森島寛晃

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

森島寛晃

森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )は、広島県広島市南区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。1998年、2002年のFIFAワールドカップメンバー。現在はセレッソ大阪運営会社「株式会社セレッソ大阪」代表取締役社長を務める。

概要 森島 寛晃, 名前 ...
森島 寛晃
名前
愛称 ミスターセレッソ、モリシ
カタカナ モリシマ ヒロアキ
ラテン文字 MORISHIMA Hiroaki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1972-04-30) 1972年4月30日(52歳)
出身地 広島県広島市南区
身長 168cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF(OH) / FW(ST)
利き足 右足
ユース
1988-1990 東海大学第一高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-2008 ヤンマー/セレッソ大阪 456 (140)
通算 456 (140)
代表歴2
1995-2002[1] 日本 64 (12)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月1日現在。
2. 2002年6月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
閉じる

「日本一腰の低いJリーガー」といわれた。Jリーグの開幕連続得点記録保持者(7試合連続)、オールスターゲーム最多得点記録保持者(通算6ゴール。2024年現在、オールスターゲームは事実上廃止状態にある)。現役時代にはリーグ戦だけで140得点を記録した(セレッソ在籍時に最も得点を取った選手)。

経歴

要約
視点

広島県の大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)へ進学し、1991年に、当時JSL2部のヤンマーディーゼルサッカー部に入団。入団当初からプロ選手として契約し、高卒1年目から出場機会を得て、2年目以降は完全に主力へ定着した。

1994年には、Jリーグ入りを目指してセレッソ大阪へと改称したチームを引っ張り、プロ化1年目での昇格を達成。またこの年、JFLオールスターサッカーに出場し、ゴールを決めた[2]。Jリーグに参入した1995年には、チームの中心として50試合に出場、11ゴールを挙げ、Jリーグベストイレブンに選出された。同年、加茂周監督により日本代表に初招集。加茂政権下では一時期レギュラーにも定着したが、中田英寿の登場と共に控えとなり、岡田武史への監督交代後も主にスーパーサブ的な起用をされ、1998年ワールドカップ フランス大会日本代表にも選出、1試合に出場した。

2000年には主将としてC大阪の快進撃を支えるも、ステージ優勝まであと1勝と迫った試合で敗れ、クラブの初タイトルを逃した。この年に1stステージMVPと2度目のベストイレブン選出[3]。更に、フィリップ・トルシエの監督就任後遠ざかっていた日本代表にも再び選出され、C大阪のチームメイトである西澤明訓と共に日本の攻撃陣を牽引し、2000年のハッサン2世国王杯アジアカップ、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップなどで日本の上位進出に貢献した。

2001年、C大阪がJ2に降格。他クラブからのオファーもあったがそれを全て断り、C大阪に残留[4]。1年でのJ1復帰に貢献した。

2002年の日韓ワールドカップには、西澤と共にJ2クラブからの代表選出を果たし、スーパーサブとして3試合に途中出場。グループリーグ第3節・チュニジア戦では先制点を挙げ、日本の決勝トーナメント進出に貢献した。この試合の会場は、C大阪の本拠地・長居スタジアムであり、「自国開催のワールドカップで、所属するクラブのホームスタジアムで得点を挙げる」という記録でもあった。

2003年以降は代表からは遠ざかるも、クラブでは引き続き主力として活躍。「セレッソの象徴」としてサポーターから特別視されるようになる。

2005年もチームの中心選手の1人として活躍、12月24日の天皇杯準々決勝ガンバ大阪戦では先制点を決め、3-1の勝利に貢献、この年最後の得点であった。やや得点から遠ざかっていたが、年間9得点を決めた。

2006年、C大阪は2度目のJ2降格を喫する。西澤、大久保嘉人ら多くの主力選手が抜ける中、またも残留を選択。しかし、この頃に原因不明の首の痛みを発症。サッカーどころか日常生活にも苦労する状況に陥り、2007年はわずか5試合の出場で0得点と、自身初の年間無得点に終わる。

2008年、復活を期してリハビリ・治療に励むも首痛は完治せず、試合出場は叶わなかった。10月30日、現役引退を発表[5][6]。翌31日に行われた記者会見では、引退後もクラブに残りサッカー普及や広報活動を行う「アンバサダー」に就任することや、将来は監督として指揮を執りたいとの希望を表明した[7][8]

12月6日、J2最終戦 第45節 vs愛媛FC戦ロスタイムに、自身が後継者として指名した香川真司に代わり現役最後の公式戦出場を果たした。出場した時間はわずか28秒であった。試合後、スタジアムにて最後の挨拶を述べ、家族から花束をプレゼントされた後、チームメイトから胴上げされた。その後、場内を1周している途中に香川真司に8番のユニフォームを渡し、グラウンドで現役生活最後のゴールを狙いにいくが、シュートが外れたり、クロスバーに嫌われたりするなど、4本シュートを打って結局入ったゴールは、コロコロと転がるボールをゴールしただけだった。その後、香川真司をフィールドに呼び、香川のアシストを受けた森島は、ゴールを決め、ゴールを決めた時に見せる飛行機ポーズを披露した。最後に、全員で記念撮影をし、引退セレモニーが終了した。森島が長年背負った背番号8はセレッソを象徴する背番号となり、後に香川真司清武弘嗣柿谷曜一朗といったセレッソの中心選手に引き継がれている。

2009年からは、セレッソの「アンバサダー」として、テレビ・ラジオ番組やイベントなどへ頻繁に出演。その一方で、将来のトップチーム監督就任を視野に、A級ライセンスを取得した。また、セレッソがチーム統括部を新設した2016年からは、同部のフットボールオペレーショングループに配属。当面は、「アンバサダー」の活動と並行しながら、チームの編成やスカウティングにも携わる[9]

2018年12月株式会社セレッソ大阪の代表取締役社長に就任[10]

人物

現役時代は、「日本一腰の低いJリーガー」と呼ばれていた[11]

2004年7月に丸坊主にして、選手を引退して社長に就任して以降も丸坊主である[12]

練習熱心で、ヤンマー入団時の監督だった吉村大志郎(ネルソン吉村)は、2002年のインタビューで森島に対しては練習をやらせることを考える必要はなく、逆にいかにして練習しつづけるのを止めさせるかを考えなければいけないと語っている。実際、森島は2000年のアジアカップ後に、オーバートレーニング症候群と診断されたこともあった。

尊敬する人物として、広島出身の同郷人であり、大河FCの先輩でもある木村和司を挙げており、1994年の天皇杯準決勝で、当時、横浜マリノス所属の木村と初めて対戦した。森島の座右の銘「心・技・体」は木村の座右の銘でもある。高校時代から現在まで欠かさず、毎年1年の始まり、1月1日の大河FCの初蹴りには必ず参加している。木村同様、森島も36歳で現役を引退した。

原水爆禁止2002世界大会と同時に開催された青年の平和集会である「ピースジャム2002・ヒロシマ」に賛同メッセージを送ったことがある。

現役引退後は、セレッソ大阪のアンバサダーとして、テレビ・ラジオ番組へ定期的に出演(主に関西ローカル)。

2012年2月、新潟県三条市下田地区の水害復興支援でサッカー教室を開催した[13]

2018年7月に発生した西日本豪雨災害から1年を迎えたJ1リーグ第18節サンフレッチェ広島vsセレッソ大阪戦(エディオンスタジアム広島)で、広島の小学生を対象にした広島復興支援ふれあいサッカーに参加した[14]

2020年7月の豪雨災害で被害を受けた熊本県人吉市球磨郡の中高生にサッカーの練習着を寄贈した[15]

セレッソ大阪一筋でプレーしたため、現役時代は一度もタイトルに手が届かなかった。勝てば優勝という試合を落とし、リーグ優勝を1回、天皇杯を2回、ステージ優勝を1回目前で逃した。サカマガの個人インタビューで「準優勝3つくらいで優勝にしてくれないか」という趣旨の発言もしている。

現役時代に「『頑張ります』ばかり言っていたため『頑張ります禁止令』が出た」といっている。

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1990-91ヤンマー27JSL1部61--61
1991-9213JSL2部30710
19928旧JFL1部134-22156
1993186-00186
1994C大阪旧JFL281610513417
1995J5011-205211
1996269144104113
1997211000222312
1998291800133021
1999J1301241213614
2000251540002915
20012230052275
2002J23712-424114
2003J12845041375
20042835011344
20053368142459
20062637110344
2007J250-0050
200810-0010
通算日本J1 318944672412388113
日本J2 4212-424614
日本JSL1部 61-||||||||
日本JSL2部 30710||||||||
日本旧JFL1部 592610736729
総通算 455140487||||||||
閉じる

代表歴

試合数

さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199590
1996112
1997145
199830
199900
2000103
200191
200281
通算 6412
閉じる

出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1995年05月21日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スコットランド△0-0加茂周キリンカップ
2.1995年05月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 エクアドル○3-0キリンカップ
3.1995年06月03日イングランドの旗ロンドン イングランド●1-2アンブロカップ
4.1995年06月06日イングランドの旗リバプール ブラジル●0-3アンブロカップ
5.1995年08月06日日本の旗京都府京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 コスタリカ○3-0国際親善試合
6.1995年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル●1-5サン・スパークカップ
7.1995年09月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ●1-2デサント・アディダスマッチ
8.1995年10月24日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 サウジアラビア○2-1デサント・アディダスマッチ
9.1995年10月28日日本の旗愛媛県愛媛県総合運動公園陸上競技場 サウジアラビア○2-1デサント・アディダスマッチ
10.1996年02月10日オーストラリアの旗ウォロンゴン オーストラリア○4-1国際親善試合
11.1996年02月19日香港の旗香港 ポーランド○5-0カールスバーグカップ
12.1996年02月22日香港の旗香港 スウェーデン△1-1(PK4-5)カールスバーグカップ
13.1996年05月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ユーゴスラビア○1-0キリンカップ
14.1996年05月29日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森球技場 メキシコ○3-2キリンカップ
15.1996年08月25日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ウルグアイ○5-3国際親善試合
16.1996年09月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウズベキスタン○1-0JFA75周年記念試合
17.1996年10月13日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 チュニジア○1-0プーマカップ
18.1996年12月06日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン シリア○2-1アジアカップ
19.1996年12月09日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン ウズベキスタン○4-0アジアカップ
20.1996年12月15日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン クウェート●0-2アジアカップ
21.1997年02月09日タイ王国の旗バンコク タイ△1-1キングスカップ
22.1997年02月13日タイ王国の旗バンコク スウェーデン●0-1キングスカップ
23.1997年03月15日タイ王国の旗バンコク タイ●1-3国際親善試合
24.1997年03月23日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
25.1997年03月25日オマーンの旗マスカット マカオ○10-0ワールドカップ予選
26.1997年03月27日オマーンの旗マスカット ネパール○6-0ワールドカップ予選
27.1997年05月21日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国△1-1ワールドカップ記念試合
28.1997年06月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 クロアチア○4-3キリンカップ
29.1997年06月15日日本の旗大阪府長居陸上競技場 トルコ○1-0キリンカップ
30.1997年06月22日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 マカオ○10-0ワールドカップ予選
31.1997年06月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○3-0ワールドカップ予選
32.1997年09月19日アラブ首長国連邦の旗アブダビ アラブ首長国連邦△0-0ワールドカップ予選
33.1997年10月11日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン△1-1岡田武史ワールドカップ予選
34.1997年11月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 カザフスタン○5-1ワールドカップ予選
35.1998年05月17日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ△1-1キリンカップ
36.1998年06月20日フランスの旗ナント クロアチア●0-1ワールドカップ
37.1998年10月28日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○1-0フィリップ・トルシエキリンチャレンジ
38.2000年04月26日大韓民国の旗ソウル 韓国●0-1国際親善試合
39.2000年06月04日モロッコの旗カサブランカ フランス△2-2(PK2-4)ハッサン2世杯
40.2000年06月11日日本の旗宮城県宮城スタジアム スロバキア△1-1キリンカップ
41.2000年06月18日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ボリビア○2-0キリンカップ
42.2000年08月16日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 アラブ首長国連邦○3-1キリンチャレンジ
43.2000年10月14日レバノンの旗サイダ サウジアラビア○4-1アジアカップ
44.2000年10月17日レバノンの旗サイダ ウズベキスタン○8-1アジアカップ
45.2000年10月24日レバノンの旗ベイルート イラク○4-1アジアカップ
46.2000年10月26日レバノンの旗ベイルート 中華人民共和国○3-2アジアカップ
47.2000年10月29日レバノンの旗ベイルート サウジアラビア○1-0アジアカップ
48.2001年05月31日日本の旗新潟県新潟スタジアム カナダ○3-0コンフェデレーションカップ
49.2001年06月02日日本の旗新潟県新潟スタジアム カメルーン○2-0コンフェデレーションカップ
50.2001年06月04日日本の旗茨城県茨城県立カシマサッカースタジアム ブラジル△0-0コンフェデレーションカップ
51.2001年06月07日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オーストラリア○1-0コンフェデレーションカップ
52.2001年06月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 フランス●0-1コンフェデレーションカップ
53.2001年07月01日日本の旗北海道札幌ドーム パラグアイ○2-0キリンカップ
54.2001年07月04日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 ユーゴスラビア○1-0キリンカップ
55.2001年08月15日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム オーストラリア○3-0AFC/OFCチャレンジカップ
56.2001年11月07日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イタリア△1-1キリンチャレンジカップ
57.2002年03月21日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ウクライナ○1-0キリンチャレンジカップ
58.2002年04月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 コスタリカ△1-1キリンチャレンジカップ
59.2002年04月29日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スロバキア○1-0キリンカップ
60.2002年05月02日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ホンジュラス△3-3キリンカップ
61.2002年05月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スウェーデン△1-1キリンチャレンジカップ
62.2002年06月04日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ベルギー△2-2ワールドカップ
63.2002年06月14日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チュニジア○2-0ワールドカップ
64.2002年06月18日日本の旗宮城県宮城スタジアム トルコ●0-1ワールドカップ
閉じる

得点

さらに見る #, 開催日 ...
#開催日開催地会場相手結果大会
11996年05月29日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森球技場 メキシコ○3-2キリンカップ
21996年09月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウズベキスタン○1-0JFA75周年記念試合
31997年03月25日オマーンの旗マスカット マカオ○10-0ワールドカップ予選
4
5
61997年06月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 クロアチア○4-3キリンカップ
71997年06月15日日本の旗大阪府長居陸上競技場 トルコ○1-0キリンカップ
82000年06月04日モロッコの旗カサブランカ フランス△2-2(PK2-4)ハッサン2世杯
92000年08月16日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 アラブ首長国連邦○3-1キリンチャレンジ
102000年10月17日レバノンの旗サイダ ウズベキスタン○8-1アジアカップ
112001年05月31日日本の旗新潟県新潟スタジアム カナダ○3-0コンフェデレーションカップ
122002年06月14日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チュニジア○2-0ワールドカップ
閉じる

出場大会

個人タイトル

Jリーグ記録

  • 開幕戦からの7試合連続ゴール (歴代1位)
  • オールスター通算6ゴール (歴代1位)

指導歴・職歴

  • 2008年 - モリシアカデミー
  • 2009年 - セレッソ大阪
    • 2012年 サッカースクール エリートクラス監督
    • 2013年 エリートクラス総監督
    • 2014年 エリートクラスダイレクター
    • 2016年 チーム統括部フットボールオペレーショングループ
    • 2017年 チーム統括部フットボールオペレーショングループ部長
    • 2018年12月 - 代表取締役社長

関連情報

出演

テレビアニメ

その他のテレビ番組

映画

ラジオ

長居スタジアムでセレッソの公式戦を開催する時には、FM NAGAI(場内FM)のセレッソサポーター向け番組にもレギュラーで出演。

CM

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.