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ドイツのサッカークラブ ウィキペディアから
バイエル04レバークーゼン(Bayer 04 Leverkusen、正式名称: Bayer 04 Leverkusen Fußball GmbH)は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州レーヴァークーゼンを本拠地とするサッカークラブである。ドイツサッカーのトップリーグであるブンデスリーガに所属する。1958年から本拠地はバイ・アレーナである。
1904年、レーヴァークーゼンに本社を置くドイツの製薬会社、バイエル社の従業員によって設立された。
以前は陸上競技や体操競技、バスケットボール、ボート、テニス、ホッケーなどに関わるスポーツクラブTSVバイエル04レバークーゼンの一部門であった。1999年にサッカー部門がクラブから分離し、現在は正式に独立した組織となっている。
2023-24シーズン、欧州の全てのリーグにおける公式戦連続無敗記録を51試合に更新した[1]。
ブンデスリーガに所属。バイエルをスポンサーに持ち、資金提供を受けて補強を図ってきた。2002年にUEFAチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、ドイツカップをあと一歩のところで逃し、全て準優勝に終わるという「準三冠」(シルバーコレクター) を達成したこともある。それ以来、他サポーターからネバークーゼンと揶揄された時期もあった。
以降のチャンピオンズリーグの成績としては、2002-03シーズンに2次グループリーグ・ラウンドまで進出した他、2004-05シーズンにおいても決勝トーナメント1回戦まで進出している。このところは、チャンピオンズリーグよりもUEFAカップへの出場機会が多く、2005-06から2007-08シーズン間に3季連続で出場をし、2006-07、2007-08シーズンにおいてはベスト8まで進出している。UEFAクラブランキングでは2008-09シーズン終了時で32位につけている。
2007年夏、DFマヌエル・フリードリヒ、DFアルトゥーロ・ビダル、DFルカス・シンキエヴィッツなど、守備陣にレギュラークラスを多数確保し、VfLボーフムで得点王を獲得したFWテオファニス・ゲカスを迎え入れた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権を目標に掲げたが、失点数の多さから敗戦は13を数え、UEFAチャンピオンズリーグのみならずUEFAカップ出場権も逃した。
2008年夏にはミヒャエル・スキッベ監督を解任し、フェラーSDの強い推薦によりブルーノ・ラッバディア新監督を迎えた。MFセルゲイ・バルバレス、MFカルステン・ラメロウらベテランが引退したが、MFレナト・アウグスト、DFエンリケ、FWパトリック・ヘルメスなど若手の逸材を多数獲得した。2008-09シーズンはDFBポカールで準優勝し、リーグ戦でも一時、首位に立ったが、後半戦に調子を落とし、9位に終わった。またこのシーズン、ホームスタジアムのバイ・アレナが改修工事のためエスプリ・アレーナを使用した。
21得点を挙げたFWパトリック・ヘルメスが2009年6月に靭帯断裂の大怪我を負い、2009-10シーズン開幕から半年を棒に振ったが、リヴァプールから獲得したDFサミ・ヒーピアが若手主体のチームに安定感をもたらした。2009-10シーズン前半戦9勝8分0敗で、ハンブルガーSV (1982-83) 、バイエルン・ミュンヘン (1988-89) に次ぐブンデスリーガ史上3チーム目の無敗での「冬の王者」になった。
2010-11シーズンは前シーズンで「冬の王者」となった勢いをそのままに2位と「準三冠」を達成した2001-02シーズン以来の躍進を遂げた。2011-12シーズンは躍進の立役者ユップ・ハインケス監督はバイエルンへ、アルトゥーロ・ビダルはユヴェントスへ引き抜かれ、フライブルクを躍進へと導いたロビン・ドゥット新監督を迎えた。開幕戦のマインツ戦 (0-2) を落とし、勢いに乗ることができず、2012年3月31日に行われたフライブルク戦 (0-2) で公式戦5連敗を喫したことをきっかけに解任された。結果的には優勝争いに絡むことなく、5位に終わった。
2012年4月からクラブOBのサミ・ヒーピアが監督に就任。しかし、指導者のトップライセンスを保持していないため、ユースチームの監督であったサシャ・レヴァンドフスキが名目上の監督となり、2015年夏までの二頭体制を組む。しかし成績不振の責任を問われ2014年4月5日にヒーピアは監督を解任され、レヴァンドフスキが暫定監督となった。
2014年7月、レッドブル・ザルツブルクを率いていたロガー・シュミットを監督に招聘し、前線から猛烈なプレスをかけに行く能動的なスタイルを確立[2]。さらに、グレミオから左SBのウェンデウを、シャルケ04からレンタルでDFキリアコス・パパドプーロスを、ASローマからレンタルでDFティン・イェドヴァイを、メガクラブから注目を集める逸材中の逸材であるMFハカン・チャルハノールらを獲得し、2部のアイントラハト・ブラウンシュヴァイクに期限付き移籍をしていたMFカリム・ベララビを復帰させ、戦力を充実させた。
2015年7月、メキシコ代表のハビエル・エルナンデスを獲得すると、シュテファン・キースリングと2トップを組みリーグ戦で17得点をあげて主力に定着した。
2018年から、日本のJリーグに所属するV・ファーレン長崎とアカデミー選手育成・指導者の強化を目的に育成業務提携する事を発表した。
2021年5月、ヤング・ボイーズでスイス・スーパーリーグで3連覇を果たしたジェラルド・セオアネを監督として招聘した。[3]DFBポカールではカールスルーエに敗北して2回戦敗退、ヨーロッパリーグではラウンド16でアタランタに敗北してラウンド16敗退となるもリーグ戦は1年を通じて安定した戦いをして19勝7分け8敗の勝ち点64でリーグ戦3位となり、来季のチャンピオンズリーグ出場権を得た。
2022年10月、チャンピオンズリーググループステージ第3節のポルト戦に敗北した後、ヴィルツやシックなど中心選手の負傷離脱によりリーグ戦も8試合1勝2分け4敗で降格圏の17位に沈んでいたこともあり、成績不振によりセオアネ監督を解任し、[4]後任にシャビ・アロンソを招聘した。シャビ・アロンソ招聘後もしばらく苦しむが、途中リーグ戦5連勝や9戦無敗などチームの立て直しに貢献した。チャンピオンズリーグはグループステージ3位で敗退するもヨーロッパリーグに回り、ヨーロッパリーグ準決勝ではジョゼ・モウリーニョ率いるローマに敗れるもレヴァークーゼンを21年ぶりのヨーロッパリーグベスト4に導き、リーグ戦も6位に滑り込み来季のヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。
2023年夏、MFケリム・デミルバイ、FWムサ・ディアビと中心選手の放出は一部にとどまり、ユニオン・サン=ジロワーズからFWヴィクター・ボニフェイス、ボルシアMGからMFヨナス・ホフマン、サウサンプトンからMFネイサン・テラ、アーセナルからMFグラニト・ジャカ、ベンフィカからDFグリマルドを完全移籍で獲得し、バイエルンからDFヨシプ・スタニシッチを期限付き移籍で獲得した。シャビ・アロンソ監督の下、開幕から公式戦で無敗を続け、リーグ戦では7試合を残してクラブ史上最多勝ち点の73に並んだ。第29節のブレーメン戦で5-0で勝利し、開幕から25勝4分とリーグ無敗の新記録を樹立するとともに、悲願のブンデスリーガ初優勝を達成し、ブンデスリーガ史上13クラブ目の優勝クラブとなり、バイエルン・ミュンヘンの12連覇を阻んだ[5]。また4月18日に行われたUEFAヨーロッパリーグ準々決勝2ndレグのウェストハム戦を1-1で終えたことで、今シーズン開幕からの公式戦無敗記録を「44」まで伸ばし、欧州5大リーグ(プレミアリーグ、ラ・リーガ、セリエA、ブンデスリーガ、リーグ・アン)所属クラブにおける最長記録を樹立した[6]。さらに5月6日のフランクフルト戦を5-1で勝利し、ベンフィカが持つ欧州無敗記録「48」に並ぶと[7]、5月9日のUEFAヨーロッパリーグ準決勝2ndレグでローマに2-2に引き分け、36年ぶりの決勝進出と共に公式戦49戦無敗の新記録を達成した[8]。5月18日、最終節のアウクスブルク戦に勝利し、ブンデスリーガ史上初の無敗優勝(インヴィンシブルズ)を成し遂げた[9]。欧州5大リーグではプレストン・ノースエンド(1888―89)、ビルバオ(1929―30)、レアル・マドリード(1931―32)、ACミラン(1991―92)、アーセナル(2003―04)、ユベントス(2011―12)に次ぐ7クラブ目の快挙となった[10]。5月23日、UEFAヨーロッパリーグ決勝のアタランタ戦でアデモラ・ルックマンにハットトリックを許し敗戦した。これにより、公式戦連続無敗記録が「51」で途絶えた[11]。しかし、DFBポカール決勝ではブンデスリーガ2部所属のカイザースラウテルンに勝利し、31年ぶりに同大会を制した[12]。2023-24シーズンは国内2冠の快挙を達成して幕を閉じた。
2024-25シーズン、ヨナタン・ターやジェレミー・フリンポン、フロリアン・ヴィルツなどの主力選手やシャビ・アロンソ監督の流出の噂が絶えなかったが、主力選手の流出はホッフェンハイムに移籍したアダム・フロジェク、アタランタに買取OP付きレンタルで移籍したオディロン・コスヌの2選手にとどまった。一方、MFアレイシ・ガルシアを昨季クラブ史上初めてCL出場権獲得と躍進したジローナから、FWマルタン・テリエとDFジャニュエル・ベロシアンをスタッド・レンヌから、DFノルディ・ムキエレをPSGから獲得し、戦力アップに努めた。リーグ戦開幕直前のDFLスーパーカップでは、テリエの一発退場もあり、昨季2位のシュツットガルトに一時逆転されるも、十八番の後半終盤のゴールで追いつき、PK戦の末、シュツットガルトを破り早くもシーズン1タイトル目を獲得した。ブンデスリーガ第2節では強豪RBライプツィヒと激突し、ロイス・オペンダの2ゴールなどで2点差を逆転されて2-3の逆転負けを喫して、2023-24シーズンの開幕節から続けてきたブンデスリーガ無敗記録が35で途絶えた。[13]
シーズン | リーグ戦 | DFBポカール | 欧州カップ | |||||||||
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ディビジョン | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||||
1979-80 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 12 | 8 | 14 | 45 | 61 | 32 | 12位 | 2回戦敗退 | ||
1980-81 | 34 | 10 | 10 | 14 | 52 | 53 | 30 | 11位 | 2回戦敗退 | |||
1981-82 | 34 | 9 | 7 | 18 | 45 | 72 | 25 | 16位 | 3回戦敗退 | |||
1982-83 | 34 | 10 | 9 | 15 | 43 | 66 | 29 | 11位 | 2回戦敗退 | |||
1983-84 | 34 | 13 | 8 | 13 | 50 | 50 | 34 | 7位 | 1回戦敗退 | |||
1984-85 | 34 | 9 | 13 | 12 | 52 | 54 | 31 | 13位 | 準々決勝敗退 | |||
1985-86 | 34 | 15 | 10 | 9 | 63 | 51 | 40 | 6位 | 準々決勝敗退 | |||
1986-87 | 34 | 16 | 7 | 11 | 56 | 38 | 39 | 6位 | 2回戦敗退 | UC | 2回戦敗退 | |
1987-88 | 34 | 10 | 12 | 12 | 53 | 60 | 32 | 8位 | 1回戦敗退 | UC | 優勝 | |
1988-89 | 34 | 10 | 14 | 10 | 45 | 44 | 34 | 8位 | 準決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 | |
1989-90 | 34 | 12 | 15 | 7 | 40 | 32 | 39 | 5位 | 2回戦敗退 | |||
1990-91 | 34 | 11 | 13 | 10 | 47 | 46 | 35 | 8位 | 2回戦敗退 | UC | 3回戦敗退 | |
1991-92 | 38 | 15 | 13 | 10 | 53 | 39 | 43 | 6位 | 準決勝敗退 | |||
1992-93 | 34 | 14 | 12 | 8 | 64 | 45 | 40 | 5位 | 優勝 | |||
1993-94 | 34 | 14 | 11 | 9 | 60 | 47 | 39 | 3位 | 準々決勝敗退 | CWC | 準々決勝敗退 | |
1994-95 | 34 | 13 | 10 | 11 | 62 | 51 | 36 | 7位 | 2回戦敗退 | UC | 準決勝敗退 | |
1995-96 | 34 | 8 | 14 | 12 | 37 | 38 | 38 | 14位 | 準決勝敗退 | |||
1996-97 | 34 | 21 | 6 | 7 | 69 | 41 | 69 | 2位 | 1回戦敗退 | |||
1997-98 | 34 | 14 | 13 | 7 | 66 | 39 | 55 | 3位 | 準々決勝敗退 | CL | 準々決勝敗退 | |
1998-99 | 34 | 17 | 12 | 5 | 61 | 30 | 63 | 2位 | 2回戦敗退 | UC | 2回戦敗退 | |
1999-00 | 34 | 21 | 10 | 3 | 74 | 36 | 73 | 2位 | ベスト16 | CL | 1次GS敗退 | |
UC | 3回戦敗退 | |||||||||||
2000-01 | 34 | 17 | 6 | 11 | 54 | 40 | 57 | 4位 | ベスト16 | CL | 1次GS敗退 | |
UC | 3回戦敗退 | |||||||||||
2001-02 | 34 | 21 | 6 | 7 | 77 | 38 | 69 | 2位 | 準優勝 | CL | 準優勝 | |
2002-03 | 34 | 11 | 7 | 16 | 47 | 56 | 40 | 15位 | 準決勝敗退 | CL | 2次GS敗退 | |
2003-04 | 34 | 19 | 8 | 7 | 73 | 39 | 65 | 3位 | ベスト16 | |||
2004-05 | 34 | 16 | 9 | 9 | 65 | 44 | 57 | 6位 | 2回戦敗退 | CL | ベスト16 | |
2005-06 | 34 | 14 | 10 | 10 | 64 | 49 | 52 | 5位 | 2回戦敗退 | UC | 1回戦敗退 | |
2006-07 | 34 | 15 | 6 | 13 | 54 | 49 | 51 | 5位 | 2回戦敗退 | UC | 準々決勝敗退 | |
2007-08 | 34 | 15 | 6 | 13 | 57 | 40 | 51 | 7位 | 1回戦敗退 | UC | 準々決勝敗退 | |
2008-09 | 34 | 14 | 7 | 13 | 59 | 46 | 49 | 9位 | 準優勝 | |||
2009-10 | 34 | 15 | 14 | 5 | 65 | 38 | 59 | 4位 | 2回戦敗退 | |||
2010-11 | 34 | 20 | 8 | 6 | 64 | 44 | 68 | 2位 | 2回戦敗退 | EL | ベスト16 | |
2011-12 | 34 | 15 | 9 | 10 | 52 | 44 | 54 | 5位 | 1回戦敗退 | CL | ベスト16 | |
2012-13 | 34 | 19 | 8 | 7 | 65 | 39 | 65 | 3位 | ベスト16 | EL | ベスト32 | |
2013-14 | 34 | 19 | 4 | 11 | 60 | 41 | 61 | 4位 | 準々決勝敗退 | CL | ベスト16 | |
2014-15 | 34 | 17 | 10 | 7 | 62 | 37 | 61 | 4位 | 準々決勝敗退 | CL | ベスト16 | |
2015-16 | 34 | 18 | 6 | 10 | 56 | 40 | 60 | 3位 | 準々決勝敗退 | CL | GS敗退 | |
EL | ベスト16 | |||||||||||
2016-17 | 34 | 11 | 8 | 15 | 53 | 55 | 41 | 12位 | 2回戦敗退 | CL | ベスト16 | |
2017-18 | 34 | 15 | 10 | 9 | 58 | 44 | 55 | 5位 | 準決勝敗退 | |||
2018-19 | 34 | 18 | 4 | 12 | 69 | 52 | 58 | 4位 | ベスト16 | EL | ベスト32 | |
2019-20 | 34 | 19 | 6 | 9 | 61 | 44 | 63 | 5位 | 準優勝 | CL | GS敗退 | |
EL | 準々決勝敗退 | |||||||||||
2020-21 | 34 | 14 | 10 | 10 | 53 | 39 | 52 | 6位 | ベスト16 | EL | ベスト32 | |
2021-22 | 34 | 19 | 7 | 8 | 80 | 47 | 64 | 3位 | 2回戦敗退 | EL | ベスト16 | |
2022-23 | 34 | 14 | 8 | 12 | 57 | 49 | 50 | 6位 | 1回戦敗退 | CL | グループステージ敗退 | |
EL | 準決勝敗退 | |||||||||||
2023-24 | 34 | 28 | 6 | 0 | 89 | 24 | 90 | 1位 | 優勝 | EL | 準優勝 |
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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