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日本の俳優、タレント (1965-) ウィキペディアから
たかしま まさひろ 髙嶋 政宏 | |||||||||||||||
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本名 | 髙嶋 政宏 | ||||||||||||||
別名義 | スターレス髙嶋 | ||||||||||||||
生年月日 | 1965年10月29日(58歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・東京都世田谷区 | ||||||||||||||
身長 | 183 cm[1] | ||||||||||||||
血液型 | B型 | ||||||||||||||
職業 | 俳優・タレント・司会者 | ||||||||||||||
ジャンル | 舞台・テレビドラマ・映画 | ||||||||||||||
活動期間 | 1987年 - | ||||||||||||||
配偶者 | シルビア・グラブ(2005年 ‐ ) | ||||||||||||||
著名な家族 |
高島忠夫(父) 寿美花代(母) 髙嶋政伸(弟) 高嶋弘之(叔父) 高嶋ちさ子(従妹) | ||||||||||||||
事務所 | 東宝芸能 | ||||||||||||||
公式サイト | 東宝芸能によるプロフィール | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
テレビドラマ 『純ちゃんの応援歌』 『HOTEL (テレビドラマ)』 『同窓会』 『山岳救助隊・紫門一鬼』 『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』 『ブラッディ・マンデイ Season2』 『ストロベリーナイト』 『ラストホープ』 『S -最後の警官-』 『信長協奏曲』 映画 『ガンヘッド』 『トットチャンネル』 『BU・SU』 『ゴジラvsメカゴジラ』 『ヤマトタケル』 『S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』 『キングダム』 『AI崩壊』 舞台 『レ・ミゼラブル』 『エリザベート』 | |||||||||||||||
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1965年10月29日、父・高島忠夫、母・寿美花代の次男として誕生。幼少時は東京と神戸の祖父母のところと半々の生活だった[注釈 1]。
成城学園中学校高等学校を経て、成城大学法学部在学中の1987年、映画『トットチャンネル』にて俳優デビュー[5][2]。同作および映画『BU・SU』での演技により第61回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞や第42回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第30回ブルーリボン賞新人賞、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第12回報知映画賞新人賞などを受賞[2]。テレビドラマでは『純ちゃんの応援歌』で人気を得るが、1993年の『同窓会』が世間に強烈なインパクトを残し、自身も役の幅を広げる。
以降、『山岳救助隊・紫門一鬼』シリーズや『レ・ミゼラブル』、『ヤマトタケル』などで活躍。
両親・弟と共に東宝芸能に所属している。
私生活では、2000年のミュージカル『エリザベート』初演での共演をきっかけに交際していたシルビア・グラブと2005年に結婚[6][7]。シルビアの誕生日である7月17日に婚姻届を提出し、7月30日にハワイ・マウイ島にて挙式した[8]。
ゴジラシリーズや映画『ヤマトタケル』などで監督を務めた大河原孝夫は、髙嶋について役作りにあたっていろいろな引き出しを用意するタイプであったと述べている[9]。『ゴジラvsメカゴジラ』で共演した佐野量子は、髙嶋は何事にも真剣に取り組んでおり、脚本をじっくり読み込んでセリフの裏の意味も理解していたと証言している[10]。
高校から大学までアメフト部に所属していた[2]。
幼いころにハードロックバンド「キッス」の影響を受けてから無類のロック好きである[2]。CDも5,000枚以上所持していると言われ、キッスのアイテムを300点以上保持している。歌手としてCDを出していた時期があり、ロックバンドでベースを演奏していたこともある。最初はエレキギターをやりたかったが、父親に「不良になる」と却下された。
青少年時代より英国のプログレッシブ・ロックバンド「キング・クリムゾン」を信奉しており、自身のソロシングル「こわれるくらい抱きしめたい」のB面(c/w)で同バンドの楽曲「スターレス」をカヴァーしているほどである。
『ROCK FUJIYAMA』に出演した際には、『プログレッシブ・ロック』に対する愛を語り、その意外性が話題となった。その番組ではロックの話をする際に、内容があまりにもマニアックなものもあったため、鮎貝健やSHELLYを始めとする共演者でさえも誰も話題についていけないほどで、キング・クリムゾンの楽曲名とかけた「スターレス髙嶋」とあだ名された。その後も非ミュージシャンながら『ROCK FUJIYAMA』に3度の出演を果たし、番組最多出演ゲストとなった。その関係で、番組初登場後のあまりの反響ぶりから、キング・クリムゾンのベストアルバム『濃縮キング・クリムゾン』(en:The Condensed 21st Century Guide to King Crimson)の国内盤ライナーノーツを担当し、以降もリイシュー盤のCD帯原稿などを手掛けている[11]。
うつ病を患って入院し、回復しつつあった病床の父・忠夫の前で「スターレス」を歌ったことも告白したことがある。また、その「スターレス」を創った期のメンバーだったジョン・ウェットンが亡くなった際には、追悼の念を述べた[12]。
2007年5月26日には『ROCK FUJIYAMA』以外で初めて、「スターレス髙嶋」名義でJ-WAVEの『東京REMIX族』への出演も果たしている。同番組でも、ロックへの愛を熱く語ったことはもちろんだが、プログレ初心者の中川翔子から「初心者にお勧めは?」と聞かれ、「やっぱりクリムゾンの『レッド』ですかね!!」と答え、山田五郎には「『宮殿』からじゃダメなんだ? うら若き乙女に『レッド』からいかせるなんて…」と突っ込まれた[13]。
2019年夏、親交がある日本のプログレ・バンド「金属恵比須」と共同でライブイベントを主催。最後のトリで、楽曲「スターレス」を熱唱した[14]。
2021年11月、キング・クリムゾンの来日ツアーに併せた特別番組のPRに起用され、予想時間を越える長尺解説をWEBで公開し熱く語った[15]。
1989年、後に「COSA NOSTRA」を結成する桜井鉄太郎とともにユニット「Real Pop Organizers」を結成。アルバム『R.P.O』をリリースしている。
『ROCK FUJIYAMA』ではマイケル・シェンカー・グループ、イエス、AC/DCの来日公演を観た話をして、マーティ・フリードマンとROLLYと共にこれら3バンドの曲をベースを弾きながらセッションした。
パンク・ロックやニュー・ウェイヴのファンでもあり、好きなバンドにセックス・ピストルズ、XTC、テレヴィジョン、ワイヤーを挙げている。
音楽と人1994年8月号のインタビューにおいては更に日本のニューウェーブバンドにも触れており突然段ボール、フリクション、不正療法などのバンド以外にもグレイトフル・デッド、ザ・バンド、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズなどアメリカンロックも挙げておりインタビュアーの市川哲史をして「(記事中のバンドの解説は)あまりにも膨大なので説明不能。すまん」と注釈を付けるほどの知識を有している。
2008年2月10日には、舞台『ベガーズ・オペラ』に出演のため滞在していた大阪市で、ポリスの大阪ドーム公演にも足を運んだ。
自他共に認める「鹿児島通」である。年に何度もプライベートで来訪しており、穴場に関しては地元の観光関係者が舌を巻くほどの詳しさである。また近年は鹿児島が舞台の映画に地元民の役柄で出演する事も多く流暢な唐芋普通語を披露している。さらに地元の人も知らないラーメン屋やさつま揚げ屋など詳細な鹿児島通には地元の人も驚く。映画「チェスト」での鹿児島弁は事前に鹿児島に入り、地元住民と焼酎を酌み交わしながら覚えた。鹿児島人にも「髙嶋さんの鹿児島弁は完璧だ」と役者魂を出した。
2019年1月31日、鹿児島県知事から委嘱され、薩摩大使に就任。薩摩大使は県外からの転勤者が鹿児島を去る際に就任する制度で、日銀の鹿児島支店長が代々就任している[16]。
中学時代に同級生とバンドを結成し、同級生のツテでライブハウスで前座を務める。ギャラは飲食代。ビジーフォーの前座もしたが、高島忠夫の息子とは周囲は知らず、後にモト冬樹と共演した際に言って驚かれる。
叔父のような音楽関係職を希望しており、権利を勉強するため、大学は法学部。一時期は弁護士を目指していた。大学の文化祭でモデル事務所にスカウトされ、パーティスナップが雑誌に載り、東宝より声がかかって在学中にデビュー。一方、弟の政伸は政宏の付き人を1年やり、政宏の紹介で役を射止めてデビューした。
石黒賢は中学・高校・大学を通じて同期生で、弟の政伸にとってはいずれにおいても1年先輩でもある。
愛妻家で妻のことが大好きで、妻の父方の故郷はハグとキスが当たり前で毎日妻の左こめかみあたりにキスしていたらキスした部分がハゲたことがある。
2010年3月からアデランスの「アデランスは誰でしょう?」の第2弾CMに新庄剛志・八嶋智人と共に出演。正解は髙嶋で、頭の真ん中の頭頂部までをさかやきのように剃り上げ、まるで落ち武者のような髪型で登場した。
ゴジラシリーズに出演する一方で、自身もゴジラそのもののファンである[17]。『ゴジラvsメカゴジラ』への出演は、髙嶋自身が監督の大河原孝夫へ希望したことがきっかけであった[9]。同シリーズには、父・忠夫や弟・政伸も出演しており[17][18][注釈 2]、『vsメカゴジラ』出演の際には忠夫からアドバイスを受けていたほか、忠夫と共演もしている[19]。コクピットのシーンは、映画『ガンヘッド』での経験を活かし、セットに逐一出入りしなくて済むよう水や食料などを持ち込んでセットに入りっぱなしで撮影に挑んだ[19]。2018年2月3日にTOHOシネマズ日劇にて特別イベント「さよなら日劇ラストショウ」に登壇した際にはゴジラのフィギュアを掲げてゴジラへの愛を明かしたうえ、2016年公開の『シン・ゴジラ』への出演に期待するも以前のゴジラ作品でメインを演じた人は駄目という理由から出演できなかったことを明かしている[17]。
兄弟の確執ではなく事務所の方針としているが、弟とは2013年を最後に共演していない[20]。
全てのシングル、アルバム共に現在は廃盤
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