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日本のテレビバラエティ番組 ウィキペディアから
『シャボン玉ホリデー』(シャボンだまホリデー)は、1961年6月4日から1972年10月1日、および1976年10月9日から1977年3月26日まで日本テレビで2期にわたって放送されていた音楽バラエティ番組である。
シャボン玉ホリデー | |
---|---|
ジャンル | 音楽バラエティ番組 |
構成 | 青島幸男、前田武彦、塚田茂、谷啓、はかま満緒、奥山侊伸、田村隆、大岩賞介、景山民夫 ほか |
ディレクター | 秋元近史、齋藤太朗、五歩一勇 ほか |
音楽 | 宮川泰、東海林修 |
製作 | |
製作 |
日本テレビ 渡辺プロダクション |
第1期 | |
プロデューサー | 秋元近史 |
出演者 | ザ・ピーナッツ ハナ肇とクレージーキャッツ |
ナレーター | 熊倉一雄、納谷悟朗 平井道子 ほか |
オープニング | 「シャボン玉ホリデー」 (ザ・ピーナッツ) |
エンディング | 「スターダスト」 (ザ・ピーナッツ) |
映像形式 | カラー放送 |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1961年6月4日 - 1972年10月1日 |
放送時間 | 日曜 18:30 - 19:00 |
放送分 | 30分 |
回数 | 591回 |
第2期 | |
プロデューサー | 池田文雄[1] |
出演者 | ピンク・レディー 三ツ矢歌子 藤村俊二 車だん吉 |
オープニング | 「シャボン玉ホリデーのテーマ」(ピンク・レディー) |
映像形式 | カラー放送 |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1976年10月9日 - 1977年3月26日 |
放送時間 | 土曜 23:45 - 日曜 0:15[1] |
放送分 | 30分 |
回数 | 24回 |
番組年表 | |
関連番組 | シャボン玉ホリデー(木曜スペシャル) |
第1期・第2期ともに牛乳石鹸一社提供で放送(社名は、第1期放送当時の1967年に共進社油脂工業から牛乳石鹸共進社に変更)。放送回数は第1期が全591回、第2期が全24回。第1期は毎週日曜 18:30 - 19:00 に、第2期は毎週土曜 23:45 - 日曜 0:15(日本標準時)に放送されていた。
製作は日本テレビと渡辺プロダクション(後年タレント部門をワタナベエンターテインメントに継承)。渡辺プロが目下売り出し中の双子の女性デュオ・ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティショーとして制作された。現場の指揮は、渡辺プロダクションの制作部長・松下治夫(後の株式会社ワイズメン代表)が執った。
スポンサー探しは難航を極め、当初提供契約に難色を示していた牛乳石鹸が最終的にしぶしぶ行った[注釈 1]経緯から同社より見返りを求められ、日本テレビが見返りとして番組名を当初予定していた『ピーナッツ・ホリデー』から『シャボン玉ホリデー』に変えた経緯がある。番組名がホリデーとなっているのは、牛乳石鹸社長の宮崎寅四郎による命名で、電通の堀貞一郎から牛乳石鹸への売り込みだったため、その労をねぎらい堀の名をとり堀貞(ホリテイ)からホリデーとした[2]。牛乳石鹸の一社提供であったため、番組冒頭には乳牛の鳴声「モー!」と番組テーマ曲をバックに「提供・乳牛マーク・牛乳石鹸」が書かれていた提供クレジットが入れられていた。その代償として、テーマ題の最後に「ピーナッツ!」とサブタイトルを入れることにした[注釈 2]。ただ視聴率は高かったため、結果的には成功ということになった。
番組はまず「牛乳石鹸提供、シャボン玉ホリデー!」のタイトルコールに次いで、乳牛の鳴き声でオチとなるコントをやり、その後ザ・ピーナッツがテーマソングをシャボン玉の舞う中で歌い、毎回1つのあるテーマに沿ってザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、そして毎回登場するゲストを交え、コント・歌・トークなどを展開。番組からは数多くのギャグが生まれ、特に植木等の「お呼びでない?こりゃまた失礼致しました!」は番組を代表する伝説的なフレーズとして親しまれた。
当時本番組のADだった齋藤太朗は、後に当時を振り返って「当時井原高忠が担当していた『光子の窓』が人気を博しており、それに同番組のADだった秋元近史が対抗意識を燃やし、渡辺プロダクションと組み当時まだ売れてなかった若手(ザ・ピーナッツ、クレージーキャッツ等)を起用して番組を立ち上げた」と語っている[3]。
第1回からカラー放送で、生放送ではなくカラーVTRに収録しての放送を行っていた[注釈 3]。収録は出演者のスケジュール上深夜に撮影されることが多く、時には明け方までかかることもあったという。オープニングテーマとエンディングテーマからも伺えるとおり、番組の主役はザ・ピーナッツであるが[注釈 4]、実質的にはハナ肇とクレージーキャッツとのW主演となった。
また、例年の8月にはクレージーが大阪市北区の梅田コマ・スタジアムで特別公演を行うため、系列局である読売テレビ[注釈 5]のスタジオ(当時は東天満に存在)を使って収録したこともある。
1972年に入ると、クレージーのメンバー全員揃っての出演は無くなる(ハナ肇か谷啓が出演)。そして同年5月からの約半年間は公開番組となり、谷啓、ピーナッツ、そして井上順之(後の井上順)がメインを務め、スタジオに動物を入れるなど往時とは別内容のものとなっていた。この頃にはジャッキー吉川とブルーコメッツもレギュラーとなっていた。この時期番組は視聴率も低迷しており、ザ・ピーナッツが当時関西で人気を誇っていた『ヤングおー!おー!』(毎日放送製作)にゲスト出演した際、「こっち(ヤングおー!おー!)のほうが面白い」と本音を漏らしたというエピソードも残っている[4]。
番組は1972年10月1日、11年4か月の歴史に幕を下ろした。通常『シャボン玉ホリデー』と言えば、こちらの第1期を指すことの方が多い。
第1期の終了から4年後の1976年10月9日、番組は同一のタイトルでリバイバル。レギュラー陣は、デビュー間もないピンク・レディーに三ツ矢歌子、藤村俊二、車だん吉を加えたメンバー構成であった。
こちらも第1期と同様に日本テレビで放送され、スポンサーも引き続き牛乳石鹸が務めたが、ゴールデンタイムの直前に放送されていた第1期と異なり、第2期では深夜番組としての放送であった。プロ野球ナイター中継のシーズン中に『全日本プロレス中継』を一時移動させる深夜枠の確保のためもあり[注釈 6]、番組は半年後の1977年3月26日に終了した。メイン出演者のピンク・レディーは、番組終了直前の1977年2月に牛乳石鹸から発売された「シャワラン・ビューティシャンプー&リンス」のCMに起用されていた[5]。
なお、第1期では年末年始であろうと毎週欠かさずに放送されていたが、第2期では年始(1977年1月1日)の放送は行われなかった。
番組と同名のテーマソングをザ・ピーナッツが歌っていた。そのテーマソングの作詞者は前田武彦である。
第2期(ピンク・レディー時代)のテーマ曲は第1期とは大きく異なっており、ワルツ調になっていた(作詞作曲は不明)。
★印は、第1期を日曜18:30 - 19:00に放送した局。
『シャボン玉ホリデー』第2期レギュラー放送終了から9年後の1986年3月6日、『木曜スペシャル』枠でクレージーキャッツ結成30周年を記念し、当時の貴重な映像やコントの再現などで一夜限りの復活版を放送した[注釈 11]。チェッカーズや原田知世などがクレージーキャッツ[注釈 12]と共演し、当時の台本を元にオリジナルのスタッフの斎藤太朗が演出した。番組は、自殺した同番組プロデューサー兼ディレクターの秋元近史に捧げられていた。
1989年12月31日16:00 - 17:55に、第1期最終回の裏側を描いたスペシャルドラマ『シャボン玉の消えた日〜シャボン玉ホリデー・笑いにかけた青春物語〜』を放送[注釈 13]。ストーリーパートは一部を除いてモノクロ、コーナー再現パートはカラーで構成されている。スポンサーは牛乳石鹸を含めた複数社提供だったが、ドラマ内では当時使われた牛乳石鹸の提供スーパーが再現された。
2015年3月27日から3月29日まで東京・三越劇場にて、「第4回日本喜劇人まつり」(一般社団法人日本喜劇人協会主催)として『天国のシャボン玉ホリデー』と題した舞台公演が行われた。放送当時の構成作家の一人である河野洋が脚本、喰始(WAHAHA本舗主宰)が演出をそれぞれ担当し、牛乳石鹸が協賛。小松政夫、藤田弓子、赤井英和、小倉久寛、熊谷真実、清水よし子、桜花昇ぼる、大和田獏、林与一らといったメンバーに加え、犬塚弘も特別出演した[24]。
第1期放送当時の放送用2インチVTRは高価であったため、第1期の現存映像は以下の10本のみである。
放送年月日 | 回 | サブタイトル | 形態 |
---|---|---|---|
1964年4月19日 | 151回 | コーラス万歳!ピーナッツ | モノクロキネコ |
1964年8月23日 | 169回 | 楽器で遊ぼうピーナッツ | モノクロキネコ (一部カラー) |
1965年7月11日 | 215回 | どうなってんだピーナッツ | モノクロキネコ |
1966年1月9日 | 241回 | タニーケイだよピーナッツ | |
1966年3月6日 | 249回 | コントは楽しピーナッツ | |
1967年7月16日 | 320回 | お化けが出るよピーナッツ | |
1969年11月2日 | 440回 | ダンドリ大切ピーナッツ | カラーVTR |
1970年4月19日 | 464回 | 安田ァー!ピーナッツ | |
1970年8月2日 | 479回 | 海へ山へピーナッツ | |
1972年4月30日 | 570回 | 10周年だよ! |
これらのうち、後年の回顧番組などで放送されるのは大半がモノクロキネコ版で、カラーVTRのものは放送される機会が少ない。特に「10周年だよ!」は、放送形態が非公開から公開番組に変わった初の回であるのにもかかわらず、放送されることはほとんどない。
第2期のピンク・レディー版も、後年の回顧番組(特にピンク・レディー関連)で取り上げられることはほとんどないが、1978年に牛乳石鹸共進社自身が発刊した『牛乳石鹸共進社70年の歩み』には、「主な提供番組」のページに山田康雄らがゲスト出演した回の写真が、ピンク・レディーや三ツ矢・藤村・だん吉らレギュラー出演者と共に掲載されている。
「コーラス万歳!ピーナッツ」に関しては放送ライブラリーで公開されている。
1983年2月20日にNHK教育テレビで放送されたテレビ放送30周年特番『テレビジョン その時代』(第7夜)で、「楽器で遊ぼうピーナッツ」の回が放送された。放送形態は以下のように変更された[25]。
ただし、プロローグでの乳牛の鳴き声(小島正雄がピアノを弾こうとして「モー!」)はそのまま放送された。
1995年に東芝EMI(後のEMIミュージック・ジャパン。現在はユニバーサルミュージック)からビデオとレーザーディスクで発売(2007年にDVDで再発売)された『クレージーキャッツ メモリアル』に「楽器で遊ぼうピーナッツ」、「どうなってんだピーナッツ」、「タニーケイだよピーナッツ」、「コントは楽しピーナッツ」の4本が収録されている(すべてモノクロだが、一部パートにカラー映像がある)。
ボーナストラックとして「ダンドリ大切ピーナッツ」でのコント「キントト映画」が収録されている(カラー。この映像のみ不要になったキネレコ・フィルムをハナ肇が持ち帰り私的に保存していたもの)。なおこのメディアは、ハナ肇が晩年にクレージーキャッツ全盛期のテレビ番組をビデオ化・発売しようとして頓挫した企画をハナの没後に関係者たちが尽力し、テレビ局各社のライブラリから映像提供を受けて実現させたものである。
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