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少年隊

日本の男性アイドルグループ ウィキペディアから

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少年隊(しょうねんたい)は、日本男性アイドルグループジャニーズ事務所所属(※メンバーの退所後もグループは存続、詳細後述。)。レコードレーベルはELOV-Labelリーダー錦織一清

概要 少年隊, 出身地 ...

グループの愛称は「ショーネン」。

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メンバー

各メンバーの詳細については各ページを参照。ジャニーズ事務所公式サイトのプロフィール[1]をもとに記述。

さらに見る 名前, 生年月日 ...

略歴

要約
視点

「少年隊」は、元々は彼ら3人を含めても当時まだ20〜30人しか居なかったジャニーズ事務所の研修生であるジャニーズJr.に対する総称だった。その中の錦織一清、植草克秀、東山紀之、松原康行の4人で初期メンバーを結成、活動を開始したが、東山が高校受験のために活動を一時休止し、残りの3名で1981年10月からテレビ東京の音楽バラエティ番組「ザ・ヤングベストテン」に「Bチーム」として出演、田原俊彦近藤真彦ひかる一平などのバックダンサーとして活躍した。そんな中、松原は1982年4月から放送のドラマ「3年B組貫八先生」の出演が決定、その入れ替わりに高校受験を終えた東山が再びメンバーとして復帰することとなった。松原の脱退理由は当初、グループとのスケジュールが合わなくなったためとされていたが、ジャニー喜多川性加害問題が取り上げられるようになると、実際には東山との確執によって脱退したことが本人の告白によって明らかにされた。なお、その「Bチーム」が、後に1982年「ジャニーズ少年隊」(後述)となり、のちに「少年隊」と改められた。

グループ結成当初は、近藤真彦のバックダンサーとして、歌番組やコンサートに出演。田原俊彦のバックダンサーグループ「ジャPAニーズ」解散以降は、田原のバックダンサーも務めた。

1982年6月にはレコードデビュー前であるにもかかわらず、当時歌謡番組の雄として知られていたフジテレビ夜のヒットスタジオ」に単独ユニットとして初出演した。以後、ヒットスタジオには1985年9月の『サクセス・ストリート』まで、レコードデビューまでの間に既に10回前後単独のアーティストとしての出演実績があった。1982年11月には、「ハワイ音楽祭」で金賞を受賞した。

1984年4月2日、郵便貯金ホールにて単独ファースト・コンサートを開催、当時として異例の1日5回公演を行った。5月、ビデオ『少年隊』を発売。その後、同ビデオ収録曲「あなたに今Good-bye」で歌番組へ多数出演。テレビ・コンサート活動・映画主演などを経て、1985年12月12日、『仮面舞踏会』でレコード・デビュー[2]。デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」。翌年の新人賞レースでは、最優秀新人賞を総ナメした。

1986年、少年隊主演ミュージカル『PLAYZONE』開演。第37回NHK紅白歌合戦に初出場。以後8年連続出場した。

1987年、「ブロマイド」年間売上成績が第1位。

1994年、第31回ゴールデン・アロー賞 演劇賞・グランプリ受賞。

1999年、少年隊初の看板番組「少年隊夢」スタート。

2005年、近藤真彦25周年記念ディナーショーにゲスト出演。

2007年、ミュージカルPLAYZONEが、22年目の夏で通算上演回数900回を迎えた。『PLAYZONE2007 Change2Chance』は、共演者だった赤坂晃覚醒剤で現行犯逮捕されたため、DVD化が急遽中止となった。

2008年、23年間続いた少年隊主演ミュージカルPLAYZONE閉幕。翌年からはジャニーズ事務所の後輩が主演。

2020年9月20日、同年いっぱいで錦織と植草がジャニーズ事務所を退所することを明らかにした[3]。少年隊については「功績と少年隊そのものは残したい」というメンバーの意向を受ける形で「後輩たちの道標であり続けることができますよう」と同事務所所属のグループとして名前は存続するも、「(今後)グループとして活動の予定はない」と事実上の活動休止状態となった[3][4]。なお東山は翌2021年1月1日以降も事務所に残り、活動を続けていた[3]

12月12日、全シングル収録ベスト・アルバム『少年隊 35th Anniversary BEST』をリリース。

2023年9月5日、東山はジャニーズ事務所(同年10月17日付でSMILE-UP.に社名変更)の代表取締役社長に就任した。また、東山は並行している芸能活動を同年内で引退し、社長業に専念することを同年9月7日に公表した[5]。一方、2024年9月時点でオリコンでのプロフィール上では錦織と植草が正式なメンバーとして記載されているのに対し[6][7]、引退した東山は元メンバーとして扱われている[8]

東山引退後の少年隊の名前の存続については東山引退後しばらく言及はされていなかった[5]が、2024年10月21日に植草がテレビ番組『ぽかぽか』に出演した際、復活についてはそれぞれの立場を尊重しているとした上で「(グループは)解散はしていないです。」と答えた[9]

2025年4月13日、錦織と植草がBS-TBSの音楽番組『MUSIC X 伝説のアイドル&時代を彩った歌手大集合 豪華2時間スペシャル』に出演、少年隊の楽曲を披露した。2人のテレビ共演は18年ぶりである[10][11]

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受賞歴

エピソード

要約
視点

三人ともバク転バク宙が出来る。東山と錦織は「仮面舞踏会」のラストで左手にマイクを持った状態でバク宙をしている[注 1]

楽曲製作は、基本的に3人が曲の選定からアレンジに至るまで関わっていた為、楽曲提供者の作家陣と会って話し合い、発表まで時間がかかったそうである[15]

グループとして初めて出演した企業広告の商品が明治製菓のチョコレートで、商品のパッケージカラー(「ハイミルク・チョコレート」の赤、「ブラック・チョコレート」の黒、「ミルクチョコレート・デラックス」の黄色)が起因となって、各個人のイメージカラーはそれぞれ「赤(錦織)、黒(東山)、黄色(植草)」となっている。

日本でのレコードデビュー時に全米デビューが発表、全米デビュー用のレコーディングを済ませたが[16]、その後の進展はなく、今現在ではジャニーズ事務所(後のSTARTO ENTERTAINMENT)等が制作に関わっていないタイプのジャニーズ本でも言及されることはない。

1985年8月11日に大阪の新歌舞伎座で幕を開けた舞台「森の石松」主演・近藤真彦の応援に赴く事務所代表ジャニー喜多川に同行して翌12日の日本航空123便に搭乗する予定だったが、ジャニーは初日に近藤が開く記者会見に来て欲しいと要請を受けて前倒しで大阪入りし、少年隊は当該便をキャンセルして東京に残ったため、日本航空123便墜落事故を避けられた[17]

2008年のPLAYZONE公演を最後に、2020年12月31日をもって錦織と植草がジャニーズ事務所を退所するまで、グループとしての活動は、ファンクラブのデビュー30周年記念の会報、35th Anniversary Bestの発売と限定盤に掲載されたインタビュー、ファンクラブ会報最終号以外は、全くといっていいほど行われなかった。これについて東山は「12年も活動していなかったことは、ファンの皆さんには本当に申し訳なかったと思っています」「3人それぞれの意見があるし、やりたいことも、やらなきゃいけないことも違ってきた。」と語った[18]

事務所側が「少年隊の名前は残す」と示した見解について、錦織は出演したラジオ番組にて「誤解がないように、ここで“実は”っていう話をしたい。いっとき、ジャニーさんが“ジャニーズJr.”という言葉を封印している時代があり、その時に研究生を指した呼び方が“少年隊”だった。「ジャニーズ少年隊」はジャニーズJr.じゃなくて、研究生の子たちはみんな少年隊だっていうのがあった。だから僕たちの意思で、間違っても僕の意思で『その名前はもうやめてくれ』ってことは言えないという主張をさせていただいた」と答えている[19]

ジャニー喜多川より「最高傑作のグループ」と称されたことがある。このことについて植草は、「それは人づてに聞いたことがあるが、自分たちが最高かどうかはさておき、いちばん時間をかけてデビューさせたという点では、自分達だと思う。歌もダンスもさることながら、英会話レッスン、ボーカルレッスン、ダンスも国内外のすごい方々のところにも習いに行き、とにかくエンタテインメントに必要なものは何でも学ばせてくれ、アメリカのショーもいっぱい見せてもらい、アメリカナイズされた雰囲気を肌で感じられた。また合宿所時代に、アメリカに住んでいたジャニー喜多川の兄から現地の映像をたくさん送ってもらい、マイケル・ジャクソンジャクソン5オズモンド・ブラザーズなどの足の動きなどは、まだ日本人がほとんど知らない時からコピーして、例えば『ブルドッグ』の間奏の部分で取り入れてみたりして、そういう意味では、僕らがいちばん恵まれていた気がする。最高のものを見せてもらってきたからこそ、それに近づこうとし続けていたことで今がある」と述べている[15]。また東山は、歴代のジャニーズの中でダンスがうまいTOP3は、「1位:ニシキ、2位:俺、3位:かっちゃん」と答えたことがある[20]

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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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PLAYZONE サウンドトラック

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映像作品

音楽作品

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PLAYZONE作品

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その他参加作品

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映画

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CD化されていない楽曲

要約
視点
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ミュージカル『PLAYZONE』の楽曲

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他多数

他多数……

コンサートやテレビ番組で歌われた洋楽のカバー、PLAYZONEシリーズ(特にCD発売のない'91〜'93、'95の舞台)で歌われた楽曲に未CD化が多い。

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タイアップ

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出演

テレビドラマ

レギュラーテレビ番組

映画

ラジオ

CM

  • 1980年ハウス食品「ロッカッキー」 - 近藤真彦のバックで東山と松原が出演
  • 1981年ハウス食品「ロッカッキー・チーズ味」 新発売 近藤真彦のバックに錦織と植草が加わり東山と松原4人が出演
  • 1981年小西六写真工業サクラカラー「マンガスキッパー篇」 田原俊彦のバックに植草と東山が参加
  • ハウス食品「ククレカレー」 - 錦織・植草・松原の3名が近藤真彦と共演
  • 明治製菓「明治チョコレート(ミルク、ハイミルク、ブラック)」
  • 明治製菓「Dela(ミルク、ハイミルク、ブラック)」
  • キッコーマン「デルモンテ フルーツドリンク」
  • ライオン「マウスペット」
  • ライオン「Duetハミガキ・ハブラシ」
  • セイコー「アベニュー」
  • 日本赤十字社献血
  • ジャニーズ・エンタテイメント「湾岸スキーヤー」(3人それぞれのソロバージョンも有り)
  • ジャニーズ・エンタテイメント「君がいた頃」
  • 富士フイルム「ケータイプリンタPivi」

出版物

  • マイアイドル特別編集 ジャニーズ少年隊写真集(1984年4月15日発行、小学館
  • 明星特別編集 少年隊写真集(1985年4月15日発行、集英社
  • Duet創刊1周年記念 少年隊写真集(1988年2月20日発行、集英社)

NHK紅白歌合戦出場歴

  • 1983年第34回NHK紅白歌合戦 近藤真彦「ためいきロ・カ・ビ・リー」 のバックダンサーとして錦織と東山が出演 (植草は盲腸でお休み)
さらに見る 年度, 放送回 ...

コンサート

単独コンサート

さらに見る 年月, タイトル ...

ミュージカル

  • ミュージカル・アドベンチャー『ザ・サスケ』[28]/ヒット・パレード (1985年4-5月、梅田コマ劇場
  • SHOW劇'92 MASK(1992年5月、日生劇場)※「PLAYZONE'90 MASK」の再演(共演ユニット/青山版:忍者・日生版:TOKIO
  • 「少年隊ミュージカルPLAYZONE」シリーズ <通称:プレゾン、PZ>
  1. PLAYZONE'86 MYSTERY(1986年7 - 8月、青山劇場[33]
  2. PLAYZONE'87 TIME-19(1987年7 - 8月、青山劇場)[24]
  3. PLAYZONE'88 カプリッチョ -天使と悪魔の狂想曲-(1988年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール[29]
  4. PLAYZONE'89 Again(1989年7 - 8月、青山劇場 / 愛知厚生年金会館 / 大阪フェスティバルホール)
  5. PLAYZONE'90 MASK(1990年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  6. PLAYZONE'91 SHOCK(1991年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  7. PLAYZONE'92 さらばDiary(1992年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  8. PLAYZONE'93 WINDOW(1993年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  9. PLAYZONE'94 MOON(1994年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  10. PLAYZONE'95 KING&JOKER(1995年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  11. PLAYZONE'96 RHYTHM(1996年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  12. PLAYZONE'97 RHYTHM II(1997年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  13. PLAYZONE 1998 5nights(1998年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  14. PLAYZONE 1999 Goodbye&Hello(1999年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  15. PLAYZONE 2000 THEME PARK(2000年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  16. PLAYZONE 2001 新世紀 EMOTION(2001年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  17. PLAYZONE 2002 愛史(2002年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  18. PLAYZONE 2003 Vacation(2003年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  19. PLAYZONE 2004 WEST SIDE STORY(2004年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)※PLAYZONE史上異例のブロードウェイ・ミュージカル
  20. PLAYZONE 2005 〜20th Anniversary〜Twenty Years…そしてまだ見ぬ未来へ(2005年7 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール)
  21. PLAYZONE 2006 Change(2006年7 - 8月、青山劇場)
  22. PLAYZONE 2007 Change2Chance(2007年7 - 9月、青山劇場 / 梅田芸術劇場メインホール)
  23. PLAYZONE 2008 Change 1986-2008〜SHOW TIME Hit Series〜(2008年7 - 8月、青山劇場 / 梅田芸術劇場メインホール)
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ジャニーズ少年隊 (前身)

ジャニーズ少年隊とは少年隊の前身グループで、主に近藤真彦ひかる一平のバックダンサーを務めていた。

1981年10月6日からテレビ東京で始まった『ザ・ヤングベストテン』のスタートに合わせ、錦織・植草・松原の3名で結成された。当時はまだ「ジャニーズ少年隊」という名前が無く、「Bチーム」というグループ名で呼ばれていた。そしてそれに対する「Aチーム」の方は、後のシブがき隊だった。

1982年4月17日公開のひかる一平主演の映画『胸さわぎの放課後』に出演。この時は鈴木も参加していた。そして1982年の春に東山が松原と交替で復帰した。

メンバー

脱退メンバー

  • 事務所退社
    • 松原康行

サポートメンバー

  • 事務所退社
    • 鈴木則行

関連項目

脚注

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