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日本の男性アイドルグループ ウィキペディアから
光GENJI(ひかるゲンジ)は、1987年8月19日から1995年9月3日にかけて活動していた、日本の7人組男性アイドルグループ。通称「最後のスーパーアイドル」[1]。
ジャニーズ事務所初のローラースケートパフォーマンスで一世を風靡し、日本音楽史上最高の爆発的な人気を記録して社会現象となった。解散までの約1年間は光GENJI SUPER 5(ひかるゲンジスーパーファイブ)として活動した[2][3][4]。
キャッチフレーズは「超新星からのメッセージ」[5]。(由来は、デビュー年である1987年に最も有名な超新星爆発とされているSN 1987Aが衛星銀河である大マゼラン雲にて発生していることから[6])。
颯爽としたローラースケートパフォーマンスやアクロバットがコンセプトであり、光り輝くような元気全開のフレッシュさ・新鮮さを前面に打ち出していた[5][7][8]。『STAR LIGHT』や『パラダイス銀河』など、光・星・銀河・宇宙などファンタジーをテーマにした曲が顕著であった[9]。
光GENJIが結成された1987年の時点で10代後半だった2人が「光」(ひかる)、10代前半だった5人が「GENJI」(ゲンジ)となった。 以下のメンバーのうち、解散後も最後までジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に所属し、2024年4月以降他のSMILE-UP.所属者とともにSTARTO ENTERTAINMENTに移籍しているのは内海光司と佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)の2人のみである[10][11]。大沢樹生と佐藤寛之は1994年8月の脱退時に退所。諸星和己は1995年9月の解散時に退所。山本淳一と赤坂晃はグループ解散後もジャニーズ事務所に所属していたが、山本は2002年2月に退所。赤坂は2007年10月に覚醒剤所持の事件を起こし逮捕[注 1]、ジャニーズ事務所を懲戒解雇された。
名前 | 所属 | 生年月日 | 出身地 | 備考 | 現所属事務所 |
---|---|---|---|---|---|
内海 光司 (うちうみ こうじ[10]) |
光 | 1968年1月11日(56歳)[10] | 東京都[10] | リーダー[12] 光GENJI SUPER 5、AKIRA & KOHJI U&S |
STARTO ENTERTAINMENT[10] |
大沢 樹生 (おおさわ みきお[13]) |
1969年4月20日(55歳)[13] | 東京都文京区[13] | 1994年脱退[14] | ミキオオフィス[13](自営) | |
諸星 和己 (もろほし かずみ[15]) |
GENJI | 1970年8月12日(54歳)[15] | 静岡県富士市[15] | 光GENJI SUPER 5 | スターズクルー[15] |
佐藤 寛之 (さとう ひろゆき[16]) |
1970年11月2日(54歳)[16] | 千葉県鎌ケ谷市[17] | SAY'S 1994年脱退[16] 2023年から ふたつの風 メンバー |
GENJI GURUMA[16] | |
山本 淳一 (やまもと じゅんいち[18]) |
1972年2月28日(52歳)[18] | 東京都八王子市[18] | 光GENJI SUPER 5、SAY'S 2023年から ふたつの風 メンバー |
WING RUN[18] | |
赤坂 晃 (あかさか あきら[19]) |
1973年5月8日(51歳)[19] | 東京都国立市[19] | 光GENJI SUPER 5、SAY'S、AKIRA & KOHJI | GOLD STAR[19] | |
佐藤 敦啓 (さとう あつひろ[11]) |
1973年8月30日(51歳)[11] | 神奈川県藤沢市[11] | 光GENJI SUPER 5、SAY'S U&S 現芸名は佐藤アツヒロ |
STARTO ENTERTAINMENT[11] |
光GENJI結成前メンバー | 備考 |
---|---|
田代 秀高 (たしろ ひでたか) |
初代GENJIメンバー。1987年にGENJIを脱退した後、山本淳一と赤坂晃が加入。 |
1987年3月25日に光GENJIの前身である「初代GENJI」が結成され、田代秀高・諸星和己・佐藤寛之・佐藤敦啓がメンバーとなる。
1987年4月5日、「GENJI」が『全国歌謡選抜 サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』(TBS系)のレギュラーになり、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」をオープニングで毎回披露。その後、田代秀高が脱退、山本淳一が加わり、更にその後、赤坂晃が参加して5名になる。
1987年6月25日に「GENJI」と、内海光司、大沢樹生から成る「光」が合体し、「光GENJI」が結成された[20][21]。
1987年8月19日にチャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビュー[22]。キャッチフレーズは「超新星からのメッセージ。」[5]。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスがうけ、デビューしてすぐに人気が上昇[3]。爆発的なブームを生み、「最後のスーパーアイドル」と呼ばれ、その人気は経済誌などでも社会現象として取り上げられる[3]。同年、テレビ東京系『あぶない少年』でドラマ初主演を務める[1]。
1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。また、同年のオリコン年間シングル売上第1位~3位を光GENJIが独占し、1978年のピンク・レディー以来の快挙を達成した(ベスト10内には4曲ランクイン)。オリコン年間アルバム売上も第1位と第9位を獲得。
1992年、 JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
1993年に『勇気100%』をリリースし、アニメ『忍たま乱太郎』の主題歌に起用され、同曲は後にYa-Ya-yah、Hey! Say! JUMP、NYC、Sexy Zoneなどのジャニーズグループにカバーされるようになる。
1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。同年8月、大阪城ホールでのライブを最後に大沢樹生・佐藤寛之が脱退し(同時にジャニーズ事務所も退所)、「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する[23]。
1995年6月、夏のコンサートツアーを最後に活動を終了する事が発表される。同年9月1日、かつてレギュラー出演していた『ミュージックステーション』(詳細後述)に出演、これが光GENJI SUPER 5として最後のTV出演となる[注 2]。スタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露し、最後に「Graduation」を熱唱。曲の終わりに、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いた。
1995年9月3日、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現:日本ガイシホール)でのライブを最後に、「メンバー全員卒業」(正確には解散)した[1][24]。
1988年2月から1992年10月まで、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』にレギュラー出演[注 4]していた。総出演数は234回であり、これは同番組のアーティスト別の出演回数記録としては圧倒的な出演数であり、いまだに破られていない。なお、2位はTOKIO(143回)、3位は嵐(140回)でそれ以降も V6、SMAP、KinKi Kids……とジャニーズが上位を独占しており、これに続くのは、7位のAKB48(104回)、8位の浜崎あゆみ(89回)、9位のaiko(84回)である。
『ミュージックステーション』は『夜のヒットスタジオ』・『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』など他局の音楽番組に比べ後発であり、開始当初は視聴率が悪く非常に苦労していた。そうした中、その頃の音楽番組の1つ『ザ・ベストテン』が成功した理由の一つにキャンディーズの解散を毎週放送で取り上げたことがあった点を受け、『ミュージックステーション』では光GENJIを毎週出そうということになり、レギュラーになった[34]。
デビュー当初、赤坂晃と佐藤敦啓は労働基準法(第61条)により、原則夜8時〜翌朝5時はテレビ・ラジオの生出演ができないとされていたため、当初は「歌の部分のみ7人で事前収録する」「メンバー5人が歌っている生映像と出演できない2人の写ったVTRを交互に流す」「当時年上でバックダンサーの中居正広と木村拓哉が代わりに入る」等の工夫を凝らしていた。しかし、実際には当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組にメンバー全員で出演したときも何度かあり、夜8時以降に出演したり出演しなかったりという状況が続いていた[注 5]。
この状況に関して、当時14歳の佐藤が深夜の歌番組に出演した疑いで、労働基準監督署が1988年6月にジャニーズ事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果[35]、メンバーは「労働者とは認められない」(=労働基準法は適用されない)という判断を下した[35]。
さらに光GENJIの出演に関する諮問があって、国会や関係機関で議論が行われ、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし、労働基準法を適用しない(端的には「『不人気な者』は労働者とみなす」)という結論になり、1988年(昭和63年)7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」昭和63年7月30日、基収355号)が出され[4]、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。
卒業について、諸星は後年「(最後の方は)仲が悪かった」「みんな疲れていた」と語っているほか[24]、2015年11月に出演した番組で当時の状況について山本が「当時のアイドルは『20代後半になったら、それぞれの道に行く』みたいなスタイルがあり、年長者のメンバーが独立に進みたがっていた[36]」という内情を明かしている[23]。
また後年、光GENJIが短命に終わった理由として、下記のような理由がビジネスコンサルタントの専門家からは挙げられており、後のジャニーズ事務所のマーケティング戦略においての課題とされたことが指摘されている[2]。
この他にも、ジャニーズの先輩である元フォーリーブスの北公次が刊行した著書『光GENJIへ』による影響も大きいとされている[37]。
その反省を活かし、SMAPはアイドルでありながら、お笑い芸人さながらにコントを行ったりするなど個性を前面に出すグループとなり、2016年まで存続した。他にも、TOKIOは「力仕事をこなしながら活動するグループ」、V6は、「年少組と年長組の個性をそれぞれ出すグループ」といったように、ジャニーズアイドルも個性を出すグループが続くようになった。
シングル曲の殆どはオリジナル・アルバムに収録されていない。
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1987年8月19日 | STAR LIGHT | △○ | ROLLING STOCK | ■ | 1位 |
2 | 1987年11月26日 | ガラスの十代 | △○ | Graduation | △☆ | 1位 |
3 | 1988年3月9日 | パラダイス銀河 | △☆ | LONG RUN | ■ | 1位 |
4 | 1988年6月21日 | Diamondハリケーン | △ | Welcome | ■ | 1位 |
5 | 1988年10月10日 | 剣の舞 | △ | 涙の輝き | △ | 1位 |
6 | 1989年3月6日 | 地球をさがして | △ | NEW! 青春にはまだ早い | ■ | 1位 |
7 | 1989年7月20日 | 太陽がいっぱい | △ | 時をこえたフェスティバル | ■ | 1位 |
1989年10月28日 | 時をこえたフェスティバル | - | 太陽がいっぱい | - | - | |
8 | 1990年2月7日 | 荒野のメガロポリス | ▲● | PLEASE | ▲● | 1位 |
9 | 1990年5月16日 | Little Birthday | △ | なななのなの時間割 | ■ | 2位 |
10 | 1990年8月17日 | CO CO RO | △ | みつめていたい | ■ | 1位 |
11 | 1990年11月3日 | 笑ってよ | △ | 水彩画 | ■ | 1位 |
12 | 1991年2月7日 | 風の中の少年 | △ | TVの中のHERO | ■ | 2位 |
13 | 1991年4月26日 | 奇跡の女神 | △ | もっと近づきたい | ■ | 2位 |
14 | 1991年8月30日 | WINNING RUN | △○ | 熱帯夜 | △ | 3位 |
15 | 1991年11月7日 | GROWING UP | △ | 若さのゆくえ | ■ | 5位 |
16 | 1992年2月20日 | TAKE OFF | △★ | 君にCheer Up! | ■ | 5位 |
17 | 1992年4月29日 | リラの咲くころバルセロナへ | △★ | I'LL BE BACK | △ | 2位 |
18 | 1992年8月20日 | Meet Me | △★ | クレヨンで描いたタイムマシン(SAY'S) | △ | 6位 |
19 | 1992年11月6日 | 愛してもいいですか | △★ | 夢で逢えるから | ■ | 6位 |
20 | 1993年2月19日 | 君とすばやくSLOWLY | △★ | サヨナラと言えなくて(SAY'S) | △ | 9位 |
21 | 1993年5月13日 | 勇気100% | △★ | 微笑みをあずけて | ■ | 7位 |
22 | 1993年8月4日 | BOYS in August | △★ | 恋する気持ち | ■ | 5位 |
23 | 1993年10月27日 | この秋‥ひとりじゃない | △★ | きっと愛しあえる | ■ | 5位 |
24 | 1994年1月20日 | BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 | △ | 君は世界を夢見て | ■ | 7位 |
25 | 1994年4月28日 | ヨーソロー! 未来へよろしく | △ | 僕らのREASON | ■ | 10位 |
26 | 1994年7月21日 | TRY TO REMEMBER | △ | LUNAR PARK-GO-ROUND | ■ | 9位 |
☆オリジナルアルバム収録(★HEART'N HEARTS内ベスト)、■アルバム未収録、○●オリジナルアルバムに別versionで収録、△▲光GENJI関連名義ベスト盤に収録、(●▲「荒野のメガロポリス」「PLEASE」はEditがかなり特殊な為、曲名の項目を参照のこと)
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1988年1月1日(限定盤) | 光GENJI | 「STAR LIGHT」「ガラスの十代」のLPバージョンを収録。 |
1988年1月21日(通常盤) | |||
2 | 1988年7月28日 | Hi! | 「パラダイス銀河」収録 |
3 | 1989年2月20日(限定盤) | Hey! Say! | デビュー以来3作連続で、オリコンアルバムチャート1位を獲得。 |
1989年4月7日(通常盤) | |||
4 | 1989年10月25日 | Hello…I Love You | 初めてメンバー3人(諸星、佐藤敦啓、佐藤寛之)のソロ曲を収録。 |
5 | 1990年7月25日 | Cool Summer | 「荒野のメガロポリス〜PLEASE」をアレンジと歌詞を変えて収録。 前々作でソロ曲が収録されなかったメンバー4人(内海、大沢、山本、赤坂)のソロ曲を収録。 |
ミニ | 1990年11月21日 | White Dreaming with 光GENJI | くつ下の中に8cmCDを封入した装丁の、4曲入りミニアルバム。 |
6 | 1991年3月3日(限定盤) | (333) Thank You | 10曲入りの初回盤(別添カレンダー付)と、12曲入りの通常盤がある。 |
1991年3月20日(通常盤) | |||
ミニ | 1991年7月7日 | ひと夏ひと夜 | 4曲入りミニアルバム |
7 | 1991年10月2日 | VICTORY | 「WINNING RUN」を新アレンジで収録。 |
企画 | 1992年7月1日 | Pocket Album -7つの星- | メンバー7人のソロ曲を1人2曲ずつ収録した8cmCDの7枚組。全14曲。 |
8 | 1992年12月3日 | DREAM PASSPORT | 初回盤は8cmCD「クリスマス組曲」が付属するBOX仕様。 |
9 | 1993年3月3日(限定盤) | SPEEDY AGE | |
1993年3月19日(通常盤) | |||
10 | 1993年9月15日 | WELCOME | 各メンバーがプロデュースした楽曲7曲と光曲・GENJI曲・全員曲を1曲ずつの計10曲収録。 |
企画 | 1993年12月8日 | 宇宙遊詠 | |
11 | 1994年3月2日(限定盤) | HEART'N HEARTS | 初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。Disc1は各メンバーソロ曲。Disc2は「BEST FRIENDS」の続編で「TAKE OFF」から「この秋‥ひとりじゃない」までの全シングルA面と、新曲3曲を収録。 |
1994年3月17日(通常盤) | |||
12 | 1994年7月21日 | FOREVER YOURS | 7人グループとして発表した最後のオリジナル・アルバム。 |
14 | 1995年8月19日 | See You Again | 事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージや秘蔵写真、ディスコグラフィーなどを掲載した書籍形態の「卒業アルバム」。CD3枚組、完全限定生産。なお、公式サイトでは光GENJI SUPER 5名義。 Disc1 オリジナル・アルバム。参加メンバーは光GENJI SUPER 5。 Disc2 コンサート披露のみだったソロ楽曲やシングル曲のリアレンジ版などを収録。参加メンバーは光GENJI SUPER 5。 Disc3 過去のリリース楽曲からのベストセレクション。メンバー5人による曲の解説も掲載。 |
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1990年1月31日(限定盤) | ふりかえって…Tomorrow | 「STAR LIGHT」から「太陽がいっぱい」までの全シングルを新たに録り直して収録。 テレビでのみ披露されたアレンジ、歌詞、ソロパート割りなどを曲に取り入れている。その他新曲を3曲収録。 |
1990年2月28日(通常盤) | |||
2 | 1992年3月4日(限定盤) | BEST FRIENDS | 「STAR LIGHT」から「GROWING UP」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した2枚組。 「荒野のメガロポリス」は、シングルではカットされた2番が挿入されフルサイズで初収録。Disc2にはカラオケ音源を収録。 |
1992年3月21日(通常盤) | |||
3 | 1994年8月2日 | SUPER BEST TRY to REMEMBER | 「STAR LIGHT」から「TRY TO REMEMBER」まで、7人体勢でリリースした全シングルA面と「PLEASE」を収録した3枚組。ジャケット用スチール写真を掲載したフォトブック付き。 「剣の舞」はシングルとはアレンジが大きく異なる。「荒野のメガロポリス」と「リラの咲くころバルセロナへ」は、シングルではカットされた2番の歌詞が入ったフルサイズで収録されている。この他、「風の中の少年」のアウトロと、「WINNING RUN」と「Meet Me」のイントロも、わずかながらシングルとは異なっている。 |
4 | 2001年12月5日 | MY これ!クション 光GENJI BEST | 解散後に発売された。 シングル29曲から16曲をセレクトし、リリース順に収録。 |
5 | 2002年10月17日 | 光GENJI All Songs Request | 2枚組。 ファンからの投票により上位30位までに入った楽曲(30位が同票だったため実際は計31曲)をリリース順に収録。 |
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1988年1月16日(VHS) | 太陽がいっぱい |
2004年5月19日(DVD) | ||
1989年11月3日(VHS) | 光GENJI GIFT 太陽がいっぱい(アニメーションビデオ「太陽がいっぱい」、絵本、トランプの3点セット) | |
2 | 1988年3月18日(VHS) | 少年武道館〜少年御三家新春一番歌いぞめ〜 |
3 | 1988年5月25日(VHS) | 光GENJI ファーストライブ |
2003年7月16日(DVD) | ||
4 | 1988年6月(VHS) | あ・き・す・と・ぜ・ね・こ(非売品) |
5 | 1988年10月30日(VHS) | 少年武道館II |
6 | 1989年3月20日(VHS) | 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Say! |
7 | 1990年5月5日(VHS) | …これから物語 〜少年たちのブルース〜/ふ・し・ぎ・なBABY |
8 | 1990年6月21日(VHS) | な・な・なのなの時間割(GENJI名義) |
9 | 1990年9月21日(VHS) | 虹色夏物語(にじいろサマーストーリー) |
2003年7月16日(DVD) | ||
10 | 1991年1月1日(VHS) | ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅 |
11 | 1991年6月21日(VHS) | コンサートであおう! |
2004年5月19日(DVD) | ||
12 | 1992年7月17日(VHS) | 独逸旅情 -素顔になって- |
2003年7月16日(DVD) | ||
13 | 1993年11月2日(VHS) | 7番目の夏 |
2003年8月20日(DVD) | ||
14 | 1994年4月6日(VHS) | '93 WINTER CONCERT BRAVO!Nippon |
2003年8月20日(DVD) | ||
15 | 1994年11月18日(VHS) | '94 SUMMER CONCERT FOREVER YOURS |
2003年8月20日(DVD) | ||
16 | 1995年8月19日(VHS) | P/S I LOVE YOU |
2004年5月19日(DVD)未発売 |
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
27 | 1994年10月7日 | Melody Five | ■ | JOYFUL RHAPSODY | ■ | 6位 |
28 | 1994年10月21日 | DON'T MIND涙 | ■ | SHAKING NIGHT | ■ | 7位 |
29 | 1995年8月2日 | Bye-Bye | △ | レディーはそよかぜ(赤坂晃) | ■ | 13位 |
△ベスト盤に収録、■アルバム未収録
# | 発売日 | タイトル | |
---|---|---|---|
13 | 1995年3月1日 | Someone Special | |
14 | 1995年8月19日 | See You Again |
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
17 | 1996年1月 | Bye-Bye for Tomorrow See You Again P/S I LOVE YOU(ファンクラブ限定販売) |
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2002年8月21日 | MY これ!クション SAY'S BEST |
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1994年6月2日 | HAPPY ROAD SHOW! |
2 | 2004年3月3日 | FIRST SOLO CONCERT 寛之・山本・赤坂・敦啓 1994 |
※=忍たま関連の作品にのみ収録。光GENJI関連の作品には未収録
発売日 | アーティスト | 作品 | 参加曲 | 備考 |
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1990年8月22日 | 忍者 | お祭り忍者(水雲SINGLE) |
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少年隊、光GENJI、SMAPからのデビューに際しての応援コメントが、2コーラス後の間奏に挿入されている。 |
1993年7月20日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック | M-1の「勇気100%」は、ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。 | |
1994年12月8日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック |
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1996年1月19日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック其の参 |
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1996年6月5日 | Various Artsits | 忍たまテーマソングコレクション |
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1999年3月3日 | Various Artsits | 忍たまスーパーベストテーマ集 |
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2012年9月19日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング&エンディング集 |
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2015年6月17日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎サウンドトラック 昨日・今日・明日 〜from Nintama with Love〜 |
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ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。 |
発売日 | アーティスト | 作品 | 参加曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1992年6月19日 | ビクトリー・マーチング・バンド | 光GENJI マーチ・コレクション リラの咲くころバルセロナへ |
|
光GENJIの楽曲をマーチにアレンジ。 |
1994年8月21日 | チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 | 2001 CLASSICS 光GENJI ORCHESTRA VERSION |
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光GENJIの楽曲をオーケストラにアレンジ。マリオ・クレメンツ指揮、千住明編曲。 |
年 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 初出作品 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1987 | 今、君と歌いたい | 秋元康 | 井上堯之 | (TV) | 結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲 |
WALKING | ― | 石田勝範 | ビデオ・DVD『太陽がいっぱい』 | インスト曲 | |
Thanks | ― | 都志見隆 | インスト曲 | ||
1988 | インディ・ジョーンズにはかなわない | 麻生圭子 | 中崎英也 | ビデオ・DVD『光GENJI ファーストライブ』 | |
月光に叱られて | 三浦徳子 | 和泉常寛 | |||
哀しみのレスキュー | 山口のばら | 新田一郎 | |||
どうもありがとう | 売野雅勇 | 馬飼野康二 | 初期のコンサートでエンディングに歌われていた | ||
急げ!若者 | 千家和也 | 都倉俊一 | Live | 原曲:フォーリーブス | |
LOVE AND DREAM | 原真弓 | 石川忠次 | Live→VHS(少年武道館2) | 1988年8月16、17、18、19日 | |
Shining G | (CM) | ゼネラル石油 CMソング(10/1~11/6) | |||
1989 | Loving G | (CM) | ゼネラル石油 CMソング(1/15~2/14) | ||
1990 | 荒野のメガロポリス | 飛鳥涼 | ビデオ『P/S I LOVE YOU』 | テレビに使用した終わり方がオリジナルとは完全に異なる。終わり方は3種類存在する(楽曲欄参照)。 | |
1993 | 風の歌声に耳をすまして | 谷亜ヒロコ | 佐藤健 | ビデオ・DVD『7番目の夏』 | 『HEART'N HEARTS』に収録されたのはフェードアウトした音源だが、ビデオに収録されたのは未CD化のフェードアウトしないバージョン。 |
1994 | 7th Door - 7つ目の扉 - | 船越敬司 | Live、TV | 結成7周年を記念して制作された楽曲 | |
Shake Again | 船越敬司 | 金山(恵) | Live、TV | 1994年春のコンサートで披露 | |
曲名 | タイアップ |
---|---|
STAR LIGHT | 『スターライトエクスプレス』イメージテーマ 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』挿入歌 |
ガラスの十代 | 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』挿入歌 |
ほのかに甘くHOLIDAY | テレビ東京系ドラマ『あぶない少年』主題歌 |
パラダイス銀河 | CM:西武園ゆうえんち 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』挿入歌 |
時をこえたフェスティバル | フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌 |
剣の舞 (光GENJIの曲) | フジテレビ系ドラマ『ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD』主題歌 |
いつか、きっと… | 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』主題歌 映画『…これから物語 〜少年たちのブルース〜』主題歌 CM:エスキモー「クリスピーナ」 |
あ・き・す・と・ぜ・ね・こ | 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』挿入歌 |
ドキドキSummer Days | フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌 |
リラの咲くころバルセロナへ | CM:松下電器産業「エオリア」 1992年バルセロナオリンピック応援ソング |
愛してもいいですか | 日本テレビ系『非行少年たち』挿入歌 |
BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 | 1994年リレハンメルオリンピック応援キャンペーンソング |
微笑みをあずけて | NHK総合アニメ『忍たま乱太郎』挿入歌 |
勇気100% | NHK総合アニメ『忍たま乱太郎』オープニングテーマ 映画『映画 忍たま乱太郎』オープニングテーマ |
みつめていたい | フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌 |
この秋…ひとりじゃない | NHK総合アニメ 「忍たま乱太郎」 挿入歌 |
きっと愛しあえる | NHK総合アニメ『忍たま乱太郎』イメージソング |
曲名 | タイアップ |
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勇気100% | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎 第2シリーズ〜第9シリーズ』オープニングテーマ |
DON'T MIND涙 | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎 第2シリーズ』エンディングテーマ |
冬の贈り物 | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎』イメージソング |
SHAKING NIGHT | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎 第2シリーズ』エンディングテーマ |
曲名 | タイアップ |
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もっとでっかくNo.1 | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎』挿入歌 |
曲名 | タイアップ |
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嵐になれ | ゲーム:『ストリートファイターII』挿入歌 |
曲名 | タイアップ |
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クレヨンで描いたタイムマシン | フジテレビ系アニメ『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌 |
曲名 | タイアップ |
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にんにん忍たま音頭 | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎 第4シリーズ』エンディングテーマ 映画『映画 忍たま乱太郎』エンディングテーマ |
RUN RUN 乱太郎 | NHK教育アニメ『忍たま乱太郎』挿入歌 |
曲名 | タイアップ |
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MR.MIRACLE | CM:ハウス食品「とんがりコーン」 |
曲名 | タイアップ |
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今、君と歌いたい | TBS系「サブロー•シローの歌え! ヤング大放送」OP |
なななのなの時間割 | CM:エスキモー「クリスピーナ」 |
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