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鹿児島県鹿児島市の町丁に関する解説記事 ウィキペディアから
鹿児島市の町丁(かごしましのちょうちょう)では、鹿児島県鹿児島市を構成する町丁の変遷について述べる。
鹿児島市は1889年(明治22年)4月1日に施行された市制(明治21年法律第1号)により成立し、市制施行時の鹿児島市は鹿児島城下及びその近在にあたる47の町丁と3つの大字より構成された[1][2]。その後周辺市町村の廃置分合に伴う町丁の設置や、住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)に基づく市街地域における住居表示の実施、住宅団地の建設に伴う町域の再編などを経て、2020年(令和2年)2月3日現在、360の町丁が設置されている[3]。
鹿児島市は鹿児島県の県庁所在地であり、鹿児島県の中南部に位置する。1889年(明治22年)に施行された市制及町村制(明治21年法律第1号)の規定に基づく、「 市制施行地」(明治22年内務省告示第1号)により、鹿児島が市制施行地に指定され、同年4月1日をもって鹿児島県令第26号の規定に基づき、鹿児島府下47町及び荒田村、塩屋村、西田村の合計50町村より成立した[2]。鹿児島市は日本で最初に市制が施行された31市の一つである[1]。市制施行時の鹿児島市の人口は47,512人であった[2]。
1934年(昭和9年)に鹿児島郡中郡宇村、同郡西武田村及び同郡吉野村の3村を編入し[4]、1950年(昭和25年)には鹿児島郡伊敷村及び同郡東桜島村の2村が編入された[5]。
その後はしばらく市域の変更はなかったが、1967年(昭和42年)に南部に接する谷山市との新設合併により新たに「鹿児島市」となり[6][7]、2004年(平成16年)には鹿児島郡吉田町、同郡桜島町、揖宿郡喜入町、日置郡郡山町及び同郡松元町の5町を編入した[8]。
表中の■は鹿児島市、■は鹿児島市を除く市、■は町を示す。その他の色は村である。
1889年4月1日 | 1889年-1910年 | 1910年-1930年 | 1930年-1950年 | 1950年-1970年 | 1970年-1990年 | 1990年-現在 | 現在 |
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鹿児島市 | 鹿児島市 | 1967年4月29日 鹿児島市(新設) |
鹿児島市 | ||||
鹿児島郡中郡宇村 | 1934年8月1日 鹿児島市 | ||||||
鹿児島郡西武田村 | |||||||
鹿児島郡吉野村 | |||||||
鹿児島郡伊敷村 | 1950年10月1日 鹿児島市 | ||||||
北大隅郡東桜島村 | 1897年4月1日 鹿児島郡東桜島村 | ||||||
谿山郡谷山村 | 1897年4月1日 鹿児島郡谷山村 |
1924年9月1日 鹿児島郡谷山町 |
1958年10月1日 谷山市 | ||||
鹿児島郡吉田村 | 1972年11月1日 鹿児島郡吉田町 |
2004年11月1日 鹿児島市 | |||||
北大隅郡西桜島村 | 1897年4月1日 鹿児島郡西桜島村 |
1973年5月1日 鹿児島郡桜島町 | |||||
日置郡上伊集院村 | 1960年4月1日 日置郡松元町 | ||||||
日置郡郡山村 | 1956年9月30日 郡山町 | ||||||
日置郡下伊集院村(一部) | |||||||
給黎郡喜入村 | 1897年4月1日 揖宿郡喜入村 |
1956年10月15日 揖宿郡喜入町 |
鹿児島県の大部分[注釈 1]では1889年(明治22年)4月1日に市制・町村制(明治21年法律第1号)が施行されることとなり、2004年(平成16年)時点の鹿児島市の区域の市町村については同日に全域が市制及町村制による市又は村となった。それまでの町・村は町丁・大字という形で存置されることとなった。
鹿児島市は、市制(明治21年法律第1号)の規定に基づく、「 市制施行地」(明治22年内務省告示第1号)に指定された。同年4月1日をもって「 鹿児島県令第26号」の規定に基づき、鹿児島府下の47町及び西田村、塩屋村、荒田村にあたる区域を以て、鹿児島市として発足。鹿児島市は日本で最初に市制が施行された31市の一つである[1]。
従来の町は町丁に、村は大字となった[1][2]。鹿児島県令第26号の規定による鹿児島市の町は以下のとおりである[9]。鹿児島市役所は山之口馬場町に置かれた[9]。
鹿児島郡の区域には西武田村・中郡宇村・吉野村・伊敷村・吉田村が設置された。鹿児島県令第26号の規定による大字は以下のとおりである[9]。
日置郡のうち現在の鹿児島市の区域には上伊集院村・下伊集院村・郡山村が設置された。鹿児島県令第26号の規定による大字は以下のとおりである[9]。
1899年(明治32年)1月に鹿児島市では「通」、「馬場」、「小路」が付く以下の町名から「通」、「馬場」、「小路」を除く改称を実施した[10][1][11]。
1911年(明治44年)9月30日に鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の一部及び西武田村大字武の一部が鹿児島市に編入され、鹿児島市大字荒田の一部が西武田村大字田上に編入された[28][29][30][31]。鹿児島市に編入された区域をもって下記の町が設置あるいは既存の町へ編入された。
1911年(明治44年)に鹿児島市に設置されていた大字が町丁に変更された[35][36]。また、大字西田の一部が西田町に編入され、残余部が常盤町となった[37]。
1920年(大正9年)10月1日に鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の紙屋谷地区、大字永吉が鹿児島市に編入された[30][38][39]。編入から5年後となる1925年(大正14年)8月に玉里町、永吉町、原良町が設置された[10]。
1922年(大正11年)に南林寺地区にあった墓地の移転に着手し[30]、1924年(大正13年)に都市計画により南林寺墓地の整理と改葬が完了し[40]、その跡地より南林寺町が設置された[41]。
1934年(昭和9年)8月1日に鹿児島郡中郡宇村、西武田村、吉野村が鹿児島市に編入された[4][30]。同日発行の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示「 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により以下の通り、大字の区域をもって町の区域が設定され、西武田村大字武については1911年(明治44年)9月30日に鹿児島市に先に編入されていた武町の区域に編入された[42]。なお、中郡宇村大字中の一部は郡元町に編入された[43]。
1950年(昭和25年)10月1日には鹿児島郡伊敷村、同郡東桜島村が鹿児島市に編入された[5]。同年10月18日に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の告示である「 鹿兒島市の一部大字の變更」により10月1日付で以下の通り町の区域が設定された[44][45]。
編入後の町 | 編入前の区域 | 変更日 |
---|---|---|
伊敷町 | 鹿児島郡伊敷村大字上伊敷(全域) | 1950年(昭和25年)10月1日 |
下伊敷町 | 鹿児島郡伊敷村大字下伊敷(全域) | |
小野町 | 鹿児島郡伊敷村大字小野(全域) | |
犬迫町 | 鹿児島郡伊敷村大字犬迫(全域) | |
小山田町 | 鹿児島郡伊敷村大字小山田(全域) | |
皆与志町 | 鹿児島郡伊敷村大字比志島(全域) | |
鹿児島郡伊敷村大字皆房(全域) | ||
野尻町 | 鹿児島郡東桜島村大字野尻(全域) | |
持木町 | ||
東桜島町 | 鹿児島郡東桜島村大字湯之(全域) | |
古里町 | 鹿児島郡東桜島村大字古里(全域) | |
有村町 | 鹿児島郡東桜島村大字有村(全域) | |
鹿児島郡東桜島村大字脇(全域) | ||
黒神町 | 鹿児島郡東桜島村大字黒神(全域) | |
鹿児島郡東桜島村大字瀬戸(全域) | ||
高免町 | 鹿児島郡東桜島村大字高免(全域) |
1956年(昭和31年)9月30日に日置郡下伊集院村が解体分割されることとなり、大字有屋田・大字嶽が日置郡郡山町、大字苗代川・大字宮田・大字神之川(一部)が日置郡東市来町、大字神之川(一部)が日置郡日吉町にそれぞれ編入され、その他の下伊集院村の区域及び及び伊集院町の全域を廃し新たに伊集院町が設置された[46][47]。
2004年(平成16年)現在の鹿児島市の区域にあたる大字の変更点は以下のとおりである。現在の日置市の区域にあたるその他の区域については「下伊集院村#大字」を参照。
1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)が施行され、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[48]。甲突川以北の市街地の住居表示の実施に着手し、第1回目が1963年(昭和38年)度に実施された[49]。
1963年(昭和38年)9月11日に城南地区(加治屋町・山之口町・樋之口町・新屋敷町・松原町・呉服町・船津町・大黒町・新町・堀江町・住吉町・南林寺町・塩屋町・西千石町)において住居表示が実施されたのに伴い町域の変更が行われた町の一覧である[50]。この住居表示の実施に伴い、千日町・城南町・錦江町が新設され、洲崎町が廃止された[50]。
1965年(昭和40年)7月20日に中央地区(東千石町・平之町・山下町・中町・金生町・泉町・汐見町・六日町・易居町・生産町・小川町の全域及び和泉屋町・長田町・浜町の各一部)において住居表示が実施されたのに伴い町域の変更が行われた町の一覧である[49][51]。この住居表示の実施に伴い、照国町・城山町・名山町が新設され、汐見町・六日町・築町・生産町が廃止された[51]。
1967年(昭和42年)11月1日に上町地区の一部(向江町・恵美須町・車町・栄町・柳町・春日町の全域、浜町・和泉屋町・池之上町・上竜尾町・下竜尾町・長田町の各一部)において住居表示が実施されたのに伴い町域の変更が行われた町の一覧である[49][52]。この住居表示の実施に伴い、上本町・大竜町が新設され、和泉屋町・恵美須町・車町・栄町・向江町が廃止された[52]。
1967年(昭和42年)4月29日に鹿児島市と谷山市が新設合併し新たに「鹿児島市」が新設された[7]。谷山市の町については原則としてそのまま鹿児島市の町となったが[53]、両市に存在した「塩屋町」について、鹿児島市塩屋町は同年4月20日に「甲突町」に名称を変更し[54]、谷山市塩屋町は同年4月28日に「谷山塩屋町」に名称を変更した[55]。また、同様に両市に存在した中町については谷山市中町が同年4月28日に「中山町」に名称を変更している[55][53][56][57]。
1969年(昭和44年)7月1日に郡元町の一部である真砂・新川・鶴ケ崎・港地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、以下の通り町域の再編が実施された[58][59]。
1970年(昭和45年)7月1日に紫原団地の区域にあたる宇宿町、鴨池町、郡元町、田上町の区域において住居表示が実施されることとなったのに伴い町域の再編が行われた[60]。紫原一丁目から紫原七丁目の設置では鹿児島市では初めてとなる丁目制が採用された[61][62]。
1970年(昭和45年)に西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)前一帯において換地処分が行われたのに伴い、町界町名変更が以下の通り実施された[63][64]。
1971年(昭和46年)7月1日に高麗・荒田地区にあたる下荒田町、上荒田町、高麗町、鴨池町の区域において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[62][65]。
1973年(昭和48年)3月4日に郡元町・宇宿町の一部の区域にあたる南港地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[66][67]。
1973年(昭和48年)12月3日に天保山町、鴨池町、下荒田町の各一部にあたる下荒田・天保山地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた[62][68]。
1974年(昭和49年)7月8日に郡元・鴨池・上荒田地区において住居表示が実施されることとなり、町の区域の再編が実施された[69][70][71][72]。
1975年(昭和50年)6月27日に武・西田地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い町域の再編が行われた[62][73][74][75]。
1976年(昭和51年)7月5日に新照院・草牟田・城西地区において住居表示が実施されることとなり、町域の再編が実施された[77][62][78]。
変更後 | 変更前 | 変更日 |
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城西一丁目(新設) | 鷹師町(一部) | 1976年(昭和51年)7月5日 |
薬師町(一部) | ||
城西二丁目(新設) | 薬師町(一部) | |
原良町(一部) | ||
城西三丁目(新設) | 原良町(一部) | |
薬師一丁目(新設) | 薬師町(一部) | |
鷹師町(一部) | ||
薬師二丁目(新設) | 薬師町(一部) | |
常盤町(一部) | ||
西田町(一部) | ||
鷹師二丁目(新設) | 鷹師町(一部) | |
薬師町(一部) | ||
草牟田一丁目(新設) | 草牟田町(一部) | |
草牟田二丁目(新設) | 草牟田町(一部) | |
玉里町(一部) | ||
草牟田町(編入) | 下伊敷町(一部) | |
城山一丁目(新設) | 草牟田町(一部) | |
冷水町(一部) | ||
長田町(一部) | ||
玉里町(一部) | ||
城山二丁目(新設) | 長田町(一部) | |
冷水町(一部) |
1976年(昭和51年)10月12日に与次郎ヶ浜地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い町域の再編が行われた[79][80][81][82]。
1977年(昭和52年)7月11日に伊敷団地地区(伊敷団地周辺地区)において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[69][85][86]。
1978年(昭和53年)6月19日に玉里町、下伊敷町、坂元町の各一部にあたる玉里団地地区(玉里団地・若葉台団地)において住居表示を実施することとなり町域の再編が行われた[87][88]。
1978年(昭和53年)10月24日に中山町・山田町・宇宿町・田上町の各一部に造成された桜ケ丘団地において換地処分が行われたのに伴い、町域の再編が行われた[89][90][91]。
1979年(昭和54年)2月26日に笹貫・谷山塩屋地区の区域において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[69][92]。
1979年(昭和54年)7月16日に原良団地・永吉団地の区域に当たる小野町、永吉町、原良町の各一部において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[62][93][94][95]。
1980年(昭和55年)7月28日に田上町、西別府町、常盤町、武町の各一部にあたる西郷団地・武・西田地区の住居表示において住居表示が実施されることとなり、町域の再編が実施された[96][97][98]。
1981年(昭和56年)2月23日には小松原地区において住居表示が実施され、谷山塩屋町の一部のうち区画整理が実施された区域において町域の再編が行われた[99][100]。
1982年(昭和57年)10月23日に宇宿町に造成された梶原迫団地の区域が換地処分されたのに伴い、町域の再編が行われた[101]。
1983年(昭和58年)1月31日には冷水・玉里地区で住居表示が実施されるのに伴い、町域の再編が行われた[69][102]。
1984年(昭和59年)1月30日に上之原団地・辻ヶ丘団地・催馬楽団地の区域において住居表示が実施されることとなったのに伴い町の区域の再編が実施された[103]。
1984年(昭和59年)10月15日に慈眼寺団地・ニュー慈眼寺団地・坂之上団地・星和台団地の区域にあたる下福元町の一部において住居表示が実施されるのに伴い、町域の再編が行われた[104][105]。
1986年(昭和61年)2月10日に田上団地地区及び東田上地区において住居表示が実施されることとなった[106][62]。これに伴い、田上団地・前ケ迫団地・鶴留団地・丸岡団地の区域にあたる区域において町域の再編が実施された[107][106]。
1986年(昭和61年)2月9日に吉野町の一部にあたる大明ヶ丘団地の区域において住居表示が実施されることとなり、それに伴い町域の再編が実施された[108][109]。
1988年(昭和63年)1月1日に喜入町大字前之浜(現在の喜入前之浜町)及び喜入町大字中名(現在の喜入中名町)の各一部より分割され、喜入町大字喜入(現在の喜入町)及び喜入町大字一倉(現在の喜入一倉町)が設置された[110][111]。
分割が行われた理由として「喜入町郷土誌」では『地区名(小学校区)と大字名の違いから生活に不便や不都合が生じた為』としている[112]。
1988年(昭和63年)2月15日に小野町の一部において住居表示が実施されることとなり、それに伴い町域の再編が実施された[113][114]。
1988年(昭和63年)2月15日に西別府町、田上町の各一部にあたる西郷団地地区の残りの区域で住居表示が実施されるのに伴い、町域の再編が行われた[115][116]。
1989年(平成元年)2月13日に田上町、五ケ別府町、山田町の各一部にあたる「星ヶ峯団地地区」において住居表示が実施されることとなったのに伴い町域の再編が行われた[115]。
1990年(平成2年)2月13日に上福元町及び中山町の各一部にあたる希望ヶ丘・自由ヶ丘団地地区において住居表示が実施されるのに伴い、町域の再編が行われた[117][118][115]。
1990年(平成2年)2月13日に田上町中園地区において住居表示が実施されることとなり[115]、それに伴い町の区域の再編が実施された[119][120]。
1990年(平成2年)11月5日に宇宿町下地区及び上福元町小原地区において住居表示が実施されるのに併せて町域の再編が実施された[115][121][122][123]。
1990年(平成2年)11月5日には、宇宿町下地区において住居表示が実施されるのに併せて町の区域の再編が実施された[122]。
1991年(平成3年)5月7日に吉田町大字宮之浦(現在の宮之浦町)より牟礼岡団地(三井ニュータウン)として造成された区域が分割され以下の町丁が設置された[124]。また、同時に全域で住居表示が実施された[115]。
1991年(平成3年)11月5日には小野町の一部にあたる小野町中福良・鶴之村地区において住居表示が実施されたのに伴い町域の再編が行われた[125]。
1992年(平成4年)8月10日に坂元町国料地区にて住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[115][126][127]。
1992年(平成4年)9月14日に花野団地地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた[115][128][129]。
1992年(平成4年)9月14日に五ケ別府町および山田町の各一部にあたる皇徳寺ニュータウン地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い町域の再編が行われた[115][130][131]。
1993年(平成5年)3月1日に、鴨池町の全域及び郡元町及び田上町の各一部にあたる唐湊地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた。これに伴い鴨池町が消滅した[132][133][115][134]。
1993年(平成5年)3月1日には星ヶ峯ニュータウン地区において住居表示が実施されたのに伴い町域の再編が行われた[115][135][136]。
1993年(平成5年)3月1日に武岡台にあたる小野町の一部の区域で住居表示が実施されることとなり、町域の再編が行われた[115][137]。
1993年(平成5年)3月1日に住居表示が行われたのに伴い宇宿町の一部において町域の再編が行われた[138][115]。
1994年(平成6年)3月16日には、上之原・辻ヶ丘・催馬楽団地地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[115][139]。
1994年(平成6年)10月17日に常盤団地地区において住居表示が実施されることとなり、田上町及び常盤町、武岡一丁目において町域の再編が行われた[115][140]。
1995年(平成7年)2月13日には下伊敷地区において住居表示が実施されることとなり、下伊敷町の区域で町域の再編が行われた[115][141][115]。
1996年(平成8年)2月13日に上福元町、下福元町、谷山塩屋町の一部において町域の再編が行われた[142][143][144]。[142][143]。また、谷山中央五丁目から谷山中央七丁目の区域において住居表示が実施された[115]。
1996年(平成8年)11月18日には慈眼寺地区で住居表示が実施されたのに伴い、和田町及び下福元町の一部において町域の再編が行われた[145][115]。
1997年(平成9年)2月17日に「西郷団地地区」において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[146][147]。
1997年(平成9年)2月17日には桜川第二地区において住居表示が実施されることとなり、中山町及び上福元町の各一部の区域において町域の再編が行われた[115][148][149]。
1997年(平成9年)11月17日に皇徳寺ニュータウン地区において住居表示が実施されたのに伴い町域の再編が行われた[150][151]。
1997年(平成9年)11月17日には中山町及び山田町の一部にあたる「中山・山田団地地区」において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[151][152]。
2001年(平成13年)8月13日に上福元町及び中山町のうち武迫団地付近の区域において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[156][151][157]。
2002年(平成14年)11月18日に伊敷ニュータウン地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[151][158][159]。
2004年(平成16年)2月16日には伊敷地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、伊敷町の区域において町域の再編が行われた[151][160]。
2003年(平成15年)7月4日にガーデンヒルズ松陽台として造成された区域にあたる松元町大字福山(現在の福山町)・大字上谷口(現在の上谷口町)・大字石谷(現在の石谷町)の各一部より分割され、大字松陽台(現在の松陽台町)が設置された[161]。翌年2004年(平成16年)2月2日には松元町大字直木(現在の直木町)の一部より松元町大字平田(現在の平田町)、松元町大字直木・大字上谷口の各一部より大字四元(現在の四元町)が設置され、松元町大字上谷口の一部が松元町大字春山(現在の春山町)に編入された[162][163]。
2004年(平成16年)11月1日に鹿児島郡吉田町、同郡桜島町、日置郡松元町、同郡郡山町、揖宿郡喜入町の5町が鹿児島市に編入された[164]。
鹿児島地区合併協議会では町名・字名の取り扱いについて「5町の各町の区域内の字の区域を廃止し、当該廃止された字の区域に相当する区域により新たに町の区域を設定し、その名称については次の例により、各町の意向を尊重し合併時までに調整するものとする。」と協定された[165]。この協定に基づき、「 町の区域の設定及び字の廃止」(平成16年鹿児島県告示第1775号)により、編入日をもって、鹿児島市に編入した従来の大字の区域を廃止し、その廃止した大字の区域を包括した区域に町の区域が設定された[166]。
町名については、旧桜島町、旧喜入町のうち大字喜入以外、郡山町大字嶽、郡山町大字厚地、吉田町大字西佐多浦、吉田町大字東佐多浦を除く旧5町の各大字は「<旧大字名>町」(例:松元町大字春山→鹿児島市春山町)のように改称された[166][167]。
旧桜島町の区域の町名は「桜島+<旧大字名>町」(例:大字赤水→桜島赤水町)に改称し、旧喜入町の区域も大字喜入を除き、「喜入+<旧大字名>町」(例:大字瀬々串→喜入瀬々串町)に改称した。また、郡山町大字嶽は『郡山岳町』(こおりやまたけまち)、郡山町大字厚地は『花尾町』(はなおまち)、吉田町の西佐多浦及び東佐多浦については浦を除いた『西佐多町』、『東佐多町』にそれぞれ改称した。尚、牟礼岡一丁目から牟礼岡三丁目については設置当初より町丁として設置されており変更された点はない[168]。
編入後 | 編入前 | 変更日 |
---|---|---|
東佐多町 | 鹿児島郡吉田町大字東佐多浦 | 2004年(平成16年)11月1日 |
西佐多町 | 鹿児島郡吉田町大字西佐多浦 | |
本城町 | 鹿児島郡吉田町大字本城 | |
本名町 | 鹿児島郡吉田町大字本名 | |
宮之浦町 | 鹿児島郡吉田町大字宮之浦 | |
牟礼岡一丁目 | 鹿児島郡吉田町牟礼岡一丁目 | |
牟礼岡二丁目 | 鹿児島郡吉田町牟礼岡二丁目 | |
牟礼岡三丁目 | 鹿児島郡吉田町牟礼岡三丁目 | |
桜島赤水町 | 鹿児島郡桜島町大字赤水 | |
桜島横山町 | 鹿児島郡桜島町大字横山 | |
桜島小池町 | 鹿児島郡桜島町大字小池 | |
桜島赤生原町 | 鹿児島郡桜島町大字赤生原 | |
桜島武町 | 鹿児島郡桜島町大字武 | |
桜島藤野町 | 鹿児島郡桜島町大字藤野 | |
桜島西道町 | 鹿児島郡桜島町大字西道 | |
桜島松浦町 | 鹿児島郡桜島町大字松浦 | |
桜島白浜町 | 鹿児島郡桜島町大字白浜 | |
喜入瀬々串町 | 揖宿郡喜入町大字瀬々串 | |
喜入中名町 | 揖宿郡喜入町大字中名 | |
喜入町 | 揖宿郡喜入町大字喜入 | |
喜入一倉町 | 揖宿郡喜入町大字一倉 | |
喜入前之浜町 | 揖宿郡喜入町大字前之浜 | |
喜入生見町 | 揖宿郡喜入町大字生見 | |
上谷口町 | 日置郡松元町大字上谷口 | |
福山町 | 日置郡松元町大字福山 | |
直木町 | 日置郡松元町大字直木 | |
入佐町 | 日置郡松元町大字入佐 | |
春山町 | 日置郡松元町大字春山 | |
石谷町 | 日置郡松元町大字石谷 | |
松陽台町 | 日置郡松元町大字松陽台 | |
四元町 | 日置郡松元町大字四元 | |
平田町 | 日置郡松元町大字平田 | |
郡山岳町 | 日置郡郡山町大字嶽 | |
有屋田町 | 日置郡郡山町大字有屋田 | |
西俣町 | 日置郡郡山町大字西俣 | |
郡山町 | 日置郡郡山町大字郡山 | |
油須木町 | 日置郡郡山町大字油須木 | |
花尾町 | 日置郡郡山町大字厚地 | |
東俣町 | 日置郡郡山町大字東俣 | |
川田町 | 日置郡郡山町大字川田 |
2005年(平成17年)2月7日に明ヶ窪地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[151][169]。
2006年(平成18年)2月13日に、新島の区域が江戸時代から所属していた桜島赤水町の一部より分割され、新島の島域に新島町が設置された[170][171]。
2005年(平成17年)2月7日に小野町加志喜地区において住居表示が実施され、小野町の一部が田上八丁目に編入された[151]。
2005年(平成17年)2月13日に、武岡台土地区画整理事業として整備された鹿児島市立武岡中学校の周辺の区域が小野町から武岡五丁目に編入された[151][171]。
2007年(平成19年)2月5日には原良第二地区において住居表示が実施されることとなり[151]、原良町の一部が城西二丁目及び城西三丁目に編入され、同時に城西二丁目11番街区は住居番号の振り直しが行われた[172]。
2007年(平成19年)10月29日には常盤地区で住居表示が実施されることとなり、常盤町及び田上町の区域で再編が行われた[151][173][174]。
2008年(平成20年)2月25日に坂之上地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[151][175][176][177]。
2007年(平成19年)7月10日に人工島として造成された「マリンポートかごしま」の区域に町域が設定された[175][178]。
2008年(平成20年)10月27日に下福元町の一部にあたる光山地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、町域の再編が行われた[151][179][180][181]。
2008年(平成20年)11月10日には山田町の一部にあたる南皇徳寺台地区において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[151][182][183]。
2010年(平成22年)2月15日に宇宿中間・広木地区(第一期)において住居表示が実施され[151]、宇宿町の一部で町域の再編が行われた[184]。
2011年(平成23年)2月14日に宇宿中間・広木地区(第二期)において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[115][185][186]。
2011年(平成23年)11月7日に原良西部地区で住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[151][187][188]。
2013年(平成25年)2月18日に宇宿中間・広木地区(第三期)において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[151][189][190]。また、宇宿町の全部及び田上町の一部を以て町の区域の設定及び変更が行われたことにより「宇宿町」が消滅した[191]。
2013年(平成25年)11月11日には和田地区において住居表示が実施され[151]、和田町及び谷山塩屋町の全域で町域の再編が行われた[192]。それに伴い、和田町及び谷山塩屋町は廃止された[192]。
2014年(平成26年)2月17日に、谷山第二地区土地区画整理事業の事業区域の一部において谷山第二地区(第一期)として住居表示が実施され、上福元町及び下福元町の一部で町域の再編が行われた[193]。
2015年(平成27年)2月2日に吉野第一地区区画整理事業の事業区域の一部で住居表示が実施されるのに伴い、町域の再編が行われた[194]。
2015年(平成27年)11月9日に原良町及び薬師二丁目の各一部にあたる原良第三地区において住居表示が実施されたのに伴い、町域の再編が行われた[195][196]。
2017年(平成29年)2月6日に清和地区において住居表示が実施されたのに伴い、上福元町及び中山町の一部で町域の再編が行われた[197]。
2020年(令和2年)2月3日に谷山第二地区(第2期)の住居表示が実施されたのに伴い、上福元町及び下福元町の各一部において町域の再編が行われた[198]。
2023年(令和5年)1月23日に吉野町・川上町の各一部の区域で住居表示が実施されたのに伴い、吉野三丁目及び吉野四丁目が設置された[199]
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