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東京都が策定した7番目の副都心で複数の特別区に跨がる442haのエリア ウィキペディアから
東京臨海副都心(とうきょうりんかいふくとしん、英: Tokyo Waterfront City)は、東京都が策定した7番目の副都心であり、複数の特別区に跨がる442 haのエリアである。都市景観100選受賞地区。
主に東京港埋立地10号地に属する江東区有明の一部と、同埋立地13号地に属する港区台場・江東区青海の一部・品川区東八潮からなる[1]。全域が埋立地であり、東京都都市整備局と東京都港湾局が主に計画管理している。
公式愛称は「レインボータウン」である[2]が、かつて都知事だった石原慎太郎が臨海副都心全体を指して「お台場」と呼んだことから、マスコミや官公庁がそれにならうことがある[注 1]。また、初期の臨海副都心開発計画(1988年)における愛称は「東京テレポートタウン」であった[3][注 2]。
主に、以下の4地区に分かれて計画・開発が行われている。
江戸時代末期に黒船対策として造った大砲台場の建設が、この地区の埋め立ての始まりである。1940年(昭和15年)の東京港開港以来、本格的な突堤建設や埋め立てが始まった。船の科学館と隣接地で1978年(昭和53年)から前期・後期およそ1年間開催された宇宙科学博覧会(宇宙博)では、1,100万人を超える来場者を集めた。この頃は一帯すべてが建設予定地であり、建物は船の科学館と海運企業の倉庫・コンテナ置き場・材木業者の作業場と事務所くらいしかなかった。
1979年(昭和54年)に、都知事に鈴木俊一が就任すると、臨海副都心開発の検討が始まった。1979年(昭和54年)のマイタウン構想懇談会、1982年(昭和57年)の「東京都長期計画」、1985年(昭和60年)の「東京テレポート構想」、1986年(昭和61年)の「第二次東京都長期計画」である。
臨海副都心の建設はバブル景気絶頂期の1989年(平成元年)から始まり、建設期間は3期[4]27年である。臨海副都心はオフィス街として開発される予定であったため、東京都は企業誘致を積極的に行った。しかし、バブル崩壊で企業進出のキャンセルが相次ぎ、開発計画の見直しを迫られることになった。
1995年(平成7年)、都知事に青島幸男が就任。計画第二期が始まる1996年(平成8年)3月からは、臨海副都心の大掛かりなスタートデモンストレーションも兼ねて「世界都市博覧会」の開催が予定されていた。しかし青島都知事は、臨海副都心開発見直しを掲げ、世界都市博覧会を中止した。だが開発計画自体は止めなかった。
1999年(平成11年)、都知事に石原慎太郎が就任。開発事業を推進する方向で動いた。このころになると、ようやく建築物も増え始め、かつての鈴木都知事の後押し[5]で本社屋を当地に移転したフジテレビジョンが牽引役となり、地元の活性化運動もあって大規模イベント会場の誘致が進んだ。2002年(平成14年)には政令による都市再生緊急整備地域にも指定されている。近年ではアミューズメントやショッピング施設が次々に開業し、週末の気軽な観光地として賑わっている。
2013年(平成25年)には、2020年の夏季オリンピック開催都市が東京に決定した(東京2020オリンピック競技大会)。臨海副都心ではオリンピックの開催に向け、東京港に大型クルーズ船が停泊できる「東京国際クルーズターミナル」が整備された[6][7]。東京2020組織委員会は、大会関連施設が設置された臨海副都心エリア全体を「TOKYO WATERFRONT CITY(トーキョーウォーターフロントシティ)」と銘打っている[8]。また、大会の競技会場が設置された有明北地区は「有明アーバンスポーツパーク (仮称)」など、“レガシーエリア”として大会終了後に整備する方針が示されている[9][10][11]。
臨海副都心の土地の幾つかは、東京都が暫定的な貸出を行っている土地である。臨海副都心地区の開発を進めていた1990年代後半、バブル崩壊の影響で企業の進出意欲はどん底であった上に、当時は交通の便も悪かった台場地区の買い手が付かなかったため、東京都が確実に事業者を募るため、廉価で10年間の期限を付け、東京都保有の土地を定期借地権で貸し出したことによる。
パレットタウン(1999年開業)、アニヴェルセル 東京ベイ(2002年開業)、大江戸温泉物語(2003年開業)、東京テレポート駅前のバーミヤンとローソンは定期借地権付きの用地で運営されることとなった暫定施設であるが、前述のとおり当初は開業から10年で土地を返還する契約となっていた。このうち、大江戸温泉物語とアニヴェルセル 東京ベイは2021年9月に閉館し[13][14][39](アニヴェルセルの跡地はテレビ朝日が「東京ドリームパーク」を開発)、パレットタウンについても後述の再開発工事着工に向けて更地にする必要もあることから、2021年12月から2022年8月にかけて順次閉館となった[21][40][41]。さらに前述のバーミヤンとローソンも2023年に入ってから閉店となり、跡地は再び暫定利用(用途:小規模物販店舗、期間:3年〜最大5年)として土地利用者の公募が実施された[42]。
2010年代以降の施設ではBMW GROUP Tokyo Bay(2016年開業)、東京国際展示場の東新展示棟(2016年稼働)なども暫定施設となっている[24]。また、パレットタウン跡地では後述のようにトヨタグループによるアリーナ(MEGAWEB跡地部分)も開発されるが、森ビルによるCITY CIRCUIT TOKYO BAY(MEGAWEB跡地部分の一部を活用し2023年11月開業)とイマーシブ・フォート東京(ヴィーナスフォートの建物を活用し2024年3月開業)については暫定施設として営業されている[15][16]。
臨海副都心の事業費は、東京都だけで2兆4,300億円である[55]。事業費をまかなうために、約5,200億円の地方債を起債し[56]、他の特別会計からの借り入れも行った。第三セクターを設立し、地域内都市基盤の早期整備を図ってきた[57]。
2001年(平成13年)、東京都は「臨海副都心事業会計」を、黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合した(三会計統合)[56]。臨海副都心事業会計は、5,290億円の累積赤字と8,815億円の借金を抱えていた。「東京都臨海地域開発事業会計」を作る事で、帳簿上は赤字と借金の一部が帳消しになった。しかし5,185億円の地方債と金利負担は残った。
2005年(平成17年)、東京ファッションタウン、タイム二十四が破綻し、民事再生法による再生手続きの開始を申し立て[58]、手続きを進めた結果、翌年3月に東京ビッグサイトに吸収合併され、民事再生手続きが終結した[59]。
2006年(平成18年)、東京テレポートセンター・東京臨海副都心建設・竹芝地域開発が破綻し、民事再生法による再生手続きを申し立てた[60]。これらは東京都の度重なる事業支援にもかかわらず、1,957億円の累積赤字と1,440億円の債務超過、3,355億円の借金を抱えていたが、民事再生手続きを進めた結果、翌年4月に東京テレポートセンターに吸収合併され、民事再生手続きが終結した[61]。
2009年(平成21年)度からは、最初の地方債の大量償還期(第一の山)を迎える。単年度で1,000億円を越える借金の返還が必要である。2002年(平成14年)の「臨海副都心開発事業の長期収支試算」によると、「都有地運用収入等の収入の累積が基盤整備関連経費や都債償還金等の支出の累積を上回る」のは2021年の見込みである[62]。
臨海副都心開発前の同地区は埋立地で、ほとんどは更地だった。そこに多くの高層建築物が建造された結果、東京湾からの海風が遮られ、東京都心部でのヒートアイランド現象がさらに進行したという批判が、しばしば提起されている[63]。
これに対し、東京都港湾局では臨海副都心の南側、さらに東京湾に張り出した中央防波堤内側埋立地での整備が予定されている海の森公園を起点とし、有明の森テニス公園を経由して、皇居や代々木公園に至る「風の道」の整備により、ヒートアイランド現象の緩和を計画している[64]。
その他にもいくつか舞台とした作品が存在する。
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