鶴見区 (大阪市)
大阪府大阪市の行政区 ウィキペディアから
大阪府大阪市の行政区 ウィキペディアから
鶴見区(つるみく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つで、最も東に位置する区。
城東区に属していたころはレンコン畑や蓮畑が至る所にあるのどかな田舎町だったが、1974年に鶴見区として独立してからは一気に区画整理が行われた。
1990年に開催された国際花と緑の博覧会(花博)の会場となった鶴見緑地(花博記念公園鶴見緑地)が区のシンボルとなっている。地下鉄長堀鶴見緑地線の延伸、学研都市線のJR東西線乗り入れ以降、着々と人口が増加。区内では、大規模なマンションが続々と建設された。
現在、大規模マンションの建設ラッシュは下火になっており、町工場の跡地などを中心に一軒家の建設が行われている。1995年ごろから人口が増加したが、人口が減少傾向になっている。
区内には自転車や徒歩圏内にショッピングモールやスーパー、ファミリーレストランが多く店舗を構えている。
鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野で巻狩(四方から狩場を囲んで獣を捕らえる狩り)をしたときに、千羽の鶴に金の短冊を付けて放したところ、この地に飛来して住み着いた。その鶴を見物に来る人が多く、「鶴見」という呼び名がついたという言い伝えがある[1]。
一方、日本書紀にその名を残す草薙の剣を盗み出し、新羅の国に逃げようとしていた僧の船が難破してしまい、辿り付いた所で祟りを恐れた盗賊が草薙の剣を放り投げて逃げ出したという記述が古代の伝記(八剣伝説)があり、「ツルギ」が訛って「ツルミ」になったと言う説もある。付近の摂津国と河内国の国境は剣畷・剣堤と呼ばれ、剣街道と呼ばれる道路(現・大阪府道159号平野守口線の一部区間)が通っており、草薙の剣の御霊を御神体として奉納している阿遅速雄神社がある。なお、難読地名として有名な放出(はなてん)の由来の一つにも、前述の僧が草薙の剣を放り投げたことを古代の記述で「放ち出で(はなちいで)」と記述していた事からそれが基となってその地を「放出」としたというものがある。
地名としては、放出とともに旧東成郡榎本村の大字の一つである「下之辻」が、1925年の大阪市編入の際に「鶴見町」に改称されている。また、分区の際には「放出区」「茨田区」なども候補に挙がっていたが、協議の結果「鶴見区」と決定した。
|
|
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.