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感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為 ウィキペディアから
祭(まつり)は、多義語であり、元の意味は神仏や祖先をまつる行為や儀式を指し、特定の日に供物をささげて祈願・感謝、あるいは慰霊すなわち霊を慰めることなどを行うことを主に指し、この意味では祭祀(さいし)、祭礼(さいれい)、祭儀(さいぎ)とも言うが、現在では映画祭、陶器まつり、着物まつりなど、業界団体や商店街などが祝賀・記念・商売・宣伝などのために定期的に行う催事、あるいは大学で学生が毎年行うことがある大学祭や中学・高校で行われることもある文化祭など、神仏や先祖とは無関係な催事も含めて、広く祭という。
なおまつりの漢字の表記(祀り・祭り・奉り・政りなど)によって、意味合いが異なる(詳細は後述)。当項目ではまず、元の意味、すなわち歴史の古い祭りから説明し、現代的な、神仏や先祖や宗教とは無関係な催事については項目の最後で説明する。
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。
キリスト教の復活祭や仏教の降誕会のようにキリスト教や仏教などの世界宗教に基づく祭りもある。一方、アングロサクソン人の土着的な信仰が起源のハロウィーンなどのように、世界宗教以前の信仰に基づく祭もある。また世界宗教が伝来した各地で複数の信仰が習合し行われるようになった祭もある。
祭は教義より儀式・慣習によるところが大きい点で、祭の要素は本質的に民族宗教に顕著であるともいえる。[要出典]
祭祀・祭典はあらゆる地域・文化・宗教において行われている。祭祀と祭礼に厳密な区分はなく、便宜的な区分である。
現代の最大規模の祭は、ドイツのオクトーバーフェストであり、毎年約600万人ほどの人を集める。 近代オリンピックは平和の祭典であり、その開会式を世界の人々が視聴する。2008年の北京オリンピックの開会式は20億人以上が視聴し[1]、2012年のロンドンオリンピックの開会式は9億人が視聴した[2]。
原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。すなわち、豊猟や豊穣への感謝・祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。非常に古くから存在する狩猟社会では、狩猟儀礼[3]という獲物を捧げ豊猟を祈願する儀礼があり、熱帯の密林でもサバンナでも寒帯の森林でも氷原でも、共通するのは野獣の主、森の主、海の主など、《主(ぬし)》に対する信仰である。《主》は野獣界を支配しており、野獣を狩猟者のもとへ派遣して狩らせており、猟の成否は《主》の意向にかかる、と考え、《主》の多くは熊、ヒョウ、大蛇などそれぞれの土地の猛獣の形をとるが、それは仮装した姿にすぎず、本来は人間と同じ姿形で人間同様の生活を送っているとされ、人間は《主》に直接話しかけることができると信じ、万物に物質的実体と霊があり、野獣にも肉体と霊があり、肉体は死して滅びるが霊は不滅だと考える[3]。熊送りも一例であるが、狩猟社会では祭壇に動物の生贄を捧げる形式もある。一方、新たに農耕社会が出現してからは豊穣への感謝・祈りとして収穫祭が行われるようになり、ともに命によって豊穣を得られる信仰が窺える[注釈 1]。『金枝篇』に載せられている例でいえば、ヨーロッパのキリスト教以前の色を濃く留めている風習の一つで、収穫した穀物を使い人形状のパンまたはクッキー(人体の象徴)を作り、分割する祭礼があり、聖餐との類似が指摘できる。
古代ギリシャでは、エレウシスの秘儀があった。古代ギリシャのディオニューシア祭はディオニュソスに捧げられる祭であり、ギリシア悲劇を上演する祭典であった。マイナス (ギリシア神話) も参照。ゼウス神に捧げられる古代オリンピックも行われた。
「まつり」という言葉は「まつる」の名詞形で、本来はカミを祀ること、またはその儀式を指すものである。古代の日本は、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを、まつりごと、とも呼ぶ。
日本語では「まつる」や「まつり」という倭語(和語、古語)が先にあり、その後、漢字が日本に到来した際に当時の日本人は、まつりに相当する意味の漢字を選んで充てるようになり、「祭り」・「祀り」・「奉り」・「政り」・「纏り」などと表記されるようになった。
「祭りと祀り」がほぼ同義だとか、「祀りと奉り」がほぼ同義などといわれることもあるが、厳密に言うと各漢字ごとに意味は異なるので下に記す。
「祀り」は、神・尊(みこと)に祈ること、またはその儀式を指すものである。これは祀りが、祈りに通じることから神職やそれに順ずる者(福男・福娘や弓矢の神事の矢取り)などが行う「祈祷」や「神との交信の結果としての占い」などであり、いわゆる「神社神道」の本質としての祀りでもある。この祀りは神楽(かぐら)などの巫女の舞や太神楽などの曲芸や獅子舞などであり、広く親しまれるものとして恵比寿講などがある。その起源は古神道などの日本の民間信仰にもあり、古くは神和ぎ(かんなぎ)といい「そこに宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう」にと祈ることであり、それらが、道祖神や地蔵や祠や塚や供養塔としての建立や、手を合わせ日々の感謝を祈ることであり、また神社神道の神社にて祈願祈念することも同様である。
「祭り」は命・魂・霊・御霊(みたま)を慰めるもの(慰霊)である。「祭」は、漢字の本来の意味において葬儀のこと[要出典]であり、現在の日本と中国では祭りは正反対の意味と捉えられているが、慰霊という点に着眼すれば本質的な部分では同じ意味でもある。古神道の本質の一つでもある先祖崇拝が、仏教と習合(神仏習合)して現在に伝わるものとして、お盆(純粋な仏教行事としては釈迦を奉る盂蘭盆があり、同時期におこなわれる)があり、辞書の説明では先祖崇拝の祭りと記載されている。鯨祭りといわれる祭りが、日本各地の津々浦々で行われているが、それらは、鯨突き(捕鯨)によって命を落としたクジラを慰霊するための祭りである。
「奉り」は、奉る(たてまつる)とも読む。献上や召し上げる・上に見るなどの意味もあり、一般的な捉え方として、日本神話の人格神(人の肖像と人と同じような心を持つ日本創世の神々)や朝廷や公家に対する行為をさし、これは、神社神道の賽神の多くが人格神でもあるが、皇室神道に本質がある「尊(みこと)」に対する謙譲の精神を内包した「まつり」である。その起源は、自然崇拝である古神道にまで遡り、日本神話の海幸彦と山幸彦にあるように釣針(古くは銛も釣針も一つの概念であった)や弓矢は、幸(さち)といい神に供物(海の幸山の幸)を「奉げる」神聖な漁り(いさり)・狩り(かり)の得物(えもの・道具や神聖な武器)であった。古くから漁師や猟師は、獲物(えもの)を獲る(える)と神々の取り分として、大地や海にその収穫の一部を還した。このような行いは、漁師や猟師だけに限らず、その他の農林水産に係わる生業(なりわい)から、現在の醸造や酒造など職業としての神事や、各地域の「おまつり」にもあり、地鎮祭や上棟式でも御神酒(おみき)や御米(おこめ)が大地に還される。
「政り」については、日本は古代からの信仰や社会である、いわゆる古神道おいて、祭祀を司る者(まつり)と政治を司る者(まつり)は、同じ意味であり、この二つの「まつり」が一致した祭政一致といわれるものであったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼んだ。古くは卑弥呼なども祭礼を司る巫女や祈祷師であり、祈祷や占いによって執政したといわれ、平安時代には神職が道教の陰陽五行思想を取り込み陰陽道と陰陽師という思想と役職を得て官僚として大きな勢力を持ち執政した。またこうした政と祭りに一致は中央政府に限らず、地方や町や集落でも、その年の吉凶を占う祭りや、普請としての祭りが行われ、「自治としての政」に対し資金調達や、吉凶の結果による社会基盤の実施の時期の決定や執政の指針とした。
なお、日本の祭について英語で紹介する場合、「フェスティバル festival」・「リチュアル ritual」・「セレモニー ceremony」がそれぞれ内容に応じて訳語として用いられる。
宗教の祭礼を中心に説明する。
道教は多神信仰の宗教であり、三清を最高神とし、「神」と「仙」の2種類がいて、ヒエラルキーがあると考える宗教で、道教には斎醮儀礼というものがある。死者供養では、赦し状を天から得て地獄に送り届ける儀礼や、地獄の門を破って中から死者を救い出す儀礼も行われる[4]。
#神道の祭で説明。
ユダヤ教では年間を通じて様々な祭りがある。
角笛吹きの祭り、贖罪の日は大祭日である。過越祭(ペサハ)と七週の祭り(シャブオット)、仮庵の祭り(スコット)は三大祭である。
キリスト教においては、毎週日曜日をはじめとした教会の定める祭日(教会暦において、日曜日は主日と呼ばれる祭日である)に礼拝が行われ、賛美や祈祷とともに主の晩餐に基づくパンとワインの分かち合いが行われる。これを正教会では聖体礼儀、カトリック教会ではミサ(聖体祭儀)、聖公会やプロテスタントでは聖餐式と呼ぶ。これらはキリスト教の祭の一種であるが、キリスト教では「祭祀」という言葉は用いられない。また主の晩餐を伴う礼拝の他にも、様々な礼拝・祈祷がある。
ただしキリスト教においても、降誕祭にはクリスマス・パーティ、受難節にはキリストの道行きを再現するパレード、復活祭には卵探しなどのイースター・パーティーが行われるなど、祭の局面は礼拝・儀礼・祈祷に限定されない。正教においては、斎が解かれた後の祭(降誕祭や復活大祭など)に御馳走を用意してこれを皆で食べるパーティを行ったり、十字行と呼ばれる行進を街中で行ったりする習慣もある。
復活祭・降誕祭などの重要な祭日名をはじめとして、司祭・聖体祭儀などの表現にも「祭」の概念・表現がみられる。
日本語訳聖書中においても、旧約聖書・新約聖書の両方に「祭」の翻訳がなされている。ただし、日本聖書協会の口語訳聖書では「祭」と表記されているが、新共同訳聖書においては「祭り」と表記されている。
[5]正教会(ギリシャ正教)の一員たる日本正教会は、日常用語においても各種著作物においても、「祭」(まつり)もしくは「お祭」(おまつり)との言葉を単独で使う事を全く避けない。祭と斎(ものいみ)、祭日(さいじつ)と斎日(ものいみび)というように、喜ばしい時(祭)と、自らを喜ばしい時に備える時(斎)とを対比させるリズムは正教会の伝統に組み込まれて日常生活の規範となっており、これを説明する際に「祭」の語・概念が多用される。代表的な例として、正教会で最大の祭である復活大祭と、それに自らを備える期間である大斎(おおものいみ)がある。
同様のリズムの伝統は正教会に限らず、西方教会(カトリック教会・聖公会など)においても復活祭と大斎の形などにみられる。しかしながら殆どのキリスト教諸教派においては、日常用語として「祭」(まつり)という言葉は単独ではあまり用いられない傾向がある。「祭」の語を単独で用いる傾向が強いのは一部の例外を除き、殆ど日本正教会のみとなっている。
日を定めたものとしては、ムハンマドの生誕を祝う預言者生誕祭、ラマダーン終了後のイド・アル=フィトル、イブラーヒーム(アブラハム)が息子を犠牲に差し出そうとした日を祝うイード・アル=アドハー(犠牲祭)などがある。
イスラームの祭祀はほぼこの2つしか存在しない。四季があり、神道と日本仏教の影響を受けていることから数多くの祭祀が存在する日本と比べると、一神教の祭祀に対する関心は薄い[6]。
ヒンドゥー教には、ホーリー祭、ダシェラ祭(en:Dussehra)、ディワーリー祭(en:Diwali)という三大祭がある。
仏教各宗派共通で行われているものとしては、降誕会、成道会、涅槃会がある。
日本仏教で行われている祭については、#日本仏教の祭の節で説明。
それぞれの国における祭の詳細を説明する。
日本の祭礼は、神道の影響を受けているものが多いが、神道以前から存在する民間信仰色の強いものも多く、道教の信仰・習俗の影響を受けているものも多く、仏教に基づくものもあり、神道と仏教の両方の影響を受けているものもある。
現在一般的な意味での祭は、神社や寺院をその主体または舞台として行われることが多い。その目的や意義は、豊作の「五穀豊穣」を始め、「大漁追福」、「商売繁盛」、「疫病退散」、「無病息災」、「家内安全」、「安寧長寿」、「夫婦円満」、「子孫繁栄」、「祖先崇拝」、「豊楽万民」、「天下泰平」などを招福祈願、厄除祈念として行われるもの、またはそれらの成就に感謝して行われるもの、節句などの年中行事が発展して行われているもの、偉人の霊を慰めるために行われるものなど様々である。その目的により開催時期や行事の内容は多種多様なものとなっている。また同じ目的、祭神の祭りであっても、祭祀の様式や趣向または伝統などが、地方・地域ごとに大きく異なる場合も多い。
祭の目的が時代の変化によって参加者達の利害とは離れてしまったものも多く、行事の内容も社会環境の変化等により変更を余儀なくされた祭もある。それらの結果、祭を行うことそのものが目的に成り代わっているような、目的から考えると形骸化した状況の祭も多い。このため、全くの部外者や、見物する者や参加する者という当事者にとっても「祭=楽しいイベント(お祭り騒ぎ)」という程度の認識しか持たれないことが多く、祭のために仕事を休むということは、例えば葬儀のためにということなどと比べると遥かに理解が得られにくい状況にある。
一般的に神社における祭礼には、神輿(神様の乗り物)をはじめとして山車・太鼓台・だんじりなどの屋台などが出されることが多く、これらは地方によって氏神の化身とみなされる場合や、または神輿を先導する露払いの役目を持って町内を練り歩き、それをもてなす意味で沿道では賑やかな催しが行われる。また、伝統などの違いにより例外もあるが、多くの祭りにおいては工夫を凝らした美しい衣装や化粧、厚化粧を施して稚児、巫女、手古舞、踊り子、祭囃子、行列等により氏子が祭礼に参加することも多い。今日では世俗化も進んでいるが、今なお祭の時は都市化によって人間関係の疎遠になった地域住民の心を一体化する作用がある。変わりない日常の中に非日常の空間を演出することによって、人々は意味を実感する営みを続けてきたのである。
基本的に神事としての祭りは厳粛な場面と賑やかな場面の二面性を持ち、厳粛な場面では人々は日常よりも厳しく、伝統や秩序を守ることを要求される。しかし一方で、日常では許されないような秩序や常識を超えた行為(ふんどし一丁、男性の女装等)も、「この祭礼の期間にだけは」伝統的に許されると認識する地方が多く、そのため賑やかな場面を指して「お祭り騒ぎ」などの言葉が派生している。
神道と仏教の両方の影響を受けた神仏習合の色が濃いものとしては、土着の祖霊信仰や言霊の呪術性を帯びた念仏踊りを取り入れた盆踊りがあり、習合した盂蘭盆会に繋がる。また、神事から発達した田楽・猿楽などが能など後の日本中世伝統芸能を形作る素地となった。
「祭」は様々な種類のものが各地で行われているため、ある地域で祭と言っても、どこのどの祭を指しているのか判断しにくい。このような場合、その祭が行われる地域名と、祭礼の行事の内容や、出し物の名前を指す名称を、組み合わせた名前で呼ばれることが多い。ただし、その祭の行われる地域の中では、正式な名称を短略化して呼ぶことも多く、時としては、行われる寺社などの名称に「(お)○○さん」または「(お)○○様」などの敬称・愛称をつけ、簡略化した祭りの通り名もある。
寺院において、仏像・仏塔・名号本尊・曼荼羅を用いて儀礼が行われている。通常は仏事・法要・供養などと呼ぶ。釈尊が生きていた時代には、祭祀の対象となるものは存在していなかったがその後は仏像・仏塔が登場し仏像や仏塔を用いた儀礼が成立したので、日本に仏教が伝わったときにはすでに仏教的な儀礼が存在していた。
富士講は富士山を信仰の対象としており、毎年、富士山開山日の前日の6月30日と当日の7月1日に各地の富士塚で祭が行われている。
たとえば東京都北区十条の十条冨士講では、毎年、富士山の山開きに合わせて6月30日と7月1日の2日間に渡り十条冨士講祭礼(通称:お冨士さん)が行われる[8]。この2日間、十条と東十条の間の、普段は閑静な住宅街の道路の両脇約400メートルに多くの露店が出店する[8]。言い伝えでは、この日に冨士塚(十条の富士塚の所在地:東京都北区中十条2-14-18)に登って参拝すれば富士登山で参拝するのと同等のご利益があるとされている[8]。
ドイツではオクトーバーフェストが最大規模であり、また世界最大規模の祭でもあり、毎年約600万人を集める。
現代では、先祖や霊などは抜きで、定期的に人が大人数集まって行う行事も祭である。
季語としての祭(まつり)は、夏の季語(三夏の季語)である[11]。分類は行事/人事[注釈 2]。季語「祭」の初出[注釈 3]は、野々口立圃によって寛永13年(1636年)に刊行された俳諧論書『はなひ草』(「花火草」「嚔草」とも記す)においてであった[11]。すなわち、江戸時代初期の、史上初めて印刷公刊された俳諧の式目・作法の書に記載された。季語・季題の世界で、単に「祭」といえば、江戸・京都・大坂などといった都市部の神社で執り行われる夏祭を指す[11][12]。古来、夏は疫病が発生しやすく、それをもたらす元凶と信じられていた怨霊を鎮めたり祓ったりすることは人々の切実な願いであり[11][12]、その思いを籠めて行うのが夏祭であった[11]。災禍を遠ざけてくれる神様が降臨するのは夜と考えられていたため、祭はたいてい宵宮から始められる[11]。このような習俗を背景として、夏は祭の季節、夏の祭は夜行われるもの、そしてまた「祭」といえば第一に夏祭を指すようになった[12]。俳諧・俳句の世界でもそれに伴い、「祭」は「夏祭」を意味する季語となり[12]、一方で、春の祭は「春祭」、秋の祭は「秋祭」と、季節名を冠することで季語として用いられるようになった[12]。なお、現代の夏祭には悪疫退散を祈念するところの全く見られない単なる“夏の催事(サマーイベント)”も数多く見られるが、そういったものに季語「祭」および「夏祭」を当てたとしても、間違いとまでは言えない。あるいはまた、依って立つ文化が日本古来の祭と全く異なる日本国外の祭を対象として季語「祭」を用いることも、これを認めないという考え方は、少なくとも一般的でない。
「祭」を親季語とする子季語[注釈 4]は多様で数も多い。夏祭(なつまつり)、神輿(みこし)、渡御(とぎょ。意:祭礼の際の、神輿のお出まし。神輿が進むこと)、山車(だし)、祭太鼓(まつりたいこ)、祭笛(まつりぶえ)、宵宮(よいみや、よみや。歴史的仮名遣:よひみや、よみや。意:本祭の前夜に行う祭)、宵祭(よいまつり。歴史的仮名遣:よひまつり。意:宵宮と同義)、陰祭(かげまつり。意:本祭が隔年で行われる場合の、例祭の無い年に行われる簡略な祭)、本祭(ほんまつり。意:宵祭・陰祭に対して、本式に行う祭。例祭のこと)、樽神輿(たるみこし。意:神酒の空き樽を神輿に仕立てたもの)、祭囃子(まつりばやし)、祭提燈(まつりじょうちん)、祭衣(まつりごろも。意:祭りの装束)、祭舟(まつりぶね。意:祭りで使う舟)[11]。
関連季語として春祭(はるまつり)と秋祭(あきまつり)が考えられるものの、歳時記には関連季語として記載されていない。なお、冬祭(ふゆまつり)は季語になっていない[14]。
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