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阪急電鉄の鉄道路線 ウィキペディアから
嵐山線(あらしやません)は、京都府京都市西京区の桂駅から嵐山駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。
沿線に嵐山などの観光地を控え、行楽客や年末年始の初詣客で賑わう。かつては嵐山支線と表記した例も見られた。
なお、正式な起点は桂駅だが、列車運行上は嵐山駅から桂駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。また甲陽線と同様、停車場間の閉塞信号機は設置されていない。
通常は線内折り返しの普通列車のみの運行で、朝夕は毎時6往復、日中は毎時4往復運行している。運行間隔は不均一で、朝夕のラッシュ時は交互に約8分と約12分の間隔、日中は交互に約13分と約17分の間隔となっている。通常は4両編成であるが、行楽シーズンの土曜・休日や大文字五山送り火の日には6両編成が使用されたり、約10分間隔(交換設備の関係で完全な10分間隔ではない)に増発されたりすることがある。
2019年までの春・秋の行楽シーズン(主に3月下旬から5月のゴールデンウィークまでと11月)には嵐山への行楽輸送を目的とした京都本線等と直通する臨時列車が運転されていた。基本的に土休日ダイヤでの運転であるが平日に設定される場合もある。以下、特記がなければ土休日での運転である。一部列車は嵐山線内の定期列車と統合され、臨時列車が運転される時間帯は線内折り返しの普通が減少することがある。なお、嵐山線内のホーム有効長の関係上、各線から嵐山線まで全区間で最大で6両編成で運行される。
臨時列車の運行の変遷については以下の通りである。
かつて梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 嵐山駅間で運行していた臨時急行である。歴史は古く、戦前から運転を開始し、途中中断したものの戦後になり再開。明確な再開時期は不明であるが、『鉄道ピクトリアル』2017年4月号の阪急電鉄京都線特集の記事によると、1953年には既に再開していたとの記述がある。
愛称は1992年秋の運転より付けられたものであり、このシーズンのみ「さがのエクスプレス」であったが、早くも翌1993年の春の運転からは「嵯峨野エクスプレス」に変更された[注釈 1]。愛称が付けられる前は、起終点のそれぞれ1文字を取って「梅嵐(ばいらん)急行」あるいは単に「梅嵐」とも呼ばれた。
梅嵐急行の運行標識板は1960年代後半頃までは「大阪 臨急 嵐山」と文字だけのものであったが、1970年代に春はさくらを、秋はもみじを模したものに変更され、さらに1981年春の運転からは「大阪」の部分を「梅田」に変更した(1981年3月1日に運行標識板の様式を全面的に改定したことによる措置)。この運行標識板は1992年秋の運転で愛称が付けられた後も運転終了まで継続して使用されていたが、表示幕車には取り付けられなかった。また、愛称が付けられた1992年秋以降は愛称表示板も取り付けられるようになったが、これについては表示幕車にも前面貫通扉下部に掲示されていた(標識板使用車の場合は車掌台側に掲示)。この愛称表示板についても愛称表示開始から2度様式を変更している。
1982年の秋は、桂駅改良工事の影響で、京都本線と嵐山線の直通運転が一時的に不可能となっていたため、梅田駅 - 嵐山駅間の直通急行は設定されず、代わりに梅田駅 - 桂駅間の臨時急行「梅桂(ばいけい)急行」が設定された。運行標識板はもみじを模したデザインではなく「桂 臨急 梅田」という、文字だけのシンプルなデザインのものが使用された。また、梅田駅工事の関係で1966年春の梅嵐急行は十三駅発着[2][注釈 2]で運転され「十嵐(じゅうらん)急行」となったが、同年秋の運転より元の梅田駅発着に戻った。この時の運行標識板は当時の梅嵐急行同様の文字だけのデザインであったが、「大阪」の部分を「十三」に変更していた。
運転最終日は2000年11月26日であった。2001年3月24日のダイヤ改正で行楽ダイヤ設定時に新たに「いい古都エクスプレス」が設定されるなど京都本線で大規模なダイヤ改正が行われたことに伴い廃止となった。
2001年春には、嵐山線の列車を桂駅 - 長岡天神駅間で延長し、長岡天神駅の同一ホームで特急と嵐山線を接続させるダイヤが設定された。これは、このシーズンより設定がなくなった「嵯峨野エクスプレス」を補完すると共に、桂駅で嵐山線 - 京都線の乗り換えには地下道または跨線橋を渡らなければならない、という不便を解消するためだった。20分間隔で運転され、夕方に嵐山発長岡天神行きのみ設定された。長岡天神駅到着後は桂駅まで回送された。車両は6両編成が使用された。
しかし、長岡天神駅まで乗車する乗客はごくわずかで、桂駅で乗り換えする乗客が大半であった。またこの延長運転のため、桂駅すぐ南側の川岡踏切が長時間開かずの踏切となること、すでに京都本線に6両編成の定期運用がなく、この列車のためだけに各種標識類(停車位置表示など)が必要となることから、以降は設定されていない。
その後、2008年春の行楽シーズンまでは、嵐山線内折り返しの普通列車の増発と6両編成での運行を行うに過ぎなかった。
2008年秋からは、阪急電鉄自身による嵐山誘客キャンペーンの一環として、神戸本線から京都本線を介して嵐山線に直通する臨時列車が運転された。
2010年3月14日のダイヤ改正以降はさらに発着駅を増やし、宝塚本線や今津線からの直通列車が運転されることになり[3]、同年春より運転されていた。2011年5月14日のダイヤ改正以後は大阪市営地下鉄堺筋線(現在のOsaka Metro堺筋線)からの直通列車も設定された。
各年ごとの詳細は以下の通り。
2008年11月、阪急自身による嵐山誘客キャンペーンの一環として臨時列車が設定された。運転日は11月17日から21日までの5日間(すべて平日)で、1日1往復の運転であった[4][5]。
使用された車両は西宮車庫所属の7000系6両編成で、ヘッドマークは急行の運行標識板に似た赤丸に「臨時」の赤文字と黒文字で右に「嵐山」、左に「西宮北口」のマークで、側面にはステッカーが貼付された。種別幕は「臨時」、方向幕は白地の表示であった。車内の停車駅案内図も、この臨時列車のための専用の停車駅案内図が用意された。
運転区間は西宮北口駅 - 梅田駅 - 嵐山駅間で、神戸本線西宮北口駅 - 十三駅間と嵐山線内は各駅に停車し、京都本線内(梅田駅 - 桂駅間)はノンストップ運転となった。往復共に十三駅での客扱いは神戸本線ホームで行い、また列車を方向転換させるために梅田駅6号線にも乗り入れたが運転停車とし、客扱いは行わなかった。嵐山駅到着後は夕方に折り返すまで、そのまま同駅に留置された。
なお、この臨時列車については通勤特急ほかすべての列車が停車している高槻市駅は通過となっており、これ以降現在までこの手の臨時列車については高槻市駅は通過である。なお、営業列車の高槻市駅通過は1997年のダイヤ改正以来である。
2009年春、嵐山誘客キャンペーンの一環として、神戸本線・神戸高速線・宝塚本線・千里線・堺筋線および、京都本線河原町駅(現在の京都河原町駅) - 嵐山駅間で臨時列車が運転された[6][7][8]。前年度の運転が好評だったため2009年は運転区間を拡大して設定された。神戸本線・宝塚本線からの直通列車は平日のみの運転で、日によって異なる発着駅で設定されていた。
堺筋線と嵐山線を直通する列車は初めて設定された。京都本線河原町方面と嵐山線を直通する列車は1965年頃に普通列車で運転されて以来となる[9]。神戸本線・宝塚本線と直通する列車は2008年の運転と同様に、往復共に列車を方向転換させるために梅田駅にも客扱いなし(運転停車)で乗り入れた。神宝線から京都線に乗り入れた車両は、2008年11月と同じく、西宮車庫所属の7000系6両編成が使用された。運転本数は神戸・宝塚方面からはそれぞれ1往復で、河原町駅発着は嵐山行き10本・河原町行き12本の運転であった。
秋からは土曜・休日にも神戸本線・宝塚本線からの臨時列車が設定された[10]。秋は春とは異なり宝塚本線経由の設定が廃止され、今津線経由宝塚駅発着列車が設定された。この神戸本線・今津線からの列車のスイッチバックはこれまでの梅田駅6号線ではなく、一時期使用を中止していた十三駅9号線(駅南側にある、神戸本線と宝塚本線の間の引き込み線)を使用して行なっていた。これ以降、神宝線と京都本線を直通する列車は全て十三駅でスイッチバックしている。神宝線から京都線に乗り入れた車両は、同年春と同じく、西宮車庫所属の7000系6両編成が使用された。
一方、天下茶屋駅発着については、堺筋線と千里線・京都本線が直通運転を開始して40周年となったことを記念して大阪市交通局(現在の大阪市高速電気軌道〈Osaka Metro〉)の車両が使用され、66系が6両に減車(8両編成のうち、3 - 4号車引き抜き)された上で、初めて嵐山駅に乗り入れた[11][12]。
4月29日・5月1日 - 5日・8日・9日に梅田駅・河原町駅・高速神戸駅・宝塚駅(今津線経由)からそれぞれ嵐山駅までの直通列車が運転された。2009年秋と異なり、停車駅に淡路駅が追加されている。また、正式に列車種別が設定され、梅田駅・河原町駅 - 嵐山駅間の列車は快速特急、高速神戸駅・宝塚駅(今津線経由) - 嵐山駅間の列車は直通特急であった。
神戸本線との直通列車は、十三駅でスイッチバックするため、梅田駅には乗り入れない。また、神戸本線・京都本線の両ホームで客扱い(嵐山行きは2号線→5号線、嵐山発は6号線→1号線の順)を行う。
これに加えて、宝塚本線からは特急「日生エクスプレス」梅田行き臨時列車を運転の上、十三駅で嵐山線直通列車と接続するダイヤとなった。
2011年5月14日にダイヤ改正が行われ、以下のような追加・変更が行われた[16]。
嵐山駅 - 河原町駅間の快速特急は、1運用で神戸線の車両(「あたご」の編成)を使用する。
梅田駅 - 嵐山駅間の快速特急で使用されていた6300系「京とれいん」はこのダイヤ改正から梅田駅 - 河原町駅間の快速特急での定期運用開始に伴い、直通列車の運用から外れた。
2015年春には梅田駅 - 嵐山駅間の快速特急にラッピング列車「古都」、同年秋には高速神戸駅 - 嵐山駅間の直通特急にもラッピング列車(2016年に「爽風(かぜ)」と愛称決定[18])が充当されるようになり[19]、2016年にはそれぞれの列車愛称もラッピング列車の愛称と同じ「古都」「爽風」になった[20][21]。
2018年3月17日から2019年10月31日には同じ「古都」の愛称で、絵本作家の永田萠のイラストによるラッピング列車を運行している(2018年11月17日にデザイン一部リニューアル)[22][23]が、嵐山駅直通の臨時列車の愛称は「さがの」「あたご」に戻された[24]。
2019年春からは運行系統の再編が行われた。河原町駅発着の快速特急「おぐら」、天下茶屋駅発着の直通特急「ほづ」、高速神戸駅発着の直通特急「あたご」、宝塚駅発着(今津線経由)の直通特急「とげつ」の運転が取りやめられ、大阪梅田駅発着の快速特急「さがの」3往復の運転に統合された。また、一部の火・水・木曜日には7000系「京とれいん 雅洛」を使用する西宮北口駅発着の直通特急(愛称なし、停車駅は「あたご」と同じ)が運転された[25][26]。
2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令の影響や利用状況を踏まえ、運行を取り止めており[27][28][29]、2021年以降は線内折り返し列車を増発するのみに留まっている。
直通特急の英語表記は特急と同じ「Limited Express」が使用されていたが、2019年1月のダイヤ改正で「Direct Limited Express」に変更された。
主に以下の車両が使用される。
京都線所属車両のうち4両編成または6両編成が使用される。京都本線との直通臨時列車は全て6両編成での運行。2018年秋シーズンまでは前述の臨時直通列車が運行される期間は神宝線の7000系6両編成も区間運用列車に充当されていた。
京都電燈が所有していた鉄道敷設免許を譲り受け、京阪電気鉄道傘下の新京阪鉄道が複線で全線を開業させた。嵐山駅は6面5線構造であったが、当初予想したほどの需要が得られず、開業のわずか2年後には複線の設備を残したまま単線運行になった。戦局の悪化で金属供出令により不要不急線として[要出典]単線化され、現在に至っている。その名残で、路盤や架線柱は複線分の幅があり、橋台や橋桁が残っている部分もある。ただし、桂駅の京都本線との分岐部は、戦後の構内改造によって路盤が単線分に削られた。
すべての駅で天神橋筋六丁目駅経由・Osaka Metro各駅への連絡きっぷならびに、Osaka Metro堺筋線天下茶屋駅経由・南海関西空港駅への連絡きっぷがそれぞれ購入でき、また年に2度発売されている「高野山1dayチケット」でも天下茶屋駅経由で南海高野線への乗車が認められている。さらに2011年5月14日からは、京都本線と接続する桂駅のみではあるが、先述の連絡きっぷよりもさらに割安な「関空アクセスきっぷ」も発売している(こちらは発売開始当初から同ルート経由で設定)[39][40]。
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