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男性参加者が褌姿など裸体に近い姿、または全裸で参加する祭り ウィキペディアから
裸祭り(はだかまつり)は、主に男性参加者が褌姿など裸体に近い姿、または全裸で参加する日本の祭り。
裸祭りは、祭りの参加者(氏子)が生誕した時と同じ裸体となることで清浄無垢の姿で神との交渉を行う神聖な祭事とされる[1]。禊として厄を落として新たに生まれ変わる神事と、その年の五穀豊穣・豊作祈願・大漁祈願を占う神事の二つに大別されている[1][2][3]。
裸祭りは正月の修正会(しゅじょうえ)の最後[4]か、川祭・夏越し祭の折に開催されることが多い。正月の裸祭りは物忌を終えた氏子が新しい生命を得て復活した姿を示すものであり、夏の裸祭りは穢を払う禊を起源を持つと言われる[3]。
裸祭りは全国的に行われており、正月の裸祭りでは岩手県奥州市水沢区の黒石寺蘇民祭、愛知県稲沢市の尾張大国霊神社(通称:国府宮神社)の儺追(なおい)神事、岡山市西大寺の会陽(えよう)、福岡市東区の筥崎宮の玉せせりなどがあり、夏の裸祭りでは東京都品川区荏原神社の天王祭り、京都市賀茂神社の夏越し祭りなどが著名[3]。常陸大宮市の祇園祭は毎年2日間開催され、1日目は男児が子供神輿を、2日目は褌姿の成人男性が大人神輿を担いでいる。
参加者(氏子)は、基本的に多くが男性である。神奈川県川崎市の金山神社「かなまら祭」を除いて、女性参加はほぼみられない。愛知県稲沢市の国府宮はだか祭では、2024年から女性も上衣を着た上で男性とは時間を分けるなどの安全策を講じた上で参加できるようになった[5]。
なお、宗教学者の佐木秋夫によると、土浦の大波神社でも女性による裸祭りがあったという[6]。
土浦の大波神社の旧6月4日の宵宮には娘たちが裸で拝殿前のたき火を回りつつ歌い、終わって巫女(みこ)が水につかる裸行事があった。宮古島には裸体で山ごもりする行事があり、<のろ>が全裸で秘儀を行った。奄美大島にものろが裸で渓流に入る秘儀がある。
約1,200年前から受け継がれる大祭で、2018年(平成30年)に国の重要無形民俗文化財に指定された[7]。本尊の農業の神・毘沙門天が開帳される初詣の正月3日に、周辺の農民が多数訪れ、早く参拝しようと押し合う中で次第に裸となり、裸押合いが始まったとされ[8][9]、1841年(天保12年)発売の『北越雪譜』(鈴木牧之著)でも、当時の参拝者が裸で押し合う様子が描写されている[8][10][11]。時代を経て長年3月3日に行われて来たが、2020年(令和2年)より3月最初の土曜日に変更となった。
寺伝によれば、室町時代の永正年間に忠阿上人が参拝者に守護札を授与していたが、希望者が増えたため、1510年(永正7年)に参拝する群衆の頭上に牛玉(紙製の守護札)を投げ与えた所、奪い合いになったのが会陽の始まりとされる[12][13]。札を奪い合う群衆は当初は着衣だったが、動きやすくなるために次第に裸になっていったと推測され[12][13]、1661年(寛文元年)の年紀を持つ縁起本に会陽初期の様子を表した絵図があり、裸と着衣の人間が入り交じって描かれている[4][14]。
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