンカップサッカー2016 |
27. | |||||
28. | 2017年3月28日 | 日本、埼玉 | タイ | ○4-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
29. | 2017年10月10日 | 日本、横浜 | ハイチ | △3-3 | キリンチャレンジカップ2017 |
30. | 2018年6月12日 | オーストリア、インスブルック | パラグアイ | ○4-2 | 国際親善試合 |
31. | 2018年6月19日 | ロシア、サランスク | コロンビア | ○2-1 | 2018 FIFAワールドカップ |
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